第81話 罪悪感

文字数 1,813文字

【天十郎は、さっきからずっと、夏梅を抱きしめたままだ】

「ああ、緊張していることが、ばれると相手が上に立つ。夏梅の場合は、そうなったら最後、ねじ伏せられてしまう可能性がある。相手に隙をみせないように、無意識にそうやって戦っている」
「本当に笑うと、どんな感じだ?」
「笑いシワが出来る笑い?あれが素の笑い方だ。小さい頃からそうだ」
「本当か?不細工だな」
「ああ、たしかに不細工だ。僕がずっと見て来たからよくわかる。僕と子供達、天十郎にしか、あの笑顔を見せてないと思うよ。お前が夏梅にとって、特別な存在になってきている証拠さ」
「そうなのか?わかりにくい奴だな。でも、その笑いなら最初から笑ってるぜ」
「えっ」
「夏梅が取材した翌日、夏梅の家で垢落としした時、人の事ばかにして、笑ってた」

 そうだった。思い出した。夏梅は僕が隠れてしまってから、笑わずに過ごしていた。あの時、お風呂で笑ったのだ。僕はその夏梅が可愛いと思った。そうか、最初からだったのか…。そうか…。

「笑顔の人は受け入れられていると、思って来たけど、本当は警戒されていると見た方がいいのかな?」ひとり納得している。
「一般論はわからないが、夏梅の場合は、親愛≠ベビースマイル=警戒と言う数式だ。人の緊張をほぐし安心させ、トラブルにならないように相手の笑顔を引き出す。無防備なベビースマイルを見せている時は、緊張度100%で警戒態勢だと思えばいい」

「俺、夏梅がベビースマイルでいる時は、大丈夫な時だと思って、あえて放置してきたけど、違ったのか」
「夏梅の救助信号だ」
「知らなかった。蒲は知っているのか?」
「知っている」
「俺、知らない事ばかりだな。で、ずっと、俺を操っていたの?」
「天十郎、違うだろ。お前は知っているのではないか?僕に出来る精一杯の事は、夏梅にとって、一番、悲惨な人生にしないことだ」


【一番、悲惨な人生って?】

「孤独の中で、つなぐ手がない事だな」
「…」
 正直に話そうと思った。
「僕は、孤独の中で差し伸べてくれる手がどれほど、貴重か夏梅の母親に教わった。共稼ぎの両親は、夜遅く帰って、僕が家にいないと、夏梅の家に迎えに来る。そして母親の元で目覚めると、そのまま夏梅の家に行き、朝食を食べる。学校もすべて夏梅と一緒だった。夏梅とは、双子のようにして育ってきた。両親は僕を愛していたと思う。
 だけど、実際には一人で暗闇の中で、両親を待ち続ける事は出来なくて、夏梅のところで待つ事で、どれだけ救われたかわからない。親の思いと子供の思いは、いつも一緒とは限らないだろ?僕の地獄は、物心ついてから、出口のない孤独の壺に密封されていた事だった。その地獄の外から、手を差し伸べてくれるのは、夏梅と夏梅の母親だったのだ。二人とも、そんな事はなにも思っていなかったろう。しかし、僕にとってはとても重要な事だった。
 そのことによって、一人っ子の夏梅は、いつも僕らと物を分けあい、譲らされる立場になった。欲しいものを欲しいと言えなくなった。蒲にどんな仕打ちをされても、蒲が悪いと言えなくなった。一人っ子で愛されて育ったとは思うが、実際には愛は分散されていた」


【どういうことだ】

「僕が、それに気づいたのは、夏梅の両親が亡くなってからだ。両親が死んで、影も形もなくなった。夏梅は泣かなかった。ただ僕に聞いたよ。『私は塁と同じになったの?』とね」

 僕は夏梅を見ながら
「最初は夏梅の言っている意味が解らなかったが、一緒に暮らすようになって、夏梅の両親が、いつも親がいる夏梅と、僕らを比較して、『お父さんやお母さんがいない塁君や蒲君が先』と言われ、食べ物も、おもちゃも、先に僕らが選び、残り物を夏梅が受け取っていたことに気が付いた。夏梅は、何をするのにも、迷っていた。自分が先に動くべきか、それとも僕や蒲が先なのか迷う。長い間ただひたすら、僕に従っていた夏梅は人形のようになっていた。夏梅の母さんは、譲れる気持ちのある、優しい子どもになって欲しかったのかもしれないが、それは繰り返し欲しいものを、欲しいと言えない子になる暗示をかける事になった。それがわかった時に、僕がするべき事がわかったよ」

 天十郎は怪訝そうに
「そんな、小さな事で暗示にかかるかな?」
「たとえジョークでも、親の何気ない一言に子供は深く傷つく。本来は慎重に言葉を選ぶべきだと、夏梅をみていると思うよ」

「塁の夏梅への気持ちって、罪悪感か?」
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登場人物紹介

夏梅(なつめ)…フリーライター。

亜麻 天十郎(あま てんじゅうろう)…精悍な顔立ちのイケメン俳優。

真間 塁(まま るい)…夏梅の家で暮らしている僕。

蒲 征貴(かば まさたか)…夏梅の同居人。可愛い童顔に似合わない行動を起こす。

黒川 典文(くろかわ のりふみ)…だてメガネの黒川氏 夫婦で美容室を経営 僕たちのよき先輩。

黒川 日美子(くろかわ ひみこ)…黒川氏の奥さん 幼い頃から夏梅をみている。

積只 吉江(つみた だよしえ)…黒川氏の美容室スタッフ。夏梅と極端に反発しあう。

立花 孝之(たちばな たかゆき)…釣り仲間の先輩。雑誌編集長。

紅谷 和樹(べにや かずき)…メークアップアーティスト。僕らの関係に興味を持つ。

茂呂 鈴里(もろ すずり)…化粧品メーカーの社長。天十郎に固執している。

梶原 美来(かじわら みらい)…天十郎の元カノ。美術館で騒ぎを起こす。

吉岡 修史(よしおか しゅうし)…編集記者。夏梅達の関係を暴露しようとする。

亜麻 日咲(あま にこ)…20歳 別名ニコラッチ

亜麻 禾一(あま かいち)…19歳 早々に結婚して芸能界へ

亜麻 玉実(あま たまみ)…17歳 夏梅二世

亜麻 叶一(あま きょういち)…15歳 全寮制の男子校に通っている。大物

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