山の中の洋館
文字数 2,998文字
自動車は、山の中腹にある
田舎の山には不似合いな程、重厚な洋館があった。
キヨは、ほんの少しだけ気を緩める。ここが東京なわけはあるまい。元いた村から、せいぜい山を三つ越えたくらいだと、子供ながらも把握していた。
ドアーの向こうには、
大きな
ただ、ご維新からこっち、政府から迫害を受けて――可哀想に、今ではこんな有様でと、如月は立て板に水と語る。
キヨは、自分は真名井潔子などという大層な名前を持っていたのかと、
その後の名家云々についても、全く覚えのないことだった。
母一人が守り育てていたのですけど、女手ひとつではもう、ねぇ、ホホホと、甲高い声が響く。如月の白く長い指が、キヨの痩せた肩に食い込んでくる。
初老の男に品定めをされるような視線を浴びせられ、キヨはとても不快だったが、身体を
勧められるままに、キヨは身体を洗った。
案内された所は、風呂だと示されてもピンとこない場所だったが、如月から簡単に使い方を教わり、事なきを得た。
時間が経つに連れ、少しづつ現実味を取り戻してきた心に、驚くことばかりが押し寄せてくる。
髪を
新しく身に付けるものの、一切合切が戸惑いを誘う。
シュミーズの上に、来る途中から如月が話していたワンピースというものを着せられた。落ち着いた茶色、
くるぶしを覆う丈の、白い靴下。足首の周りに、繊細なレースのフリルが縫い付けられている。初めて履くそれと靴は、何とも足に
キヨは、無言で下を向く。
こっそりと、窓の外に目を
すでに日は傾いていた。朱色の光がキヨの目を焼く。
如月は、キヨに向かって
キヨは
二階へと延びる階段は、玄関を入った脇にある。
玄関の扉の上と踊り場の壁面、そして昇りきった先に大きな明り取りの窓。
都路が先に立ち。
「如月さんから聞いただろうが、華子は病気でね。もう随分と長いこと寝たきりなんだよ。君よりも二つお姉さんだが、学校にも行ったことがないんだ。勉強は私が見てやれるが、それじゃ寂しいだろう? だから、年の近い女の子の友達を探していたんだ」
階段は長く、緩やかに弧を描いていた。隅には
昇りきると、手摺がそのまま続いたバルコニーと、その先には廊下があった。右側は窓だが、何故か全部の鎧戸が閉められていて、代わりに薄赤い電灯が灯っている。左側には同じ形のドアーが等間隔に並んでいた。
突き当りには、大きな
「華子は、親の私が言うのも何なんだが、とてもいい子なんだよ。寝てばかりで辛いはずなのに、私や如月さんに、一つも我儘を言ったことがない。苦しいときでも心配させまいと、無理やり微笑んでみせるような子なんだ。あんないい子が、どうして……」
母親の有無を問いたかったが、キヨは
さっきの階段、そしてこの廊下、真ん中はさて置き、端の方の汚れが酷い。
掃除は母親の仕事だと、キヨは思い込んでいる。これで華子に母親がいるとは、到底考えられなかった。
屋敷のこの不潔な有様は、使用人の不備をまず疑うべきことだ。だいたい
しかし、キヨは使用人というものを知らなかった。ただ単に、華子に母親がいないらしいということを、自分に重ねてしまう。
一番奥の扉の前で、都路は足を止めた。
キヨは、横にある檻のようなものが気になったが、
優しい声が、すぐさま返ってくる。
キヨの、無意識に作った握り拳に力が入った。
掌に、チクリと痛覚。
――爪が、長く伸びていた。
都路がドアーを開く。