第3条 Oops baby I love you. まだ好きなの

文字数 1,602文字

「やっぱかわいいねぇ」
 うすだいだいのひまわりの下で、震えるように揺れる濃ゆい葉っぱ。
 縦縞にたった今プレゼントしたピアスを摘んで(やしろ)は、至近距離で弄びながらピアスの精巧さに見惚れる。
「私にくれるんじゃなかったの?」
「あぁそっか。そうだった」
「いいから付けてよ」
 縦縞は、元からつけていた真珠のピアスを外す。「私にくれるんでしょ」
「じゃあ、失礼して」
 社が縦縞との距離を縮める。コツコツと靴音が第二法廷の近くの手洗い場に響く。
「どうして逃げるの」
 社のいない方向へ何故か身をよじる、かつての“恋人でもなければ友達でもない関係の人”。
「なんでもない」
「ピアスつける時って痛いもんね。特に塞がりかけは」
 自身の耳たぶを摘んで引っ張る社。薄い耳たぶ。
 懐かしい。
 検事はかつてを思い出し、うっとりしかけたが、怒ったような表情にすぐに戻った。
「大丈夫だから。貴女につけて欲しいの」
「オーライ。じっとしててね」
「あんたは、もうつけないの?」
「ん〜? 前までは…修習の時はつけてたけどね。インダストリアルも閉じちゃったし」
 耳の軟骨2箇所に穴を開けて小さなバーベルのようなピアスを貫通させるのがインダストリアルだ。
「軟骨に開けるなんてどうかしてるわよ……めちゃくちゃ痛いんでしょ」
「そうかもね。……最近は、アクセサリーよりも、より自分を主張できるお洋服がわたしの中熱くって……と、痛くなかった?」
 カチッと、キャッチとピアス本体がはまる音がした。
「痛くなかったわよ、別に」
 本当は少し痛かったけどーーあの時みたいに。
 初めてピアスを教えてくれたのは、他でもない社だった。
「似合うね。検事さん」
 社は顎に手を添え満足そうに頷く。出来上がった彫刻作品に見惚れる芸術家みたいに。
「確かにちょっと子どもっぽいわね……でも、かわいい……!!」
「検事になっても、かわいいもの好きは相変わらずだね、ひまわりちゃん」
 縦縞の次の言葉を待たずして社はーー。
 今度は縦縞のヒールの音が2回響く。
 縦縞の唇を社はそっと塞いだ。
 口紅はコフレドールのだろう。さらっとした唇は、いかにも冷徹な検事らしい。
「ごめんね。ひまわりちゃんのこと、いっぱい思い出して、つい」
 もう戻らないと。
 カルティエの針は35分前を指している。
「ま、待って」
「もう5分前ですよ。検事さん」
 柔和に微笑んで手洗い場を去ろうと社を縦縞はーー。
「して」
「え?」
 だらりと下ろした社の右手を手に取る。
 いかないでーー。
「もっと、して、やしろ、先生」
「何を?」
 ピアスならもうないじゃないかと社は素振りとおどけた外国人みたいな表情をする。
「ピアスじゃないの、さっきの……」
「あぁ」
 社のなかで合点がいった。
 そういうことね。
「ん〜」
「ちょ、ちょっと! これはっ」
 冗談ッーー! 
 いう前に
 縦縞の華奢な背中に腕を回して、社は縦縞に口づける。
 今度はすぐに終わらない、長い口付け。
 だけどそれ以上深く来ないのは、“久しぶり”だからだろうか。
 唇を奪われながら、縦縞は社の濃ゆい眉毛と閉じたまぶたに生える長いまつ毛に見惚れた。
 相変わらず、男前な女ーー。
 ふとまぶたを開けた社と目線がぶつかった。
「お化粧崩れちゃうから、ここまで」
 相変わらず、妖艶を散りばめたような笑顔ーー。
 コケティッシュ。
 表情、仕草、動作。
 くるみちゃん。
 まだ、私、好きみたい。
 ずっと、蓋していた気持ちが、いま、どっと溢れ出す。
 修習生時代の思い出に、瞳が潤みそう。
 行かないで。
「……今夜、飲みにいかない?」
「いいよ」
「え? 本当!?」
「そんな乙女みたいな顔してると被告人に下手にみられちゃうよ?」
「じゃあ、また法廷で。罪状は『傷害致死罪』のつもりでいくので」
「辛口だね。じゃ、わたしは思いっきり甘口でいこうかな」
「それって被告人にとってでしょ」
 縦縞の顔は、真夏に咲く向日葵のように明るい。



(続く)
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