第4条 village vanguard 前衛村と万引き

文字数 3,866文字

 社と出会ったのは、司法修習場ではなく、雑貨屋のビレッジヴァンガードだった。
 8月、夏のど真ん中。
 二回試験に向けての集合修習が行われていた。
 縦縞と社は同じ班だったが、刑事裁判についてみっちり叩き込まれていたため、お互い名前は知っていたが、話したことといえば挨拶ぐらいだ。
 とにかく、縦縞と社は“知り合い以下の関係”だった。
 修習が休みのある日、縦縞は髪を切りに行った帰りにショッピングモールに寄った。
 行きつけのアクセサリーショップに立ち寄った帰り、ビビッドなお店が目に入った。
 ビレッジヴァンガード。
 ゴテゴテに装飾された森。
 頭の悪そうな子が通う悪趣味な店ーー。
 アメリカのお菓子みたいな高カロリーな店に用はないし、興味もないから通り過ぎようとした時ーー。
 顔見知りがいた。
 入り口近くで、靴下らしきものを手に取る、同期。
 判事候補の優等生。
 判事候補の遊び人。
 (やしろ) 丘瑠実(くるみ)
 腰まで届く黒のポニーテールを、レモン色のシュシュでまとめている。
 深い青色のダボダボTシャツに、紐が解けたカーゴパンツ、ビーチサンダル。
 当時の縦縞にとって最も関わりたくない同期は社だった。
 レズビアンで女を取っ替え引っ替えし、実際に社の部屋を何人もの女が出入りする場面を何度も目撃してる。
 それなのに成績優秀で、悪ノリした判事に法服を着せられるくらい、判事や検事に気に入られている。
 気がついたら歯軋りしている自分がいた。
 しかしこの場を立ち去ろうとは思わなかった。
 同期は奥の方へ消えていく。
 あのような“成り”と噂で、自分と同じ成績を維持するだらしない同級生の生態とやらを覗いてみたくなった。
 これを“興味”と形容すべきだろうか。
 “見下し”と“憧れ”、アンビバレントな感情は、紙一重だと司法試験に受かってから気づく。
 はじめて入るビレッジヴァンガードは、アリスが迷い込んだ不思議の国のようで、居心地はよくないが、帰る気にはならなかった。
 迷い込んだ森の中で、同期を探した。
 途中、床のコードにヒールを絡め取られそうになる。
 同期は、カラフルなキャンディ売り場にいた。
 声をかけるつもりはないが軽く偵察気分で近づくと、社の左隣には壁の影に隠れて見当たらなかった清楚な身なりの女子高生がいた。
 まさか司法修習生の身で、未成年の女子にも手を出してーー!?
「……正直に言いなよ?」
 同期のハスキーヴォイスが聴こえるギリギリの位置ーーおすすめ漫画のコーナーーーに縦縞は身を隠した。
「やってません」
 女子高生の震えた声。
 何かあったのだろうか。
「その鞄なか入ってるでしょ。お姉さん見ちゃったんだ」
 あ、と開きかけた口を縦縞は閉じる。
 万引きーー。
「……どうせ警察に突き出すんでしょ」
「ううん。そんな野暮なことはしないよ」
「嫌だ、学校より親にバレたら殺される」
「何か事情があるみたいだね。でもこうしてぼやぼやしてると本物の店員さん来ちゃうから、今のうちに戻しちゃえ」
 耳を疑った。
 そこは私人逮捕じゃないのか。
 法曹志望なのに窃盗罪をはたらく少女を叱りもせず擁護するとはーー!?
「親にバレたら殺されるってか殺された方がマシなの」
「オーライ。そこは後で話聞くからさ。万が一店員さん来たらうまくごまかすからそこは、安心して」
 少女は頷き、学生鞄のファスナーを素直に開ける。
 そして、震える手で“盗品”を、取り出す。
「おぉ〜。けっこう出てくるね。常習犯?」
 唖然とした。
 この世にほんとうに万引きする人間がいるとは。
 少女は首を左右に振る。
「はじめて」
「ほほう」
 いやいや納得している場合ではないのでは。
「じゃあとりあえず、商品選んでるふりして戻しちゃおっか」
 同期は“盗品”を半分ほど両手に持つ。
 靴下、お菓子、ハンカチ、キャラクターもののグッズ……。
「きみは、画集を戻しておいで」
 同期は、このままでは窃盗教唆スレスレになる。
 店の外ではないので、占有外をまだ外れていないという苦し紛れの言い訳をすることはできる。
 だが、一般常識として、買い物で商品を自分のバッグに入れる人間はいない。
 そんな一般常識を無視して大量の商品を私物のバッグに入れるということは、不法領得の意思が成立するのではないか。
 検察官志望の縦縞は、どうしても犯罪者を弾劾する側に立って考えてしまうくせがある。
「よしよし、えらいね」
 判事候補の同期が少女の頭を撫でている。
 少女はばつが悪そうに目を伏せている。
 変な光景だ。
 ここはやっぱり、不思議の国だ。
「汗びっしょりだったでしょ。わたしの服装、ここの店員さんみたいだしね」
「はい」
「まあでも、今回のでやめときなよ? これは、きみのため。ついついうっかり魔が刺したって言い訳は、法律の前では通用しないからさ」
「はい」
「ずいぶん素直だけど、ほんとうにわかってない感じがするな」
「……」
 同期は少女を責めているわけではないようだった。なかなか目を合わせない少女のことをどこか心配しているようだ。
 確かに彼女なら“また”やりかねない。
「きみはお返事できるとってもいい子なんだけどさ。とっても早いのよ」
「……何がですか」
「レスポンス。わたしが何か言うと間髪入れずに『はい』が返ってくるから、なんだかサイボーグみたいだなって」
「何かお探しですか?」
 社のファッションと同等の奇抜さを誇る本物の店員さんに話しかけられて、慌てて影に引っ込む。
「いえ……す、素敵なお店だなって」
 咄嗟のことで、心にもないことが口から出る。
「ああ。ありがとうございます」
 よかったら、あちらのコーナーも見ていってくださいと新しくできたコーナーを勧める店員さんに軽く会釈したした縦縞はほっと胸を撫で下ろした。
 そしてその後も成り行きを見守った。
 社は少女に何か耳うちしながら、左手の上にボールペンを走らせ、それを少女に見せていた。
 女子高生は、頷きながらスマホをタップしていた。
 短い間だったので、おそらく連絡先の交換だ。
 縦縞のなかで、なにかモヤっとくるものがあった。
 そして、ビレッジヴァンガードで靴下を数足買ってでていく同期を呼び止めた。
「社さん?」
 ギクシャクした動きで振り返った同期は、切れ長の目を丸く見開いている。
 若い頃の宇多田ヒカルのような太眉。
 眉目秀麗。
 やっぱり社だった。
「あ。ひまわりちゃん」
 司法修習中、目が合ったら挨拶するくらいの仲なのに、下の名前で呼ぶ神経の図太さに縦縞は呆れるばかりだった。
「……さっき、見ちゃったんだけど」
「え?」
「万引き、でしょ? あれ」
 はたから見れば、まるで社が万引きしたかのような言い方なので慌てて訂正する。
「あの娘、万引きしてたでしょ?」
「シーッ」
 社は、血色の良い唇に人差し指をあてた。
「黙っておいてあげてくれる? 前歴とはいえ、1回ついたらずっとその情報は記録されるし、冤罪か何かで裁判かけられたときに“窃盗”の前歴があるとその子の心象が悪くなって発言の信憑性が低くなったりするだろうからさ」
「どうしてそこまでして庇うの?」
「いま説明したばかりだけど?」
「そうじゃなくって。私たち、修習生でしょう? 犯罪は犯罪として捉えなきゃいけないんじゃないの?」
「ん〜。かもね」
「失礼を承知で言わせてもらうわ。社さん、あなた、これから法律家になる自覚はある?」
「わたしはわたしなりの正義を下しただけだよ?」
 はぁ、と縦縞はため息をついた。
 この同期とは、根本的に気が合わない。
 だが、そのまま急に別れるのも気まずいので並んで歩く。
「その髪、ポール・マッカートニーみたいだね」
「悪い? ビートルズが好きなの」
「へぇ。ちょっと意外」
「判事候補が万引き少女を庇うのも意外だけど?」
 縦縞はほんの少しの嫉妬心から唇を尖らせた。
「犯罪者を法廷に引き摺り出して、罰を与えて『はい、終わり』だと可哀想でしょう」
 可哀想。
 だったら。
「被害者の方が、もっと可哀想じゃない! 私は、検事になって極悪犯罪者を死地に送ってやるわ! 更生は成仏してからやりなさい! と言いたいところよ」
「犯罪者は可哀想だと思うよ。人生の歯車がほんの少し噛み合わなかっただけで国からも一般人からも制裁を喰らう。場合によっては死も伴う。地獄だと思わない?」
 駄目だ。
 まるで会話が噛み合わない。
「保護司にでもなったら?」
「保護司は定年後の趣味って認識だけど。無給だし」
「ただの皮肉よ」
 ふと、社が立ち止まった。
 スターバックスのお姉さんが、店の前のブラックボードの傍で新作のフラペチーノを宣伝している。
「わたしたち、気が合うね。ショッピングモールの端から端まで歩きながら話してる。ここらへんでお茶しない?」
 結局、縦縞はお茶の誘いを受け入れた。
 その日を境に、ふたりは挨拶以上の会話をするようになった。
ーー起案、どんな感じ?
ーーまぁこんな感じかな。
 話す回数が増えるにつれ、会う時間も長くなった。寮内でお互い、今日一日の修習の復習をし合ったり、サシ呑みしに行ったり。
 彼女とは、沢山のところへ遊びに行った。
 学生時代の修学旅行よりかは、ずっと楽しかった。
 社は、“気を抜く”ことを教えてくれた。
「よっぽど厳しく育てられたんだね。それともわたしがルーズなだけかな」
「どっちもよ」
 こんなやり取りをしているうちに、いつしかお互いの部屋を行き来する仲になっていた。
 そしてある夜、一線を越えた。
 その後、ふたりの仲はより深いものへ、発展するはずだったーー。
 だが……。
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