13. 祈りの力

文字数 6,167文字

        Gurdjieff



  ある女性が、今日、街で見かけた
   栄養失調の子供らの話をする。
   彼女は、何もできない自分に、
  ただ無力感を憶えたまでだった。

これを横で聞いてたGは、
彼女には、できることが、あったと話す....。


 『あなたは、


    実は、

のだ…

 『もし、あなたが、真実の愛をもって
  彼らを真にこころから思いやり、
  真剣に彼らが食べ物を、
  手に入れることを、
  

、あったなら、
  もう、それだけで、
  

であったのだ…』

注釈:

願う、祈りをもって求めるの、
その相手ってのは、何だ?、誰だ?。

、もしくは、
神様だ〜って、ことになる。

再開:

『彼らは、まもなく、


 食べ物を分けてもらえる

なる』。


『私がいま語ることを、軽く考えては
 ならない。

ふさわしく
 (ふか)、考えなければならない』。


『自分の心を、


 


 隣人を助けるということは
 どういうことなのか?
 これを、

、考えてみなさい。

 あなたは、彼等が、
 ちゃんと、食に恵まれることを、
 ありつけることを、
 願ってあったのだね?。

 ならば、


 落ち着いて、

祈る』。

『私は、今、ここに、完全完璧に、存在して
 在ることを

、また



『私は真実、本当に、完璧に、


 存在して在るを、そー


 

(ほっ)し、
 また、強烈に(ねが)う!

 私が関わる、


 

!』 

『I AM, I WISH TO BE, FOR THEM』
       ↓
 私は、今のここに、寸分たがわず、
 十全にて、


 彼ら彼女らの為にも、そうで在ることを、
 真実、こころの底から、願う!。
 願って、いま、在るのだ。

*これもた、

になってる。

 最初が自分としての、
 その今のベストとしての
 在るの確認。"I AM"

 そんで、続くIにおいては頭で、
 wishはこころ感情思いとして、
 beのところは肉体そのものと、
 これをとりまいてある大気を、
 自分としての、その放射圏内
 すべてを含めて、在ることを
 確認しながらに…。

 そんで最後に、改めて、
 いま呼び起こした、所在確認をした、
 そのすべてらを同期同調協調
 させながら、しながらに!
 その自分が気にしてある、
 心配憂慮してある人々のことを
 思って…。

 最後のは二打おいてみたw。
 

もし、そうしたならば、
その子らは、十歩も歩かないうちに、
食べ物を分けてくれる、


出会うこととなるであろう。

介入:
どうしてそうなる?誰が、そのように
なることを、そうなるように、手配した?

私が言うことを、信用するように。
これは、


その顕現なのだ。

あるいは、その子らは、一週間後に、
宝くじ等に、当たることとなるだろう。

再介入:
どうしてそうなる?
そうしてそうなってしまう?

誰かのために、
本当に、憐れむってことには、
その人の為に願うこと、愛することには、

、実際、あるのだ。

あなたは、食べ物やお金を、
具体的に、あなた自身が与えることなく、
その人たちを助けることができる

このことをよく覚えておきなさい。

真なる願い、真の人との結び付き、
あなたの存在そのもの「ⅠAM」の力、
これらのすべてをもって、
あなたは、人に、


してあげることが、

のだ。

これに比べたなら、
食べ物や、お金は、つまらなんものだ。

頭んだけで(口先だけで)
機械的に願うことには、
なんの効果もない。
なんの助けにもならない。

そのひとが全身全霊の思いをもって
願うとき、それは本当の助力となる。

三つのセンター、頭と心と肉体、
それらすべてを

、祈りなさい。


以上で抜粋は終わり。


少し改めて解説を…

わたしたちは、日常、頭ん中で、
そのみににてで、生きているのだ。
個人として〜の、各自各様としての、
その内面世界においてだ。

思い込みばかりで、真実なること、
十全なる理解としてのものは、
それにおいては、そこにおいてでは、
なにも、なんにもない。

この状態におての存在は夢見としてのもの、もしくは半覚醒としてのもの。それでは、ハッキリ言って、

も同然なのだ。

当人には、自覚はないであろうが、外界、現実を、スクリーン上に、写し出された絵において、それとして、感受してる。映画、アニメーションを観覧席から観てるにすぎない。そんな状態。

これとしての存在である限りは、外界に働きかける力は、まったくないにも等しいのだ。力を得る為には、ことを本当に、現実において為す為には、誰かを助ける、幸せにする為には、真の実行力ってやつを、身に付ける必要がある。

補足:
ことにおいての要諦は、あなた一人だけの、力によってでは、ないんだーってこと。天の、世界そのものによっての協調協力力支えお力添えにおいてだ。これでで、あってこそ、なんだ…。じゃないと確実に傲慢になる。そして、ハスナムとしての階段を、登ることに、なっていってしまう。

交信交流できていてこそになる。その為にも十全に、世界丸ごとに対して、

、して、いなけりゃならないんだ。じゃないと、天からは認識して、

、いただけ、ない、じゃない。十把一絡げとしての

、あなたは、きっと、お嫌でしょう。終局は、あなた一人だけは、確実に、幸せにはなる、なれる。これは確約しておこう!。その思いやって努力奮闘した相手が、相手たちが、もし不幸のままに、なって、あったと、してもだ…。それはそれで、それはまた別の、その当人、当人たちにおいての責任、そのお話に、なる…。

そのことの為の、前段階の準備として:

世界を、生存環境を、この自分


まずは、正しく、理解せねば、
しなければ、ならない。

…………

簡単に云えば、本当には、
存在してなどいないんだ……
まったく、ぜんぜん存在などしてない!。

では、どうなっているのかと云うと、
ATフィールド、バリバリの、
その主観オンリーとしての世界内にて、
そん中で、生きているまでなのだ。

オモコとしてのその世界に…

世界

……

自分が思う、自分のこと〜、
その自分にとっての〜、
この自分と、直接に関わるところの、
誰か、あれや、それにしかー、
本当のところ、関心は、ないんだ。

なので、結果、他人においてでは、
なんの具体的なアクション、行為も、
実際には、起こされようはずがー、
あり得ようわけが、

のだ。

いろいろと思うことはあったとしてもだ。
それは、一切、思い、気持ち、止まり。
この思うことのみにてでは、それに、力など、あり得ようわけが、はずが、ない!。

問題の核心部は、このことが、
なんと、自分自身に対してで
あってでさえ、
さえも!、
同じだ、同じくしてっだてこと。

今回のこの内容においては、
一つの世界観が前提となっている。
それを踏まえた、認めた上での、
講話なのだ。

まず、貴方は、世界の支配者なんかでは、
ないんだ。ご自身の内面の世界においては、
そうではありうるのだが。
でも、実際、変えたいな〜って、
思っているのは、片や現実の方でしょう?。

ならば、あなたは、
現実に対して直接、作用/干渉
できなければ、ならない!。

その為には、
自分を構成してあるその一切を、
その現実と向き合わせる、
関わらせなければならない。
それも、あなた自身として統合された、
完全一体としての
その状態、その形にてで!。

これが”在っル〜”ってこ〜とー!。
これを真に理解してあるもの、
達成してあるものは、
実は、ほとんど、いないんだ。

これの達成には、どうしても、
プライドとしてのものを、
無効化して、しまわないことには、
どうにも、どうしようもない。

つまりは、自分としての殻を、
割って、出ないことには。
外の世界と、ダイレクトに、


虚心坦懐をもって!、
関わらない、関わっていない、
その限りにおいて、

!…。

あらゆるすべての出来事に対して、
無防備にて、ただ晒されて、いる/ある、
まででなのが、在るなんだ。
自由闊達、天真爛漫、適宜適応としての、
その姿、その有り方だって、
云っても、かまわない。

これとなるなら、これとのものとして、
在るのであれば、自分としての思いは、
それとしての観念大系、文化体系は、
すべて、無効化されて、しまって、
いる……。

自分と直接には関係がない、
他者としての存在に対して、
その彼をその彼ら彼女らを、
思いやってあるのは良心だ。
あなたの本質だって云ってもいい。

ならば、あなたは、これこそに、
応えて、面倒見て、
あげて、いなければならない。
その彼、自分こそをだ!。

補記:
現実ってやつに、しこたま、
揉まれてきてないその限りにおいては、
初心な、そのこころの状態のままでは、
これは無理ごと、不可能なことになる。
架空の仮想としてのその絶対防壁を、
いかに破るか、破れるのかが、
実は、今生においての、
その最重要の課題となっている。

これは…自分だけじゃ〜、絶対にできない、
なし得ないこと。ことの真の主催者は、
この世界そのものだってことにはなる。

再開:

でっ、他者を、

、何が、
出来るのかって云うと〜…

祈るーーって、


世界そのものに対して、


〜〜ってな行為

世界の運営を、すべて司ってある
マザーコンピュータとしてのものに
直接、


これを果たす、ことをもってだ。

為には

為には

ってやつがいる。
こころの内で、なんやら勝手に唱えてても、
なんの結果も、応答も、得られない。

正しくしての状況/状態、そして、
然るべくしての、

……
これが絶対に必須なのだ。

ことにおけるその要諦は、
世界との一体感をもって、
それを達成した上でぇ〜
としてでしか、
ありえないことになる。

また、キー、鍵となるべくしてのものは、
真実の愛としての思い、それそのもの、
それが孕んであるエネルギー。

自分のつまらない自尊心としての殻を、
割って、出てあること。

世界と、直接ダイレクトにて、
素のままに接して、
交感、交流、そして調和してあること、
単に十全に、完璧に、あからさまなるの、
その限りにおいて、
しっかりと、


相手を意識して、そんで、実際に、
それとしてのものと


いて、在ること、
その上で、その彼に、求めるんだ…。

*ぞんざいに云えば、
 ここは神様のことを念頭においている。

もしこのことができたなら、
あとの差配、采配は、
完璧な形で、天によって、
果たされることになる。

あなたが直接手を下すよりも、
百倍いい結果がもたらされることとなる。
でも、代行者として、
貴方が登用されることも、あるだろさ…。

このことは、別表現では、
魔法だ、奇跡だって
いったってかまわない。

それを、これを使える力を、人間は、
本来は、本来から、生来から、
持っては、いる、のだ……。

*正確な表現としてのその名称は、
 創造の力って、ことになるんだろ。

*完全完璧に不可視なる、
 つまりは自然光としてのもーのっ、
 また不可触としての、
 その限りとしての存在を、
 どうすりゃ意識できるんか?
 どうやってそれを信頼するんや?
 それとしての人として、
 どうやったらそうなれる?
 在れる〜るるのだ?!。

*まっ、この辺のことに関しては、
 聖書をもって、それにおいて、
 

、あたって頂いて、
 また、この自分からの報告において、
 ってことにしか、ならないだろね〜……。

*そのことの為に、イエスは降臨された。

*でもね、日本文化の中において、
 神仏に依りすがって、寄り頼んで、
 善き結果を得たってな話しは、
 たくさんありますよね。


今回のまとめ:

自身として意識されてある
その課題


フォーカスしてりゃ〜いいんだ。

でも、無力としてのその不甲斐ない
あり姿、状況ってのはやめなきゃ、
脱っさなきゃ〜ならない。

なにごともトレードオフとしての
その関係にある。
向こう側としてのその相手が、
つまりは天が、
なにを自分に本当には、
求めてあるのか?。

これを提供せずして、
リターンはまずあり得ない!。

供物ってやつが、
焼き尽くされてて、よく火の入った、
完璧に

仕上がってある
その供物ってやつが、
やっぱ、どうしても、


これこそが、ことの達成、
有効化、具現化においては、



*簡単に云えば確執葛藤としてのその苦だ。

人は自分が、実際に、体験したこと、
それにおいてでしか、
他人、他者における心の内を、その心情を、
察することは適わない。

よって救済の思いとしてのその願い祈りの、
結果は、世界からの応答は、
あくまでも中途半端なまま。

小さなことには一切!
こだわらない、とらわれない、



つまりは、怒れる自分って奴そのものを、
これこそを全力をもって、
絶えず、滅却、無効化してある。

裏返して、ひっくり返して、大気に曝して、
虚しさそのもを、そいつにあげればいい。

無理なとき、無理なことも、
偶には、あるさ…


流雲行水、
この姿、状態のままに、生きること。
流れる水の、その美しき、
その姿のままに……。



つけたり:

誰でも、誰であったって、いいんだが、
身近にいる、あなたにとっての、その困った人たちの為に、こう願ってあげてください。


何々ちゃんが、幸せでありますように。

彼の、彼女の、今味わうところの、
その悩み苦しみが、なくなりますように。

その心に、思い描くところの求め願いが、
叶いますように。

やがてのときには、
あなた様においての悟りの光が、
彼女らの上にも、顕れますように。


世界に向けて、こう、このように、願って、祈って、あげて下さい。

、あなたの、今あるその

、世界は、反映を、

、返してくれることとなる。このことは自分においても、既に、検証済みのことになる。


でも後に、その彼ら彼女らが生きてある世界には、あなたは、もふ、いない、生存してないかもしれませんが。このことをそのことはそれはそれで

なることであると。そうであることを、

、含んだ、飲み込んだ、上にてで...。



おすまい


蛇足:

なぜにイエスは、実を結んでいなかった
そのイチジクの木を呪ってあったのか?。

ここの記述において、やれイエスは子供っぽかっただの、小児的な面があっただの云ってるやつらは、なんもことの真実をわかっとりゃせん!。

その木は、実を結んであって、こそ、
それが、当たり前だったんだ。

あのとき、あそこにあった


結んでいて、あって、


だったんだ。

それも、可能な限り滋養深くして、また甘く、
食するに於いて満足のゆくものとしてでなくては
ならなかったのだ!。

イエスが現在歩んである


鑑みて、よっく考慮してあるならばだ。

それが、そのことが、その木において、
成し得ていなかったってことは、
全体性からは、(はず)れてる〜〜って、
ことでしかない、

しか、
なかったんだ。

ことは、そうであってこそ、
既に、(あっ)たり(まえ)の、ことでしかなかったんだ…。


おわるっす







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