第3話 家令の異名
文字数 6,000文字
「さあ。就職が決まったなら服を作らなきゃ」
桜や桃に似た濃いピンク色の可愛らしい花木の描かれた壁紙がとても印象的だった。
「さっきのティーセットと同じよ。アーモンドの花」
と
確かにカップに描かれていたものと同じ。
アーモンドとはこんな花なのか。確かによく見ると、実が成っていて、割れているものには何か種のようなものが入っている。
花木に鳥や蝶が所々に遊ぶ構図は生き生きとして優雅だった。
居心地が良い部屋だった。ミントグリーンのソファとカリン色のローテーブルが置かれていた。
「
続きの部屋はまるで花畑の様に衣装や美しい生地で埋まっており、見た事もない色とりどりの布地に目を奪われた。
トルソーがあちこちに置かれ、途中まで作られているドレスやジャケットが飾られていた。
「ファッションショーみたい。すごい」
思わず声を上げた。
「ありがと。アンタ、お裁縫は好き?出来たら手伝って貰えると助かるわ。今年、あとウェディングドレス、マリエを二着仕立てなきゃなんないの。
トルソーの胸元を飾る花と鳥の模様に織られたレースを示した。
驚いて
「これ、
「家令が着てる家令服は皆私が作ってる。盛装も一通りね。家令はね、皆、自分でいろいろやらなきゃなのよ。このアーモンドもエントランスの絵も、
そんな話を聞かせられて、自分に何ができるだろう、と
「別に今から覚えればいいのよ。絵画、縫製、宝飾彫金、塗装工、建具、溶接工、電気、水道設備、土木、建築・・・」
だいぶいろいろあるようだ。
「
あの女家令は何が得意なのだろう。
「
金糸雀がガラスケースを指差した。
輝くばかりの宝石類が納めてあった。
眩しいカットのネックレス、優美なカメオのピン。
「美術品の修復、宝飾と彫金の類が一番得意かしらね。・・・明らかに、
「さて。
今まで、何が好き、何がしたい、だなんて聞かれた事はない。
でも、トルソーに飾られたウェデイングドレスがあまりにもきれいで。
「上手にできるかわからないけど、こういうの作ってみたいです」
「さ。じゃあ、採寸しちゃいましょう」
メジャーをぴしりと持ち替えた。
こんなに測るのかと驚くくらいあちこちを測り、その都度、
「聞きたい事はある?」
頷いた。まだまだ聞きたい事ばかりだ。
「
主に国際法や軍事法廷を生業にしている弁護士なのだと聞いてはいたが。
「私、家令の仕事としては仕立てはタダ働きだから、自分で小遣い稼ぎにブランド持ってるの」
ほら、とタグを見せられた。
知っているブランド名がいくつもある。
「副業禁止じゃないからね。皆、結構あちこちで荒稼ぎしてんのよ」
家令とは、そういうものなのだろうか。
「あの。じゃ、もう一つ。さっきの
恐る恐る
「まあ、宮廷ではままある話よ。家令と王族の距離は近いし。女家令の産んだ子は王族には成れないけれど、男家令となると話は別という事。女皇帝との間に生まれた子が皇帝になった例は当然あるわよ。官吏や女官や乳母や禁軍と王族がくっついたの別れたのなんて話も宮廷ではザラよ」
「・・・あの、多分、というのはどういう事ですか?」
「女家令の子はどうせ家令と決まっているから。あまり父親がどうとか関係ないの。女家令の子の父親は誰かなんて干渉しないのが通例」
「はあ・・・、さっきの男の子もですか・・・」
「あの子は、多分、
耳を疑った。
「いいのよ。わかるわ。ここまでくると宮廷でもあんまりない話よ。孔雀はあれで骨の髄まで家令よ。
「嘘でしょう・・・」
「本当。今時どうかしてるわよね。児童労働もいいとこよ。コンプライアンスなんてあったもんじゃない」
家令は
十歳だなんて。まだ小学生ではないか。
「さて。あとは質問ないの?」
「え、・・・じゃあ、あの、足音がしないのはなんでですか」
「あら、気づいたの」
転ぶのではないかと思うほど高いヒールを履いているくせに、カツンとも音がしないのだ。
足音がしない理由があって、歩き方にもコツがあるらしいが、靴底の裏側にスエードやフェルトやコルクが貼ってある。宮廷で音を立てて歩いていたら不躾、という昔からの習慣らしい。
「とりあえず家令服は儀典に着るものと普段用と。後は勤務用の家令服に近いデザインのスーツ。それから軍服と祭礼服は配属が決まったら作るから。あと私服がいくつかね」
家令はそれぞれ軍隊にも所属する。さらに神職まで兼ねる。オリュンポスと呼ばれる神殿か、ヴァルハラと呼ばれる聖堂。どちらかは、適正によるらしいが。実際はその時々の人手不足の方につっこまれるらしい。
「じゃあ、
「子供だったらからねえ。まあ、お菓子あるよとか、猫がいるよとか言われて、半分騙されて連れて来られたのが本当よね」
「誘拐じゃない。ひどい。何で逃げなかったの?」
つい、口から出た。
「ま、
小さな
これもまたまだ見ぬ姉弟子の一人が描いたものなのだろう。
寝具、ソファ、カーテン等のファブリックが白と淡い紫で統一されていた。
浴室におかれたアメニティはバニラとラベンダーのいい香りがした。
今まで四畳半が自分に与えられた部屋だったのだ。それも妹に占領されて居場所等無かった訳だから、舞い上がるどころか戸惑うばかり。
そして、驚いた事に毎日朝になると新しい服と靴を
今日はこれ着なさい、明日はこれ、とワンピースやパンツスーツの類。
家令服以外にこれ程は必要ではないだろうと恐縮すると、
公立校の制服とは全く違う、しっかりした、でも柔らかい生地。
靴はやはり裏底がコルク貼りで、足音がしないようになっていた。
その服を身につけて、見学という名目であちこち見て回っていた。
未成年だからダメと言われたカジノと、
食事はレストランで好きな物を注文するように指示され、三食をそこで取っていた。
ラタンで編まれた椅子とテーブルで揃えたその上に色とりどりのパラソルが飾ってあった。常に家令の誰かと食事を共にするようになって居た。
そして、毎日午後になると
一番気に入ったのは、初日に姉弟子達と午後を過ごした甲板の庭園。
この船は中型の部類に入るそうなのだが、一般的な部屋数の三分の一以下に設計されているらしい。一部屋が大きいということだ。
家族と住んでいた標準よりは小振りであろうがいわゆる建売住宅一階部分よりも一つの部屋が大きい。
総家令時代には、あちこちの離宮を改装したのよ。模様替えが大好きで年中ガタガタやってる女っているじゃない。あれよ。と姉弟子は笑っていた。
この趣味の良さと居心地の良さを気に入り、年単位で借り上げているいわゆるセレブがいると言うのも肯けた。
すぐにでも仕事がしたいと言うと、服も全部はまだだし、いいのよ、と
こんなに沢山の服を用意されて、まだ必要なのか。と改めて驚く。
でも、どうにも落ち着かない。教育機関があるのなら早く行きたいと食い下がると孔雀はため息をついた。
「それがねえ。ガーデンの責任者が
なんとも呆れた理由。
「
「そうなの。あとはガーデンには
なんとなく、かの姉弟子には好感を持っていた。
お世辞にも愛情を感じられないような物言いをする両親に毅然と書類と小切手を突き出した
まるで突然救世主が現れたような、そんな感覚を抱いていたのだ。
「
とんでもない二つ名に
「
「人食いワニとかクロコダイルとか。マンイーターって呼ばれてるわね」
なんという
そんな人達が出入りするガーデンとはどんな地獄の訓練所なのだろうと
「大丈夫よ。ガーデンはね。私たちの庭という意味だから」
「
「
「私も
「厨房から持ってこればいいのではないですか?」
この船を支えるセントラルキッチンはほぼ二十四時間動いている。
「・・・ダメダメ。あの方、基本
新たな声が割って入り、なんとも美形の家令が入ってきた。
「
「君が新しい妹だね。よろしく。ようこそカオスへ」
微笑みかけられて、つい戸惑ってしまう。
「
この名前を名乗るのも不思議な事に慣れてしまった。
「
アカデミーとは、各国の優れた頭脳が集まり研究をしている機関。
「そう。そして、双子の
「そうなの。双子、
「夜泣きにおんぶで、おかげでこの十年でぎっくり腰が二十回だよ」
「双子のアカデミーの入学案内。選考会に回すから後は好きな時に入学したらいい」
「
カップにはみ出さんばかりに可愛らしい羊の形の泡が乗っている。
「最近凝ってるの。ラテアートと言うのよ」
「へえ。何この泡。洗剤?飲めるのかよ」
雉鳩が息で泡を吹き飛ばしながらカップに口をつけた。
いつも思うが、なぜ彼女がお茶汲みをしているのだろう。
「総家令の総は、総務の総だからね。雑用、苦情含めての総だな。実際、家令のうち、茶を入れる技術があるのは五人、そのうち茶を出せと言われて文句を言わず出せるのは二人」
不思議そうにしていたのに気づいたのか、
「
「
彼はそう言うと、双子のところへ行くと言ってカステラを口に放り込むと部屋を退出した。
「あの、
「あだ名?大海蛇、シーサーペントよ。毒蛇って言う人もいたけど」
俳優のように端正な彼が、と驚いた。
自分が作詞作曲らしいへんてこりんなグラタンの歌を歌いながらオーブンの準備をしているこの姉弟子の
「何か聞きたい?」
そんな顔をしていたのだろうか。
「あの、
なぜ、彼女がまだ年端もいかぬ子供のうちに家令になったのだろうか。
自分に似た身の上だったのだろうか。
「そうねえ。連れてこられて、お前は今日から家令なんだよと言われたまま結局、今ね」
「・・・
「あら、興味ある?」
「興味と言ったら失礼ですけど・・・」
「満たしたいと思う欲求は