第6話:都知事と国会議員とのいさかいと引っ越し

文字数 2,044文字

 その他、第1次中曽根内閣の政治決断で、海上保安庁の巡視船8隻や海上自衛隊の護衛艦2隻も派遣された。安全保障会議設置法適用第1号であり後藤田正晴官房長官が筆頭となり官邸主導で指揮を執った救難作戦は、優れた危機管理の事例として高く評価される。その反面、住民救出のために編成された護衛艦艇群は、後藤田に暗に促された鈴木俊一東京都知事が、災害派遣を正式に要請した時には、すでに大島に向かっていた。

 国土庁を始めとする各省庁からは、横暴であると記者会見で非難された上に国会では、公明党などから職権乱用、省庁権限の干犯として激しい糾弾を浴びることとなった。その後の阪神淡路大震災で、自衛隊の大規模な出動が遅れたと批判を浴びるが、この時の事件は大きく影響を与えたと考えられている。

 東海汽船は、政府からの船舶派遣要請前に自主判断で高速船シーホークに観光客を稲取港に脱出させた後、当時、東京港にいた全ての所有船を大島に派遣した。このとき、定期船で乗客が、既に乗っていた船では、事情を説明して退船してもらうなどして、全ての船を派遣した。海上自衛隊では横須賀港所属の艦艇を中心に艦艇が派遣され南極に向けて出港したばかりの南極観測艦しらせも救助に参加した。

 翌22日、5時10分に最後まで残っていた大島支庁・大島町職員が退去し、全島民および観光客、1万226人の救出を完了。島民は、東京都内や静岡県に約1か月間避難した一方、島内の火力発電所の職員3人が東京電力本社の指示で島内に残り続けたほか秋田助役も島内に留まり続け約1か月後の島民の帰島の際に埠頭で島民を出迎えた。

 島外避難指示が正式に解除されたのは、1985年12月20日であった。火口周辺は、1996年11月に解除されるまで立ち入り禁止となった。秋田ら対策本部の苦闘は後にNHK総合テレビ『プロジェクトX〜挑戦者たち〜』で題材として取り上げられ2000年5月30日の第10回「全島一万人 史上最大の脱出作戦〜三原山噴火・13時間のドラマ〜」にて放送された。

 山頂の三原神社が被災しなかったことから大島の七不思議に数えられた。全島避難が進むさなかも山中や噴火口付近には噴火の映像を捉えるために複数のカメラマンが潜入し続けていたと言われフジテレビが撮影したマグマを噴き上げる火口付近の映像に「いるはずのない歩く人影が映っている」として衝撃映像特番で度々引用された。この人影は、オカルトとして語られることがあった。

 しかし実際は、活火山撮影を専門としていた島根県在住の民間人カメラマンであったことが、後に本人の証言により明らかとなっている。なお、このカメラマンは、噴火当時山中に長時間滞在し続けたため全島避難当時には行方不明者扱いされた。2015年12月28日、急激な円高によるプラザ合意不況・半導体不況となった。

 1986年が明けた。2月1日、東京都中野区の中学生がいじめを原因に自殺、教師も葬式ごっこに加わっていたと言う、中野富士見中学いじめ自殺事件が、起こった。そのた学校でのいじめの実態調査と防止が、叫ばれた。4月8日、人気アイドルの岡田有希子が、所属事務所の入居するビルの屋上から飛び降り自殺をした。ファンの後追い自殺が相次ぎ、国会でも採り上げられる社会問題化した。

 4月12日、渡田勝枝さんが、体調が悪いと言うので産婦人科を受診すると妊娠が判明し出産予定日が1986年10月15日と告げられた。その後、10月13日に産婦人科に入院して15日の朝、高い泣き声の女の子を出産し、渡田利恵と命名した。再び、勝枝さんのお母さんが来てくれ面倒を見始めてくれた。しかし、2DKのアパートでは狭いと感じ、来年には、引っ越さねばと考えた。

 11月は、子供の面倒で、忙しい日々が続いたが、その合間をぬって3DLK以上の広さのアパートを探し回ってると吉行寅三さんが、どうしたと声をかけてくれた。そこで、もっと広い所に引っ越したいと言うと、吉行さんの祖父母が、昨年亡くなり、離れの3LDKの家が、空いてると言った。古いから大工に修繕させようと言ってくれた。費用は、払いますと言うと畳と隙間風が入らない様にするくらいだから、出してやると言ってくれた。

 12月8日、電話が入り修理が完了したから引っ越して来られると言われ、トラックを借りて、12月10日の朝から家財道具を先に搬入し昼過ぎに女房と子供たちをタクシーに乗せて引っ越しを完了した。こうして、1987年が、明けた。引っ越し先は、広くて風呂も大きく快適であった。吉行さんに家賃はと聞くと、3万円で良いと言ってくれ、お礼を言った。

 1987年4月1日、国鉄が分割・民営化、JRグループが発足。1987年10月14日、早朝、証券会社の担当者から日本電気株の気配値が、2600円と高いから売りと言われ同意し、全株、成り行き注文を出した。すると全株、売れた。日本電気株は、3回の株式分割で4千株が、4840株になっていた。
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