第4話 羊たちの誤算

文字数 5,062文字

 テーブルに置かれたボイスレコーダーが回っている。室内にいるのは、編集長の佐久間、雑誌取材記者の桃井、カメラマンの田中。そして取材対象者のA氏。(40代、男性。氏名は伏せられている)

Q:ヒトを襲っているときの心情を教えて下さい。

 心情といわれてもね。ずっと頭がぼんやりしていて、心ここにあらずって感じだからね。正直よく分かんないんだ。ああなると、誰にも止められない。ボク自身であってもね。

 ヒトを襲う事で欲求を満たすとかそういうわけでもなくて、義務感に近いのかな。無意識に体が反応してしまうんだ。DNAに組み込まれているんじゃないかとさえ思うほどだよ。とにかく、よく分からないんだ。

 え、ない、ない、あるわけないだろう。罪悪感なんてこれっぽっちもないよ。全くない。反省もしてないし、謝罪しようなんて思った事もないよ。どうして謝らなければならないんだよ。あれはボクであって、ボクでないのだから。
 
 ああ、確かにその一件だけは、申し訳ないという気持ちはある。

 自分で言うのもなんだけど、ボクは良い夫であり、良い父親だったからね。妻と子供たちを襲ったと知った時はショックだったよ。

 どうにもならなかったとはいえ、怖い思いをさせてしまった。だけど、佐久間のおかげで、妻と子供たちは助かった。聞いたよ。君がボクから家族を守ってくれたんだろう。本当に君には感謝している。

 ところで、妻と子供たちは元気にやっているのかな。今は君と一緒にいるんだろう。ああ、そうか、元気にやっているか。それは良かった。

 本当、君には助けられっぱなしだよ。まぁ、そのせいで、こんな取材を受ける羽目になったんだけどね。
 
 君から連絡を貰うとは思わなかったから、正直驚いたよ。あんな事があったからね。ああ、そうだったのか。他にも何人かにコンタクトを取っていたんだ。ボク以外、全員に断られたのか。

 気持ちは分からないでもないよ。ボクだって最初は断るつもりだった。蒸し返されたくない過去だからね。黒歴史だよ。

 そりゃそうさ、誰が好き好んで、自分がゾンビだったときの事を話したいと思うんだよ。

Q:抗ウイルス薬が投与されたときの事を教えて下さい。

 人類からしてみれば、ゾンビウイルス感染症との闘いに終止符を打つための、最大の布石だったんだろうけど、正直よく覚えてないんだよね。

 さっきも話したけど、ゾンビって思考停止しているわけだから、何が行われているかなんて理解出来ない。気が付いたら人間に戻っていたって感じかな。

 ただ、後から聞いて知ったんだけど、上空から抗ウイルス薬をばらまいたんだってね。接触による薬の投与は危険過ぎると判断したんだろうが、果たして最善なやり方だったのかは疑問だよ。

 考えれば分かることだとは思うけど、そんなやり方では薬がいきわたらないわけよ。ボクが人間に戻った時なんて、周りにまだゾンビがウヨウヨいたからね。

 1分も経たないうちに、襲われてゾンビに逆戻りだよ。二度目のゾンビ。一度感染しても、免疫が出来るわけじゃないみたい。

 ボクの場合は二度の感染で済んだけど、三度、四度とゾンビに戻った人もいたみたいよ。不運過ぎるよね。四度目のゾンビともなると、すっかり手慣れた感じだろうね。ゾンビとしての深みが出たりするんじゃない。

Q:ゾンビから人間に戻った時の心境を教えて下さい。

 嬉しいとかそういう気持ちの前に、とにかく体が痛かったってのが、率直な感想かな。全身どこもかしこも痛いのよ。

 ゾンビの時は、どんな傷を負おうが、痛みなんて感じないから、平気だったんだけど、人間に戻った瞬間、もうとにかく痛くて、痛くて。たまらず、ゾンビに戻してくれ!なんて思ったからね。

 そりゃ痛いよ。痛いに決まってるじゃん。体のいたるところに、切り傷や打ち身があるんだよ。左足の太ももと右肩に関したら、ライフルで撃ち抜かれているわけだからね。もう激痛よ。

 あ、そうそう、この左足の太ももだけは、ゾンビの時じゃなくて、人間の時に撃たれたんだ。確かそうだよな、佐久間。おい、何だよ、忘れちゃったのかよ。まぁいいや。

 あと、合併症のせいで、顔や体の皮膚はただれていたし、人間の反撃で肋骨と鎖骨が骨折していたよ。怖いのは分かるけどさ、やり過ぎだよ。加減ってものを知らないんだから。

 さんざん噛み付いていたからだろうね。顎も地味に痛かったな。顎関節症になっていたみたい。

 地味に痛い系でいうと、両腕が酷い筋肉痛だったんだ。ゾンビって歩く時に両腕を上げる癖があるでしょう。四六時中あんな歩き方してれば、そりゃ筋肉痛にもなるよね。

 未だにさ、ゾンビの時の癖が抜けてなくて、歩くと何故か両腕が前に上がっちゃうんだよ。凄く意識すれば上がらないけど、気を抜くと、ビョン!って上がっちゃうの。リハビリはしているんだけどね。

 これでもボクなんかは軽傷の方で、重症者になるともっと酷いから。脳天に刃物が突き刺さったままだったり、目が飛び出していたり、はらわたを引きずっていたりね。

 せっかく人間に戻っても、外傷が酷すぎて死んでしまう人もいたみたいよ。救済のつもりで人間に戻したのに、死んでしまうなんて、皮肉なもんだよね。

 そう考えると、ゾンビって、打たれ強くて耐久性に優れているよね。

 あとさ、これは余り言いたくなかったんだけど、とにかく体が臭かったんだよね。ゾンビの時は気にならなかったんだけど、人間に戻った途端、もうとにかく臭くて、臭くて。たまらず、ゾンビに戻してくれ!なんて思ったからね。

 ボクの場合、13年近くゾンビだったわけじゃない。そりゃ、もう、えげつない匂いよ。頭がクラクラしてきて、マジで死ぬんじゃないかと思ったね。

 ここまで生き残って、最後は自分の体臭で死ぬなんて、カッコ悪過ぎるじゃん。だから、意識を保つのに必死だったよ。

 あ、それでさ、ちょっと聞きたいんだけど、大丈夫だった?何がってほら、ゾンビに襲われた時さ、臭くなかった?

 え、そうなんだ。逃げるのに必死で、分かんなかったんだ。なるほどね。確かにそんな余裕ないよね。それなら良かったよ。

 そりゃ、気になるよ。ゾンビって怖くてなんぼじゃん。それなのに、怖いから逃げていたんじゃなくて、臭いから逃げていたんだったら、ショックじゃない。臭いが怖さを上回らなくて良かったよ。

 とにかく人間に戻ったからといって、手放しで喜んでもいられなかったんだ。痛いし、臭いし、大変だったよ。

Q:13年ぶりの人間としての生活はどうですか?

 う~ん、そうだな。何もかもが前のようにはいかないからね。

 国の復旧、復興支援によって、被害を受けた地域は元通りにとはいえないが、徐々に活気を取り戻してきているとは思うよ。

 だけど、被害者支援の方は行き届いてない気がするね。特にボクらのような元ゾンビに対する支援は手薄だよ。

 確かに、医療費は無償だし、仮設住宅も供給してもらってはいるよ。それでも、元ゾンビの人間に寄り添った政策じゃないんだよね。

 元ゾンビの人間の大概が、家族と別れて暮らしているし、地域には馴染めてないし、再就職先もなかなか見つからないし、とにかく生きづらいわけよ。

 そういうところを理解したうえで、今一度支援の見直しを検討してほしいね。
 
 え、ああ、今はこれといった定職には就いてないよ。これでもゾンビになる前は、医者だったんだ。

 大学病院に勤務していて、将来を嘱望されていたんだぜ。だからいずれは医療現場には戻りたいとは思っているんだけど、履歴書さえ通らない状況なわけよ。

 病院側もさんざん人を傷つけた人間を医師として雇うのは抵抗があるんだろうね。いや、そうだよ。法律上ではゾンビだった事を言う必要もないし、履歴書に書く必要もないよ。

 だけど履歴書には顔写真をつけなくちゃならないわけよ。見て分かるように、元ゾンビの人間って、後遺症で青白い顔のままじゃん。すぐバレちゃうのよ。医者に復帰するにはいくつものハードルがあるってわけよ。

 とはいっても、生活をしなければならないからね。日雇いなんかで繋いでいるんだけど、元ゾンビって日当が安くてさ。

 しかも誰もやりたがらない過酷な重労働の仕事しか斡旋してもらえないわけ。あとはゾンビ映画のエキストラとか、お化け屋敷のゾンビ役とかね。

 いやいや、当たり役じゃねぇっつの。そういう元ゾンビ労働者に対する人権侵害もなくしてほしいもんだね。

 そうだね。差別はなくならないね。露骨に無視されたり、周囲の人から心ない言葉を言われたり、お店や施設の入店を断られたりもするよ。

 確かにゾンビ時代にたくさんの人を襲ったと思う。家族を襲われて恨みを買っているかもしれない。だけど、ゾンビは誰も殺してはいないんだ。ただ感染させただけ。殺すのは、いつも人間だよ。

Q:今後の目標を教えて下さい。

 目標ね。何だろうな。今は生活するだけで精一杯だからね。無理にでも答えろというなら、そうだな。出来る事なら、もう一度ゾンビに戻りたいかな。

 そんなに驚く事でもないだろう。さっきも言ったけど、元ゾンビの人間って生きづらいんだよ。

 正直ゾンビだった頃の方が気楽で良かったよ。何も考えずにただヒトを襲っていればいいわけだからね。今よりはよっぽどましだよ。
 
 それに、やり残したことがあってね。もう一度ゾンビに戻れるなら、そのやり残したことを、やり遂げたいと思っているんだ。

 え、やり残した事って、何かって。聞きたい。ちょっと長くなるけどいい。

 これはボクがまだゾンビになる13年前の話なんだけどね。

 ボクを含む総勢11名の生存者たちは、さいたま市の廃墟となった映画館に身を隠していたんだ。その生存者の中には、そこにいる佐久間もいた。

 快適とはいえないけど、みんなで助け合いながら、なんとか生活は出来ていた。だけどそんな生活も長くは続かなかった。

 食料が底をついてしまったんだ。このままでは、みんな飢え死にしてしまう。それで、佐久間とボクで近くにあったスーパーへ向かうことになった。

 スーパーへ着くと、運よくゾンビの姿はなかった。佐久間とボクは、食料を詰め込めるだけ詰め込んだ。

 後はみんなの待つ場所へ戻りさえすればいいだけだった。しかしスーパーを出て、アジトへ向かっている最中、ゾンビの大群と遭遇してしまったんだ。

 佐久間とボクは、懸命に逃げたよ。あの当時は、こんな事は日常茶飯事で、それでもいつも逃げ切る事が出来ていたからこそ、人間でいられていた。

 この日もボクはそうなると信じていた。だけど、そうはならなかった。思いもよらない展開が待ち受けていたんだ。

 佐久間、さっきは忘れているふりをしていたけど、本当は覚えているんだろう。何の事だよって。まだ、とぼけるつもりか。

 この太ももの傷の事だよ。君が、迫りくるゾンビから逃げたい一心で、ボクの足をライフルで撃ったんじゃないか。

 そして動けなくなったボクは、ゾンビの餌食となった。ゾンビがボクに引き付けられた事で、君は助かったんだろう。

 問題は、どうして君があんな暴挙に出たのかという事だよ。2人揃ってゾンビになるより、どちらか1人だけでも助かった方が良いと考えて、やむを得なくやった。

 それとも、ボクにいなくなって欲しくてやった。君はボクの妻を愛していたからね。ボクがいなくなれば、彼女が手に入ると考えたんだろう。

 現にそうなっているじゃないか。君は今、ボクの妻と子供たちと一緒に暮らしているんだろう。

 君がどんなに言い逃れをしようが、ボクは君のせいでゾンビとなり、全てを失ったのは事実だよ。

 やり残した事というのは、復讐だよ。ゾンビになって、君から全てを奪ってやりたいんだ。

 でも安心して、今はまだ人間がゾンビに戻るのは無理な話だ。ただ、ここだけの話、元ゾンビの人間が集まる組合があるんだけどね。

 その中に過激派と呼ばれている集団がいて、そんな彼らがゾンビウイルスの開発に乗り出しているみたいなんだ。

 開発にあたっているのは、元科学者や元医者らしく、完成は間近らしいよ。

 ウイルスが完成したら、街中にばらまいて、全人類をゾンビに変えようとしているのか、もしくは、自らがもう一度ゾンビになって、人間を襲おうとしているのか、そこまではまだ分からないけどね。

 佐久間、どうしたんだ。青白い顔して。まるでゾンビみたいじゃないか。気が早いよ。ゾンビになるのは、もう少し先だよ。

羊たちの誤算・終
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