華子への誓い

文字数 1,457文字

 玄関前で如月と別れ、キヨは華子の部屋へと一目散に()せる。

 如月がこれから何をするのか……後部座席に積んだものをどうするのかは、考えまい。

 これから自分が考えるのは、想うのは華子のことだけだと叩き込むように、拳骨で心臓の辺りを殴りつけた。

「はなこさま!」
 礼儀も忘れ、部屋へ飛び込む。
「……潔子ちゃん」
 寝台の脇にしゃがんでいた、都路が腰を上げる。
「華子様は――」
「……」
 都路の両目は、真っ赤だった。
「――きよ、こ……さ」
 細い(いら)え。
 都路が、さっと寝台に屈み込む。
「華子、気が付いたのかい」
「華子様」

 キヨも都路の隣に並び、膝を付く。

 白い枕に埋もれるように、華子は仰向けになっていた。その顔は寝具よりも白い。

 薄い眉根を寄せ、華子の瞼は閉じられている。

 と、それが軽く引き()り、ゆるゆると引き上げられた。

「……きよこさん、おかえり、なさい」
「はなこさま――」

 キヨの様子を認め、華子の浮腫(むく)んだ目尻が震える。微笑(びしょう)だと、キヨには通じた。

 掛布団の中から、ゆっくり、ゆっくり、蒼白(そうはく)な手が這い出てくる。キヨは両手で、それを包み込む。

 華子の瞳が大きく揺れた。そして、安堵の光に満たされる。キヨの涙を堪えた瞳にも、同じ光。

 二人は無言のまま見つめ合い、お互いの心を交わした。


 ――沈黙。


 破ったのは、都路だった。

「華子、もう安心しただろう。さ、おやすみ」
「……はい、お父様。潔子さん、きっと、わたしの、もとにいて、ね」
「はい、華子様……、はい」

 華子の目尻が緩む。今度は傍目(はため)にも微笑だと判った。そのまま、キヨと手を繋いだまま目を閉じる。

「……もう、ね、誰も……わたしの側から、いなくなるのは――いや――」 

 すぐに小さな寝息。弱り切っているのだろう。華子の呼吸は浅い。

 それを打ち消すように、唐突に都路がキヨに問いかけた。

「――潔子ちゃん、華子のことが好きかい」
「え、」

 都路の真摯な――真摯すぎる声音(こわね)。内容も、場違いなものに思えた。忘れていた違和感が、ざわざわとキヨの胸に蘇る。

「華子のことが好きかい」
 再度、繰り返される。
「はい。華子様は誰よりも大切なお友達……いいえ、お姉さまです」

 身分違いは承知していた。失礼も(わきま)えていた。それでも、都路の様子にただならぬものを見たキヨは、正直に自らの誓いを告げた。


 告げてしまった。



「そうか」
 都路は、穏やかに続ける。

「じゃあ、潔子ちゃん。華子の為なら、何でもするかい。華子の病気を治す為に潔子ちゃんが必要なんだよ」

 泣き腫らしたせいなのか、それとも別の理由があるのか、都路の眼球は恐ろしい程に充血していた。白目の部分が余りにも赤くて、黒目との境が曖昧だ。

 それは、まるで――(うろ)

「はい。華子様が元気になるのなら、わたし、何でもします」
 キヨは、きっぱりと答えた。

 穏やかだった華子の寝顔が、そのとき、歪む。乾いた唇が微かに動き――だが、それは――それだけで終わってしまった。

「よく言ってくれた、潔子ちゃん」

 都路の下瞼(したまぶた)が、くぅっと曲線を(かたど)った。黒い程に赤い目玉から、血の涙が滴り落ちそうな錯覚を生む。

 キヨは、またも自分が取り返しのつかないことをしでかしたような気持ちになるが、もう、どうしようもなかった。

「潔子ちゃん。――さ、華子を助けておくれ」

 都路の分厚い(てのひら)がキヨの肩を掴み、ぐるりと反転させる。

 ――繋いでいた、少女二人の手が、離された。



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登場人物紹介

キヨ

山村に生まれ育った少女。

母ひとり子ひとりの暮らしだったが、ある朝突然、それは終わりを告げることになる。

華子

都路のひとり娘。

生まれつき病弱で学校に通うことが出来ないが、寂しい境遇に負けることのない芯の強い少女。

如月

おそろしく背の高い、身なりの派手な女。

一見にこやかで上品だが、どこか蓮っ葉な雰囲気が拭えない。

都路

華子の父。

華子を溺愛している。娘の病気を治すためなら、なんでもする。

黒衣の青年

一風変わった風貌の、皮肉めいた顔つきの青年。

青毛の姿のいい馬と行動をともにしている。

赤ら顔の男。

よく日に焼けた、赤ら顔の気のいいおじさん。警察のそこそこ偉い人。

キヨと華子を保護する。黒衣の青年とは因縁のある仲のようだ。

おかみさん。

赤ら顔のおじさんの、奥さん。子供がいないことを、ずっと寂しく思っていた。

キヨと華子が家に家にいることを、心底嬉しく思っている。


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