第9条 接見② 百の〇〇 続き

文字数 4,947文字

「僕、早くここから出たい。早く白田せんせと触れ合いたい」
 白田の憂慮などつゆ知らず、ときめは相変わらずマイペースだ。
 自分語りをしたがる被疑者からペースを取り戻す方法。
 それは、被疑者の心情に寄り添うことだ。
「ときめさん、いきなりお家に警察官が沢山やってきてびっくりしたでしょう?」
「うん! びっくりした! 僕、ストーカーなんだって!」
 ときめは、身を乗り出し、泣きそうな顔で縋り付くように白田を見つめる。この様子だと、自分がストーカーの加害者だという認識はまるでないらしい。
「そのまま警察署まで連れて行かれて、長い長い取り調べを受けさせられて、留置場に閉じ込められ、さぞ怖かったでしょう?」
「うん。まだパニくってるよ。でも白田せんせのお陰で大分落ち着いてきたけどね〜!」
 ほぅ、と白田はため息をついた。
「それは良かったです。さて、そろそろ事件の経緯について、ときめさんの口からお話が聞きたいです」
「僕が逮捕された理由だけど、僕の大切なお友達の家にムカデを置いたの。そしたら、1ヶ月後くらいに警察が朝の7時頃僕ん家にやってきて……とこんな感じだよ」
 はぁー。
 盛大なため息が、輪ゴムのようにだらしなく開いたときめの口から漏れる。
 そして彼女は、触覚風の三つ編みを弄り出す。
 その姿は、「僕、何か悪いことしちゃったかな」とでも言いたげである。
「大切なお友達のお家の中にムカデを置いたのですか?」
「ううん。玄関の外」
 白田は内心、静かに胸を撫で下ろした。
 もし家の中ムカデを置いたとしたら、ときめがいう“大切なお友達”が不在の場合、住居不法侵入罪が成立していた恐れがあり、罪に罪を重ねる結果になっていたかもしれない。
 弁護士は、基本的には被疑者の供述調書や証拠品を見ることができないので、接見での被疑者との会話で独自に事件の全貌を明らかにしていかなければならない。
 ひとつの罪でも聴き逃してしまえば、裁判での尋問の際、非常に不利になる。
「玄関の外とは、お家のドアの外側、ということですか?」
「うん。そう。さすがは僕の白田せんせ」
 白田はブレイルセンスの上で、指を踊らせた。
 ムカデを家に置く。
 大切な友達の家に。
 どうして。
「……どうして、ムカデを置いたのですか?」
「せんせは、僕の行為を軽蔑してないの……?」
「むしろどうして『軽蔑』に至るのでしょうか?」
 ふふ……
 白田がそっと静かに溢す笑み。
 弁護士としての演技か、そうでないかは、ときめには判りかねた。
 ただ、ときめは、身体中が弛緩する感覚を覚えた。
 骨抜きにされるーーとはこういうことか?
「弁護士の性で、ただ単に気になるだけですよ。何か理由があったのでしょうか?」
 意中の異性に話しかけられた乙女のような笑み。
 いまのときめは、そんな感じで照れている。
 そして、友愛的な眼差しを弁護人に送る。
「僕はね、ムカデが好きなんだ」
 ギィ。
 ときめが俯き、両足を揺らす。
 俯いたときめは、まぶたを伏せ、白田と目を合わせられないように見える。
「引いたよね……。でも、嘘はついてないし、ふざけてもない」
「でも噛まれると痛いでしょう?」
「ふぇ!?」
 ドン引きとは正反対の反応を見せる弁護人に、ときめは驚愕する。
 被疑者との信頼関係は、いい感じに構築されている。
 白田は、にっーーと微笑んだ。
「……小さな頃、夏に、祖父母の家に遊びに行った際、ムカデに刺されたことがあります。激痛が走ったので、ふくらはぎが攣ったのかなと思ったら、黒〜いS字が流麗に私の太ももの上をものすごい速さで駆け抜けていって……という思い出があります」
「せんせが刺されたの、夜中でしょ??」
「はい。丑三つ時でした」
「ムカデは夜行性だからね〜! どれくらいの大きさだったの、ロリ白田せんせを刺したムカデ」
「テレビのリモコンくらいの長さはありました」
「あははっ! それは僕が飼ってるカエサルと同じくらいだね! きっと!」
「カエサルというのですか? ときめさんの“愛ムカデ”は」
「そう! 僕の愛ムカデ! 僕が飼ってるムカデのなかで一番大きいの!!」
 両手で拳を握り締め、鼻息を荒くする。
 やっとわかってくれる人が現れたーー! 
 そんな喜びに満ち溢れている。
「そのカエサルを、ときめさんの大切なお友達のお家に置いたのですか?」
「ううん。カエサルは僕の大切な子。僕が高橋真由美ちゃんのアパートの部屋の前に置いたのは、カエサルとアルテーミスの間にできた子どもたちだよ」
「ということは、1匹ではなく、複数?」
「うん。100匹近く生まれたから、真由美ちゃんに見せてあげたくて」
「……100匹……ですか」
 なぜだ。
 眉間を指で摘んだ白田は、パイプ椅子に力無くもたれかかった。
 ムカデといえば、ふつうは、1匹じゃないのか。
 さすがに背筋がぞわぞわするものがある。
「私は、てっきり1匹だけを、虫カゴの中に入れた状態で置いたのかと思っていたのですが……」
「クッキーとか入れる箱に入れたよ」
「箱!?」
 今度は白田が身を乗り出す番だった。
「……それは、どういった箱ですか?」
「百均に売ってる手作りお菓子をプレゼントする用の箱。その箱に、子どもたちが出ないように小さな空気穴を開けて、ピンク色のふわふわの綿菓子みたいな袋に入れて赤いリボンでラッピングして、真由美ちゃんのアパートの部屋の前に置いたの」
 白田は、耳を疑わざるを得なかった。
「……いま言ったことで、本当に間違いないですか?」
 一般常識的に考えれば、ときめの行動は立派な“嫌がらせ”だ。
 害虫であるムカデが好きな人間など、この世に『いない』。
 このアクリルガラスを隔てた目の前の美少女を除いては。
「供述調書を取られている時、刑事さんにそう言わされたとかではなく?」
 ううん。
 ときめは頭を横に振る。
「僕、嘘ついてもすぐ見破られるんだ。だから嘘はつかないって決めてる」
 ときめは、真由美に対してした行動を、あっさりと肯定した。
「……どうして、そういうことをしたのですか?」
「真由美ちゃん、いつ頃からか、だんだん僕に素っ気なくなっていって挨拶も無視されるようになって……そんなのあんまりだから……僕と初めて出会ったときのこと、思い出して欲しくって……」
 被害者とときめにとっての初めての思い出が、ムカデ。
 …………一体、どういうことだ。
「真由美さんとは、元々どこで知り合ったのでしょう?」
「大学のキャンパスだよ」
「ほほう……ときめさんは大学生なのですね。学科は何になるんでしょう?」
「社会福祉学科だよ。真由美ちゃんと一緒。真由美ちゃんは社会福祉士目指してて、僕は特別支援学校の先生になりたいの」
「先生ですか!? それは素敵ですね!」
 ぱあっと白田は顔面に花を咲かせる。
 同じ障害者として、同志を応援したい気持ちが溢れる。
「……でも僕、親友にシカトされてムカデをプレゼントして逮捕されちゃうような痛い子だよ?」
「それと先生になりたい目標とは直接関係ありませんよ! 頑張りましょう?」
「お世辞がうまいね、せんせは」
「ときめさんが素敵な先生になれるように、私も尽力しますからね。……では、真由美さんとの馴れ初めについてもう少し詳しく教えてくれませんか?」
「……うん。真由美ちゃんとは社会保障論の講義の時に出会ったの。たまたま僕の隣に真由美ちゃんが座って、真由美ちゃんが僕の髪を『綺麗だね』『おしゃれだね』って言ってくれて、この触覚についても『なんだか触覚みたい!』って言われて『ムカデの触覚だよ』って僕が言ったら、真由美ちゃん、目を丸くして唇をすぼめて、『ムカデぇ〜斬新だねぇ?』って言ってくれて、こんな僕なんかに興味を抱いてくれてるようだった」
「そこから、真由美さんとの交流が始まったのですね」
「うん……もう終わりだけどね」
 僕、捕まっちゃったしーー。
 独り言よりも小さな声で、ときめがぼそっとつぶやく。
「ときめさんなりに、どうして真由美さんが離れていったのか、何かきっかけや心当たりはありますか?」
 ふるふるっとときめは左右に首を振った。
 触覚がぎこちなく揺れた。
 彼女は退屈そうに俯いている。
「わかんない」
「……ふむ。……わかりました。今日は、そろそろこの辺で切り上げましょう」
「え? もう終わりでいいの?」
「供述調書を取られてかなり疲れているでしょう? でも最後にこれだけ説明させてくださいね……」
 白田は、黙秘権について説明をした。
「言いたくないことは、たとえ警察官や刑事さんにも言わなくていいのですよ。憲法や、刑事訴訟法の第311条で決まっています。どんなに偉い人でも法律には逆らえないのですよ」
「うん。わかった」
 このままでは、今後の取り調べでも『正直に』なんでも話してしまうどころか、刑事たちの誘導尋問にも気づかず『はい』と答えてしまうだろう。
 白田が来るまでの間もきっと、そうだったはずだろうが、もう済んでしまったことは仕方があるまい。
 これ以上マイナスにならないように努めるのが、いまできる最善策なのだ。
「ときめさんに後でお渡ししたいものがありまして」
 白田はサッチェルバッグの中から、薄い冊子を取り出した。
 そしてときめに向かって表紙を見せる。
「これは、“被疑者ノート”といって、取り調べの記録をするノートです」
「僕が書くの? それ」
「ええ。ときめさんに、書けるところだけで結構ですので空欄を埋めて欲しいのです。とりわけ重要なのは、取り調べで少しでも事実と違うなと思ったことはどんな些細なことでもメモしてください。あとは、刑事さんの態度が高圧的でも優しくても該当する箇所にチェックを入れて、できれば詳しく刑事さんの言ったことを覚えてる限りでいいので記入してくれますか?」
「わかった。書ける範囲で頑張って書くよ」
「よろしくお願いします。……ときめさんは、“いばら姫”のお話を知っていますか?」
「んん? おとぎばなしの?」
「ええ。魔女の呪いで糸車の針で指を刺した16歳の王女さまが、100年間、ずっといばらに取り囲まれたお城の中で眠りにつくのです」
「聞いたことあるよ、僕。最後は王子様にキスされて目が覚めるんでしょ?」
「世界中の国々から王子様が、いばらのお城の王女さまに会いに行くのですが、皆、いばらに巻きつけられて棘に刺されて大怪我をし、王女さまには会えないのですが、たった一人の運命の王子様だけがサーベルでいばらを全部刈り取ってしまって、王女さまに……と、ここからはときめさんが言った通りですね」
「いばら姫が、どうかしたの?」
「私のことを、たった一人の運命の王子様だと思ってください」
「ふぇ!?!?」
 身体中の血液が頬に集約しているのではないかというくらい、ときめは赤面している。
「私以外は、すべて皆、棘だらけのいばらです。刑事さんも検察の人も」
「ってことは、白田せんせはッ、ぼ、ぼ、僕にっ、ふぅーーっ、はぁーーっ、」
「してもいいですよ」
「えぇぇぇぇぇぇーーーーーー!?」
 ときめの嬌声が、接見室を駆け抜けていく。
「……ってことは、僕、白田せんせに、き、キ、」
 シーッ。
 白田は人差し指を唇の真ん中に当てる。
 するとときめは、連動するように唇を真一文字に結んで、お口にチャックする。
「私だけを信じて黙秘権を、貫けますか?」
「頑張る……!! 白田せんせと……できるならっ」
 喜色満面。有頂天外。恍惚。
 ときめの魂はいま、天上へと旅立ってしまっている。
「もし、万が一黙秘に失敗しても、怒りませんから。そこは、安心してくださいね」
 気づけばもう19時だ。
 今日中に片付けておいた方がベターな事務仕事がまだ沢山あるため、ここいらでお暇しなければならない。
 ブレイルセンスや六法、訟廷日誌をサッチェルバッグに仕舞い、背中に背負う。「待って、まだっ、行かないで」
「そろそろ私も、事務所に戻って他の仕事をしないと」
「白田せんせっ、もう1個お願いしていい?」
「はい。どういったことですか?」
「ここ出たらさ、その真っ白できれいな髪、触らせてくんない?」
 接見室のドアノブを掴んで退出しかけた白田は振り向き、微笑んだ。
「だったら、取り調べで負けないように頑張って」
 
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