4-6

文字数 1,527文字

 犯人が、うちの電話で通報しよう、と玄関のドアを指さした。知らない人の家に入ってはいけない――そんな言葉が一瞬だけ悟の顔に浮かんだが、すぐに消し飛んだ。これから正義を行おうというときに、そんな言いつけを守る子供はいない。

 あるじについては、ある意味自業自得のことだった。でも、この子供はそうではない。私を読み、信じてくれた。そのために殺されてしまう……。

 犯人が、玄関の鍵を開けにかかった。ポケットから鍵束を取り出す。沢山の鍵がじゃらじゃらとついているのは、あるじがいろんなコインロッカーに私を入れて、その鍵が全部ぶら下がっているからだ。私のいくつかは廃棄され、いくつかは犯人に回収された。

 犯人は一つ鍵を選び、鍵穴に差し込もうとしたが、うまくいかなかった。別の鍵を選び、挿し込む。今度は嵌ったが、回らなかった。次の鍵も駄目だ。
 なにやってんだろ、自分の部屋なのに――手元を見ていた悟の目の光が、大きくなった。瞳の奥に生じた疑念と閃きが、パソコンのランプのようにカタカタと点滅する。

 口の中で呟いた。
「きみも被害者たちの仲間いりだぜ……?」

 ――被害者は、轢き逃げされた人、一人のはずだ。
 ――なんで、被害者『たち』?

 悟がぎゅっと目を閉じた。まぶたの裏で仮説と推測が入れ替わり回る。

 また開いたとき、そこには恐怖が満ちていた。

 悟が一歩、後ろへ下がった。首振り人形のように、伸びた廊下の奥を見やった。

「どうした」
 気配に気付いたのか、犯人が振り向いた。
「すまないな。手間取って。すぐに見つけるから。……どうした?」

 犯人は首を傾げると、中腰になり、腰のひけた悟の顔を、じっと覗き込んだ。悟が反射的に一歩、後ろへ下がった。
 犯人の手の中で握られた私が、くしゃっと音を立てた。

「どうした?」
「いや。その。ちょっと、用事を思い出したから……」
「用事? どんな?」
「それが、大事な用事でさ。ちょっと」
 視線をきょろきょろとさまよわせる。
「急いで、家に帰らなくちゃいけなかったんだ」
「家に? あとでじゃ駄目なのか?」
「急いでて。時間ないんだった。だからちょっと、部屋にあがるわけにはいかなくて」
「そうか。なら仕方ないな」
「うん、じゃあ――」
「送ってやるよ。車で」
 悟は言葉が続かない。
「ほら、あの車だ」

 悟の肩に手を回した。廊下の柵の隙間から、階下の道路を指さした。マンションの裏口前の小道に、一台のセダンが停まっている。
 悟は馬鹿正直にナンバープレートを凝視し、目を離せなくなった。顔がみるみる青ざめていく。私の文面にあるのと同じナンバー。
 犯人は瞬きもせずに、青ざめていく悟の表情を見ていた。

「お、おれ、歩いて……」
 口を開きかけた悟を制し、犯人は彼の肩に両手を乗せた。
「大丈夫」
 その手に一瞬だけ、ぎゅっ、と力がこめられた。
「遠慮しないでいい」

 騒げばこうやってきみの首を絞めるよ。

 言葉にされたわけでもないのに、そのメッセージが犯人の手から悟の肩を通して、猛毒入りの電流のように速やかに彼の全身に行き渡るのがわかった。

 私は虚しくなる。人を放心させられる文章などそうはいない。メッセージを伝えるのは、私より犯人の方が遥かに上手なのだ。私は言葉を尽くして何度も語りかけ、やっと伝えることができたのに、この犯人は一瞬で、遥かに力強く、相手へ伝えることができるのだ。

 悟は完全にKOされた。

「さあ、行こう」

 悟の手首を握り、犯人が廊下を歩き出す。悟は魂の抜けた人形のように、引かれてついていくだけだ。もうその目の奥に闊達な光は見えない。
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