第115話 契約ひとつ
文字数 6,356文字
驚いたのは孔雀で。
「え?いえ、だって。え、これの話ですよね」
「そうだけど」
二人はじっとテーブルの上の資料を眺めた。
「・・・あのう、
「なんで」
「なんでって。だから・・・今時ですよ?これがあれば、私も皇帝陛下もあまりな所業という事で・・・」
早い話が天河主導のクーデターだ。
察した天河がとてつもなく嫌そうな顔をした。
「これだから!お前は時代劇か!」
「ま、まあ・・・。私、とんだ思い違いを・・・?え、ではなんですか・・・?あ!でも、なら良かった、私だけで済む問題ですか。ならもう、なんなりと御裁可くださいませ」
いっそ嬉しそうに言われて、天河は空を仰いだ。
「あの、私の次は雉鳩お兄様が総家令を拝命する事になっておりますので。どうぞ天河様はお身の周りなど心配くださいませんように」
いっそその方がいいかも、と晴れ晴れと言う。
「だとして、お前はどうする」
「どうするかは私が決められる事ではございませんから。私、天河様がこれを議会にお持ち込みにならないでくださるなら、感謝しかございません」
自分だけではなく翡翠にまで類が及ぶところだった。
ここにきて天河が皇帝や皇太子を廃するという意思が無いというのは奇跡ではないだろうかとすら思う。
「家令は王家の備品でございます。実用に適わないとのご判断なれば、私共、何の異存もございません」
天河はああもう、と分厚い資料をひっくり返した。
「いらねえわ、こんな
「家令にとったら名誉なことですよ。白鷹お姉様なんてご自分の分いっぱい広げてここ声に出して読んでみなさい、すごいでしょうってよく私に見せたもの・・・。特に女家令から産まれた家令には戸籍が無いから、産まれて何事か成した証はこれしかないのだもの」
孔雀は座り込んで悲し気な顔で大事そうに紙の束をまた積み上げる。
その様子が賽の河原で石を積んでる子供のようで、天河はそれに無体働いている鬼のような状況になぜか罪悪感まで覚えた。
「ああ、だから、違う」
違うってなにが、どこから、どのように、と目を向けられて天河は頭を抱えたくなった。
どう言えば通じる。生きてる時代が違うような価値観どころか、文化も違うこの目の前の、愛しい恋人に。
噛み砕いて話すか、それとも黒板にでも書いて図解すればいいのか。
天河は本気で悩んだが、そのまま言う事にした。
「つまり。・・・お前が家令なのがとにかく嫌だ。嫌だ、たまらなく嫌だ」
言いたいことはこれに尽きる。
改めて家令が嫌だ、と言われて孔雀はしょんぼりした。
「それは、宮廷で悲しい思いをされた天河様が、二妃殿下をお守りできなかった我々をお
いくら当時側に仕えた上の世代が断罪され放逐されたと言っても、結局のところは翡翠によって城に戻る許可は出されている。天河の母親だけが戻らないのに。
それはどこまでも我々の落ち度だと梟も言っていたのだ。
「梟お兄様も天河様におかれましては大変なご心痛であったろうと申しておりました。どの様に
遮って、違う、と天河はため息をついた。
「梟だろうが
哀しげに孔雀が頷いた。
「でも、だからこそ、我々家令がいるんです、なのに・・・・」
「我々じゃなくて!お前、あんな座敷童みたいだったのに、今ではこんなになっちまって。頼むからこれ以上、おかしくなってくれるな」
肩を掴まれ分かってるのかと揺さぶられて孔雀はちょっと立ちくらみが、とソファに腰掛けた。
「揺さぶられっ子症候群になりそう・・・」
息が整うと、この人、それが言いたかったのか。と、すとんと胸に落ちた。
自分の周囲は全員が家令になれと言い、今や実家の親すら受け入れていると言うのに。
惜しいと言ってくれる人がまだいたのかと驚きつつ、なんだか不思議な気分だった。
彼の優しさか、この城で一番まともなのはあの二番目、次が三妃だと梟が言っていたのが思い出された。
しかし。もはや。
「天河様。私のしたことなんて、これだけじゃないですよ。・・・とても残せないような事もいくつもしてますよ。天河様から見たら最低最悪ですよ」
孔雀はそう言ってちょっとため息をついた。
我ながら家令だから当たり前、と何でもかんでも飲み込めて来た。それは同時に彼にそれで押し通す事はできない程の陰謀や情念や
「・・・ですから、私のこと、知れば知るだに嫌いになると申し上げました・・・」
だからそれでいいのだと思う。
嫌いになればそれでいいではないか。それならば自分にそこまで執着しなければいいのに。
彼が、それでも距離を縮めたい、それでもこの溝を埋めたい、とするならば。
さてどうしよう、と困惑したまま孔雀は、そっと立ち上がると、優雅な所作で茶を入れた。
新しく買ったばかりという子供が遊ぶ柄のカンペール焼きの素朴で可愛らしいカップに、オレンジの輪切りが浮かんでいた。
爽やかな香りが漂った。
「天河様のお部屋のオレンジです。大嘴お兄様とオランジュリーを作ろうって話してまして」
温室の事だ。だから最近、大嘴は朝から庭を重機で掘り返しているのか。
孔雀が広間の壁の花の絵を修復し描き足しながら、お十時だお三時だとしょっちゅう軽食どころかけっこうな量の食事を外仕事中の兄弟子に運んでいた。最近は孔雀が喫茶店メニューにはまっているらしくナポリタンやクリームソーダを外の吹きっさらしで二人でうまいうまいと食べていて、風邪を引くから中で食え、と金糸雀や白鴎に怒鳴りつけられているのをよく見かけていたが。
「このカンペール焼きも。天河様がお好きと仰ったので、フルラインで五十セット注文しちゃいました。段ボールで一坪分くらい届きます」
驚いて天河は孔雀を見た。
「皿だらけになる・・・」
「ちょっと衝動買いだったと自分でも思うんです」
孔雀は気まずそうにそう言った。
それから、あとソファとテーブルが4セットと、車・・・普通車と八トントラックとユニック車と、飛行機と・・・と、どんどん白状し始めた。
「・・飛行機・・・?」
「ご心配なさらないで。空港作ってからの話です。受注販売なので、ほら、予約だけ・・・」
空港造る気なのか。と天河は驚いて孔雀を見た。
「・・・あと、電車と、線路用の鋼鉄と上下用水道管も押さえてて・・・。住宅用の木材もとりあえず一千棟分・・・。重機の類も、レンタルだと足りないから作って貰うことになってて・・・。あ、これは終わったら、放出品ということで販売するので半分は戻って来ます。今後値上がりが予想されますから、これは私、いいお買い物だったと思います」
このところ、大嘴が出かけていたのはこの為か。
あの男は孔雀の衝動買いにとことん付き合い、パシリに走り、自分が欲しいものまで上乗せして買ってくる。
とんだ白状大会になってしまった。
天河は頭を抱えた。
「・・・それ、実現しなきゃどうなる」
「大赤字ですね。契約違反で違約金払わないといけないから。あまりにも高額で、あちこち間に保険会社入ってくれなかったんですよねえ」
いくら、と恐々聞くと、孔雀が指で空にゼロを山のように書いた。
「・・・国が破産する勢いだな・・・」
いや、関わる三国巻き込んで、海溝に引きずり込むような結果になりかねない。
そうですよねえ、と照れたように笑う。
笑うところか、と思ったが。
「ああ、理解が出来ない。なんでこういう仕上がりになった」
天河は頭を抱えたくなった。
孔雀に対しては好意や愛情だけでは済まない煩わしさや混乱があって、それでますます
可愛さ余って憎さ百倍ですことよ、それ。そういうのって今流行のモラハラ彼氏とか言うやつじゃない、なんて鷂と猩々朱鷺がわざと天河に聞こえる様に話していた事もある。
「白鷹が悪い。梟が悪い。他の家令共も悪い。何より翡翠が一番悪い。考えてもみろ。今時親から引き離して小学校退学の丁稚奉公だ。その上、ねえやになったら妾奉公と来たもんだ」
孔雀は吹き出した。
「まあ、天河様。よろしくないお言葉遣いですけれど、よくそんな古い言葉ご存知ですね。そうなんです。私、赤トンボのねえやかって瑠璃鶲お姉様に呆れられて」
「瑠璃鶲こそ
大戦前に生まれた生き残り。アカデミー長も務めていたからよく知っている。
彼女と猩々朱鷺がアカデミーにいたからこそ、自分は宮城以外での居場所ができたのだ。
アカデミーの教授だった祖父と猩々朱鷺の願いに応じて、当時まだアカデミー長だった瑠璃鶲が天河のアカデミー入学許可を出したのだ。
「殿下。ただのんべんだらりと過ごされないように」老女家令は厳しい顔でそう言った。
「分かってるよ、アカデミーでは平等。働かざるもの食うべからずだろ」と答えると「食うどころか、酸素だって吸って貰っては困ります。よろしいですか、殿下より条件の厳しい者はたくさんおります。そのような身の上の方はかつては王族でもいらした。平等と公平は違うものですよ」と言われたものだ。
翡翠が総家令にと望んだのは末の妹弟子と聞いて、自分もショックだったが瑠璃鶲もそれは同じだった様で。
「瑠璃鶲も翡翠は酷い事をすると言っていたもんだ。しかも好き放題しやがって。今時、虐待案件だ。・・・・と思ったら、大嘴が言っていた事は本当らしいな」
天河はデスクの引き出しからカフェオレ色の封筒を取り出すとテーブルに乗せた。小さな梟のデザインの透かしがある凝ったものだ。
段ボールの山とは別に取り寄せていたもの。
宮廷に関する全ての記録が保管されている王立図書館支所館長の木ノ葉梟発とわかる。
いつ孔雀が翡翠にお召しを受けたかと言う正確な日時が記録されている。
それから、見覚えのある孔雀の未成年労働契約書のファイル。
「金糸雀が言ったんだ。皇帝と性的な関係がある以上、王夫人になる可能性があるのだからして記録は必ず残される。王族は閲覧可能。きちんと請求すればいつでも持って来てやるって」
孔雀が驚いて天河を見た。
孔雀がセクハラだわ、と呟いたのに良心が少々咎めた。
「正式な手続きをして閲覧を求めた資料だ」
何が悪い、と天河は居直った。
「なんじゃこの脅迫状。家令が皇帝を恐喝とは恐れ入った。つまり、やらせかよ。お前は、二十歳まで翡翠のベッドで何してたんだよ」
「やらせって・・・。まあ、お喋りしたり。お菓子を食べたり・・・。夏はアイスクリーム、冬は温かいスフレ等が楽しみで」
ベッドで寝物語どころか、とんだ千一夜物語のシェヘラザードだな、と姉弟子や兄弟子は笑っていたものだ。
家令というのは何でも秀逸。仕事をさせても、戦争させても、もちろんベッドでも。
それが城に仕える者の家令に対する一般的な認識だ。
という事は。こっちがイライラしていた時、孔雀は別に翡翠とはそういう関係が無かったということか。
天河はため息をついて顔を覆った。
「天河様、でも、私、その後はちゃんと・・・」
頑張りました、ちゃんと出来ましたと胸を張るのに天河は血圧が上がったり下がったり。
「いつ」
「えっ。ああ、はい。あのう、天河様が海兵隊にお勤めになって。私、お伺いしました時。私、思わぬ負傷により大変ご迷惑おかけ致まして。ああ、本当にあの節は、大鷲お兄様の件でも誠にお世話になりまして・・・」
「いいから、そんなのは。くどいんだよ。だから、いつ」
「あの、ですから。ほら、怪我もですけど、雉鳩お兄様と処理に駆け回ってるうちにまたその後私情けなくも熱出したり何だりで結構長く患いましたでしょう。そのうちに二十歳になってしまいまして。・・・それであのう、お城に戻りまして、すぐに・・・」
恥ずかしそうに孔雀は言って頬を染めた。
天河は絶句した。
仮にも恋人でもある自分の前で、よくもまあ。やっぱり、ネジが飛んでるとか、接触悪いんじゃないのだろうか。
「・・・家令になって洗脳教育されてこの結果なのかと思ったら、もしかして初期不良のまんまなのか・・・。頭の蓋はちゃんと閉まっているのか・・・」
「天河様、私を不良品の炊飯器みたいに・・・」
不服、と孔雀は膨れた。
「それに家令は備品だから時と場合によりますけれど、王族の方は女官や官吏の方だって正式にお召しになるじゃないですか。書類にハンコつくの私ですもの」
だから別に異常事態とか超常現象とかそういうものではないではないか、日常の出来事の一つであろう。
それを、蔭で囁いても、とやかく言うのは宮廷では野暮なのだ。
「ああ、すいませんね、野暮で。ああそうなの。今日分かったこといっぱいあるわ。じゃあさっさとやっときゃよかった」
「まあ、なんてこと。・・・・一度心臓止まりかけたのに、懲りてらっしゃらない。そ、それに、世の中にはあけすけにそう身も蓋もなく言っちゃダメなことってあって、恥ずかしい・・・」
などと、いかにも私デリカシーありますから、みたいに言うのがとんでもなく違和感超えて憎い。
更にはこの山のような閻魔帳を見て、しらっこい面で、あるものはこれで全て本当だと認めた。
これは、そうか、思ったよりも難題だ。あっちもこっちも問題だが。まずはこれか。
覚悟を決めて天河は孔雀を見た。
「いいか。覚悟を決めさせた責任というものがある。いいか。お前に、あるんだよ。責任が。だから責任を取れ」
孔雀はちょっとだけ妙な顔をした。
めんどくさいな、という表情が見て取れて、天河はため息をつきたくなった。
しかし、相思相愛と揶揄される程の翡翠と孔雀。
この両名の間に割り込む、と決めたのだ。
宮廷の中で実はやはり一番常識人の彼としては本来これ以上話が複雑になるのは沢山だというのが本音だ。それから何より、目論見違いの見当違いではない、という確証が欲しい。
孔雀は頷いた。
「私の過去であるとか、これから私が行うこと、思うであろうこと。やることなす事、それの全てお気に召さないかもしれません」
そもそも天河は孔雀が家令であることが気に入らないのだから。
しかし、過去は変えられない。
この案外潔癖な第二太子は、どれだけ記録を差し替えようが、嗅ぎつける。
「私は家令。だからこそ私が天河様に差し上げられるものがあります」
天河は眉を寄せた。
孔雀が居住まいを正した。
「天河様が欲しいものはなんですか」
孔雀が優しい声で尋ねた。
ああ、悪魔の囁きだ、と天河は目を見張った。
「・・・私、天河様にお約束をひとつ差し上げたら、天河様は安心なさいますか」
孔雀は覚悟を決めたと微笑んだ。
「天河様。我々家令が、まるで悪魔のようにいくつか契約をする事はご存知の事と思います。何があっても命に代えても違えてはならない。本人が遂行できない場合は、他の家令が引き継ぐものですが。・・・これは他の家令では不可能でしょうけれど」
孔雀は書類を書いてしまうと、天河に差し出した。
総家令の印ではなく、孔雀というサインのみが記されている。
「私、貴方が私を持て余し、お
自分を担保に差し出して信用を得るという訳だ。
しかし、その時が来たら、手を離せ、というのだ。家令が頑として譲らない主導権を、期限付きであれ孔雀は天河に渡した。
天河は喜びに打ち震えた。
「私、それでよろしいならば、貴方を愛そうと思います」
天河は、まっすぐそう言われて、頷いた。