2 幽体離脱はしない

文字数 3,519文字

精神医学でいう解離って、聞いたことある?
あ、なんか聞いたことある。多重人格がどうの、とか・・・・・・?

それも解離の一つではあるけれど、症状としてはもっと幅広だ。

特徴的(代表的)なものとしては、(1)自分がやったことを覚えていない解離性健忘ってのがある。

たとえば、友だちにLINEしておきながら、メッセージを送ったことをまったく覚えてなかったりする。

しかも、だ。その内容が、普段の自分が言いそうなこととは、かけはなれたものだったりする

へぇー。おとなしかったコが、突然LINEでののしってきたり、とか?
まぁ、そんな感じだ
で、まったく覚えてない?
うん
たち悪いね・・・

次に、(2)解離性遁走

突然どこかへ失踪してしまう。

のち、発見されたとき、失踪中に何をしていたか覚えてなかったりする

あ、なんかそんな事件、何かのニュースで見たような気が・・・・・・

そして(3)離人症性障害や(4)解離性同一性障害など。

離人症だと「自分がココにいる」とか「それを自分がしている」といった実感がともなわなくなる

え? どういうこと?
普通、ぼくらは、今、ココにいて、たとえばこうして喋っている、ことについての自覚、というかリアルな実感をもっているよね。それが、希薄になるんだ
ん~、ちょっとよくわかんない

そうだな。たとえば覚慶悟さんの『離人症日記』(彩流社、2007)とか読んでみるといいかな。よくわかる。

覚さんは「気力がない、現実感がない、自分が自分でない感じがする。周囲と自分の間に膜が張った感じがする」と訴えている。「時間が連続しているということを、実感することができない」とも・・・・・・

なんか、すごく不思議な症状。それに、とても辛そう
うん。辛いと思う
その本、読んでみるね
うちの書棚にあるから、貸してあげるよ
ありがとう
そして、同一性障害のほうだが、こちらはいささか映画などで派手に描かれ気味の、いわゆる交代人格の出現とか、自分の中に別の自分がいて話しかけてくるとか、そういった症状がともなう
うん。そういうのドラマとかで観た。ゲームとかでも

しかし、いま言った症状はみな、解離の典型的な症状ではあっても、解離の多くを占める、というわけでもない。

実際、解離の多くはじつに多彩で特定不能の解離性障害が過半を占める、という

で、ここからが本題なんだが、もう1冊、本を紹介する。柴山雅俊さんの『解離性障害 「うしろに誰かいる」の精神病理』(ちくま新書、2007)
何が書いてあるの?

いささか好事家的になってしまい恐縮だが、解離の症状(言動)から、いわゆる心霊現象とフィットするものを拾うことができるんだ。

まず、幻視や幻聴がある。実際の言動から拾っていくと、たとえば「そこの階段に小さい女の子がいて、話しかけてくる」とか

あるいは、気配に過敏になる。そこに誰かがいる気配がしてならない、とかね
あ、でも、そういうのなら、わたしもときどきあるかも。お風呂でシャンプーしてて、目を閉じてるとき、なんだか、見られてるような気がしたり、とか・・・・・・

うん。軽いものだったら、ぼくらはみんな経験してると思う。

ぼくだって、車を運転してて、ときどき、誰かが後部座席に乗ってるような気がするときがあるんだ。

慌てて振り向くんだけど、もちろん誰もいない

ただ、病的な解離の症状としては、そこに誰かがいるという、とてもリアルな気配を感じたり、あるいは実際に見えてしまったり、見えるだけではなしに、その人物から話しかけられてしまったりするんだよ
幽霊だ!
いわゆる「霊感が強い」という人に対して、「あなた解離ですね?」なんて言ってしまうのは酷い話になるけれど・・・・・・というのはつまり、解離で苦しんでいる人たちに対して失礼だし、自称「霊感が強い人」をみんな患者にしてしまうのも暴力的だなとは思うけど・・・・・・
あ、でも、精神医学が浸透してなかった時代だと、解離はみんな心霊現象にされちゃったかも・・・・・・
それはあると思う。エクソシストって聞いたことある?
ホラー映画の話? 悪魔祓いでしょ

柴山さんは、悪魔憑きの9割以上は「特定不能の解離性障害」のうち「憑依トランス障害」と診断されるだろう、と言っている。

ちなみに、「憑依トランス障害」では、憑りつかれるのは悪魔オンリーではなく、神様だったり、精霊だったり、じつに様々らしい

精神医療のテリトリーなのに、エクソシスト(悪魔祓い師)がでてきたんじゃ、たまったもんじゃないよね
21世紀に生きてることを感謝しよう
たしかに・・・・・・

他に解離の症状としては体外離脱体験なんてのもある。

自分が自分の身体から抜け出てしまい、自分を上から眺めているような感じになったりする

幽体離脱だ!

ケースによっては、さらに自分の身体から離れて、隣の部屋に行ってきた、とか、空を飛んで他の国へ行ってきた、とか報告する患者もいるらしい。

それも単なる空想、というよりは、とてもリアルな実感として、だ

へぇー、とても不思議な体感だね

いや、そうでもないよ。ぼくらだって経験するときがあると思う。

たとえば、ぼくは中学生の頃、車にはねられたことがあるんだよ。

そのとき、まさにこの体外離脱体験をした。なんていうかこう、車にはねられて倒れている自分を、その真上から、ぼく自身が眺めているんだよ。

うまく言えないけど、そのとき、ぼくは空に浮かんでいたと思う

まさに天国へ行くところだったんだ
おいおい。でも精神医学や脳科学を知らない人だったら、そう感じても不思議はないだろうし、おそらく昔の人はみんなそう考えただろう
あるいは、ままごと、したことある?
もちろん。わたし一人っ子だったし、人形遊びはよくした
その人形がね、空想ではなしに、実際にリアルに動いて、話しかけてくることがあるんだ、解離の症状としてはね
あ、でもなんか、子どもの頃、人形が話しかけてくれたような、そんな気がしたことくらいなら、あるかも

うん。解離とぼくらとの間に、なんというか、断絶、壁があるのではなく、ぼくらの体験というのは、地続きなんだよ。ある閾値を超えると、日常生活に支障をきたすほど苦しくなってくる。

どこまでが普通で、どこからが異常かなんて、じつにグレーで曖昧だ

とても興味をもったよ。柴山さんの本、読んでみる
じゃ、今日の話をまとめて振り返ってみようか
うん
まず、幽霊が「いる/いない」はさておき、そもそも幽霊は見えない、ということ
うん
もし見えるとしたら、それは幻覚(幻視)の類だってこと
うん

もっと具体的にいうと、ぼくらの脳は存在しないものの存在をリアルにそこに感じたり、あるいは見たり、声を聞いたりすることがある。

実際、そういった症状に苦しんでいる人たちが精神医療の現場にはいる。

なんというか、そういう事例を紹介していること自体が不謹慎で、恐縮ではあるがね

うん、なるほど

で、いま脳の話がでたから、ついでに付言しておくと、脳科学では、頭頂葉と側頭葉の間の領域(側頭頭頂接合部)を電極で刺激すると、幽体離脱する(幽体離脱感を味わう)ことがわかっている。

まるでスイッチのように幽体離脱感をオン/オフすることができる

へぇ~
興味があるなら、この本も貸してあげよう。ミチオ・カク『フューチャー・オブ・マインド 心の未来を科学する』(斉藤隆央訳、NHK出版、2015)
ありがとう。なんかたくさん借りちゃった。読めるかな~
あ、でも先生、うっすらと気づいてきたけど、先生はいわゆる「魂(幽霊)」、その不在の話から入って、ついでに、わたしに何か哲学的なこと語ろうとしてんじゃない? いつものように

相変わらず鋭いね。そう、正解。

幽霊話のついでに、と言ってはなんだけど、それをキッカケに、単刀直入に言えば、この<わたし>とは何か? についてお嬢ちゃんと哲学してみたいと思った

お嬢ちゃんって言うのヤめて。ちゃんと私には名前があるから、槙野マキ。
ごめんごめん。じゃ、槙野さんとね、<わたし>とは何か? っていう、ある意味答えの見えない、究極のテーマについて語り合いたいと思う
それが幽霊と関係あったの?

<わたし>とは何か? という問題については、昔から一つの解答があったんだよ。

この<わたし>の本体は、「魂(精神)」である、と。

いわゆる心身二元論というやつだ

心身二元論?

幽霊話のついでに、心身二元論を否定しておきたいと思ったんだ。

そうしておいて、<わたし>に魂なる本体がないとするなら、じゃ<わたし>とは何なのか?

といった問いにつなげてみたいと思った。

しかし、ん~、そうだな、今日はもう遅くなったから、この続きはまた明日話そう

うん、わかったよ。

楽しみ~。明日また来る。じゃ、ね!

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登場人物紹介

デンケン先生(49)・・・・・・仙人のごとく在野に生きる(自称)哲学者。かつては大学院にいたり教壇に立ったりしていたが、先輩方から「きみが考えてるテーマ(<私>とは何か?とか)じゃ論文書けないでしょ=研究者にはなれないよ」と諭された結果、むしろアカデミズムを捨てて在野に生きることを決断。これには『老子』の(悪)影響もある。べつに大学教授になりたいとは思わない。有名になりたいとも思わない。ただ、考えたいと思うことを考えていたいだけ、の男。ゆえに本業(生活手段)はサラリーマンである(薄給のため未だ独身、おそらく生涯未婚)。

哲学ガール(18)・・・・・・槙野マキ。哲学すること大好きっコ。デンケン先生が大学院で学んでいた頃の友人の一人娘である。哲学好きには親の影響があるだろう。近所に引っ越して来たため、ときどき遊びに来る。独身のオッサンと美少女という組み合わせだが、恋愛関係に発展してしまうのかどうかは、今後のお楽しみである(たぶんならない)。

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