絶体絶命
文字数 2,425文字
どうしても母の顔を思い出すことができない。
キヨは、村を出てから一度も、母の顔を瞼に浮かべたことはなかった。浮かべることができないのだ。
戸を閉める、引っ掻き傷の跡が目立つ、荒れた赤い手。
別れを惜しむどころか、手放すのが当然だといわんばかりの口調。
一人になると、それだけが思い出されてならなかった。
華子のことを想い、華子の名を呟くことで、それから逃れようとしていた。
いつしかそれは努力ではなくなり――。
いつしか華子は大切な人になっていた。
地下室。
窓ひとつない、黄色い電燈が灯るその部屋に、悲痛な叫びが響き渡る。キヨだ。
キヨは自分を掴んでいる、都路の手を引っ掻いた。その爪は短い。三日に一回、華子はキヨの爪を切る。
哀れ、キヨは都路に突き倒され、冷たい
鼻の奥に刺さるような異臭。鼻血が出たのかと思ったが、違う。
どうやら、これは床から臭ってくるようだ。よく見れば、一面に、どす黒い染みが広がっている。
健気にもキヨは、この場においても華子への気持ちを諦めることはない。
都路の大きな足が、床に乱れたキヨの髪をガツガツとにじる。鼻先からは、ほんの三寸も離れていない。
キィ。
扉が開き、パタパタという草履の足音。
都路は地団太を止める。その口調には、甘えているような
如月は乱れた髪を整えるような仕草を見せ、
手の甲に浮かぶ
都路は肩を
キヨの
その台は滑らかな金属でできていた。形は
キヨは不安な思いで、辺りを見回す。
――妙なものがあった。
突起だ。
台と同じ金属製で、半円形をしている。
目線をずらす。
反対側の端にも、同じものが。
首を巡らす。
やはり同じものが。
四方に一つづつ、それがある。
キヨは悟った。
その突起は――
如月が歩み寄ってきた、そのとき。
フッと、電灯が消えた。
甲高い悪態と共に、パタパタと草履の足音が遠ざかる。キィと扉の音、空気の動くぶわっとした気配。如月は、そのまま階段を昇っていったようだった。
どうやら、扉は開け放しのままらしい。
嘆く都路。
キヨは、この隙に逃げるべきか
――華子様を、助けたい。
それは本心だった。
生肝を取られるのは、もちろん嫌だ。
痛いに決まっているし、怖いし、何より、自分は死んでしまう。
――きっと、わたしの側にいてね。
自分の死を華子が望むわけはないと、キヨは信じる。
だが――生肝を薬として、華子が健康になれるのが本当だとしたら。
友達なら、替えは利く。
薬なら……?
キヨは、小さく頭を振った。
――指切りげんまん。
華子がそれを望むわけはないと、キヨは信じる。
都路は、何やらブツブツと
逃げるなら、今だ。
尻を浮かせる。
突然、湿った土の匂い。
黒衣の青年の囁き声が。