第18話 孤高の職人

文字数 2,488文字

 男は腕の良い職人であった。仕事場は郊外にあり、不便な場所であったが、ちょくちょくお客はやってきた。この日も昼近くに呼び鈴が鳴った。お客が、注文した品物を取りにきたのだ。

 お客が、通された応接室で待っていると、男は庭にある倉庫から品物を持ってきて見せた。
「こちらがご注文いただいた浴室中折れドアの18年物になります」
 古びたお風呂場のドアだ。

 お客はそれに近づいていき、じっくりと見る。そうして何度も頷き、感心したように言う。
「これは素晴らしい。探し求めていた理想的なドアですよ。購入させていただきます。しかし、本当に見事な出来栄えだ。とくにこのゴムパッキンの部分がいい」
 そこには、カビがこびりつき、黒ずみが出来ていた。男が18年がかりで作り上げた汚れである。

 男は、通販番組の実演で使用する汚れがついた品物を制作する職人であった。庭の倉庫には、汚れが付着したシンク、コンロ、換気扇、排水溝、カーペット、洗濯槽、扉のサッシ、お風呂場のタイル、浴室中折れドアなどが、保管されている。ワイナリーさながら、さまざまな年代の品物を数多く取り揃えてある。全て男がひとりで制作したものだ。

 男はこの業界で長きに渡り第一線でやってきた。卓越した技と知識で作り上げられた汚れは、通販番組で輝きを放つ。

 職人によっては、疑似的な養殖の汚れを制作する者もいるようだが、男が制作するのは紛れもなく本物、天然の汚れであった。もちろん養殖よりも天然の方が、価値が高い。それは汚れの質の違いもあるが、製作するのに手間と時間がかかるからだ。

 天然の汚れを付着させる方法は、たったひとつ。毎日使い、一切掃除をしないという方法だ。根気と精神力と無神経さがなければ出来ない職人技といえよう。

 男はこの道に進んで以来、一度たりとも休んだことはないし、一度たりとも掃除をした事がなかった。

 道を極めるとは、彼のような職人のことをいうのだろう。65歳にしてなお進化し続け、歩みを止める事は決してない。極限まで己を追い込み、汚れと向かい合う。汚れのもつ個性を生かしながらも、精密な計算のもと付着させる。

 それは、命を削り、汚れに心を注入するかのようだ。完成した汚れは、見る人が見れば、わびさびを感じる、とまで称される程であった。

 現に男の作り上げた汚れは、テレビ画面に映っても嫌な気持ちにならない。それに、汚れの落ち方、汚れが落ちた後のツヤの輝きが他とは一線を画す。汚れの落ち方ひとつで、商品の売れ行きが左右する厳しい世界において、男の汚れは引っ張りだこだった。

 しかし、一切の妥協を許さず、拘りが強すぎる男は、付着させた汚れが気に入らなければ、「違う」と言って叩き割ることもある。「こんな汚れ、汚れてない」。

 一昔前は、通販番組の実演で使用する汚れた品物を調達することに、人員も時間も取られ、苦労が絶えなかった。

 例えば、台所周りの品物を調達するには、老舗飲食店から直接仕入れなければならなかった。各社で仕入れ先の取り合いになる事もあった。特に中華料理店は、頑固な油汚れの宝庫で、オープンする事を聞きつけると、他社に取られないように前もって契約を取り付けるといった事もあったのだ。

 それでも台所周りはまだましで、調達するのが難しかったのは、お風呂場のタイル、ドア、洗濯槽、カーペットなどの一般家庭にしかない品物だ。

 年期の入ったお宅を訪ねていき、交渉しなければならない。家がボロくて汚いと言っているようなもので、反感を買い、追い返されることもしょっちゅうだった。憤慨して殴られる事さえあった。

 この日、浴室中折れドアを引き取りに来たお客は、某通販番組のディレクターであった。番組で、創業60年の老舗化学薬品メーカーが開発した画期的な洗浄剤を紹介することになり、実演で使用する汚れのついた品物を調達しに来たのだ。

 そのディレクターは、他の商品も見ていく事にした。いろいろと見たあげく、10年物のシンクと8年物の排水溝と20年物のお風呂のタイルを追加購入する事にした。全て18年物の浴室中折れドアと同等レベルの汚れである。

 午後にもう一組お客があった。男の作り上げた庭で、通販番組の撮影を行う事になっている。

 男が作り上げた庭は、2年物、4年物、8年物、10年物、20年物、と5つある。撮影は4年物の庭で行われた。

 4年物の庭は、雑草や芝や庭木が伸び放題であった。4年間一切手を付けずにいた賜物だ。男が極限まで己を追い込み、汚れと向かい合ったからこそ生まれた傑作。まさに根気と精神力と無神経さがなければ出来ない職人技といえよう。

 紹介する商品は、最新型電動式伸縮自在植木バリカン。通販番組専属のタレントが、そのバリカンで芝を刈っていく。荒れ放題の芝がどんどんと刈られていく様子は、爽快な気分にさせてくれる。これで、この商品も売れる事間違いなしだ。

 男は遠巻きから、自分の作った庭が刈られる様子を見守っていた。思い返してみると、雑草などの生い茂りかたが気に入らなく、「違う」と言って何度も焼き払ったこともあった。「こんな雑草、雑草ではない」。

 だから、通販番組で役割を全うする庭の姿を見ると、我が子が巣立って行くような気持ちになり、ジーンとくるのであった。

 お客が帰っていくと、作業に取り掛かる。男は今、新たな挑戦に挑もうとしていた。挑戦を決意したのは、60歳の時。あれから5年、根気よく続けてようやく形づけられてきた。当初はこんなにも苦労するとは思ってもみなかった。職人人生最大の試練といえよう。

 極限まで己を追い込み、男は自らのひざ関節を痛めつけていく。通販番組に携わり40年、いつかは自らが出演したいと夢見るようになった。

 男はひざ関節に良くないと言われている行動を毎日ひたすら繰り返す。長時間しゃがんだり、長距離を歩いたり、重たい物を持ったり。ひざに悪いと聞き、体重の増加にも乗り出した。

 全ては、ひざ関節サプリメントの通販番組に出演するため。男の職人としての意地とプライドをかけた闘いがここにある。

孤高の職人・終
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