反撃の時

文字数 1,956文字

 キヨは青年と並んで、扉の影にしゃがんでいた。狭い階段で出くわすと不味い。隠れて、やり過ごしたほうがいいとの、彼の案だった。

 行きよりも荒々しい足音が、ぼやぼやとした灯りと共に近付いてくる。

 何も知らないまま、独り言を続けていた都路が、口を(つぐ)んだ。

「ほら、持ってきたよ。足枷ぐらい嵌めたんだろうね」

 無言のまま、そっとその背を押すことで、青年はキヨを(うなが)した。二人は、苛々(いらいら)と入口を潜ってきた如月の背後を、這うようにして通り抜ける。

「眩しいよ、如月さん」

 闇の只中(ただなか)にいた都路には、蝋燭の光は強い。反射的に眼の前に手をかざす。

「――ちょ、ちょっと! あの子はどこだいッ」
 如月の金切り声。
「走るんだ」

 青年がキヨを(うなが)した。

 始末の悪い如月は、階段の先の扉も開け放ったままだ。行く手には、四角く切り取られたように、光。

 そこを潜り抜け玄関へ――と、こっちだと青年がキヨの手を引く。

「二階へ」
「二階?」

 それは、追い詰められたら逃げ場がないのではないかと、幼い胸にも疑問が浮かぶ。しかし青年は、キヨを引き摺るようにして階段を駆け上がる。

 この先には華子の部屋がある。


 ――華子様!


 もしかして、と、キヨは胸をときめかす。

 彼は華子も連れ出し、キヨと一緒に逃がしてくれようとしているのではないかと。

「待てェ!」

 如月の怒号。

 だが、青年を認めた彼女は、激しく狼狽(ろうばい)した。

「アンタ、どうやって――?」

「あの程度の縄で、どうして敵を放置できるのか疑問だぞ。見ろ、お蔭さんで、こうしてここにいるじゃないか」

 青年はキヨを(かば)いながら、踊り場で足を止めた。

「相変わらず、ツメが甘いな。そもそもナイフで一突(ひとつ)きにしておけば、済んだことだ。ふん、ひょっとしてお前、何か(ふく)みでもあるのか」

 そして振り返りざま、如月に向かって銀色に光るものを投げ下ろす。
「!」
 素早く(たもと)で顔を守りつつ、如月は身を(かわ)した。
「何だ? ――ナイフは全部取り上げたのに」

 二人はその間に、二階へと。

 明り取りの窓から差す陽の光が、青年を照らす。彼の黒い上着は……、上着だけではなく、その全身は泥に(まみ)れていた。 

 青年は、ここに隠れているんだ――と、キヨをバルコニーの陰に座らせる。

 その先の廊下は停電のせいで、真っ暗だ。鎧戸(よろいど)は、余程しっかりとした造りとみえる。

「お前、頭悪いな。投げられるのはナイフだけだなんて、どうして思えるんだ?」
 うんざりした口調で叫び返すと、如月に向かい堂々と姿を(さら)す。
「これ、見てください。(ぼたん)ですよ」

 忠義面(ちゅうぎづら)をした都路が、足元のそれを拾い、如月に差し出した。

 汗ばんだ分厚い肉の中心で、銀色に輝くそれは――黒衣の青年の上着の釦。


 たかが釦!


 如月は、飛んできたものを刃物だと信じ、あのように狼狽えた(ざま)で応じた己を思い返し、赤面する。

「ホ、ホホホ、味をやるわねェ」

 やっとそれだけ言うと、まだ同じ姿勢で顔色を(うかが)っている都路の手から、袂で釦を叩き落とした。

「知っていたはずだろう? ふん、それとも、もう忘れたのか。やっぱり頭が悪いな」

「忘れるもんか! アンタも、あいつらのことも、片時だって忘れたこたァないさ。よりにも寄って死産だなんて、大嘘つき()らが。よくも人の子供取り上げて、売り飛ばした金で――あげく、アンタに至っては人の馬ァ、盗んで手懐(てなづ)けやがって。次から次へと邪魔ばかり」

「ナナオなら、お前が置き去りにしていったんじゃないか。それに何度も言うが、お前の子供のことなら……何も――知らなかった」

 青年は、ここで少し哀しいような情けないような、微妙な表情を浮かべる。

「――お前の子供のことは、本当に気の毒だ。お前の家も、酷かった。一度は放り出したくせに、結局跡取りだの何だの……。家だけじゃない。あいつらだって、散々家族だ家族だ言っておいてやることはいつも」

「はん! アンタもアレな目に()ったもんねェ。被害者面(ひがいしゃづら)でもしてみるかい? それとも偉そうに説教かい?」
 如月は袂を引き絞り、歯噛みした。
「……ふん、説教の方が趣味に合うな」
 青年は、挑戦的な目付きを取り戻す。

「お前が気の毒な目に遭ったことは、間違いない。だけど、それがどうして――こんなことをしでかしても、いいってことになるんだ」

 キヨはそのやりとりを覗き見ながら、次第にじりじりとした気持ちになっていった。

 こうしている暇に、華子の元へと向かいたい。差し迫った危機が去ったような今、華子のことが心配で堪らなくなっていた。


 この騒動は、華子の耳に届いているのだろうか。



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登場人物紹介

キヨ

山村に生まれ育った少女。

母ひとり子ひとりの暮らしだったが、ある朝突然、それは終わりを告げることになる。

華子

都路のひとり娘。

生まれつき病弱で学校に通うことが出来ないが、寂しい境遇に負けることのない芯の強い少女。

如月

おそろしく背の高い、身なりの派手な女。

一見にこやかで上品だが、どこか蓮っ葉な雰囲気が拭えない。

都路

華子の父。

華子を溺愛している。娘の病気を治すためなら、なんでもする。

黒衣の青年

一風変わった風貌の、皮肉めいた顔つきの青年。

青毛の姿のいい馬と行動をともにしている。

赤ら顔の男。

よく日に焼けた、赤ら顔の気のいいおじさん。警察のそこそこ偉い人。

キヨと華子を保護する。黒衣の青年とは因縁のある仲のようだ。

おかみさん。

赤ら顔のおじさんの、奥さん。子供がいないことを、ずっと寂しく思っていた。

キヨと華子が家に家にいることを、心底嬉しく思っている。


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