第7条 接見① 僕とツーショットを

文字数 5,000文字

 白田恋似(しろたれに)は、警察署まで急いでいる。
 くたびれたパンツスーツ。
 襟に光るは、弁護士バッジ。
 右手には白杖を。
 地面から15センチほど宙に浮かし。
 

極度にピンボケした街の中、まばらに散る人々をぶつからずに避けるためには、早足を諦めるしかない。
 しかし、心は焦る。
 当番弁護士として、一刻も早く留置場にいる被疑者に会いたかった。
 都市部に隣接する大きな街なので、歩道は広く整備されている。
 しかし、職業柄、休むことが許されないので万一の事故防止のため、誤って車道に踏み出さないように歩道を歩くとき彼女は、点字ブロックの際沿って歩くようにしている。
 目立つ黄色は、霞に包まれた視界の中でもよく視える。
ガシャンーーッ。
「いっっったっ!?」
 膝と脛に鋭い痛みが走り、白田は悶えた。
 線状ブロックの上に違法駐輪された自転車に脚を思い切りぶつけた。
 じんじんと痛む脛をさすり、痛みが許容できる範囲にまで落ち着いたら、再び歩き出す。
 横断歩道に差し掛かる。
 白田は白杖の持ち方を変えた。
 杖の石突(いしづき)を地面に擦りつけるようにして歩く。
 人混みのなかで、まばらな数の人が白田を一瞥していく。
「なぜ白杖を持っているのに、引きずるだけで使わないのだ」と。
 彼らは疑問を抱いているのだろう。
 横断歩道を渡った先には警察署がそびえ建っている。
 青色の車がちょうど出ていくところを、白田の紺碧の瞳が捉えた。
 護送車だ。
「なぜ、捕まることをわかっていながら、悪さするのだろう」
 世間一般の人々は被疑者や被告に対して軽蔑混じりの疑問をぶつける。
 白田が今まで担当してきた被疑者、被告人たちは凶悪でも極悪でもなく皆、普通の人間であった。
「あんなことがなければ」
 被疑者、被告人たちは同じことを口にする。
「あんなことがなければ、こんなことはしなかった」
 それは交通事故の被害者も同じである。
 私たちは加害者でも被害者でもない。
 それは、いつでも両方になり得るということでもある。
 いまあるこの世界が絶対だと皆、思い込んでしまっているが、ニュースで実名報道されている被疑者が、明日の自分だなんて、誰も思わない。
 世界は、「結果」を重要視する。
 それは、弁護士の世界も同じだ。
 被疑者は、警察署に勾留されてまだ1日目だという。
 否。
 もう既に1日目である。
 急がなくては。
 警察をはじめとする捜査機関は、違法な捜査をいとわないのが現実だ。
 被疑者の自白を捻じ曲げた供述調書が作られてからではもう遅く、供述調書はずっと不利な証拠として被疑者にまとわりつく。
 そうなると最悪、検察官送りになったあと起訴される可能性が出てくる。
 起訴されればほぼ有罪になるのは間違いなく、前科がつく。
 そうなると、あらゆる面で不利益を被ることになる。
 白田弁護士は、まだ齢20(よわいはたち)の被疑者の身と未来を案じていた。
 
 とにかく、早いほうがいい。

「何もなかったこと」にするにはーー。





 強い西日の差し込む、警察署の接見室。
「はじめまして。私、サンフラワー・スロー・ドラッグ法律事務所から参りました、弁護士の白田です。どうぞよろしくお願いします」
 強化アクリルガラスに接するくらいの近さで名刺を見せるようにして、被疑者(依頼人)に向かって頭を下げる。伸ばしっぱなしの長いサイドヘアがのれんのように垂れ落ちた。司法試験に受かった直後は、頭を下げやすいようにベリーショートにしていた白田だったが、いつのまにか背中まで髪が伸びてしまった。
「きみかい? 僕の弁護士さんって」
 強化アクリルガラスの向こうで、虫の触覚に見せかけた三つ編みを頭頂部で二点縛っている少女が二カッと笑って、小首を傾げると、触覚がぶらんと揺れる。
 朝イチ、いきなり逮捕状を突きつけられ、着の身着のまま連行され、留置場にぶち込まれた少女はすっぴんで間違いなかった。
 それなのに、彼女はとてもかわいいのだ。
 くりくりと大きい瞳は真っ黒で吸い込まれそうな目力がある。
 しゅっと通った鼻筋に小さな鼻は、顔の整ったアイドルのそれのよう。
 血色のいい唇は、ぷっくりと膨らんで花のつぼみのように可憐だ。
 いわゆるチャイボーグ風メイクや、唇や目元に媚態を浮かべてネットにアップする世間の女よりも、被疑者ーー時瞬(ときかけ)ときめーーの方が、何十倍と美少女である。
 白田には、彼女の鳶色の髪色と肌色がぼんやりとし認識できないが。
「シロタせんせはァ〜、執事のコスプレがすこぶる似合いそうな中性的な美人さんだな。特に眼鏡がいい味出してるよ。そんな弁護士サンが僕の担当だなんて、僕は非常にラッキーだ。よろしくネ」
 この子は、アニメもしくは漫画の世界の住人だ。
 本来の被疑者の反応とは、程遠い剥離がある。
 永遠にハマらないパズルのように、この世界という額縁に収まらない運命を彼女は背負っている。
 ただ、基本的に被疑者は法に触れているだけあって世の中から弾かれた変わり者であることは確かだ。
 弁護士になってから、数々のそういう人間たちと向き合ってきた白田は、ある程度、耐性がついていた。
「こちらこそ、よろしくお願いします。ときめさん」
 だからこそ白田は、比較的落ち着いて対応ができた。
「お姉さんってもしかして、アルビノってやつ!? 髪の毛も肌もまつ毛も眉毛もめちゃくちゃ白いね! いいなぁ〜」
 ゆらゆらと前後に、ときめが身体を揺らしている。
 ギシギシとパイプ椅子が軋む音が、繰り返される。
 弱視とはいえ、アクリルガラスの向こうから、ものすごい視線の圧力を感じる。
 白くていいな。きれい。羨ましい。
 思春期の頃から、何度も言われてきたセリフだ。
 小さい頃は、「まっしろ。へんなの」だったが。
 白田は、こういった褒め言葉ーー悪意であれ善意であれーーは、さりげなくスルーするようにしている。
 いちいち反応しても、アルビノというのはれっきとした病気なので、治らぬ病から日常会話に進むことなど、あり得ないからだ。
時瞬(トキカケ)ときめさん。いきなりですが、失礼を承知で頼み事がありまして……」
「うん、なになに? ってか、お姉さん、アルビノでしょ!?」
 ときめが腰を浮かせ、前のめりになる。
 ひらりと翻る赤マントに興奮した闘牛の牛のごとく荒い鼻息の音が、通気孔を通して漏れるのを白田は感じた。
 彼女、悪気はないのだ。
 ただただ、純粋。
 それだけ。
 仕方ない。
 アルビノというもの珍しい概念に魅せられ、白田に突進する勢いのときめから、白田はマントをひらりと翻す。
「ええ。そうなのですよ。ときめさんには、アルビノが美しく見えるのですね」
「だってエルフみたいじゃん! この世の人間とは思えない神々しさ……!」
 なるほど。
 実在しない妖精扱いされたのは初めてである。
 白田はブレイルセンスの6字キーをカタカタと打った。
 被疑者に関して気づいたことをメモする習慣を白田は欠かさない。
“アニメや漫画の影響を受けやすいものと思われる、浮世離れ感、アニメキャラを演じてるよう、当事者意識の欠如”
 被疑者を知ることは、“事件”を知るということだ。
 片耳はイヤフォンを嵌めているため、音声がときめに聴こえることはない。
「ってかさー、白いから、シロタ……ってなんかっ、ギャグみたいだよねっっ。くふふふふふふっ」
 両手で口を押さえたときめが、肩を震わせながら必死で笑いを堪えている。
 弁護士になる前、NPO教育機関で働いてた時の生徒のことを思い出した。
 主に発達障害の不登校児に勉強を教えていた。
 自閉スペクトラム症をはじめ、発達障害を持っている人は失言や失笑が非常に多い。
「苗字を覚えてもらいやすくて助かっていますよ、お陰様で」
 ビジネスライクに笑みを浮かべる。
 怒る必要はなかった。
 病気をギャグにしてもらえるとむしろ心が軽くなる。
「それで、頼み事ってなに?」
 笑いすぎで目尻に浮かんだ涙を拭いながら、ときめは本題に返ってきた。
 白田はスマートフォンを構えた。
「お写真を1枚、撮らせて欲しいのです。ときめさんの」
「えっ!? 僕の!?」
 朱色に染まった頬に両手をあてる。
 どうやら、恥ずかしいようだ。
「よろしいですか?」
「いいっすヨ! むしろ何の問題もないよ、僕、美人だし」
「……では、失礼して……カメラに収まるように移動していただけますか?」
 アクリルガラスガラス越しに、カメラを構えるシロタは、ときめよりも右側にズレていて、このまま写真を撮ると、ときめの顔が半分途切れてしまう。
「シロタせんせ、さっきから僕と目が合わないね? せんせの海のように青い瞳がキョロキョロ動いてる」
「申し訳ありません。私は生まれつき弱視ですから、ほとんど視力がないのです。瞳の揺れは眼振といって自分の意思ではどうにも制御できないんです」
「なるほど! そーゆーことだったんだね! じゃ、僕から移動してあげる。はい、チーズ。撮ってもいいよ」
 両手でピースサインを形作り、ときめはアイドルがするようなアルカイックスマイルを浮かべた。
 安っぽいシャッター音が、接見室に響く。
「どうですか?」
 白田は、スマートフォンの画面を、ときめに向ける。
 ときめは、満足そうに大きく頷いた。
「うん! いい感じ! でもどうせならシロタせんせと撮りたい」
「ん?」
 どうやら、写真を撮られた真の意味を、ときめは理解していないようだ。
「僕、友達いないから、友達と写真撮ったこと、なくって……それで、その……」
 それっきり、ときめは俯いてしまった。
 そういうことか。
「いいですよ。ぜひ、お写真、一緒に撮りましょう」
 写真という言葉を聞いた途端、ときめは、ばっっっと顔を上げた。
 信じられないという形相で。
「えっ!?!? いーの!? 僕となんかで!?」
「ツーショット写真ですよね? いわゆるプリクラのような……プリクラという言い方は今の時代、ちょっと古いかな」
 ぱぁぁぁぁっとときめの顔が輝く。
「そうそうそうそうそうそう!! それそれ! 僕が望んでることは、それだよ!」
「でしょう」
「いいのー!? 僕みたいな大学の食堂でぼっち飯してる陰キャのジェーディーなんかとツーショット撮っちゃっても!?!?」
 ときめはひどく興奮しており、その瞳はらんらんと輝いている。
「別に構わないですよ。こちらも写真を撮らせて頂いたので……」
 被疑者との信頼関係を築くには良いツールであろう。
「やったーーーー!! 嬉しいーーーー! シロタせんせーとツーショットーー!!」
 純粋に友達として写真を撮ってもらえると思い込んでいるときめは、アクリルガラスの向こうできゃーきゃーと叫びながら、跳んだり跳ねたりしてる。
 この子は、変だ。
“変わっている”という領域を越えていて、まるで道化師のように現実的な存在感がまるでない。
 ふつう、いきなり逮捕されたら、自分が裁判にかけられるのか、前科はつくのか、大学はどうなるのか、などの質問が次々飛び出るはずである。
 国家に身柄を強制的に拘束されて、赤の他人である弁護士とツーショット写真が撮れるという事実に、子どもみたいに喜んで飛び跳ねる被疑者など、果たして他にいるのだろうか。
 ときめが騒いでいる間に、スマートフォンで撮った彼女のバストアップ写真にルーペを近づけて、そのルーペに眼鏡をかけたままの瞳を極限まで近づける。
 両手にピース。
 白い歯をニカっと見せつける笑顔。
 被疑者は無邪気だ。
 病的といってもいいくらいに。
 白田は、刑事弁護の依頼が入った際は、いつも依頼人の写真を撮るようにしている。
 弱視のため、相手の顔がすりガラス越しに見えるような感じでしか認識できないからである。
 接吻できるほどの距離まで近づくことは常識的にまずあり得ないので、写真を撮り、相手の顔をじっくり確認してから、ケースセオリー、弁護方針を組み立てるのが白田の弁護士としての働き方のポリシーである。
 時瞬 ときめ。
 犯罪者は犯罪者面をしていないとはよくいったものだ。
 彼女の背景に犯罪に至る経緯がどう隠されているのか、いまの白田には全くもって判りかねた。
 ただ、ときめが抱えているある問題。
 福祉の大学を出ている白田は、とうに気づいていた。
 発達障害。
 自閉スペクトラム症。
 彼女を取り巻く問題は、恐らくこれだ。
 事件と関係あるかは、今のところ、分からないが。
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