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文字数 1,289文字

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 私は犯人を告発する文章である。それは私の持って生まれた使命である。私がこの世に生を受けるとき、あるじはまず犯人の名前を、私のこの身に打ち込んだ。力強く穿たれたその一文は、私の魂の奥深くにまで刻み込まれ、生涯消えることはない。

 その日、生まれゆく私をモニタ越しにじっと覗き込みながら、あるじは考え込んでいた。私の身体を見つめ、煙草を二本潰してから、書き出しに刻まれた名前の下にさらに打ち込んだ。


『俺は、上記の人物が、人の命を奪ったことを告発する。日時は七月十七日午前一時前後。現場は東京都大田区馬込南四丁目交差点から二本入った小道。』


 次々と身体に文字を打ち込まれ、私はくすぐったさを覚えた。あるじの指がキーボードの上を跳ねるたび、注ぎ込まれる文字のこそばゆさに私は笑った。生まれかけの私はまだ思考することができない存在で、全身の感覚がすべてだった。
『轢き逃げ』と打ち込むあるじの指の『げ』が私の敏感な部分に触れ、私は声をあげてもだえた。無論、私の声はあるじに届かない。


『犯人は酒気帯び状態で車を運転していた。被害者の脈を確認し、死んだことがわかると、トランクの中に被害者を詰め、通報することなくその場を離れた。犯人の住所は現場のすぐそば、以下に記すマンションである。人の命を奪っておきながら、今もここで何ごともなく生活している。』


 私の魂に、犯人の住所と、車のナンバープレート情報が加えられていく。それとともに、徐々に私の意識が立ち上がっていく。


『これを読んでいる人にお願いします。もし俺の身に何かあったら、このことを警察に通報してください。よろしくお願いします。』


 最後に、今日の日付とあるじ自身の名前を打ち込み、あるじはキーボードから指を離した。それで私のお産は終了だった。あるじは保存ボタンをクリックし、私の意識をディスクに定着させた。こうして、私は自立した文章としてこの世へ生を受けた。

 生まれたての私は、自分の身体を、そこに刻まれた文面を見下ろし、すぐに気に入った。刻まれた文章は短すぎず長すぎず、頑張れば諳んじることもできそうだ。始まりが犯人の名前というのがちょっと洒落ていて格好良いし、抑制の効いた文体が生まれの良さの証な気がして誇らしい。文末に誕生日もついている。

 特にいいのは、内容が、誰かに頼みごとをしていることだ。それで生まれたての私でも、自分が一体どういう使命を持ってこの世に生を受けたのか、すぐに理解することができた。私は犯人を告発する文章なのだ。

 誰かに読まれるそのときに備え、私は準備体操をした。私の使命は、轢き逃げをした憎むべき犯人の存在を、読み手に知らせることらしい。やってやるぞ。さああるじ、私を読み手のもとへ連れていってくれ。
 あるじはしばらくモニタ越しに私をみつめると、脇に置かれた預金通帳を手にとった。通帳にはたいした残高もないのに、そこに見えない数字でも並んでいるかのように。

 もう一度私に目をやると、にやりと笑って呟いた。

「あいつ、びびるだろうぜ」
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