第11話 あれが我々の神
文字数 3,545文字
参道の長いヒバ並木からは深い森の香りがする。
全国的にも有名な場所でもあり、実家からも近いので、学校の遠足といえばこの場所だった。
昔、「ヒバの匂い。いい匂い」と言ったら、梟《ふくろう《は「アスナロの木だろ」と言っていた。
地方によって呼び方が違うようだとその時知った。
女家令と言うのはそもそも情緒が欠落している。
参道を登った先の梅林も見事で、開花すると毎年お祭りが開かれる程だ。
季節を通して観光客が多く、今日もどこかの中学校が修学旅行で立ち寄っているようだ。
自分と同じ頃の学生が、楽し気に参道の土産物屋を見て回り、ちょっとした軽食を買い食いしては楽しそうにしていた。
いつもなら羨ましそうに見ていると、帰りに何か買ってあげるからと
今日は厳しい表情のまま。
そのまま進むと、いつの間にか人影は消えて、遠くに美しい池が見えた。
その上に赤い橋がかかり、その先にある建物が目的の場所だ。
ここが本来の
現在、
孔雀はその中に姉弟子の
上の世代は宮城からは追い出されたが、軍と
突然
不安そうな表情の妹弟子のおさげが突然風に煽られ、池の水もざわりと波立ったのに、
「・・・潔斎がお済みでないようですけれど、お急ぎでらっしゃいますか」
常ならば事前に、
しかし、今はそれが無い。
「・・・あの方は二年前にお隠れになっている」
バサリと無造作に言われて
冗談や嘘を言うわけはない。きっとこの女家令が、看取って、黙っていたのだ。
空恐ろしい物を感じた。
「・・・正直そうじゃなくていいと望んだけれど。でもこの子は
驚く妹弟子を無視して
もう老年に達した
そのままぐいぐいと妹弟子を渡り廊下に引きずって行った。
「・・・待って!
家令の情報はすべからく共有される。
プライバシー等ほぼ存在しない。
十歳で家令に召し上げられ、最初に
あの時、
『どこも怪我はないようだね。口の中も見せてごらん。・・・うん、よし。いいかい。どこか怪我している時とか、お前はまだ子供だからいいけれど、女の月の障りの時は絶対に神殿に上がっちゃだめだよ。家令は必ず軍属に就くから怪我もしやすい。女家令は尚、気をつけなきゃならない』
『なんで?おばちゃん』
「可愛いから水色がいい」と
「いいの?白の服なんか着たことない。ママが、私は汚すから白はダメって」と答えると「お前はそうだろうねえ」と
「・・・あとね、お姉様だよ、
「全く教育が行き届いてない事だよ。・・・いいかい、とにかく、怪我している時にここにきてはダメ。特に一番奥の部屋の神様の寝室にはね。・・・なんでだと思う?苺大福」
「苺じゃないです、杏です」
「じゃ杏餅だ」
人肉どころか実は酒すら飲めない甘党の
嬉しそうに房を撫でながら、孔雀は少し考えて、なんとかそれらしい答えを口にした。
「・・・神様に失礼だから?」
「違う。・・・喰われるからだよ。お前なんか一口だ」
そう言って、怖らがせたくせに。
「あんなにダメだと自分で言ってたのに・・・!」
「だからだよ」
あんたはまだ入っちゃダメ、と言われていた場所。
熱源等あるわけもない。だが、脳に、そう信号が送られて、身体が反応する。
ああ、これが我々の神。
・・・忌々しい。
孔雀はバランスを崩して床に伏した。
鉄のように重いはずの扉が、まるでレースのカーテンのように軽やかに閉まった。
扉が水晶なのだから、透過してもっと光が入ってもいいだろうに、意外なほど暗い。
いや、実際はそうではない、視力を操作されているんだと思った。
ここが本当の奥の院。
神様がいるところ、神様の寝室、と子供の時からそう教わってきた。
ここには神官長の
大神官は常在できるが、それ以外は長期間の潔斎を過ごして、短時間だけやっと入れるのだ。
どこからか不快だとわかる感情の唸り声が聞こえた。
潔斎もしないで、月の障りの身体のまま踏み入ったことにだろう。
本当に、頭からばりばり喰われるのだろうか。
でも、神様って、言ったのに。
・・・神様がどうして人間を食べたりするのだろう。
孔雀はじっとしていたが、ふと、違和感に気付いた。
血の匂いがする。
自分の経血だと思ったが。違う。
この部屋中、血の匂いがする。
視力を奪われた分、他は鋭敏になるようだ。
不思議なもので、聴覚や嗅覚が視力を補うかのようにして脳裏に風景を見せていた。暗い画面に鮮やかに浮かぶ色彩の粒子にはっとする。
肌が粟立ち、背筋が冷たい。
唸り声に聞こえるこれはなんなんだろう。
不快や敵意とも違うのではないだろうか。
どうにも気になって、もうちょっと、と手を伸ばした。
危険を感じたら逃げろ離れろは鉄則だが、そこに違和感や興味を感じると確認したくなる。
子供時代から決定的に危機管理が危ういタイプではあった。
伸ばした指の先に何かが触れた。
冷たい水晶のような滑らかさ。
結露しているかのように表面が濡れていた。
外気とそこまで差はないだろうに。
あ、と孔雀は、気付いた。
不快ではない、敵意ではない。
これは、欲求。
指先が、突然掴まれて、いきなり水底に引きずり込まれた。
水もないのに。
でも、身体に感じる圧迫感、塞がれる息苦しさ。
浜育ちの自分は何度も溺れて泳ぎを覚えたのだ。
水というのは、仲間が欲しいのだ。
自分と同じものなになれと、自分と同じ濃度になれと、自分と同じところに来いと、何でも満たし、溶そうとする。
だが、そうはいかないだろうと思った。
だって、ここに水はなく。自分と同じ濃度になど出来ない。
しかし、ぬるりと溶け出す液体の感覚があった。
あ、これ。水じゃないんだ。血だ。
感じるのは、欲求。欲求。
でも、なんで。
触れると、ぬるりとした血の隙間を鎖のようなものできつく縛られているらしい。
ああ、これ。白鷹お姉様がやったんだ。
ひっぱられた気がして目を開けると、
扉に、怖いほど輝く短刀が突き立てられていた。
「・・・わかったかい。あれが我々の神だ。神官はこれを鎮める。押さえ込んでいるのはこっちだよ。家令は・・・、お前は、神にも王族にも皇帝にも、呑み込まれてはだめ」
「・・・いいかい。総家令にならなきゃ、お前は一生この中だよ」
そして、自らの手でこの妹弟子の幼さを殺す罪悪感と悲しさを感じつつも、家令の誰もがそうであるように