明かされる真実

文字数 2,535文字


 木々の隙間を縫い、ナナオは早足で進む。

「人を乗せてないナナオなら、この程度の森は(くぐ)り抜けて、助走を付けることくらいできるんだ」

 青年が、キヨに語りかける。
「ナナオは利口だからな。あのときだってボクを置いて逃げたわけじゃないぞ。様子を(うかが)って、ちゃんと後を付けたんだ」
 こういうことは初めてでもないし、と、青年は愛馬の首筋を優しく撫でた。
「よし、ナナオ、止まれ。……ほら、判るか?」

 青年の指差す先。

 屋敷の、あの仰々(ぎょうぎょう)しい門があった。

「ここって……」
「ああ、ぐるっと回ってきたんだ。ふん、お巡りさん達がいるぞ。もう大丈夫だ」

 玄関は開け放たれ、その前に見慣れない自動車が三台停まっていた。

 背広を着た肩幅の広い男が腕を振り回し、何やら怒鳴っている。それに合わせて、制服を着た警官達が右往左往していた。

「あ」

 腰縄(こしなわ)を掛けられた都路が、姿を見せた。両脇を警官で固められて、自動車に乗せられる。そのすぐ後に、顔のほとんどを布で覆った如月が現れ、これは別の車に乗せられた。

 キヨは、ふと、青年と如月の旧知の仲であったかのような言動を思い出す。しかし、そのことを口に出してはいけないような――何とも言えない気持ちになった。

 キヨの思いを知ってか知らずか、青年は背景を語り始める。

「この家は、君がここに来る前から警察に見張られていたんだ」
「え」

「ただ、都路というヤツは、この辺りではちょっとした名士なんだ。名士が聞いて呆れるけど……ここは娘さんの静養の為の、別荘という話だったな。とにかく、筋の通らない理由があって、物的な証拠がないことには、警察は行動ができなかった。だから、ボクが君を連れ出したんだ」

 背広服姿の男が何やら(わめ)いているようだ。慌てた様子の警官が一人、屋敷へと駆け込んでいく。

若干(じゃっかん)、予定が狂ったけど、こうして二人とも逮捕できたんだから大団円だな。あそこであいつに見つかって良かったとも……いや、これは言い過ぎか」

 あいつとは如月のことだろう。キヨは察したが、無言を選ぶ。

「地下室に行く前、電源を落とすついでに、張り込んでいたお巡りさんに合図をしたんだ。最も、踏み込んでくるまでに、随分時間をかけてくれたものだけどな。ふん、あれには参ったぞ」

 青年は、喋りながらずっと屋敷を見つめていたが、つい、と、キヨに向き直る。

「――まさか、あいつがピストルを持ってるとは思わなかったな。これはボクの失態だ」

 助かったのはキミの大活躍のお蔭だと、青年は破顔した。

 しかし、キヨは顔を曇らせる。

「華子様を、一緒に連れて行ってくれようとしたとでしょう? だけん、二階へ行ったとでしょう?」
「え、何を言っているんだ?」
 青年は、きょとんと目を丸くした。

「二階へ逃げたのは、時間稼ぎだ。僕らが外へ逃げると、あいつらも外に出るじゃないか。屋敷に足止めして、不意を打ちたかったんだ」

「なら、なら、華子様は」
「あの娘に必要なのは、まともな医者と病院だ」
 青年がキヨの言葉を切る。

「聞けば、華子ちゃんとやらは、当たり前の治療さえ受けてないじゃないか。あの如月って女は、医者でも看護婦でもないぞ。あいつがやったことは、」

 と、ここで青年は口篭(ごも)る。

 ブルルッと、ナナオが鼻を鳴らした。

「……華子ちゃんのことも警察には話してある。お父さんは逮捕されたけど、あの子は大丈夫だ。警察が保護して、病院に連れて行くことに」

「お父さんが()らんごつなって、お母さんも居らんで、華子様は――一人ぼっちになってしまうたい」

 今度は、キヨが青年を(さえぎ)る。
「お友達だって、みんなみんな、みんな居らんごつなった! (ひど)か! ……酷い。そんなのって――酷い」
 キヨは、敢然(かんぜん)と言い放つ。
「わたしは、華子様のところに帰ります」

 罪人を乗せた二台の車が、門を出た。

 キヨと青年とナナオが身を隠す脇を、土埃(つちぼこり)を上げて走り過ぎる。

 窓際には、それぞれ警官が座っていた。



「わたしは、華子様の友達ではなく、妹になろうと決めているんです。だから、お姉様の元に帰るのは、当たり前のことです」

 青年の上着を握り締め、キヨは懸命に思いを吐露(とろ)する。
「ひょっとして、家に帰りたくないからか?」
 青年は、静かにキヨに告げた。
「……ボクは、キミをお母さんのところに帰す気はないんだ」
「――」
 唐突に母の名を出され、キヨは絶句する。

「あいつらを探っているときに、キミとキミのお母さんのことを知って、いろいろと調べたんだ。だから、キミを、お母さんのところには帰さない」

 キヨの気管が、ひゅっと鳴った。
「――言ってしまえば、もう、キミのお母さんはあの家にはいない」
「――」

 キヨは、反射的に喉元に(たなごころ)を向ける。しかしその皮膚に触れることは躊躇(ためら)われ、ようよう、その手を下げた。 

 見れば、爪が短い。

 駄目だ。

 こんなに爪が短いなんて。


 あの夜――。

 苦しくて、思わず、己の首を絞める手を引っ掻いた。長く伸びた爪が、意図せぬ深手を負わせる。赤く荒れたその手は、小さな叫びと共に引っ込められた。

 その隙にキヨは転がり、部屋の端まで逃げる。


 青年の姿が暗黒に溶け、代わりに母が、あれほど思い出せなかったはずの母の顔が、視界いっぱいの大写しで現れた。


 


 ――お前、

 ――お前さえいなければ、あの人は


 キヨが寝付くまでお話をしてくれていた、あの優しい唇を奇妙に変形させている。唇だけではない。目も、鼻も、頬も、毛穴の一つ一つまで、捻くれ、歪み、崩れていた。


 キヨのか細い、素っ首は、母の手にヨリ、キツクキツクシメアゲラレ――。

「しっかり! それは今じゃない!」
 青年が、焦点の合わない目をして震えているキヨを揺さぶる。
「……爪ば伸ばしとったから」
「もういい」
「わざとじゃなか。母さんば傷付ける気なんか、」
「もういい」
「かあさんの手ば引っ掻いたけん……、かあさんはわたしばよそにやってしまっ」
「もういい!」

 青年はキヨを揺さぶり、抱き締めた。


 ――暖かい。


 キヨは、我に返るその寸前。

 ボクもキミだった――と、聞こえた気がした。




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登場人物紹介

キヨ

山村に生まれ育った少女。

母ひとり子ひとりの暮らしだったが、ある朝突然、それは終わりを告げることになる。

華子

都路のひとり娘。

生まれつき病弱で学校に通うことが出来ないが、寂しい境遇に負けることのない芯の強い少女。

如月

おそろしく背の高い、身なりの派手な女。

一見にこやかで上品だが、どこか蓮っ葉な雰囲気が拭えない。

都路

華子の父。

華子を溺愛している。娘の病気を治すためなら、なんでもする。

黒衣の青年

一風変わった風貌の、皮肉めいた顔つきの青年。

青毛の姿のいい馬と行動をともにしている。

赤ら顔の男。

よく日に焼けた、赤ら顔の気のいいおじさん。警察のそこそこ偉い人。

キヨと華子を保護する。黒衣の青年とは因縁のある仲のようだ。

おかみさん。

赤ら顔のおじさんの、奥さん。子供がいないことを、ずっと寂しく思っていた。

キヨと華子が家に家にいることを、心底嬉しく思っている。


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