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文字数 2,218文字

      *

 彼女が原田加奈ちゃんという名前だということは、彼女がお母さんとしている交換日記の文章を通じて知った。素直な子で、しばらく一人で悩んだあとは、交換日記のページをぱらぱらめくり、『自分で抱え切れないときは、周りの人に相談すること!』というお母さんの教えの一つを、しっかりと守ることにした。私が礼を言うと交換日記はにっこり笑った。

 頭のいい子でもあった。実際に相談する相手としては大人を避けた。親や先生は、子供を危険に合わせないことを第一に考えるから、そんなもの捨てなさいの結論ありきで話を聞いてしまうだろう――そう考えるだけの想像力を持っていた。

 ただ、選ばれた相手が的確だったかというと、私はノーと言いたい。加奈ちゃんが相談を持ちかけたのは、六年二組のクラスメート、楢原悟だった。放課後の校庭の片隅、他の子供たちの群れから離れた木陰。突然の呼び出しに悟は卑しくも頬を上気させていた様子だったが、差し出された私にさっと目を通すなり、つまらなさそうな顔をした。

「秘密の話ってこれ? なんかのいたずらじゃねーの」

 私は憤慨した。轢き逃げの「轢」の部分で悟の視線が固まり、あ、難しい文章めんどくせ、とあっという間に諦めほとんど文面を読み飛ばしたことを、私は見逃していない。

 加奈ちゃんも気付いた様子で、きちんと読んでよ、と悟をたしなめた。悟はぶつくさ文句を言いながら、何度も視線を行きつ戻りつし、どうにかこうにか私を読み終えた。もちろん、シンクロはできない。

「やっぱり、いたずらだろ」
「どうしてそう思う?」
「だって轢き逃げとかあったら、ニュースでやってるだろ。おれ、知らないぜ」
「ニュースなんて見ないくせに。それにこの文章が本当なら、死体は隠されちゃってるの。ニュースになりようがないでしょ」
「トランクの中に被害者を詰めた、か。その文面自体が嘘かもしれないんだ。事件があったってコンキョにはならないぜ」
「だから相談してるんじゃない。本当かいたずらかわからないから相談してるの。いたずらだと思うなら、どうしてそう思うか教えてほしいの」
「いや、だってそんな事件があったら、ニュースで……あれ?」

 頭があったら抱えたくなった。

「第一、書かれてる住所がほんとに存在するかも怪しい。こういうのは大体でたらめなんだ」
「でも本物かもしれないでしょ」
「確かめてみるか」

 悟の家は、加奈ちゃんの家のすぐ近くにあった。お菓子を運んでくるのにかこつけてスパイよろしく様子を見に来たお母さんを綺麗にやり過ごしてから、二人は悟の部屋のパソコンにかじりついた。ネットの地図サイトに接続し、犯人の住所を打ち込んで検索する。

「確かに住所は実在するなあ」

 モニタを覗き込んで悟が唸る。衛星写真が表示されていた。玩具の小箱のように小さい家々の屋根やマンションの屋上が、ぎっしりと並んでいる。ハイライトされているのはあるじのマンションだ。私は感心してしまった。さすがに現代っ子である。
 悟も今度はしっかり私の文面を見直し、写真と見比べながら考え込んだ。

「書かれてる住所は、全部実際にある。ここが犯人って書かれてる奴のマンション。こっちが書いた奴のマンション。事件現場ははっきり書かれてないけど、記述からいってたぶんこの小道のどこか。確かに、つじつまは合ってる」
「本物ってこと?」
「そうは言ってねえよ。住所が実在するってだけだ。言えるのは、偽物なら、たぶん知り合いの住所とかを使ってるってこと。気に入らない奴の住所を騙って、面白おかしく迷惑をかけてやろうってやつ。本物なら……自分で通報せずに、わざわざこんなもんを書いた理由があるってこと」
「理由?」
「強請り」

 加奈ちゃんが悟を相談相手に選んだ理由がわかった気がした。
 こいつ、やればできる奴なのだ。

「でも、やっぱり悪戯だろ。こんなものを誰でも読める図書館の本に挟むなんておかしいぜ。そういう大事なものは、フツー誰か信頼できる人間に託すもんだろ。友達とか、恋人とか」
「いなかったら?」
「信頼できる人間が? 一人も?」
「何ごそごそやってんだ。若い男女が」

 背後からぬっと現れた男に、悟と加奈ちゃんは飛び上がった。
 男はにやにや笑いながら、二人の動揺を楽しんでいる。その手に持っているのは、マカダミアナッツチョコレートの包み箱だった。

「……叔父さん」
 悟が目を瞬いた。
「帰ってたの、新婚旅行」
「ついさっきな。可愛い甥っ子が部屋に女の子を招いていると聞いて飛んで来た。ほれ、土産。無難な土産で悪いが、二人で食いな」

 男は悟の手にチョコレートの箱を押し付けると、ふと私に目を留めた。

「……それは?」
 止める間もなく私をつまみ上げた。文面に目を落とし、げ、と顔を歪めた。
「あいつ、結局捨てなかったのかよ」
 悟が首を傾げる。
「……は?」
「ラブレターとか捨ててくるだろ普通。くっそお、俺の愛が足りないってことか? いや、おまえらに玩具としてやったってことか? それはそれで、酷い話ではあるが……」

 悟も加奈ちゃんもきょとんとして男を見上げている。
 手紙となった私を、マンションの一室でくずかごに突っ込んだあの男だった。
 悟と顔を見合わせたあと、加奈ちゃんが控えめに手を挙げた。

「どういうこと?」
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