華子との出会い

文字数 2,086文字

「真名井潔子ちゃんだ。華子よりも二つ年下だよ。さ、潔子ちゃん、娘の華子だ」
「こんにちは……、もうこんばんはかしら。潔子さん、初めまして」

 正面にある大きな寝台から、先程のあの声がする。白く盛り上がった布団の向こうから、小さな頭が持ち上がった。

 薄緑色の肌、浮腫(むく)んだ(まぶた)と頬。しかしその瞳はきらきらと輝き、少女らしい高潔な美しさを湛えている。

 寝具と同じ純白の寝巻の襟元は、幾重(いくえ)にもフリルで飾られていて、真珠のような(ぼたん)(つら)なっていた。

 キヨは放心する。

「わたし、都路華子と申します」
「……キヨ……、」

 名乗ろうとしたが、キヨは自分の(なま)りの強い言葉を恥じる。名前を口にするだけで精いっぱいだった。

 その背に、再び、分厚い掌の感触。キヨは、もう一歩前へと押しやられる。

「華子、寝てていいんだよ」
 都路の、心配そうな声。
「いいえ、お父様、大丈夫。――潔子さん、こちらへいらして。握手をしてくださる?」

 半身を起こした華子が、キヨに向かって手を伸べる。キヨは考える間もなく、それに引かれるように近寄った。握手が何なのか知らなかったが、本能的にその手を握る。

 華子は、心から嬉しそうに微笑んだ。

「……あ」

 その(まぶ)しい表情に、キヨはどきまぎする。

 華子の皮膚は病み疲れ、くすんでいた。仮令(たとえ)病気だと聞かされていなくても、一目で異常が知れるだろう。

 しかしその笑顔は、その名に相応しい彩りを表していた。

「潔子さん、わたし、とっても嬉しいわ。どうか仲良くしてくださいね」
「……うん。うん」

 何度も首肯(しゅこう)しながら、キヨは華子の手をしっかりと握り締めた。華子も握り返す。とても、弱弱しかった。

 涙が出そうになったが、()えた。




 夕食は、そのまま華子の部屋で取った。華子が是非(ぜひ)にと勧めたのだ。

 温めた牛乳、白いパンと玉蜀黍(とうもろこし)のスープ、チーズと牛の挽肉(ひきにく)のオムレツに食後のオレンヂという簡素なものだったが、どれもキヨは初めて味わうものばかりだった。微妙な獣臭(けものくさ)さが鼻につく。

「卵もチーズも、身体の為にとっても良いものなんですって。如月さんが言ってらしたけど、滋養(じよう)があるのよ」

「……じよう?」
「栄養のことですって。身体を作る、大事なもののことよ」
「なら、栄養って言うと()かとに」

「――あら、ほんと。潔子さん、わたし気が付かなかったわ。もしかして滋養と栄養は、ちょっと違うものなのかしら。後で、お父様に聞いてみましょう」

 華子の優しい雰囲気に甘え、キヨは訛りのことを忘れられた。ただ、スプーンはまだしも、ナイフとフォークは扱えたものではない。しかしこれも、食事が冷めるのも(いと)わず、華子が懇切丁寧(こんせつていねい)に作法を教える。

「これから毎日のことだもの。イヤでも慣れてよ。オムレツだってスプーンで食べればいいわ。いいのよ、わたししか見ていないんですもの」

 華子は口元に人差し指を立てて、しーっと言った。

 キヨの気持ちがほぐれる。

 初めての洋食はキヨの口には合わなかったが、それでもとても美味しく感じた。

 自然、思うままが口に出る。

「オレンヂって蜜柑(みかん)()たる」
「そうよ。オレンヂと蜜柑は家族なの」
「家族?」

「仲間……なのかしら? ――いいえ、やっぱり家族だわ。遠い国で別々に暮らしていたから、すっかり身なりは変わっちゃったけど、それでも、とってもよく似ているものね」

「味も似とる」
「似ているわね。わたしはどちらも大好きなの」
「うん。美味(うま)か。ね、オレンヂがお姉ちゃん、蜜柑が妹?」

「あら、それは素敵ね。オレンヂの方が大きいし、きっとそうよ。さっきから思っていたのだけど、潔子さん、あなた、鋭くてよ。とても賢いわ」

 華子は、手を叩いて喜んだ。キヨは頬を染めて(うつむ)いたが、内心では少し得意に思った。


 コツコツコツ。ノックが三度響き、ドアーが開く。

「華子、楽しそうだね」
 満面に笑みを湛えた、都路が大股にやってきた。
「ええ、お父様。とっても楽しいの。見て、わたし、全部食べたのよ」
「よかった。久しぶりに食が進んだね。――潔子ちゃんのお蔭だよ」
 キヨは照れてしまって、何も言えない。
「楽しいのは良いことだが、そろそろお開きにしよう。華子、さ、ビタミンを飲んで休みなさい」
「……はい、お父様」

 都路が、華子の背凭(せもた)れ用に重ねてあるクッションを取り()ける。華子は素直に横になった。

「お水は、すぐに持ってくるからね。先に、潔子ちゃんを部屋まで送ってくるよ。さ、潔子ちゃん」
「潔子さん、今日は本当にありがとう。とっても楽しかったわ。明日からも、どうぞよろしくね」

 名残惜しそうに華子は言うと、手を差し伸べる。

 キヨはそれと察し、その手を掴む。先程のように力は込めず、華子と同じくらいにそっと握る。

「華子様……」
「潔子さん、おやすみなさい」
「さ、潔子ちゃん」

 都路がキヨの肩に手を回し、反転させる。

 少女二人の手が、離れた。




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登場人物紹介

キヨ

山村に生まれ育った少女。

母ひとり子ひとりの暮らしだったが、ある朝突然、それは終わりを告げることになる。

華子

都路のひとり娘。

生まれつき病弱で学校に通うことが出来ないが、寂しい境遇に負けることのない芯の強い少女。

如月

おそろしく背の高い、身なりの派手な女。

一見にこやかで上品だが、どこか蓮っ葉な雰囲気が拭えない。

都路

華子の父。

華子を溺愛している。娘の病気を治すためなら、なんでもする。

黒衣の青年

一風変わった風貌の、皮肉めいた顔つきの青年。

青毛の姿のいい馬と行動をともにしている。

赤ら顔の男。

よく日に焼けた、赤ら顔の気のいいおじさん。警察のそこそこ偉い人。

キヨと華子を保護する。黒衣の青年とは因縁のある仲のようだ。

おかみさん。

赤ら顔のおじさんの、奥さん。子供がいないことを、ずっと寂しく思っていた。

キヨと華子が家に家にいることを、心底嬉しく思っている。


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