第12条 接見室のときめ

文字数 2,790文字

 接見室に入って10分ほどが経った。
 衣擦れの音と足音が遠くから聞こえる。
 足音が近づくにつれ、金属がガチャガチャと擦れ合う音が徐々に近づいてくる。
 手錠。
 ときめだ。
 白田は、ノートパソコンを閉じた。
 両手を組んで、ときめが連れて来られるのを、待つ。
 ストーカー被害者の手記の表紙を裏向けて、脇に寄せる。
 これから、ときめには苦しんで貰わないといけない。
 たとえ嫌われたとしても、それでいい。
 それも、弁護士の仕事のうちのひとつだ。
 やがて、アクリル板を1枚隔てた向こう側のドアが開いた。
 刑務官に連れて来られたときめが、ぱああと笑顔に花咲かせた。
「せんせーっ!」
 にっこり。
 手錠を繋がれたまま、テーマパークの着ぐるみみたいに両手を振る。
「こんにちは」
「こんちわーっ!!」
 腰縄と手錠を解かれるやいなや、ときめは小走りで白田に近づく。
 びたーん。
 彼女の小さな両手が、アクリル板がにぶつかり、柔らかい指や手のひらが押しつぶされる。
「せんせーっ! あのね、僕、黙秘できた!!」
 ときめが黙秘できなかった場合の対処を考えていた白田は思わず叫んだ。
「ほんとですか!?」
 はぁ、はぁ、と興奮冷めやらぬときめの吐息が、アクリルガラスに丸い形の曇りを作る。
「ほんとだよ! 王子様が助けに来てくれること、知ってたから!!」
 早く頭を撫でてーーと言わんばかりの嬉しそうな声。
「すごいじゃないですか〜?」
 アクリル板がなければ、今すぐときめを抱きしめて背中を撫でてあげたいくらい、白田は感動していた。
 成人の健常者ですら貫くのが難しい黙秘を、二十歳という若さかつ自閉スペクトラム症の少女が貫いたのだ。
「えへへ〜」
 褒められる経験に、乏しいのだろうか。
 とろけそうな笑顔を浮かべながら、余韻を引きずるようにもじもじしている。
「せんせにもらった“美和ノート”に、『刑事が作成した供述調書にほんの少しでも納得がいかなかったら、ためらわず、署名・押印をきっぱりと拒否してください』って書いてあるの読んだから、今朝の取り調べでは署名・押印、拒否したよ!」
 白田は目を見開かずにはいられなかった。
「署名も拒否できたのですか!?」
「うん。僕、頑張ったよ。たぶん、人生で一番」
「素晴らしいですよ! ときめさん。でも、刑事さんに、何か脅されたり暴力振るわれたりしていませんか……!?」
「えぇっと……」
 今朝の取り調べを思い出すように虚空を見上げ、人差し指の先端をふっくらした唇に当てる。
「私は、ほとんど見えないので、例えばの話ですが、取り調べでときめさんが刑事に暴行などを加えられて、ときめさんの身体に出来た痣や、服装の乱れなどがあっても見過ごしてしまうので、こうしてお尋ねしています」
「それは、大丈夫だよ?」
 首をかしげ、ふふんと鼻を鳴らして唇の両端をぐいっと吊り上げる。
 白田は声で、彼女が無事なことを理解した。
「よかったです。安心しました」
「だけど、いろいろ誘惑されて大変だったんだよ……」
「“誘惑”ですか」
 すかさず片耳にイヤフォンを差し込み、ノートパソコンのテキストエディタの画面を開き、ブレイルセンスの6字キーに指先をセットしていつでも文字入力できる体勢を取る。
「女の刑事さんに、『黙秘するのはいいけど、勾留が伸びるよ』とか、」
「はい」
「あとは、『先生目指してるんなら、不起訴で前科なしにしたいじゃん』って女友達みたいに言ってきて、『前科つくと先生になれないって知ってた?』って訊いてきて、僕が『知らない』って言ったら、『調書にサインしないと心証が悪くなって、検察官の人があなたのことを勾留引き延ばして起訴まで持っていっちゃうけど、いいの? 裁判にかけられると、99%有罪になるよ。先生なれないよ』って言ってきたり……」
「他には?」
 ブレイルセンスを白田は操る。
 オルゴールのシリンダーが回るたびに、凸凹する櫛歯のように、32面ある6つの点字が忙しなく浮き上がり、沈む。
「……んと、これはちょっとムカついたんだけど、『調書にサインをしないと、起訴される、前科つく、』って女の刑事さんに言われたとき、僕の気持ちがグラッと傾いちゃったんだ……一瞬……ってか10秒くらいかな……でもシロタせんせのことを信じてたから、僕は最後まで、調書にサインや押印をせずに済んだ。でも取り調べの最後のとき、今度は男の刑事さんが僕の目の前に座って『弁護士の入れ知恵か? 嘘つきが仕事の弁護士が言うことをほんとに信じまうとはバカだな』って言ってきたから、僕、言い返したんだ。シロタせんせは、僕がムカデが好きだって知っても気持ち悪がらなかった唯一の人だから……それで僕、『シロタせんせは、供述を拒む権利が憲法と刑事訴訟法で決まってるって教えてくれた。せんせは僕と対等に接してくれるし、嫌なことを無理やり話させたりしないから、せんせを信じます』って言ったら、その刑事さんが離席して廊下で話してるのを聞いちゃったんだ」
「続けてくれますか?」
「はっきりとは聞こえなかったけど、『あいつ多分障害持ってるぞ』、『ガキのくせして憲法とか抜かしてやがる』って、主語ないからわかんないけど僕の悪口だって思った。けど、僕は誇らしかったよ。シロタせんせとの約束を守り抜いたから。背中も脇も汗びっしょりだったけど、やり抜いたよ、なんとか」
「よく頑張りましたね」
 アクリル板に額が近づくほど、ぐぐっと上半身を寄せたのは、ときめではなく白田だった。
 揺れる蒼い瞳の焦点は、ときめの両目をから外れ、ずれた位置を見つめているけれど白目はうっすらと充血している。
 白田は、ほとんど見えないなりに、自分を見つめてくれているーー。
 唇がガクガクと震えて、油断ひとつすれば泣いてしまう。
 僕の涙は、僕が抱く醜い“差別”から来ているーー。
 ときめは真一文字に唇を結び、上半身を少し横に曲げ、弁護人の両目を見つめてあげた。
「これで、目が合ったね」
 ときめは、あえていたずらっ子のように微笑み、
「すみません、目線がズレてました?」
 白田はいつものことなので、つられて(・・・・)微笑んだ。
「あと、他にもあるんだけど、これはシロタせんせに関わることだから……」
 もじもじしながら、ときめはなかなか先を言おうとしない。
「構わないですよ、続けてもらって」
「けど……これ言うとシロタせんせが傷つく」
 悲しそうな顔で俯く。
「遠慮なく」
 優しい声で、白田はときめを安心させるように首を傾げる。
「傷つくのも弁護士の仕事のうちのひとつですから」
「……うん」
 取り調べの刑事が、被疑者と弁護士の間の信頼関係を崩そうと、弁護士の悪口を言うことは、よくあるある話だ。
「……ときめさんが、言った訳じゃないのだから、全然平気ですよ。さぁ、教えて頂けますか?」
 ときめは観念したように頷き、ゆっくりと口を開いた。
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