ときめの回想

文字数 2,325文字

 僕と真由美が初めて会ったのは、大学のキャンパスだった。
 特別支援学校の教員を目指す僕は、社会福祉学科に在籍していて、その日はちょうど社会福祉論の講義を取っていた。
 その時は教員を目指す気満々でいたから、大学に入ってそうそうぼっちになってしまったことや、髪型のことで男に軽くなじられても特に気にはしなかった。
 ぼっちでも、ムカデが好きでも、先生にはなれるからだ。
 講義が始まる5分前、僕の隣に、オンナが座った。
 それはとて珍しいことだった。
 ちらっと横目で見ると、僕の真隣に近い位置に座っている彼女は、“意図して”僕の隣に座ったようだった。
 どうしてインキャで変わり者の僕なんかの隣に?
 友達はおろか、挨拶すらしたことがなかったのに。
「こんにちは」
 僕の右隣の席を選んだ彼女は、にっこり微笑んだ。
 明るいチョコレート色の艶のある髪が、胸元でクロワッサンのように巻かれている。
「美味しそうな髪型だね」
 仮に僕が陽キャだったら、こう返しているところだろう。
 しかし僕は生憎ーー。
「……こにちは」
 コミュ障から来る極度の緊張と、オンナ耐性のなさから、片言で挨拶を返すのが精一杯だった。
「綺麗な朱色の髪だね! お洒落!」
 クロワッサンの女の子は僕に、アイドルみたく微笑みかける。
「ははぁ……どうも」
 髪を揶揄されることはあっても褒められたことはなかったから僕は最初、この隣に座った女の子が宗教勧誘のメンバーか何かだと疑わざるを得なかった。
「二つの三つ編み、まるで触覚みたいっ」
 隣席の女が、両手でウサギの耳を形作るみたいに、ぴょこぴょこさせた。
「ムカデの触覚だよ」
 僕は触覚に話題に触れてくれたことに少し気をよくした。
「ムカデぇ〜!? 斬新だねぇ」
 意外や意外、“ムカデ”という単語を聞いても彼女は、一切ドン引きすることがなく、それどころか“ムカデ”の3文字を反芻するではないか。

 その日から、僕らの交流は始まった。

 まずその日のお昼に、その女の子ーー高橋真由美ちゃんーーからお誘いがあった。
「サンドイッチ作り過ぎたの。一緒に食べない?」
 彼女は、バスケットに大量に詰め込んだ色とりどりのサンドイッチを僕に分けてくれるという。
 真由美ちゃんは、ハムとツナときゅうりと炙りサーモンが、オリーブオイルフレンチドレッシングで味付けされたサンドイッチをぱくっと咥えて、美味しそうに食べた。
 咀嚼し終えたあと、真由美ちゃんは空を仰ぎながら、カミングアウトした。
「今日作ってきたサンドイッチ、ホントはカレシと食べようと思ってたんだけど、今朝、違う女とキスしてんの見ちゃったからさぁ〜!」
 その後、目尻を拭いながら、プルプルの紅い唇にサンドイッチを、詰め込んでいく。
 僕は、かける言葉がわからなかったが、じっと黙っているだけでは、友達が浮気されて悲しんでいるのに何とも思わない冷たいヤツだと思われてしまうのをどうしても避けたかったので。
「浮気、されたってこと?」
「そうそう! そういうこと!」
 空気の読めない僕の返事に、彼女は笑って返してくれた。
「ときめちゃんって、なんだか面白いね。あたしの友達みたいに仮面を被っていないっていうか、素のままっていうか」
 僕は、はじめてパパとママ以外の他人から受容された感覚に身を包まれた。
 隣に座って一緒にサンドイッチ食べるこの女の子が、今度こそ僕の人生で“お友達”になるのだ。
 そんな根拠のない確信を抱いた。
「ときめちゃんは、どうして、特支の教員志望なの?」
 サンドイッチをお互い、お腹一杯食べた後、彼女はバスケットを閉じながら僕に尋ねる。
「僕と同じ、世間から弾かれてしまってる子たちに寄り添って、きちんと愛情を持って接して、社会に出ても困難に打ち勝てるように育ててあげたいから」
 確固たる、僕が教員を目指す理由だ。
 真由美は、感動して、
「わぁ。すごい。素敵〜!!」
 妖精の粉のようにキラキラ光るアイシャドウを塗った瞼を大きく見開き、カラーコンタクトレンズを入れたヘーゼルの瞳を震わせ、僕を女神様でも崇めるような眼差しと表情で見つめた。
「言っちゃ悪いけど、見た目に反して、ときめちゃんってすごくしっかりした考えを持ってるんだね!」
「う〜ん。そうかなぁ?」
「給料良さそうだから、とか、公務員だし安定してるから、とか、特支だとみんな障害児だからかわいいだろうとか、そんな理由でなりたがる人もいるからさ……あたしの友達でもいるよ」
「まぁ、目指す理由は人それぞれじゃないかな?」
 とはいえど、僕は、真由美が挙げていった特支志望の奴らの動機には心底呆れるモノがあったし、そんな奴らが教採に受かると思うとゾッとした。
「ときめには、あたしの“本当の友達”になってもらおうかな……?」
 自販機で買った髪パックのオレンジジュースをちゅーと吸い上げながら僕を横目で伺い見る。
「僕でよければ……断る理由はないけれど」
 卑屈を極めた僕の返答に、真由美はにっこりと笑う。
 僕と友達になることがそんなに喜びをもたらすことなのか。
 僕は今まで、たくさんの人間に忌避されてーー。
「じゃあ、せっかく友達になったんだし、気楽に話しかけてきなよ。じゃあね!」
 真由美は、笑顔や身振りを含め、女子大生そのものなルックスをしていて、僕は眩しくて仕方なかった。
 そして僕は、真由美と別れたあと、自販機でオレンジジュースを買った。
 真由美が飲んでいたのと同じ……僕は真由美の味わった味を追体験したかった。
 そして、RPGのパーティメンバーに仲間が加わるようなワクワク感とともに、真由美という“親友”を僕の人生の一部に組み込んだ。
 このときは、なんのこともなく、歯車は動いてくれた。


ワンクリックで応援できます。
(ログインが必要です)

登場人物紹介

登場人物はありません

ビューワー設定

文字サイズ
  • 特大
背景色
  • 生成り
  • 水色
フォント
  • 明朝
  • ゴシック
組み方向
  • 横組み
  • 縦組み