4-5

文字数 3,204文字

「この部屋に住んでる人ですか?」

 悟はすぐにぴんときた様子で、段取り通りにあるじの名前を問いかけた。犯人は値踏みするように悟を見下ろし、曖昧な頷きを返して寄越した。状況がわからないまま迂闊なことは言わない方がいい、と目が言っている。

 何か用か、と犯人は無愛想に言った。まず情報を引き出すつもりだ。

「間違いでうちに郵便が届いちゃったみたいなんだ」

 対する悟も簡単には手の内を明かさない。私の入った封筒を差し出した。色とりどりのラインが入ったお洒落な封筒。宛先欄にはあらかじめ、ここの住所がプリントされている。
 悟が考えたトラップだった。

(いいか原田。部屋に同姓同名の人が住んでたとする。相手はただ悪戯の被害を受けただけの人かもしれない。でも『殺されていない強請り屋』ってこともありうる。順調に金をとれている間は、強請り屋としては、通報されたくないはずだ。きっと、悪戯を受けただけの奴のふり、をしてくるぜ)

 確かに生きているうちに私がみつかってしまったなら、あるじはきっとそういう対応で誤魔化しただろう。

(だからまず相手の反応を確かめる。こいつを差し出したときに、相手が何に戸惑うか観察する。〝文章の内容〟に戸惑えば悪戯されただけの奴。〝封筒の存在〟に戸惑えば強請り屋だ。こんな封筒に入れてバラまいていないことを、知っているのは強請り屋だけだからな)

 悟の洞察に私はない舌を巻いていた。だが今この状況に至っては、その洞察も効果を発揮していない。まずいのは、悟が相手のことを、「最悪で強請り屋」と考えていることだ。目の前の相手は最悪も最悪、強請っていた相手の犯人なのだ。悟はその可能性に思い至れていない。

 犯人は封筒の宛名を一瞥すると、確かにここの住所だな、と言った。封筒には封がされていず、結果として犯人は自然に、その場で私を引っ張り出して広げた。視線を落とす。
 犯人は既に私を何度も読んだことがある。こうなる事態も想定していた。一瞥し、私をあるじの告発状だと理解した。首を傾げ、悟の方へ顔を上げた。

「なんだろうな、これ」

 犯人の言葉と表情には、見事に自然な戸惑いが浮かべられていた。

「確かに書き手の部分には、ここの住所が書かれているけど。犯人と書かれている住所も、車のナンバーも、ちょっと記憶にない。近所の誰かの悪戯じゃないかな」

 言葉は、犯人しか知り得ない知識を披露しないよう注意されていた。訓練された兵隊のように淀みがなかった。
 いや、なさすぎた。
 犯人が神経を使って通り抜けた部分を、悟は元から気にかけていなかった。腕時計に落としていた目をあげ、時計の秒針と犯人の顔を交互にまじまじと見ながら、悟の顔が言っている。こいつは二秒で文章を読んじまっただけの、単なる悪戯された奴か? それとも既に文面を知ってた強請り屋か?

 気持ちが顔に出過ぎていた。犯人は悟の表情を見て、自分が失敗をしでかしたことを悟ったようだ。口もとを引き締めた。

 その視線が、悟のランドセルに引き寄せられた。『防犯ブザー携帯中』とシールが貼ってある黒のランドセルだ。防犯ブザーは入っていない。

「これ書いたの、おじさんだろ?」

 悟が仕掛けた。疑惑を確信に変えるために踏み込む。

 犯人が目を瞬いた。

 やめろ、悟。

「隠しても無駄だよ。犯人から金を強請ってるんだろ? でも仕返しが怖いから、保険でそんなもの書いたんだろ?」
「…………」
「今の読み方、文面を知ってた読み方だ。速読ができるとか言わねえよな? 速読だっていうなら、おれの国語の教科書、この場で読んでもらうぜ」

 悟は相手を指弾し攻撃しているつもりだ。畳み掛ければ白状させられる。そう思っている。
 だが悟の言葉は、犯人に情報を与えているだけだった。悟は犯人を強請屋と誤解している。犯人の目に理解の色が浮かんだ。状況を把握し、どう対応すればいいか、みるみる考えを巡らせていく。

 やれやれ、降参だ、と手をあげた。

 それで悟は張り詰めさせていた緊張を簡単に解いてしまった。一仕事終えたようにふっと吐息をついた。

「……本物だったんだな」

 駄目だ。気付け悟。そいつはあるじじゃない。犯人なんだ……。

「きみ、線路の向こうの小学校の子供だね」
「そうだよ」
「このこと、他に誰か知ってる?」

 指にぎゅうと力がこめられ、犯人の手の中で私の紙繊維が引き攣れた。

「一人だけね」
「内緒にしておいてはくれない?」
「それは駄目だぜ。人が死んでるんだろ? 警察に言わなくちゃ」
「きみの言いたいことはわかる。俺もはじめは警察に通報するつもりだった。たとえどんな事情があったにせよ、轢き逃げだからね。ただ、勇気が湧かなくて、伸ばし伸ばしにしていた。そのうち、魔が差したんだ」
「それで強請りなんて始めたのか」
 悟が得心した顔で頷いた。
「やめた方がいいよ。あんたの身だって危ない。そのうち犯人に何かされるかもしれない」
「何もされないよ」
「どうしてそう言える?」
「犯人のことを知っているから」
「同情してるのか? 犯人に。事故だったから?」
 犯人は首を振った。
「確かにあれは事故だった。飛び出してきたのは被害者だ。でも犯人に同情はしていない。少量とはいえ酒を口にしていたのは事実だ。罰せられるべきだ。ただ犯人の家族には同情している。彼らにはなんの罪もない」
「家族……」
「通報すれば犯人は捕まる。飛び出してきたのが被害者だと、立証する物証は何もない。頼みは証言だけだが、身内の証言では証拠能力なんて無いに等しい。裁判は長引き、犯人は職を失い、家族には裁判の費用と慰謝料がのしかかる」
「…………」
「犯人の奥さんはあまり強くない人のようなので、精神的に困憊して倒れる。中学生の二人の子供は、まともな進学はできなくなるだろう。通報すれば犯人は捕まる。でも不幸になるのは犯人ではなくその周囲だ。だから通報しなかった」
「でもあんた、強請ってるじゃんか」
 悟がふるふると首を振った。
「なんだかんだ言って、金ヅルが惜しいんだ」
「どうだろう。今思えば金が欲しかったわけではないように思う。すかっとした気分になりたかったのかもしれない」
「他人事みたいな言い方だな」
「そんなことはないよ。本気だ。犯人も本気だろう。もう引き返せないんだ。犯人は家族を守るためなら、どんなことでもする。通報は許さない」
「報復を怖がってるの? 大丈夫だって。あんたの話しを聞いていると、犯人、別に極悪人じゃない、普通の人みたいだ」
「そんな甘いものじゃない。きみは子供だからわからないだろうが、親というのは我が子のためなら鬼畜になることがある。あまり深入りすると、きみも被害者たちの仲間いりだ。頭を割られちゃうぜ?」
 口の端に陰鬱な笑みを浮かべた。
「ゴルフクラブとかで」
「そんなの、おれは逃げちゃうよ」

 犯人は警告している。自分の正体をばらさない範囲で、悟に警告している。けれど悟は気付かない。

「どういう事情があってもさ」

 悟は正義感が強かった。まだ子供だった。

「通報しないで知らんぷりは、やっぱり良くない。犯人にも事情があるなら、それは警察が聞いてくれるよ。罪を軽くしてもらえるよう、おじさんが証言してやってもいいじゃんか。そうしたら犯人も、おじさんを恨まないよ。おじさんが通報しないって言うなら、おれがするぜ」
「……決意は固いようだね」

 犯人は吐息をついて、悟を見やった。
 頭から爪先まで悟を見下ろし、廊下の左右をちらと窺い、人の気配がないのを確認してから、ぽつりと呟いた。

「わかった。おじさんも決心したよ」

 その暗い呟きに、私の中のすべての文字が総毛立った。
ワンクリックで応援できます。
(ログインが必要です)

登場人物紹介

登場人物はありません

ビューワー設定

文字サイズ
  • 特大
背景色
  • 生成り
  • 水色
フォント
  • 明朝
  • ゴシック
組み方向
  • 横組み
  • 縦組み