第2話 宮廷家令
文字数 6,698文字
自分はまだ二歳だったから、よく覚えていない。
今であっても教科書でサラリと習う程の知識しかないが、革命も内戦も動乱も存在しない全くの宮廷主導よる民主化への執権移譲という、よく言えばスマートな、悪く言えば事務的なまでの政権交代であったという。
革命も動乱も無かったばかりか、王族も旧体制の誰も死なず、華やかな祭典で以て行われた王権の幕引きの異例さは、国外のマスコミには『国を挙げての催事』とまで
驚愕と疑問と憧憬をもって報道されたのは、殆どの近代国家の革命には、混乱と少なくはない犠牲が付き物だと言う歴史があるからだ。
皇帝どころか王族の誰もが命も落とさず、亡命もせず、各々身分と住まいを変えただけに済んだと言う維新は後の時代に「王様の幸福なお引越時代」と呼ばれる事になる。
現在は迎賓館と美術館と博物館になっているかつて宮城と呼ばれた故宮があり、他にもシャトーやパレスと呼ばれるやはり指定文化財でありホテルや迎賓館としても使用されている元離宮がいくつも現存している。
孔雀は目の高さを
「家令というのは、わかる?」
茜は小さく頷いた。
「お城にいた王様の召使いの人達ですよね」
途端に
「召使い!なんてことだろう。孔雀、おまえの言うシフトされた時代は最悪よ。
「間違いでもないわよ。こんな便利屋。・・・そうねえ。そう。王様に仕える悪魔の鳥のことよ」
「
め、と
「王様の近くでいろいろお仕事をするのが家令なの。他に茜ちゃんが知っていそうなのは官吏や女官という人達かしらね。彼らは今は特別国家公務員CO種・CL種という名前で各省庁に勤務しているんだけど」
「ああ、その職名。なんてひどい。本来もっと名誉のあるものよ」
またも
「そしてね。家令というのは、皆、鳥の名前を頂くの。関係としては兄弟姉妹。だから、私達は、姉弟子妹弟子の関係」
だから、お姉様と呼ぶのか、と
「女家令の産んだ子は産まれた時から家令になると決まっているのだけれど。男家令のその子供が家令になるかどうかは、自分で決めれるのよ。もちろん家令にならない者もいるけれど」
それをね、
こうもり?と茜はまた戸惑った。
「
ああ、なんてろくでもない話なの。
女家令達がおかしそうに笑った。
あまりにも自分から遠い話ではないか。
紅茶の甘い蜂蜜の香りが口から喉へと染み込んで心臓まで到達しそうに感じる。
何がなんだか分からない。でも自分に何かが起きているという事だけはわかり胸が苦しかった。
「あなたのお父樣のおじい樣は、家令だったのだけど」
「・・・
見た事も聞いた事もない父の祖父を知っているのか。この老婦人は一体何歳なのか。
「
感じ入ったように
「ストイックなタイプが未亡人と駆け落ちする?」
「お黙り、
見慣れない赤と白のケーキ。
「ポン=ヌフというお菓子よ。新しい橋って意味の。これねえ、おいしいのよ。おすすめ。まあ、とにかく。・・・ええと・・・なんだったかしら・・・」
おかまいなしにマイペースで優雅な様子で焼菓子をつまんでしばらく考え込んでいた。
なんだっけ、と小さく呟く。
この人はこの人で大丈夫なんだろうかと
「あ、そうそう。そうなの。もし、貴女がよければ。そう、よければなんだけれど。家令になってもらえないかなあと思ったの」
はいこれ、と冊子を手渡された。
開いてみると、ひよこのキャラクターが、家令になるとこんないいことがあるよと吹き出し付きで宣伝しているパンフレットだった。
「福利厚生はバッチリよ。これもどうぞ」
エコバッグ、うちわ、反射材。シルクハットを被ったニワトリが「君の活躍まってるよ」と言っているイラストが入っている。
「お前、こんなの作ったの」
どういう仕組みなのか煽ぐとうちわが光るのに驚いて目を
「だって。ほら、秋の就職ガイダンスで説明会に来てくれた若者に配ろうと思ったの。でも誰も来ないから余ってしょうがない・・・。このエコバッグのスパンコールなんて私、夜なべでつけたんですよ」
「お前、エコバッグよ?スパンコールつけたら洗えないじゃないの」
「・・・あの、なんで、私のところに来たんですか?わざわざ探すものなんですか?」
「あのね、男家令の子供は家令にならない場合、
実の父親はあちこちに女を作り、家になど寄り付かなかった。それでも母が家計を支えていたのだが、その母がある日結婚することになったのだ。当然、再婚だと思っていたら、初婚だと言う。実の父と母は結婚していなかったのだ。
以前は母の
実父の姓など知らない。
「父は生きていた方が迷惑でしたから。死んでいる方がいいくらいです」
初対面の人間に言いすぎたかと思ったが、当の女家令達は顔を見合わせて笑ったのだ。
「あの。なんでしょうか・・・」
「家令だなあと思ったのよ。・・・でもあんたが大変だったのは事実」
「下に妹が産まれて。母も母の夫も私の扱いを持て余したのは、仕方ないと思います」
積極的にではないが、いわゆる放置に近い状態だった。
「苦労したのね・・・・」
「いえ、そんな。大変だったこともあったけれど・・・」
「大変だったのでしょ。それを苦労というのよね。気持ちがね、辛いものね」
そうか、とすとんと何故か腹に落ちた。いつも、そう、しんどかったのは、苦労していたからなのか。
「自分が大切にされなかったという体験は、とっても恥ずかしいような、腹立たしいというか、不当な気持ちよね。特に子ども時代というのは、甘やかであったと思い出せるようでなくては。・・・自分を諦めてしまうか、歪めてしまうか。でもあなたは頑張ったのね」
胸が苦しくなったけれど、自分の抱えていた正体不明の痛みを暴かれ、見出されて名前がついて、ほっとした。なぜか涙が出た。
その様子に
「ごめんなさいね。もっと早く見つけることができたらよかったのだけど。あなたの選択がどうあれ、きっと私達助けになるから。あなたのお父様だって、もっと早く見つけられたら」
「・・・変わりません。どうしようもないやつでした」
昨年死んだと聞いた。当たり前だと思う。生きていて、どこかで知らん顔で幸せになどなっていたら、私が殺しに行くところだと茜は言った。
それを聞いて女家令達が笑った。
「家令はね、何なのかしらねえ。どうしようもないひとが多いの。本当、仕事してなきゃただのろくでなしってひともいるし。家令が悪い鳥、と言うのはね、神話に出てくる悪魔の鳥の事をもじったものなの。群れでやって来ては毒を吐いたり畑を荒らしたり人を食い殺したりそれはそれはひどい事をしていたのですって。ステュムパーリデスの鳥と言うのよ」
茜は聞いたこともない呪文の様な鳥の名前にただ戸惑った。
「だからガーデンと軍隊で厳しく調教するんじゃないの。家令に適正がある男なんて社会じゃただの市井に放置された野良犬だよ。ろくなもんじゃない」
「教育でしょ。ガーデンというのは、はいこちら、パンフレット見開き中央にある、その建物ね。まあ、寮のある学校みたいなものね」
渾身の出来らしいパンフレットを示し、小綺麗な建物の写真を見せる。
「家令になるとまずここに住んで研修をするの。そこから軍に派遣されるんだけど」
ということはこの女たちも皆、軍隊に所属しているのだろうか。
「そうなの。私は海軍。
「あの、ここって、どこなんですか・・・」
何気なく地図を見て驚いた。
とんでもない田舎だ。
聞いたこともない最寄駅から一時間バスに乗って、徒歩で三時間。
全く最寄じゃない。
逃げられないようにだろうかと
「他に、誰かいるんですか」
「今はね、四人。あなたより少し年上の子達よ」
あまり聞きなれない鳥の名前を四つ教えてくれた。
衣食住、教育の保証。
加えてとんでもない額の支給金が書いてあった
。奨学金にしたって、ありえない高額だ。
戸惑う
「お前の命の身代金。家令は一騎当千だよ。一人で千人分の働きをすると言われていてね。大げさに言えば千人分の金と手間をかけるんだから千人分働けということよ。家令になるなら、それはお前のもの。いらないなら、すぐに出て行きな。こちらは今後一切、干渉しない」
老婆の強い口調に、身が
「まあ、
ねぇ孔雀、家令になると言ってくれるといいんだけど。この姉弟子は、そう先程まで言っていたのだ。
「少しでも好印象にって、カステラもっと厚く切りなさいとか、ポンヌフに乗っけるジャムは高いやつにしなさいとか、チョコレートもアイスクリームも出しなさいって言ってたのよ」
気まずそうに
「お前、空気読まないねえ・・・」
「ふふ。空気は吸って吐くものよ。・・・
幸せになって。初めて言われた。
両親に、そう望まれた事はあったと思う。
望まれただけだけれど。でも、どうやって。
どうすればいいか、その方法を教えてくれるというのか。
「んん。まあ、幸せの基準は、家令基準ではあるけどね」
「
まだ若い者に対して何と身勝手で身も蓋もない説明だろうと言った本人も思ったのだろう。
ちょっと反省しているような表情をしたのがおかしかった。
「でもこれにねえ。私はぐっときたものだから・・・」
ほらお前、適性があったのよ。
私の見る目の確かな事、と白鷹は得意気に笑った。
「さあ、どうしようね。お前を悪い鳥が
心は決まった。
孔雀がその様子を見て楽しそうに
良かったですね、お姉様。
ああ本当。安心したわ。こんな嬉しいことってないね。
「名前はどうするの。
「白鷹お姉様のトシ的にも最後の妹弟子よ。よっく考えてよね」
また
「
「あら、いいこと。小型の
「はいどうぞ、
名前を付けた者が書類を書くらしい。
こんな達筆で書かれても読めないと
いわゆる契約書よ、と
「署名をしなさい」
それを受け取ると、
印鑑になっているらしい。
「これでよし。今日がお前の家礼としての誕生日になるよ。・・・どんな時も家令である事を忘れないように。兄弟姉妹が円環状にいる事を忘れないように。最後の一滴まで血と命を燃やして生きなさい。そうすれば、必ず兄弟姉妹はお前に報いるよ」
決まり文句なのだろうか。
「さあ、あなたは今から私達の可愛い妹。どうぞそのようになりますように」
こんな風に他人に抱きしめられた事などないし、そんな習慣もない。
「ああそれとね。家令になったら何が起きたってもう思い悩まなくたっていいのよ。家令は、苦労とか不幸に執着しないで楽しく生きていけばいいんだからね。大変なことも多いのは本当だから、長続きするように嫌にならないようにね」
いい年した女が、なんという楽観的で即物的な生き方だろう、と
それから、次から次へと、他の家令へと引き合わされた。
兄弟子、姉弟子と紹介される誰もがが容色に優れ、魅力的な人物であったのには驚いた。
美形というか、皆、人目を引くというか、華があるのだ。
しばらくゆっくりすればいいのに、という
まだ新しい環境での浅い日々での感想ではあるが、家令というのは誰もがちょっと変わっているようだが、この
マイペースというか、独特な感性というか。
驚いた事に、しかも皇帝が即位していた時代、家令の長であり、皇帝を支える総家令の職にあったらしいのだ。
もっとびっくりしたのは、こっちに来て、と嬉しそうな
そこに居たのは、元皇帝という人物と、先ほどまで果樹園の草の上で遊んでいた十歳くらいの同じ顔、背丈をした双子の少女と、やっと幼児という頃合いの男の子。
「
「そりゃあ大変なプレッシャーだね、早速かわいそうに。けど決まっちゃったからには、ようこそ。さあ、楽しんで」
彼はそう優しく言うと、微笑んだ。
子供達がそわそわして見ていた。
「ママ、新しいお姉さん!?」
「すごい、ブラックなのに募集来たの!?」
「・・・募集は来なかったの。スカウトよ」
「そうよ、あなた達のお姉さんになるんだから」
女家令の子は家令と言っていた。
この子供達もいずれそうなるのかと
「家令はブラックだからね。自家生産するんだよ」
「まあ、
頬を膨らませた