第9話 かいぬしのきもち
文字数 3,950文字
その50代の夫婦に子供はなく、代わりにというわけではないが、犬を飼っていた。犬種は柴犬。性別はオス。名前は大福。
2年前にたまたま家の近くに柴犬のブリーダーがいることを知り、直接購入した。夫婦はたいそう大福を可愛がっていた。
その大福の様子が、先程から何だか変なのだ。妻の違和感が確信に変わったのは、大福におやつの犬用のクッキーをあげた時だ。
いつもなら夕飯が近いそんな時間におやつをあげる事はないのだが、昨日から一泊二日の熱海旅行に行っていたので、留守番をしたご褒美としてオヤツを与えたのだ。
旅行の間、大福の面倒は、近所に住む甥っ子の晴彦に見てもらっていた。
「あなた、ちょっと来て。大福が変なの」
妻はリビングでくつろいでいる夫を呼んだ。
何だ、何だ、と夫がやってくる。
「今、やっと落ち着いたところなのに」
「大福が可笑しいんですよ」
「可笑しいって、何が可笑しいんだ?」
夫は妻の足元でお座りの姿勢を取っている大福に視線を向ける。
大福は、栗色の毛並み、つぶらな瞳、小さな三角の立ち耳、くるんと巻いた尾、とオーソドックスな柴犬であった。少々肥満気味なボディではあるが。
「ちょっと見ていてくださいよ」
妻は大福にクッキーを見せてから「お手」と手を差し出す。大福はすかさず妻の手の上に前脚を重ねた。お手だ。
「お、お、お…お手した…お手したぞ」
夫は戸惑いと興奮が入り混じった声を発した。
犬がお手したぐらいでそんなに驚くこともないだろうと思うかもしれないが、この2年間、二人が何度教えても、一度もお手をした事がなかったのだ。
「ね、可笑しいでしょう」
そう言いながら、妻は大福にご褒美のクッキーをあげる。
大福はクッキーを口に入れると、ムシャムシャと咀嚼し、あっという間に平らげる。
大福はまだ妻の目の前に座っている。大きな口を開けて、つぶらな瞳でじっと妻を見上げている。もっと欲しいという顔だ。
「ちょっと、俺にもやらせてくれ」
夫はクッキーを手にすると、
「大福、いいか、いくぞ。お手」
と聞き取りやすいはっきりとした口調で言い、手を差し出す。
大福は先程と同様にすかさず前脚を夫の手に重ねた。お手だ。
「お、お、お…お手した…またお手したぞ。まぐれじゃないみたいだな。どうなっているんだ。どうしてお手をするんだ」
夫はそう言いながら、ご褒美のクッキーをあげる。
妻はどこか得意げにこう漏らす。
「実は、お手だけじゃないの」
「何だって…」
「お手が出来るんなら、他も出来るんじゃないかと思って、やってみたのよ。そしたら、お代わりも、ふせも、ちんちんも全部出来たのよ」
夫は試してみたくなる。クッキーを手にすると「お手」「お代わり」「ふせ」「ちんちん」と次々に指示を出していく。
大福はいとも簡単に全て完璧にやってのけた。ご褒美のクッキーをあげる。
「どうなっているんだ」
「凄いでしょう」
「じゃこれはどうだ」
夫は大福に向かって「パン」と拳銃を撃つ真似をする。
すると、大福は撃たれてバタンと倒れる真似をした。これも出来るというのか。ご褒美のクッキーをあげる。
それならと、夫は「1+1=」と声を張り上げる。
大福は「ワン、ワン」と2度吠えた。
天才犬じゃないか。ご褒美のクッキーをあげる。
ここまでくると不可解であった。「お手」「お代わり」までは教えようと口にした事はあったが、それ以外のハイレベルな芸を教えた事などなかった。「お手」が出来ないのに、その先に進むわけがない。それなのに、どうして出来るのだ。
「俺らが熱海旅行に行っている間に何があったんだ。晴彦が教えたんじゃ?」
「まさか。そんな事一言も言ってませんでしたし」
「じゃ急に天才犬になったというのか」
「う~ん、もしかして…この子、大福じゃないのかも」
妻はずっと心に引っ掛かっていた事を口にした。
実は夫もそれは感じていた。帰って来てケージの中にいる大福を出してやろうとした時、何だか違和感を覚えたのだ。
だけど普通に自宅のケージの中にいるのだから、大福でないと誰が思うというのだ。大福でないと疑うより、旅行から帰ってきたばかりの、疲労した自分自身を疑った。老眼も酷くなってきていたし、歳を取ると自分を疑う要素はたくさん出てくる。
それに、最近買ったばかりのギンガムチェックの首輪をしていた事も、夫が大福であると決めつけた要因であった。
しかし固定概念を取っ払い、改めて疑って見てみると、顔や体型は確かに似ているが、大福でないような気がプンプンしてくる。
もうおやつをくれない事を理解したのか、大福はスッと立ち上がると、とことこと歩き出した。
夫婦はそれを目で追う。
大福は壁際に設けてある犬用のトイレトレーのところまでやってくると、足を上げて、ジャーとおしっこをしたのだ。これはもう決まりだ。
「大福じゃないな」
「大福じゃありませんね」
「大福はあんなところでおしっこはしない」
「はい、大福があんなところでおしっこなんてするもんですか」
大福はいつもなら、カーペットやテーブルの足やタンスなどを目掛けておしっこをする。わざわざトイレトレーを通り過ぎて、したら駄目なところでするのだ。それでも飼い主というのは、淡い期待を抱いて、トイレトレーを置いているものなのである。
「じゃあ、このしつけの行き届いた天才犬が、大福でないなら、大福は何処にいる?」
「そういえば、晴彦、今日散歩でドッグランに行ったって」
妻が思い出したように言った。
「そこで取り違えたのかも」
「ドッグランに連絡してみます」
夫婦は取り違えた大福でない柴犬を連れてドッグランにやってきた。終了間際ということもあり、利用者も少なく閑散としていた。
受付で待っていると、スタッフが大福を抱えてやってきた。
大福は夫婦ふたりの顔を見ると、「クゥーン、クゥーン」と甘えた声で吠えはじめ、ちぎれそうなほどしっぽをブンブンと振り、足をバタバタと動かし、今にもスタッフの腕から飛び出しそうな勢いだ。嬉ションするもの時間の問題だろう。
続いてやってきたのは、若い派手な顔立ちをした女性。大福でない天才犬の飼い主だろう。不機嫌丸出しの態度だったが、愛犬が取り違えられたのだから、当然のことだ。
夫婦は丁重に大福でない柴犬をお返して頭を下げる。
「本当にすみませんでした」
「間違えるなんて、信じられないんだけど」
30歳程年の離れた若い女性に偉そうに言われたが、悪いのはこっちなので言い訳などせず、ひたすら頭を下げその場をどうにか収めた。
「行くわよ。アンドリュース」
若い女性は、大福でない柴犬と共に去って行った。あの犬はアンドリュースという名のようだ。
自宅に戻った。長い一日だった。
妻は、夕食前だったが、寂しい思いをさせた大福に埋め合わせというわけではないが、犬用のクッキーをあげることにした。
さっきまで全然関わりのない犬にあげていたのに、大福にあげないわけにはいかない。
大福はクッキーをくれるのかと、尻尾を激しく振り近付いてくる。
クッキーを手に取った妻は、大福である事を確かめたくなった。
「大福、いくわよ」
妻は大福にクッキーを見せてから「お手」と手を差し出す。
大福は「お手」などする素振りもなく、いつクッキーをくれるのかと、口を大きく開けて、涎を垂らしながら、ただ見詰めているだけだった。
「あなた、ちょっと来て」
妻はリビングでくつろぎ始めた夫を呼んだ。
また何かあったのかと、夫は慌ててやってくる。
「どうした!?」
「大福がお手しないわ」
「そうか、お手しないか」
「大福ですね」
「ああ、大福だな」
2人はとても嬉しそうに見詰めあう。
「お手したらどうしようかとドキドキしたんですが、ホントしなくて良かったです」
妻は久しぶりに我が子に再会したような気持ちになった。目を潤ませる。
「お前、泣く事ないだろう」
「だって。そういうあなただって」
夫も目を潤ませていた。
「いや~、大福だなぁと思って」
「大福、あなた、お手しなかったの。いい子、いい子」
妻は大福の頭を撫でてほめてあげる。
大福は早くクッキーをくれと「ワン、ワン」と吠える。
「はい、はい、クッキーですね。分かっていますよ。忘れたりしませんよ」
妻は嬉しそうにご褒美のクッキーをあげる。
大福はクッキーをムシャムシャと咀嚼し、あっという間に平らげる。
「ちょっと、俺にもやらせてくれ」
そう言うと、夫はクッキーを手にして「お手」「お代わり」「ふせ」「ちんちん」と次々と指示を出していく。
大福はただ涎を垂らすだけで何もしない。
さらに大福に向かって「パン」と拳銃を撃つ真似をする。
それにも大福はもちろん無反応。
最後に夫は「1+1=」と声を張り上げる。
大福はやはり無反応。しまいには、早くくれと言わんばかりに、夫のズボンの裾に噛み付く。
「おい、見たか。全然しないぞ」
「全然しませんね」
「これこそ大福だ」
「そうですね。ズボンの裾、噛んでますもんね」
「ズボンの裾、噛みやがって。いい子、いい子」
夫は嬉しそうに言いながら、ご褒美のクッキーをあげる。
クッキーを食べ終わった大福は、スッと立ち上がると、とことこと歩き出した。
夫婦はそれを目で追う。
大福はリビングまでやってくると足を上げ、カーペットにジャーとおしっこをした。
「あなた、大福が、大福が、カーペットでおしっこをしましたよ」
「ああ、これで疑いようもなく、大福だな」
「はい、あれでこそ、私たちの愛してやまない大福ですよ」
夫婦は、あふれんばかりの笑顔で、大福に駆け寄っていくと、
「大福、カーペットでおしっこしたんですか。いい子、いい子」
と、大福をなでなでするのであった。
かいぬしのきもち・終
2年前にたまたま家の近くに柴犬のブリーダーがいることを知り、直接購入した。夫婦はたいそう大福を可愛がっていた。
その大福の様子が、先程から何だか変なのだ。妻の違和感が確信に変わったのは、大福におやつの犬用のクッキーをあげた時だ。
いつもなら夕飯が近いそんな時間におやつをあげる事はないのだが、昨日から一泊二日の熱海旅行に行っていたので、留守番をしたご褒美としてオヤツを与えたのだ。
旅行の間、大福の面倒は、近所に住む甥っ子の晴彦に見てもらっていた。
「あなた、ちょっと来て。大福が変なの」
妻はリビングでくつろいでいる夫を呼んだ。
何だ、何だ、と夫がやってくる。
「今、やっと落ち着いたところなのに」
「大福が可笑しいんですよ」
「可笑しいって、何が可笑しいんだ?」
夫は妻の足元でお座りの姿勢を取っている大福に視線を向ける。
大福は、栗色の毛並み、つぶらな瞳、小さな三角の立ち耳、くるんと巻いた尾、とオーソドックスな柴犬であった。少々肥満気味なボディではあるが。
「ちょっと見ていてくださいよ」
妻は大福にクッキーを見せてから「お手」と手を差し出す。大福はすかさず妻の手の上に前脚を重ねた。お手だ。
「お、お、お…お手した…お手したぞ」
夫は戸惑いと興奮が入り混じった声を発した。
犬がお手したぐらいでそんなに驚くこともないだろうと思うかもしれないが、この2年間、二人が何度教えても、一度もお手をした事がなかったのだ。
「ね、可笑しいでしょう」
そう言いながら、妻は大福にご褒美のクッキーをあげる。
大福はクッキーを口に入れると、ムシャムシャと咀嚼し、あっという間に平らげる。
大福はまだ妻の目の前に座っている。大きな口を開けて、つぶらな瞳でじっと妻を見上げている。もっと欲しいという顔だ。
「ちょっと、俺にもやらせてくれ」
夫はクッキーを手にすると、
「大福、いいか、いくぞ。お手」
と聞き取りやすいはっきりとした口調で言い、手を差し出す。
大福は先程と同様にすかさず前脚を夫の手に重ねた。お手だ。
「お、お、お…お手した…またお手したぞ。まぐれじゃないみたいだな。どうなっているんだ。どうしてお手をするんだ」
夫はそう言いながら、ご褒美のクッキーをあげる。
妻はどこか得意げにこう漏らす。
「実は、お手だけじゃないの」
「何だって…」
「お手が出来るんなら、他も出来るんじゃないかと思って、やってみたのよ。そしたら、お代わりも、ふせも、ちんちんも全部出来たのよ」
夫は試してみたくなる。クッキーを手にすると「お手」「お代わり」「ふせ」「ちんちん」と次々に指示を出していく。
大福はいとも簡単に全て完璧にやってのけた。ご褒美のクッキーをあげる。
「どうなっているんだ」
「凄いでしょう」
「じゃこれはどうだ」
夫は大福に向かって「パン」と拳銃を撃つ真似をする。
すると、大福は撃たれてバタンと倒れる真似をした。これも出来るというのか。ご褒美のクッキーをあげる。
それならと、夫は「1+1=」と声を張り上げる。
大福は「ワン、ワン」と2度吠えた。
天才犬じゃないか。ご褒美のクッキーをあげる。
ここまでくると不可解であった。「お手」「お代わり」までは教えようと口にした事はあったが、それ以外のハイレベルな芸を教えた事などなかった。「お手」が出来ないのに、その先に進むわけがない。それなのに、どうして出来るのだ。
「俺らが熱海旅行に行っている間に何があったんだ。晴彦が教えたんじゃ?」
「まさか。そんな事一言も言ってませんでしたし」
「じゃ急に天才犬になったというのか」
「う~ん、もしかして…この子、大福じゃないのかも」
妻はずっと心に引っ掛かっていた事を口にした。
実は夫もそれは感じていた。帰って来てケージの中にいる大福を出してやろうとした時、何だか違和感を覚えたのだ。
だけど普通に自宅のケージの中にいるのだから、大福でないと誰が思うというのだ。大福でないと疑うより、旅行から帰ってきたばかりの、疲労した自分自身を疑った。老眼も酷くなってきていたし、歳を取ると自分を疑う要素はたくさん出てくる。
それに、最近買ったばかりのギンガムチェックの首輪をしていた事も、夫が大福であると決めつけた要因であった。
しかし固定概念を取っ払い、改めて疑って見てみると、顔や体型は確かに似ているが、大福でないような気がプンプンしてくる。
もうおやつをくれない事を理解したのか、大福はスッと立ち上がると、とことこと歩き出した。
夫婦はそれを目で追う。
大福は壁際に設けてある犬用のトイレトレーのところまでやってくると、足を上げて、ジャーとおしっこをしたのだ。これはもう決まりだ。
「大福じゃないな」
「大福じゃありませんね」
「大福はあんなところでおしっこはしない」
「はい、大福があんなところでおしっこなんてするもんですか」
大福はいつもなら、カーペットやテーブルの足やタンスなどを目掛けておしっこをする。わざわざトイレトレーを通り過ぎて、したら駄目なところでするのだ。それでも飼い主というのは、淡い期待を抱いて、トイレトレーを置いているものなのである。
「じゃあ、このしつけの行き届いた天才犬が、大福でないなら、大福は何処にいる?」
「そういえば、晴彦、今日散歩でドッグランに行ったって」
妻が思い出したように言った。
「そこで取り違えたのかも」
「ドッグランに連絡してみます」
夫婦は取り違えた大福でない柴犬を連れてドッグランにやってきた。終了間際ということもあり、利用者も少なく閑散としていた。
受付で待っていると、スタッフが大福を抱えてやってきた。
大福は夫婦ふたりの顔を見ると、「クゥーン、クゥーン」と甘えた声で吠えはじめ、ちぎれそうなほどしっぽをブンブンと振り、足をバタバタと動かし、今にもスタッフの腕から飛び出しそうな勢いだ。嬉ションするもの時間の問題だろう。
続いてやってきたのは、若い派手な顔立ちをした女性。大福でない天才犬の飼い主だろう。不機嫌丸出しの態度だったが、愛犬が取り違えられたのだから、当然のことだ。
夫婦は丁重に大福でない柴犬をお返して頭を下げる。
「本当にすみませんでした」
「間違えるなんて、信じられないんだけど」
30歳程年の離れた若い女性に偉そうに言われたが、悪いのはこっちなので言い訳などせず、ひたすら頭を下げその場をどうにか収めた。
「行くわよ。アンドリュース」
若い女性は、大福でない柴犬と共に去って行った。あの犬はアンドリュースという名のようだ。
自宅に戻った。長い一日だった。
妻は、夕食前だったが、寂しい思いをさせた大福に埋め合わせというわけではないが、犬用のクッキーをあげることにした。
さっきまで全然関わりのない犬にあげていたのに、大福にあげないわけにはいかない。
大福はクッキーをくれるのかと、尻尾を激しく振り近付いてくる。
クッキーを手に取った妻は、大福である事を確かめたくなった。
「大福、いくわよ」
妻は大福にクッキーを見せてから「お手」と手を差し出す。
大福は「お手」などする素振りもなく、いつクッキーをくれるのかと、口を大きく開けて、涎を垂らしながら、ただ見詰めているだけだった。
「あなた、ちょっと来て」
妻はリビングでくつろぎ始めた夫を呼んだ。
また何かあったのかと、夫は慌ててやってくる。
「どうした!?」
「大福がお手しないわ」
「そうか、お手しないか」
「大福ですね」
「ああ、大福だな」
2人はとても嬉しそうに見詰めあう。
「お手したらどうしようかとドキドキしたんですが、ホントしなくて良かったです」
妻は久しぶりに我が子に再会したような気持ちになった。目を潤ませる。
「お前、泣く事ないだろう」
「だって。そういうあなただって」
夫も目を潤ませていた。
「いや~、大福だなぁと思って」
「大福、あなた、お手しなかったの。いい子、いい子」
妻は大福の頭を撫でてほめてあげる。
大福は早くクッキーをくれと「ワン、ワン」と吠える。
「はい、はい、クッキーですね。分かっていますよ。忘れたりしませんよ」
妻は嬉しそうにご褒美のクッキーをあげる。
大福はクッキーをムシャムシャと咀嚼し、あっという間に平らげる。
「ちょっと、俺にもやらせてくれ」
そう言うと、夫はクッキーを手にして「お手」「お代わり」「ふせ」「ちんちん」と次々と指示を出していく。
大福はただ涎を垂らすだけで何もしない。
さらに大福に向かって「パン」と拳銃を撃つ真似をする。
それにも大福はもちろん無反応。
最後に夫は「1+1=」と声を張り上げる。
大福はやはり無反応。しまいには、早くくれと言わんばかりに、夫のズボンの裾に噛み付く。
「おい、見たか。全然しないぞ」
「全然しませんね」
「これこそ大福だ」
「そうですね。ズボンの裾、噛んでますもんね」
「ズボンの裾、噛みやがって。いい子、いい子」
夫は嬉しそうに言いながら、ご褒美のクッキーをあげる。
クッキーを食べ終わった大福は、スッと立ち上がると、とことこと歩き出した。
夫婦はそれを目で追う。
大福はリビングまでやってくると足を上げ、カーペットにジャーとおしっこをした。
「あなた、大福が、大福が、カーペットでおしっこをしましたよ」
「ああ、これで疑いようもなく、大福だな」
「はい、あれでこそ、私たちの愛してやまない大福ですよ」
夫婦は、あふれんばかりの笑顔で、大福に駆け寄っていくと、
「大福、カーペットでおしっこしたんですか。いい子、いい子」
と、大福をなでなでするのであった。
かいぬしのきもち・終