第10条 いばらの検察庁

文字数 1,723文字

 ときめと面会した日の翌日、白田は朝9時から地方検察庁に向かった。
 担当検察官に、ときめの10日間の勾留延長を阻止するように嘆願するためである。
 担当検事の田井中の個室をノックする前に、サッチェルバッグを握り直した。
 勾留請求阻止が通るか通らないかは、賭けに近かった。
 それでもやるしかない。
 ふぅ、と胸の中に溜まった空気を吐き出し、コンコンと扉をノックする。
「どうぞ」
 中から、野太い男性の声が聞こえると、
「失礼します」
 白田は丁寧に扉を押し開けた。
「私、サンフラワー・スロー・ドラッグ法律事務所の……」
 挨拶をして名刺を渡したにも関わらず、田井中は開口一番挨拶もなしに、
「それで、今回はどういった件で?」
 手元の資料に目を落としながらぶっきらぼうに問いかけてきた。
 無愛想というより、検事という仕事柄、かなり忙しいのだろう。
 それでも横柄には変わりないが。
「ストーカー規制法で先日逮捕された時瞬ときめの勾留請求をしないで頂きたいのです」
 サッチェルバッグの中から、勾留要件を満たさない旨の意見書と、資料を数点まとめて田井中に渡す。
「彼女は反省しておりますし、」
 実際のところ、まだときめは反省の境地には達していないが、ここではとりあえずこう言うしかない。
 白田はハンカチで、こめかみから滴る汗を拭いながら、続ける。
「私からも直接、『家の前にムカデが置いてあるとびっくりするから、いくらプレゼントでも駄目ですよ』と言い聞かせまして、それから、えぇと……」
 弁護士になって半年近く、まだ検事との会話には慣れない。
 緊張するあまり、嘘が嘘を呼んでいく。
 弁護士は灰色を黒にしてなんぼの商売に違いないが、彼女の良心は痛む。
「資料、これだけですか!?」
 人差し指で、検事が資料を弾いた。
「そうですね、今のところはまだそれだけしか集めることができなくてですね」
「え? 嘘でしょ? 被害者がいるのに、示談書も反省文もありませんよ!?」
「それは後ほど準備致しますので、まずは勾留請求だけはなんとか、」
「いやいや、身元引受書もないってことは身元引受人もおらんってことやろ?」
 呆れたときに作る薄笑いを浮かべながら検事は、白田が準備した書類をバラバラっと雑に捲っている。
「今回、時瞬が起こした事件には被害者がいることは、さすがの白田先生も知ってますわな?」
「ええ……」
「示談は? まだ済んでない? もしかして」
「昨日、当番弁護士として時瞬の元へ急いで、粗方の事情を聴取したばかりでして、まだ被害者の方へは行けていないです」
「これは、ちょっとさすがに甘くはないですか。雑すぎますよ。いくらなんでも」
 思った通りだという思い、まさかそんなという思いが両方一気に攻めてきて、疲弊感に苛まれる。
 でも、最後の悪あがきはしたい。
 いばらの王子様として。
 ときめだって今頃、警察の事情聴取に耐えている頃なのだ。
「時瞬は、両親が他界しており、天涯孤独の身です。きょうだい、その他身よりもおらず、身元を引き受ける人間が彼女の周りには一人もいないんです」
 白田の若干情熱が入った哀願に対し、検事はあくまで事務的で冷静だった。
「でしたら、身元引き受け人をなんとかして探してきてください。言っときますけど、害虫100匹を人の家の前に置く人間は、何をするかがわからない、というのがわたしの正直な感想です。こういった人間を野放しにしたままにしておくと、また新たな犯罪を引き起こすんですよ。そして新たな被害者が生まれる……ストーカー規制法が成立したのもだって、人、一人殺されたからこそ生まれた法律ってことは白田先生ならご存知のはずですが」
 おっしゃる通りですーーと返す代わりに。
 白田は。
「ではまた今日の17時までにお伺いしてもよろしいですか? 必ず揃えてこちらにお持ち致しましょう。示談書、身元引受書、反省文……」
「あぁ。よろしく頼みますよ」
 検事は、白田の言っていることを、全く真に受けていないようであったし、実際、白田が挙げた3つの書類を1日で揃えることは、現実感に乏しい無謀ともいえる計画である。
 それでも。
 検察庁を出た白田はまず、ときめが収容されている留置場へ向かうことにした。
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