第92話 かぐや姫の難題
文字数 4,439文字
ラタンとすりガラスのテーブルの上の、ティーカップと皿を燕が片付け始めたのに、まだ食べる、と天河がケーキの皿に手を伸ばした。
ドライフルーツとナッツがたっぷり入ったスパイスと洋酒漬けのケーキ。
小麦粉は少なめで、卵の黄身と焦しバターをたくさん使うフィナンシェやカヌレに近い独特のものだ。
余った卵白は砂糖と混ぜて美しい形にされて低温で焼かれて、ホールに飾られる巨大なツリーの純白の飾りの一部になる。
フルーツケーキは毎年クリスマス用にと孔雀が白鴎と秋に仕込むものだ。
誰もが楽しみにしていて、味見用にと保存前に出すと半分は食べられてしまう。
「おわかりでしょうか、天河様」
天河が頷いた。
「わかる。今年は、オレンジピールが多い」
「そうなんです。天河様のお部屋のオレンジが豊作だったので。・・・じゃないです。天河様」
孔雀は恨めし気に釣り書きを見せた。
「今年中には、まとめたいんです」
「ふうん、そうかい。見つかったんだ、寿司握れる女」
「お寿司はお店に食べに行ってください」
燕は、ため息をついた。
よくもこんな不毛な会話を半年もしているものだ。
これはだめあれもだめ。あれがいいこれじゃなきゃ。
第二太子の
しかし、彼の育成歴に責任を感じている姉弟子はとことん付き合う事にしたらしいのだが。
全く縁談話がまとまらないのだ。
二十七名中、書類選考で落選が二十三名、食事に漕ぎ着けたのが四名。
孔雀は大喜びでレストランの予約から何からセッティングした。
しかし。燕は呆れて第二太子を眺めた。
「天河様、あちらのお店、お土産の苺大福がおいしいんです。予約しましたから、お帰りの際にお嬢様にお渡ししてくださいね」なんて姉弟子が送り出すわけだ。
燕はお供を命じられたが、天河は飯だけ食ってなぜか大福を渡さずに持って帰ってきて自分で食っていたりする。
孔雀は首尾はいかかがなものかといそいそとやって来て、口の周りを大福の打ち粉で真っ白にした天河にいいとこに来た、茶を入れろ、熱くて渋いやつ、と言われていた。
姉弟子の絶望は気の毒なほどであった。
しかし、めげない。
「きっと天河様も苺大福召し上がりたかったのね。なら、次回からは今度は天河様の分もご用意しましょうね。さあ、切り替えて次。こちらのお店は、モンブランがおいしいんですよ。ラムボールみたいになっていて、翡翠様も大好きなんですよ。今度はちゃんとお渡しくださいますように」とまた孔雀が送り出す。
モンブランも女性もお持ち帰りになりました、と燕が連絡すると、孔雀は大慌てしつつ、もしかしておつきあいが始まったのかもと喜び、けれどそれっきり発展しない。
天河になんでそんなに不純なんですか、家令でもあるまいし、と泣き出さんばかりに切々と訴える。
「はあ?ヤリ捨てされたのこっちだけど」
と天河は、こっちの心のケアをしろと言う。
しかし世間ではそうは見ないだろう。
明らかに、太子が遊んで捨てたと思われる。
その後、孔雀が相手先の家に平謝りに行くわけだ。
総家令が羊羹を引っさげて相手が求める物を用意すると約束をしに行くわけだ。
こちらの御息女は第二太子の正室にも相応しいお家柄とお人柄である、との総家令のお墨付きと、条件のよい嫁ぎ先を要求された。
孔雀が即日推薦状を用意して、郵船会社の社長の息子との縁談が三日で纏まった。
なぜ、そっちばかりが纏まり、こっちはさっぱり形にならないのか、と孔雀は嘆くわけだ。
謝罪に同行した仏法僧が、気の毒で見ていられなかった。かわいそうに、と言っていた。
思い詰めた孔雀は天河に縁結びの神様にお参りに行きましょうと言い出し、そんなんお前が巫女家令じゃないか。お前の実力不足だろ、と返されて更に落ち込む。
燕からしたら、そんなもの、最初から天河がお嬢様と取引済みだからだと丸わかり。
今時、我こそはと王族の妃に乗り込んでくるような人間は他薦はまだしも自薦はろくでもない事になりかねない。
しかも、天河は第二太子だ。
元老院筋のご令嬢方なら、どうせならば皇太子、それが叶わぬなら同じ元老院派、または富豪に嫁ぎたいのだ。
今時、多少の下心があって当然、多少の後めたい過去があって普通。
それはあの姉弟子だって重々、心得ているはずだ。
だから我々家令がいるのです、と孔雀は言ったのだから。
お二人のお気持ちが纏まりさえすれば、私がなんとかします。多少の経歴を盛るとか、または削るとか、どこかに黙っていて貰わなければならないなら、黙っていて貰いますように私がやりますとか、そんなような事。
それは孔雀に取ったら親切で気遣いだけれども、天河はカチンときたわけだ。
梟なら気持ちなんかお構い無しに、政治と損得勘定でさっさと決めてしまったろうけれど。
だから今こうだもんな、と燕は、姉弟子と第二太子のやりとりを見ていた。
かくて、また難航している。
これはだめ、あれもだめ。これじゃない、あれじゃない。あれがいい、これがいい。
それはこの世に存在するのかと疑問になる程。
ついに孔雀はああもう、と顔を覆った。
「・・・天河様は、かぐや姫ですか・・・」
「面白いね、お前」
姉弟子の精一杯の嫌味を、天河が軽くいなした。
「孔雀姉上、休憩されませんか。お疲れでしょうから」
「・・・そうね。・・・気づきませんで、大変失礼致しました。天河様」
よろよろと疲れて見えるのは孔雀であって、天河ではないが。
孔雀が改めて茶を入れようとした時に、スマホに雉鳩から連絡が入った。
「・・・どうしたの」
「象牙宮で妃殿下がお呼びのようです」
「・・きっと藍晶様のことね・・・」
孔雀がため息をついた。
「週末、紹介したい方がいるってお話があったのよ・・・」
またか、と燕と天河が顔を見合わせた。
新しい恋人がまた出来たのだろう。
「いずれ別れ話のもつれをまた押し付けられるわけか」
天河が茶化した。
「そんな・・・」
否定しようとして、孔雀が考え直してして頷いた。
「・・・でも、今回はちょっと・・・」
今の藍晶の恋人が元老院派の姫君なのだ。纏まったらすぐに継室になるだろう。
「元老院のおっさんのだれかが引き合わせたってことか」
皇太子の継室の話を再三退ける総家令に、元老院派がフライングしたというところだろう。
「・・・
これはもう、進めるしかないだろう。
「今時、身辺調査すりゃ、お断りする理由のヒトツやフタツ、あるだろうが」
「こちらの素行の悪さを棚に上げてですか?」
まあ確かに、藍晶の事だ。清らかといくまい。
「だけどね、孔雀。モテたい男に選ばれたい女というのは一定数いるからね。藍の継室に入るって事はそういうことじゃないかよ。逆に、あちこちモテる女を手に入れたい男もいるわな。藍が出入りしてる社交界なんて、穴兄弟ばっかじゃないか。それがオシャレなんだろ?」
孔雀が眉を寄せて、嫌そうに首を振った。
「まあ、いけませんこと。天河様、家令のような事を仰る・・・。全然オシャレじゃありませんよ!今後は藍晶様には月1《ツキイチ》で健康診断受けて頂きます」
姉弟子のその引きっぷりに燕が吹き出した。
確かになんと軟派で不純な考えか。
「お前だって家令じゃないか」
そうですけど、と孔雀は膨れた。
天河も燕も頰をつっきたい気持ちで眺めていたが。
「・・・お互いの、希望が叶った形で・・・その、いわゆるビビッと来るのでしょう?だから、天河様にもそういう出会いを期待したいんです」
「そんな雷当たった一目惚れみたいなやつ、そうしょっちゅうあるかい」
孔雀はしょぼくれた。
「・・・じゃ、どうしたらいいんですか」
条件が合うというだけで決めれば、その条件がいつかどこか欠けたら回らなくなる。
特に継室選定は、そもそもそういうもの。それでいいだろう、というのが一般的な意見だ。
その時々に相応しい政治的な意図を満たすもの、というのが大きな決定打でもあるから。
「まあ確かに、先日、美田薗卿が宮廷に貢献したという事で、その褒賞も兼ねて一つの形にしようってことでの入宮が検討されてるわけですからね。入宮というのはシンボリックでメモリアル事業として最適ですから」
燕が言った。
孔雀がまた頬を膨らませた。
「ご継室は、記念樹じゃないのよ?」
「面白いこというね。んじゃ、入宮の儀式は植樹会ってとこだな」
またそのようなこと、と孔雀が膨れてフルーツケーキに食いついた。
「・・・あー、孔雀姉上。本格的に呼び出しだ」
燕がスマホの画面を眺めた。
よほど気に病んだ鈴蘭が探りを入れたいというところか。
立ち上がろうとした孔雀を燕が制した。
「孔雀姉上は行かないほうがいいですよ」
鈴蘭としては、燕から話が聞きたいのだ。
話を聞いたら動かざるを得ない孔雀ではなく。
藍晶は以前はよく雉鳩を同行させていたが、最近では燕がその役目を引き受ける事が増えていた。自己演出に長けた彼の事、姫君を圧倒してしまう雉鳩よりも若い燕の方が都合が良いとの判断だろう。
燕が失礼しますと礼をして、退出した。
「燕少年なんて呼んでいたけど、いつの間にか立派な家令になっちゃって」
天河が呆れ半分、感心半分で言った。
「ありがとう存じます。燕は優秀な家令だと思います」
正式に城に上がって以来、もとより宮廷育ちであったこともあるが、宮廷のさまざまな事に明るく、気も利く。若手では仏法僧と共に、女官達からも人気があるのだ。
「春からあの子を
天河は驚いた。
軍で唯一、未だ家令の手の及ばない場所。
「
心配でたまらないと言うように孔雀は目を伏せた。
抵抗勢力も多いだろう。
「たった一人、というなら心配だけど。茉莉がいるなら大丈夫だろうし、あのはしっこい燕ならうまくやるだろうさ」
「・・・そうですね」
孔雀がほっとしたように微笑んだ。
「それから、尉ちゃんにそろそろお使いをお願いしようと思っているんです」
黄鶲と川蝉の息子の
宮廷でやはり他の宮廷に関わる子供達と育っていたが、正式にガーデンに入る前に少しずつ仕事を覚えて行くという事だろう。
ほんの小さな使い走りからでも、それは修行になるらしい。
今時あんまりだが、十五で成人となる家令としては、そろそろ丁稚奉公という時期だ。
たまに孔雀が尉鶲と手を繋いで現れ、孔雀は天河と打ち合わせをし、まだ雛鳥の彼は姉弟子を待ちながらここでおやつを食べている事もある。
川蝉が死んでから常に誰か年上の家令達が近くにいるようにしているらしい。天河も心配であったから、そこは安心して見ていた。
翡翠もまたお使いとして総家令室に出入りするのを許している。
しかし今のところ、尉鶲と同世代、またはその後進が存在しない。
孔雀としては大切に育てたい雛鳥と言うところだろう。