退路はいずこ

文字数 2,616文字

 いっそ、一人で華子の部屋へ――。

 ほんの十間(じっけん)もない。一駆(ひとか)けで辿り着く。

 キヨが腰を浮かせた、そのとき。

「何人目だ」

 青年が、ぽつりと言った。

 声を張ったわけでもないのに、その問いは響いた。

 キヨは動きを止める。青年を注視した。

「何がさ」

 如月は階下より、青年を()めつける。

「言わなきゃ判らないのか。本当に頭が悪いな。この子で何人目かって訊いているんだ」

「あーあ、お薬のこと?」
 調子を取り戻してきたのか、如月は胸を反らす。

「お生憎様(あいにくさま)。アンタもご存知のとおり、アタマが悪いもんでね。何人かなんて憶えてやしないよ」

 そして、ぞっとするような笑みを添えて続けた。
「いくらになったかは憶えてるけ」

 青年は腕を振りかぶる。


 一閃(いっせん)


 如月は()()った。

「……あ、あ」

 ころりと転がったのは、またも銀色の(ぼたん)

 如月は、よろよろと膝を付く。

 額を覆った指の隙間から、とろとろと赤いものが流れ出る。

「お前の血でも赤いのか」
 青年の声に、ハッと、如月は己の掌を確かめた。
「――ああッ! う、あ、」
 舌を(もつ)れさせ、掌と青年とを何度も交互に見遣る。
「その様子だと、かなり広く裂けたな。――跡が残るぞ」
「顔、かお、かおが、アタシの顔が」
 如月は、恐慌に(おちい)った。白く塗られた顔面は、徐々に赤く塗り替えられていく。
「ナイフじゃなくてよかったな!」
 青年は片頬で(わら)う。
「ボクは、お前のような(ひね)くれきった女が、大ッ嫌いなんだ」

 ――と、

 キヨは視界に違和感を覚える。

 目の端が明るい。

 いつの間に、電灯が点いたのか。

 しかし、キヨはそのことよりも、激昂(げきこう)する青年の方に気を取られた。

「教えてやるよ。お前は自分で思っている程、美しくなんかないぞ!」
 青年が、(うずくま)る如月に追い討ちをかける。

 カチリという硬質な音がした。青年は気付いた様子はない。

 キヨだけが振り返った。


 都路が何かを構え、仁王立ちをしていた。


(あぶ)なか!」

 キヨは叫ぶ。

 同時に、耳を(つんざ)く音。

 とっさに横っ飛びをした青年の髪が、ザッとばらける。(くく)っていた麻紐(あさひも)が切れ、隠されていたその耳が(あらわ)になる。


 キヨは見た。

 いったい、どんな目に遭えばあんな傷ができるのだろう。

 青年の耳には、汽車の切符のような切れ込みがいくつも刻まれ、耳朶(みみたぶ)は半分から下がなかった。


 青年は、廊下の奥に向き直る。

 都路は、先程までの崩れ方が嘘のように、普段通りの威厳を取り戻し、両手でピストルを構えている。

「いつの間に」

 青年が、(しん)から驚き、問いかける。

 都路は無言で、銃口を()する。

 カチリという、音。

 青年は、キヨの前に出ようと身体を倒す。

 ――キヨの動きが早かった。

「お、おい、こら、」

 面食らった青年が、慌てて手を伸ばす。

 届かない。

 都路が構えを改め、キヨに直る。

 キヨは止まらない。

 疾駆(しっく)

 爆音。

 キヨは都路へと跳びかかり、その太鼓腹目掛けて怒らせた肩を突っ込んだ。

 どぉんと、派手な振動。

 都路は、見事、大の字に打ち倒された。

「……うぅ」
 ガクリと顎を上げ、目を閉じる。
「こら、おい、」
「――えへ」
 青年に抱き起こされたキヨは、照れ隠しに舌を出す。
「全く……、ほら、見ろ」
「――あ」
 青年が指し示したのは、丁度キヨが踏み切った辺りの床板だった。銃弾がめり込んでいる。
「危なかったな。――それはそうと、どうしてこいつはここにいるんだ?」
「あ、そうか」
 キヨは手を打った。
「奥に、華子様の昇降機(えれべーた)があると」
 青年が、溜め息をついた。
「……そういうことは、早く教えてくれ」
「忘れとった」

 ごめんなさいと、キヨは頭を下げる。

 床の上の都路と目が合った。

「…………」
「!」

 キヨは、反射的に後退(あとずさ)る。

 状況を察した青年が、キヨを横抱きにした。

 真横にあるドアーノブを回す。開いた。

 青年は素早く逃げ込むと鍵を掛け、キヨを下ろし、窓辺へと向かう。

「何てことだ」

 窓は嵌め殺し。

 ここは、キヨに宛てがわれた部屋だった。

 青年は、外に向かい目を凝らす。

 ノブが、ガチャガチャと鳴った。

 キヨは、青年の傍に走る。

 ダンッ、ダンッ。ドアーが揺らいだ。体当たりだ。


 そして、またあのカチリという音。

「伏せろ!」

 青年がキヨの上に覆い被さる。

 轟音。

 青年の腕の隙間から、恐る恐るキヨは入り口を見る。ノブ横に弾孔(だんこう)が開いていた。

「マズい」
 俊敏に起き上がると、青年は椅子を掴んで振り上げ、窓に叩き付ける。
「伏せてろ!」

 硝子が砕けた。同時に、また轟音。

 木片が四散し、大きく穿(うが)たれた穴から都路の分厚い掌が、にじにじと這い出る。

 キヨは、それを見てしまう。

 笛のような声が、喉から(ほとば)った。

 太い指が鍵を探り当てたところで、キヨの身体が浮き上がり、視界が回転した。

 青年が、再びキヨを抱き上げたのだ。

「しっかり捕まってろ、絶対に離すなよ」

 言われたとおり、キヨは、力の限り青年の胸にしがみ付く。

 青年は空いた方の手の、人差し指と中指を真っ直ぐに立て、唇に押し当てた。

 ピーという甲高い音が、辺り一面響き渡る。

「ナナオ!」

 破った窓から、青年は絶叫した。

 ナナオ――って、お馬さん、と、キヨは首を巡らせ、外を見る。


 ――チキ、


 金属の擦れる音。

 太い指が、鍵を開けた。

 キヨは青年を仰ぐ。

 青年は、真っ直ぐに、森のある一点を見詰めていた。

 片頬で笑って。挑戦的な眼差しで。

 そして、彼は窓枠の上に片足を掛ける。


 刹那。

 垣根から裏庭へと、黒い大きな影がサッと(おど)り込んできた。

 ドアーが開く。

 青年が、窓枠を蹴った。

 キヨは青年の肩越しに、銃口をこちらへと向ける都路を認めた。――が、それは上方へと流れ――落ちる――、キヨは目を閉じた。


 ガクンと衝撃。昇降機など比ではない。

 青年は、一旦、(ひさし)に着地すると、そこから軽く飛び上がり、とんぼを切った。

 再度、衝撃。

 一瞬の()(のち)、軽い、覚えのある振動。

「上出来だ」
「!!」

 青年の声に、キヨは目を開ける。

 二人の身体は、青毛の馬の背にあった。

 立ち止まることなく、ナナオは現れたと同じ森の中へと駆け戻る。




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登場人物紹介

キヨ

山村に生まれ育った少女。

母ひとり子ひとりの暮らしだったが、ある朝突然、それは終わりを告げることになる。

華子

都路のひとり娘。

生まれつき病弱で学校に通うことが出来ないが、寂しい境遇に負けることのない芯の強い少女。

如月

おそろしく背の高い、身なりの派手な女。

一見にこやかで上品だが、どこか蓮っ葉な雰囲気が拭えない。

都路

華子の父。

華子を溺愛している。娘の病気を治すためなら、なんでもする。

黒衣の青年

一風変わった風貌の、皮肉めいた顔つきの青年。

青毛の姿のいい馬と行動をともにしている。

赤ら顔の男。

よく日に焼けた、赤ら顔の気のいいおじさん。警察のそこそこ偉い人。

キヨと華子を保護する。黒衣の青年とは因縁のある仲のようだ。

おかみさん。

赤ら顔のおじさんの、奥さん。子供がいないことを、ずっと寂しく思っていた。

キヨと華子が家に家にいることを、心底嬉しく思っている。


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