山の中の洋館

文字数 2,998文字


 自動車は、山の中腹にある仰々(ぎょうぎょう)しい門を潜る。

 田舎の山には不似合いな程、重厚な洋館があった。

 キヨは、ほんの少しだけ気を緩める。ここが東京なわけはあるまい。元いた村から、せいぜい山を三つ越えたくらいだと、子供ながらも把握していた。

 (いか)めしい造りの大きなドアーが、二人が立つと同時に口を開ける。

「待っておったよ、如月さん」

 ドアーの向こうには、恰幅(かっぷく)のいい初老の紳士の姿があった。肉厚の手で、せかせかと中へと差し招く。

 大きな二皮目(ふたかわめ)、ふくよかな頬と腹。女――如月よりも頭一つ分背が低いその男は、肌には張りがあったが、頭髪は真っ白といってもいい。この洋館に相応(ふさわ)しく、煉瓦色(れんがいろ)の三つ揃いに身を包んでいた。


「あら。お出迎えなんて、まぁ」
 ホホホと、如月はキヨの背を押しやった。

「この子がお話していた真名井潔子(まないきよこ)ですわ。マナイは、真名井の滝の――ね。出雲に連なる一族の末裔(まつえい)なのよ。元々住んでいた地方では、ご先祖が真名井神として神社に(まつ)られていた名家の出で、血統は保証付きですわ」

 ただ、ご維新からこっち、政府から迫害を受けて――可哀想に、今ではこんな有様でと、如月は立て板に水と語る。

 キヨは、自分は真名井潔子などという大層な名前を持っていたのかと、他人事(ひとごと)のように聞いていた。ずっと「キヨ」とだけ呼ばれていたのだ。

 その後の名家云々についても、全く覚えのないことだった。

母一人が守り育てていたのですけど、女手ひとつではもう、ねぇ、ホホホと、甲高い声が響く。如月の白く長い指が、キヨの痩せた肩に食い込んでくる。

 初老の男に品定めをされるような視線を浴びせられ、キヨはとても不快だったが、身体を(ひね)ることすらできなかった。

 




「まぁ、キレイになったわね」

 勧められるままに、キヨは身体を洗った。

 案内された所は、風呂だと示されてもピンとこない場所だったが、如月から簡単に使い方を教わり、事なきを得た。

 時間が経つに連れ、少しづつ現実味を取り戻してきた心に、驚くことばかりが押し寄せてくる。

 髪を(ぬぐ)う、この白くてふかふかした布もそうだ。キヨは、目の粗い手拭いの感触しか知らなかった。

 新しく身に付けるものの、一切合切が戸惑いを誘う。下穿(したば)きはともかく、シュミーズなど、とても肌着には思えない。これは外国のお姫様が着るという、ドレスではないか――そう思ったキヨがそれを素直に口にすると、如月は声を上げて笑った。

「ホホホホホ。お前は本当に可愛いのね。きっと華子様の気に入るわ」

 シュミーズの上に、来る途中から如月が話していたワンピースというものを着せられた。落ち着いた茶色、(なめ)らかで柔らかな生地。胸には大きな、(とき)色のリボン。

「これがお靴よ。その前に靴下を履きましょうね」

くるぶしを覆う丈の、白い靴下。足首の周りに、繊細なレースのフリルが縫い付けられている。初めて履くそれと靴は、何とも足に(まと)わり付く感じがして、少し気持ちが悪かった。

「ここではね、おうちの中でもお靴を履くの。寝るとき以外は脱がないのよ。――さぁ、できた。これで、華子様の前に出てもおかしくないわ」

 如月は、支度(したく)の整ったキヨを鏡の前に立たせる。
「――――!」
 キヨは、そこに映るのが自分だということを理解するのに、数秒を要した。
「とってもお似合いよ」
 如月が、また、白く細長い指を、キヨの肩に絡み付けた。



「おお、おお、これはこれは」

 如月の案内で応接間へと通されたキヨを、初老の紳士は両腕を広げて歓待した。
「何とも可愛らしい。華子もきっとお前を気に入るよ」
「良かったわねぇ、潔子ちゃん。都路(みやこじ)様が太鼓判をくだすったわ」
「――――」

 キヨは、無言で下を向く。

 こっそりと、窓の外に目を()った。妙にはしゃいだ様子の二人の大人に、何となく白けた気持ちになったのだ。

 すでに日は傾いていた。朱色の光がキヨの目を焼く。

 (かまど)に火を(おこ)す、母の後ろ姿が浮かんで――すぐに――戸を締める、引っ掻き傷の跡が目立つ、荒れた赤い手に取って代わる。

「……ゃん、潔子ちゃん」
「あ、」
 キヨは、ハッと顔を上げる。

「潔子ちゃん、華子に紹介しよう。それじゃ、如月さん。また後程。実に良いお子を連れてきてくださった。華子もこれで、また一つ、回復へと向かうことでしょう」

「ええ、ええ、本当に良いお薬になるわ。ね、潔子ちゃん」

 如月は、キヨに向かって莞爾(にっこり)とした。

 キヨは会釈(えしゃく)をすることすら思い付かず、曖昧(あいまい)に首を(かし)げて(きびす)を返し、都路が(うなが)すままに足を運んだ。

 二階へと延びる階段は、玄関を入った脇にある。

 玄関の扉の上と踊り場の壁面、そして昇りきった先に大きな明り取りの窓。

 都路が先に立ち。真鍮(しんちゅう)の、凝った装飾がしてある手摺(てすり)(つか)み、階段を昇る。

「如月さんから聞いただろうが、華子は病気でね。もう随分と長いこと寝たきりなんだよ。君よりも二つお姉さんだが、学校にも行ったことがないんだ。勉強は私が見てやれるが、それじゃ寂しいだろう? だから、年の近い女の子の友達を探していたんだ」

 階段は長く、緩やかに弧を描いていた。隅には(ほこり)が溜まり、手摺を伝ったキヨの手は、ザラッとした何かで汚れる。そっと、スカートで払った。

 昇りきると、手摺がそのまま続いたバルコニーと、その先には廊下があった。右側は窓だが、何故か全部の鎧戸が閉められていて、代わりに薄赤い電灯が灯っている。左側には同じ形のドアーが等間隔に並んでいた。

 突き当りには、大きな(おり)のようなものが見える。

「華子は、親の私が言うのも何なんだが、とてもいい子なんだよ。寝てばかりで辛いはずなのに、私や如月さんに、一つも我儘を言ったことがない。苦しいときでも心配させまいと、無理やり微笑んでみせるような子なんだ。あんないい子が、どうして……」

 母親の有無を問いたかったが、キヨは(すんで)の所で思いとどまる。

 さっきの階段、そしてこの廊下、真ん中はさて置き、端の方の汚れが酷い。

 掃除は母親の仕事だと、キヨは思い込んでいる。これで華子に母親がいるとは、到底考えられなかった。

 屋敷のこの不潔な有様は、使用人の不備をまず疑うべきことだ。だいたい(あるじ)が自ら戸を開き、客人を招き入れるなど――ありえない。

 しかし、キヨは使用人というものを知らなかった。ただ単に、華子に母親がいないらしいということを、自分に重ねてしまう。

 一番奥の扉の前で、都路は足を止めた。

 キヨは、横にある檻のようなものが気になったが、()ける雰囲気ではない。

「潔子ちゃん。ここが華子の部屋だ。きっとよろしく頼んだよ」
 そして、華子華子、起きているかいと呼ばわり、ノックを三回。
「お父様、起きていてよ」

 優しい声が、すぐさま返ってくる。

 キヨの、無意識に作った握り拳に力が入った。

 掌に、チクリと痛覚。

 ――爪が、長く伸びていた。

 都路がドアーを開く。

「華子、お友達を連れてきたよ」
 大きく厚みのある手で、都路がキヨの背を押した。ふらつき、キヨは一歩前へ出る。
ワンクリックで応援できます。
(ログインが必要です)

登場人物紹介

キヨ

山村に生まれ育った少女。

母ひとり子ひとりの暮らしだったが、ある朝突然、それは終わりを告げることになる。

華子

都路のひとり娘。

生まれつき病弱で学校に通うことが出来ないが、寂しい境遇に負けることのない芯の強い少女。

如月

おそろしく背の高い、身なりの派手な女。

一見にこやかで上品だが、どこか蓮っ葉な雰囲気が拭えない。

都路

華子の父。

華子を溺愛している。娘の病気を治すためなら、なんでもする。

黒衣の青年

一風変わった風貌の、皮肉めいた顔つきの青年。

青毛の姿のいい馬と行動をともにしている。

赤ら顔の男。

よく日に焼けた、赤ら顔の気のいいおじさん。警察のそこそこ偉い人。

キヨと華子を保護する。黒衣の青年とは因縁のある仲のようだ。

おかみさん。

赤ら顔のおじさんの、奥さん。子供がいないことを、ずっと寂しく思っていた。

キヨと華子が家に家にいることを、心底嬉しく思っている。


ビューワー設定

背景色
  • 生成り
  • 水色