第22話 ゴールキーパーの愚痴

文字数 4,842文字

 いったい何が起こっているんだ。俺は今、悪い夢でも見ているような、信じがたい状況の中にいる。

 全国高等学校サッカー選手権大会。東京都予選の1回戦。青谷橋学園VS国武館高校。俺のポジションはゴールキーパー。時計の針は後半45分を指していた。残すはアディショナルタイムの3分。

 このまま試合終了なんてことはないよな。こんなんで終われるかよ。終わってたまるか。俺は得点表に視線を向ける。

〈青谷橋学園VS国武館高校2ー0〉

 何度確認しても、変わらない。だけど信じられん。俺たちが、あの国武館に勝っているなんて。畜生、何で勝っているんだ。

 国武館といえば東京都地区を代表とするバリバリの強豪校。対する我が青谷橋学園はバリバリの弱小校。このまま勝てば、ジャイアントキリング。

 いやいや、そんな事よりもだ。俺らは3年間、たったの一度も勝ったことがないんだぞ。公式戦だけじゃなく練習試合を含めても負けっぱなしの全戦全敗だ。

 このまま試合終了のホイッスルが鳴れば、念願の初勝利を手にすることになる。初勝利がジャイアントキリングというわけだ。

 普通なら天にも昇る気持ちだろう。だけど、全くもって嬉しくない。何故なら俺は、この試合で全く活躍していないからだ。

 いや、誤魔化すのは止めよう。俺はこの試合で、まだ一度もボールに触ってないんだ。たったの一度もだ。ちょこっと手に触れたとか、身体に当たったとか、そういうのもない。どうなっているんだ。

 ボールに触ってない事に気が付いたのは、ちょうど2点目が入った、前半終了間際だった。最初は笑える、なんて余裕かましていたけど、前半が終わり、後半20分が過ぎ、30分が過ぎ、40分が過ぎ、試合終了が近付くにつれ、悶々とした気持ちが押し寄せてきた。

 俺ら3年生にとって最後の大会だ。だからこそ、初勝利を掴むために、血の滲むような努力をしてきた。練習後夜遅くまで残って自主練もしたし、この試合にかける思いは誰にも負けてないと思う。

 それなのに、まだ一度もボールに触ってない。畜生、俺が思い描いていた初勝利じゃない。

 どうしてこんな事になった。あれがいけなかったのか。

 東京の亀戸にスポーツ信仰の神として知られる経津主神(ふつぬしのかみ)を祀る亀戸香取神社がある。

 そこで俺は、今日の国武館高校との試合に勝てますようにと願った。厳密に言うと、国武館高校との試合、0点で抑えれますように、俺のミスで負けませんように、なんなら、ゴールにボールが飛んできませんように、と願った。

 すげぇ叶ってるじゃん。叶い過ぎだろう。どうして俺は、あんな事を願ってしまったんだ。さんざん練習したというのに、怖かったんだろうな。都内屈指の攻撃力を誇る国武館が。本心を言うと、俺がシュートをバンバン止めて、チームのピンチを救ったうえで、勝てますようにと願いたかった。だけど、そんな事を言えば、自分自分って感じで、神様に嫌われるかなぁと思ったんだ。控えめって大事でしょう。

 とはいえ、国武館の選手だって神頼みぐらいはするだろうし。俺だけがこんなに叶うってことがあるか。

 俺はしばらく考え、青谷橋学園のベンチ前にいる小池臨時監督に視線を向ける。あいつのせいじゃないか。

 全ての始まりは3カ月前。当時のサッカー部顧問が、日常的に行っていた体罰がおおやけになり、学校から去った。選手権まであと3カ月というところで、俺らは監督を失った。学校もさすがに哀れに思い、すぐに臨時監督がやってきた。それが小池臨時監督。

 監督は厳しかったが、サッカーを教えるのが上手かった。監督考案の練習やトレーニングメニューは、やっていて楽しかったし、めきめきと上達した。

 監督が特に力を入れたのが、ディフェンスの強化。DFだけではなく、MFにもFWにも徹底して叩きこんだ。
 
 その結果、攻撃力に定評がある国武館を無得点に抑え、そして俺から、初勝利の喜びを奪おうとしている。ディフェンス強化しすぎだろう。やっぱりあいつのせいだ。

 俺はこの90分間、ただただゴール前で突っ立っていた。何もしていない。ゴールキックすらしていない。考えてみれば、ほとんど動いてもいない。観客席にいる保護者のおじさんが、さっきトイレに立って今帰ってきた。あの保護者のおじさんより、俺は動いていないだろうな。試合中のサッカー少年が、あんなおじさんに負けるとは…。畜生、何だか、泣けてくるよ。

 その時、国武館の客席からドッと歓声があがった。青谷橋学園のDF塚本が出したパスを、国武館の三國がパスカットで奪ったのだ。三國はボールを持つと、自慢の快足を飛ばし、積極的に切りあがっていく。

 俺は目をギラつかせる。ついにか。ついに来るか。サッカーにおいて、2ー0は危険なスコアだと言われている。ここを止めれば、俺は一躍ヒーロー。この活躍次第では、これまでボールに触っていない事なんて帳消しになるぞ。

 三國は、立ちはだかる青谷橋学園のDF高橋をフェイントで抜き去ると、ペナルティエリア前にパスを出す。走り込んできたのは、国武館高校のキャプテン枝野だ。周りにDFはいない。俺と枝野の1対1だ。

「よし、こい。止めてやる」
 と、俺は構える。

 枝野がシュート体勢に入り、足を振り上げたその刹那、青谷橋学園のDF沢村が、華麗なスライディングであっさりとボールを奪った。

 ディフェンス強化がこれほどまでに上手くいったのは、こいつが転校してきたことも大きい。

 沢村護。3カ月前までサッカー強豪校の横浜第一高校にいた。U-18日本代表にも選出されるほど、鉄壁のセンターバックとして名を馳せていた。しかし、横浜第一高校の監督と意見が合わず対立してしまい、レギュラーを外される。そんな時に家が近所で知り合いだった小池監督が声をかけ、転校してきたのだ。

 こいつが、国武館高校の攻撃をことごとく潰しているんだ。こいつが上手すぎるんだ。この天才のおかげで、俺はボールに一度も触ることなく、初勝利を手にしようとしている。

 俺は、ボールを奪った沢村に、ナイスプレーだと言わんばかりに、親指を立てたGOODポーズをしたが、心の中では、逆さにしてブーイングポーズにかえていた。

 ブー、ブー、ブー。沢村、てめぇ、余計な事すんじゃねぇ。ブー、ブー、ブー。

 沢村は、そこからセンターサークル付近まで駆け上がり、空いた右サイドのスペースに走り込んだDF塚本にパスを出す。パスを受けた塚本は、ゴール前へクロスをあげる。それをFW南が合わせ、ゴールネットを揺らした。

 アディショナルタイム残り2分。ここにきて3ー0。勝利は確実だろう。初勝利はもう間近に迫っている。

 このままでは、本当に初勝利を喜べないかもしれない。国武館、何やっているんだ。シュート打って来いよ。シュート打たねぇと勝てねぇぞ。頼むよ。

 やはり頼みの綱は、2年生エースの前澤翔か。そう言えば、この2年生エース、試合前のトイレで、うちのことを馬鹿にしていたな。万年一回戦負けの、思い出を作りにきたサッカー部だって。

 個室に俺がいるとも知らずに、3点、いや、4点はいけそうとか、ハットトリック超えちゃうとか、ハットトリックの向こう側にいくとか、ベラベラと言いたいこと言いやがって。腹は立つが、それでも、この2年生エースに頑張ってもらわないと。

 俺が初勝利を喜べるかどうかは、こいつにかかっているんだ。とにかく、さっさとパス貰って、攻めてこいよ。

 そう言えば前澤は、もう10分以上、全くボールに絡んでいないんじゃないか。俺が言うのも何だが。

 あ、そうか。前澤が活躍していないのも、沢村のせいか。何だ、俺と同じ悩みを抱えているわけか。急に親近感がわいてきたぞ。打倒沢村ってことじゃ、ある意味仲間じゃないか。前澤、頑張れ。沢村なんかに負けんじゃないぞ。

 その時、枝野から前澤へパスが出る。パスを受けた前澤だったが、ゴールに背を向けた体勢であった。前を向かせまいと、すかさず前澤の背後に着く沢村。

 俺は迷うことなく応援する。もちろん前澤を。前澤、落ち着けよ。皆が繋いでくれたボールだ。大事にいけ。すると前澤は、キレのあるターンで、沢村を抜き去る。

 そう、それだ。やるじゃねぇか。やれば出来るじゃないか。どうしてもっと早くそういうのを出さないんだ。

 沢村は急いで追いかける。前澤は必死にドリブルで駆けあがる。俺はチームメイトの沢村に念を送る。

 こけろ~、こけろ~。こけやがれ~。すると、沢村の足が縺れて本当にこけてしまった。よし、邪魔者は消えた。前澤、勝負だ。

 前澤がペナルティエリア内に入り、シュート体制に入る。俺は、構える。このシュートを止めて初勝利だ。

「さぁ打ってこい。シュートだ。シュートこい、シュートこんかい、シュート、シュート」

 しかし次の瞬間、前澤が選択したのは、パスだった。

「パス!?」

 パスだと…ハァ!?

 前澤がパスを出した先には誰もおらず、ボールはサイドラインを割る。

 どうしてパスなんだ。欲しがり過ぎたか。俺がシュートを欲しがり過ぎていて怖じ気づいたか。それとも、何か見えざる力が、俺にボールを触らせまいとしているのか。

 俺と国武館の選手たちが頭を抱えるなか、沢村がスローインをする。あれよあれよと、FWの南にパスが渡り、ダメ押しの1点が追加された。これで南は4得点目。ハットトリックの向こう側というやつだ。

 南は、もとはDFだった。沢村が転校してきた事で、FWに変わった。この試合で南はフォワードとして覚醒した。

 そこで、主審が試合終了のホイッスルを吹いた。俺は、とうとう一度もボールに触ることなく、初勝利を手にした。

 念願の初勝利を手にしたこの瞬間に、まっさきに頭に浮かんだのは、試合前日にサッカー部のマネージャー橘英子に告白されたことだった。俺は、英子が好きだったが、今は試合に集中したいからという理由で、断った。

 告白を断ってまで臨んだ試合だったのに、ボールにすら触ってない。こんなことなら、付き合ってたら良かった。カッコ付けないで、付き合ってたら良かった。

 英子は俺に惚れているわけで、試合中もずっと俺から目を離せないわけで、そうなると、ボールに触ってない事に気が付いているかもしれないわけで。

 俺は、嫌だなぁと思いながら、何となしに青谷橋学園のベンチにいる英子に視線を向ける。英子は頬をポッと赤くして、フォワードとして覚醒した南を見ていた。何だよ畜生。

 フィールド内に視線を戻すと、チームメイトは、まるで優勝でもしたかのように、初勝利を喜び合っている。

 俺は皆の元へは行けない。あそこには、汗、涙、汚れたユニフォームがある。

 視線を下ろし、自分のユニフォームを見る。汚れ一つない綺麗なユニフォームだった。あいつらのところには、こんなおろしたてのユニフォームじゃ行けない。汗もかいてないし、泣く程のことは何もしていない。俺には喜びを分かち合う権利はない。

 出来るだけ目立たぬように、ベンチへ戻ろうとすると、どこからともなく俺の名を呼ぶ声がした。

 声のした方を振り向くと、チームメイトたちが「やったぞー」「初勝利だ―」と俺の方に駆け寄ってきた。

 お前ら、泣かせるような事するんじゃねぇよ。俺には喜ぶ権利も、ましてや泣く権利もないんだよ。泣いちゃっているけど…。

 知らなかったよ、初勝利ってどんな状況でも嬉しいもんなんだなぁ。

 ベンチへ戻る途中、目の前にサッカーボールが転がってきた。俺は、かがんで掴もうとしたのだが、ボールはヒョイと逃げるように曲がった。まるで磁石の同じ極どうしが反発するかのように。

 それでも俺は諦めず、ダイビングキャッチして、ようやくボールに触ることが出来た。ずっと会いたかった友達に会えたような感覚だった。

 俺は人目も気にせずボールに頬刷りをする。次の試合こそは、ボールに触りまくってやる。

ゴールキーパーの愚痴・終
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