第74話 斜陽の貴族
文字数 5,172文字
「・・・でも困ったわ。私、証拠見つけてつき出すつもりでした」
彼女も元は貴族の出であり、女官として上り詰めた人間だ。
貴族とは、まずは第一の廷臣。その身分階層の者が後宮での暴挙、愚弄とは何事であるかと腹に据えかねるものがあるのだろう。
揚羽だってその気持ちは共感できる。
後宮は皇帝の奥庭。そこで継室の腹心といえ、好き勝手されるのは気に入らないし不敬である。
女官長は苛立ちを隠せなかった。
「如何にしましょうね」
「とりあえず、紋白様、後で他のキャビネットを見てくださいますか。多分、柏様は黙って見せてくださいますよ。中身確認したら、わかりましたとだけ仰ってください」
紋白は頷いた。
「今後が問題よ。一丸家は元老院でも王族に近い貴族でしょう。我々どころか、総家令でもなかなか口出し出来ないでしょう」
つまり、きっと。横流し、というか。実家が娘が継室が継室として賜った品物を取り上げているのだ。
「一丸家はそこまで困窮していらっしゃるの・・・」
没落貴族出身の紋白が複雑な表情をした。
身につまされる、というか、憤りもある、それから情けなさと、同情も。
一昔前までは貴族が凋落した原因など、王族の誰かの怒りを買ったとか、総家令に陥れられたとか、配信とか不敬とか、いかにもそれらしい理由がついたものだが。
宮廷では昔からその無念と悲哀に満ちた物語などいくつもある。
斜陽の貴族の子弟等惨めなものだ。
廷臣たる体裁も面子も守れず、ただ立ち腐れていく古木のようなもの。
紋白は、親から家令に売られた継室候補群の娘と蔑んでいたこの総家令を嗤っていた過去を、悲しく思い出す。
難関の女官の試験を
「・・・嫌な言い方ですけれどね。総家令。斜陽の立場にある貴族というものは、かつての栄光が大きければそれだけ、醜いものです」
彼女の父親である一丸家の当主というのは青年の頃から宮廷に出入りしていた。
家令も素行が悪いが、彼もまた王族に近い貴族であるという身分を嵩にきて女官に手を出した事も一度や二度ではない。
女官や官吏というのは、宮廷に関わる以上、そう野暮な存在ではない。
宮廷では恋愛や火遊び程度なら、どちらも未遂以上未満であれば許容される。大袈裟に騒ぎ立てる事こそが礼儀知らずとされるのだ。
例えば、女官と家令がならばお互い織り込み済みの関係であるし、家令も女官も黙ってはいない、ある程度対等とも言える。
しかし、相手が貴族ならば、女官は泣き寝入りだ。
だからこそ、彼のその芳しくない行動も許容されていたのだけれども。
孔雀は頷いた。
ギルド筋の自分に貴族のその気位の高さは理解出来ないと思うけれど、考える事は出来る。
「ご継室おひとりに一族郎等の浮沈がかかっているわけですから。それはプレッシャーであろうとは思います。ご実家はご息女やご子息のご栄華を望むでしょうし。ご実家に事情があるのだとしたらご実家のたすけになりたいと思うのは当たり前でしょう。でも・・・私、どうしても違和感があるんです」
孔雀が悲しそうに言った。
それは揚羽と紋白も感じていた。
あの継室は、実家から無心どころか冷遇されているのではないだろうか。
しかし、なぜ。貴族の一の姫で、しかも継室にまで上がった姫を、と腑に落ちない。
彼女の動向に家に関わる人間達の今後がかかっているようなものなのに。
「担保になるようなムスメで実家としてはとりあえずは良かったですよね。四妃様も紋白様も私も。だから、大事にして頂きたいものだわ」
そう孔雀があけすけに愉快そうに言ったのに、紋白が吹き出した。
「ウチの母も父も。おばあもおじいも、白鷹と梟に睨まれたのではもうウチじゃ断りきれないって。本当にダメだと思ったら泣いて戻って来い、その時はその時考えるからって言ったんですよ。なんていきあたりばったり」
なかなか悲壮感のある話だが、この女家令が話すとどうしても笑い話に聞こえてしまう。
自分の出自をどこかで恨みにも引目にも思っていたけれど、そんな風に考えて見てもいいのかもしれないと紋白は思った。
「総家令、今後、どうしましょうか」
孔雀は城の物品を目録を作って管理しているようだが、女官が継室の私物に関してそこまで出来ない。困ったわね、と女官長も首をひねった。
「帳簿で確認出来ますから。今後は請求書に明細つけてもらいましょうか。柏様きっと家計簿くらいお手の物でしょう」
孔雀は、さすがギルド出、と思うような事を言う。
「そして。あとは当座の物入りですよねえ。何せタンスがカラッポなんですから。でもまた同じ事になったら面倒だし」
全く、四妃に子が生まれたら、外戚として更に一宮家の存在は無視できないものになろう。
今後が思いやられる。
三妃が家令も女官もなるだけ遠ざけ、自前の職員を身近に置いて、手前勝手のクラブ活動もどきの催事を行われるのも困りものだが、一宮家の人間が後宮にずかずか上がり込まれるのもたまらない。
しかし、いかなる状況でも後宮というものは、澱みなく美しく存在しなければならない。そうするのが女官の務めだ。
女官達はため息を飲み込んだ。
孔雀が新しい茶を淹れながら微笑んだ。
「お買い物に行きませんか。何買ったか分かるし。ほら、スマホで繋いで四妃様にでお洋服とかお好みの選んで貰って。やっぱり自分の好きなもの買わないと、物って身に付かないんですよ。ここはひとつ、四妃様に営業をかけましょう」
紋白がちょっと笑った。
この総家令は、確かに宮廷の人間としてはトリッキーだ。だが、悪くない。
家令と女官など、もともと相容れない。
いくら家令の成人が十五だろうが、まだ中学生のような小娘が総家令として城に上がった時には世も末だと思った。
皇帝の寵愛が深いというのも、風紀が乱れると厭っていたほどだ。
しかし、彼女が作ってきた宮廷の家庭的とも言える雰囲気に、紋白は戸惑いつつも、今では心地よく感じるのだ。
自分を含め、女官長以下五役の女官が総家令と初めて顔合わせをした際に総家令執務室を訪れた際は、反感と緊張がないまぜになっていたものだ。
総家令執務室。家令の悪の巣窟。梟の時代はモルグと呼ばれ、白鷹の時代は閻魔部屋とも呼ばれた場所。
しかし、どうぞと通された部屋は、明るくて柔らかな内装だった。
開け放たれた窓から風が吹き込んでいたのを覚えている。宮廷、特に後宮では習慣としてあまり窓は開けないのだ。そもそも明かり取りの要素が強く、はめ殺しの状態で開かない窓が多かった。
一番最初に改装された総家令室の趣味がよく洒落た調度類は、後宮勤めの長い女官長も感心したのだ。
紋白も、内心では家令に売られたお菓子屋の子、と馬鹿にしていたのだが面食らった。
さらに戸惑ったのは、その色とりどりの菓子が並ぶテーブルに皇帝が居た事だ。
女官達が慌てて礼を尽くすのに、彼は優しく居てもいいかな、と許可を求めた。
自分達にこんな風に親愛を見せる彼は見た事がなく、さらに驚いた。
寵愛の総家令に対する我々への牽制か、と舌打ちしたい気分もあったが。
しかし、そういうのじゃないよと本人が否定したのだ。
「毎日この時間はここにいるって決めてるからね。どうぞ気にしないで」
そう言うと、自分の分に取り分けて貰った菓子をつまんでいた。
こんなものを食べている彼を久しぶりに見たと女官長も驚愕していた。
挨拶を済ませて、家令の長に出来ぬ事など少のうございましょうから我々などで、はてお役に立つことがあるでしょうか、と、ある女官が遠回しに皮肉を言った。
これが緋連雀でもいたのなら、嫌味の応酬で、最終的にあの根性曲がりにねじ伏せられる所だろう。皇帝の前で余計なことをとも思ったが、そもそも止める気も無かった。
それも正直な気持ちであったから。
しかし、孔雀は不思議なぶどう色の目を丸くして口を開いたのだ。
「まあ。出来ないことばかりでございます。・・・まずあのですね。皆さんよくそこを勘違いされてるんですけど。・・・会社さんだと課長、部長、社長とかって言いますよね。元老院長様、議会長様、ギルド長様。女官方ですと、女官長様、副女官長様」
女官達は今更何の説明かと顔を見合わせあった。
「皆様は長を頂くお役職ですけれど。私は総家令を拝命しておりますけれど家令長ではございませんね。そのような役職もそもそもありません。総家令の総は、総務の総です。そして総務部長とかではありませんね。ただの総です」
あまりな事に、一瞬あっけにとられてしまうと、翡翠が笑い出した。
「そうなんだよ。ほらあれ」
と、なんでこんなところに台所があるのか気になってはいたが、キッチンの横のやたら大きな冷蔵庫を翡翠が示した。短冊のようなメモが大量に貼ってある。
家令達と思われる、日程連絡から、ヴァカンス行くから手配しろだの、また宮廷のあれこれ、回廊の照明の電気が切れただの、配管漏水だの、食堂の飯が不味いだの、あとは無茶な要望から、そんなもの自分でやれと思うような私事の依頼に至るまで書き込まれていた。
「一番チビの私が総家令になったのを良いことに、お姉様方もお兄様方も、もうなんでもかんでも押し付けて言いたいこと言ってるんです・・・」
困ったもんだと膨れる孔雀と、ありゃもうどうしようもないねえと呆れる皇帝。
つまり雑用と面倒事相談係。
「というわけで。どうぞ、皆様およろしくお願い申し上げます」
孔雀が深々と頭を下げた。
どうも何だか思ってたのと違うという印象。
その後も、この総家令が福利厚生を充実させたおかげで、結婚や出産で離職する女官も減ったし、離婚死別等の出戻り組も安心してまた職務を続けられるのだ。
かくして、今やこの総家令は女官達からも好意的に迎えられていた。
紋白もその出戻り組の一人である。
今や五歳になる息子は、宮廷のキンダーガルテンで、他の女官や官吏、家令の子達と同じようにナニー達によって養育されているのだ。
昔から宮廷に関わる親を持つ子ども達はそれぞれの身分に応じて宮廷で育つというのは慣習としてあった。女官は、自分が所属する宮で主人の許可を得れれば子供達を育てて奉職を続ける事は可能であったが、許可を得られなければ退職となる。
さらに、宮で育てると言っても何となく育ってしまうというのが正直なところだったのだ。
家令も似たようなもので、そうやって育つとその宮の主人とやはり良くも悪くも親しくなる。
何で託児所なんか今更作るのだ、という反対派の意見に、「だって子供を育てる許可やら、どこかに預けるって。子供を人質に取られているようなものじゃありませんか。そんな状況で意見等できないじゃないですか。家令じゃあるまいし。保障する健全な保育の場が必要なんです。ええ、家令じゃあるまいし」そう強調して孔雀は言ったのだ。
ギルドは、公立、私立以外に、それぞれの組合で保育施設を持っていたり、企業で持っていたりするというのは知っていたが、宮廷でその考え方はあろうはずもなく。
そもそも宮廷に奉職している高級官僚である女官の結婚相手というのだからそれなりの社会的地位の夫というのが定石なので結婚や出産をきっかけに城を下がる者が多いのが大多数で、子供を肉親に預けるとか、または主人である妃が手元で乳母を付けて育てる事を許すとかの子供の問題がクリアできるならば、請われて復職する場合もあるが、でもそうではない場合も勿論ある。
ならば、どの様な状況でも望めば奉職出来ればいいと孔雀が考えた結果、今では望めば城内に部屋が無料で与えられ、子どもと暮らせる。
何せ普請が大好きなこの総家令だ。使われなくなって久しい建物を一棟改装、兄弟姉妹達と足場を組んだり壁を抜いたりして女官か官吏、そしてそれ以外でも城に関わる人間達の為の独身寮と家族寮を作ってしまったわけだ。
「大家さんは翡翠様ですので、ご安心下さい。何かあったらどうぞ気兼ねなく私にお申し付けください」と、内見案内で言っていたのには、驚いたものだ。
そして、今は「お買い物の帰りにケーキバイキングいきませんか。この前、大嘴お兄様が見つけてきたんですけど一緒に行ったら、お兄様食べ過ぎて私まで出入り禁止になっちゃって。お二人とだったら入れるかも」と、嬉しそうに話している。
宮廷の宮宰、番人。国外では悪魔とも言われる家令達の統括をする悪魔の王なんて呼ばれていて、今や軍の半分以上を掌握、さらに
だというのに、これだもの。
紋白はおかしくて仕方がない。
それから程なくして、四妃の為の経費からではなく、翡翠からの贈り物として孔雀が用意した服や装飾品等、出産準備品や嗜好品の類が山のように四妃の元に届けられた。