第12話 買い置き魔の買い置きリスト

文字数 4,094文字

「所詮私も、歯車の一つに過ぎない」
 男は洗面所の鏡の中に映る、少し疲れた自分の顔を見てそう呟いた。そして、ペタンコになった歯磨き粉のチューブを搾り出そうとグルグル丸めて力を込めたが、これっぽっちも出てこなかった。

 チューブをゴミ箱に放り、戸棚の中の買い置きから、新品の歯磨き粉を取り出す。その戸棚には、他にも買い置きされた沢山の洗面用具が種類ごとに綺麗に並べられてあった。

 彼は買い置き魔である。買い置きは彼のラッキーナンバーの「6」にちなんで、各種6個ずつ揃えてある。買い置きから出したその日だけは5個になるが、すぐに補充されるのであった。

 現在のその戸棚の状況はと言うと、シャンプー6個、コンディショナー6個、石鹸6個、ボディータオル6枚、カミソリ6個、電動歯ブラシ6本、歯間ブラシ6個、歯磨き粉5個。

 あと洗面用具でいうと物置にも、風呂桶、風呂椅子、風呂の蓋、バスブーツなんかもきっちり6個ずつの買い置きがある。

 買い置きはもちろん、洗面用具だけに収まらない。ティシュペーパー、トイレットペーパー、キッチンペーパー、サランラップ、爪楊枝、コーヒーフィルター、蛍光灯などの日用品。

 ウスターソース、お好み焼きソース、ケチャップ、マヨネーズ、醤油、味醂、味噌、料理酒、めんつゆ、焼き肉のタレ、バターなどの食料品。

 そして、テーブル、椅子、棚、書棚、ソファなどの家具類。

 さらに、テレビ、スピーカー、炊飯器、電子レンジ、食洗器、コーヒーメーカー、ホームベーカリー、冷蔵庫、掃除機、洗濯機、体重計、美容器具、健康器具などの電化製品に至るまで、きっちり6個ずつの買い置きがあった。

 それらは、庭の倉庫に種類ごとに分けられ、綺麗に並べられてある。知らない者が見たら、ホームセンターの在庫置き場と勘違いすることだろう。

 それほどの買い置きを揃えられるのは、男が大きな会社を経営していて、かなりの大金持ちであるからだ。

 男は妻に買い置き用の歯磨き粉が1つ減ったので買ってくるようにと告げた。別に自分で買わなくても買い置きが6つあれば、それで満足なのであった。そして支度を終えると、妻にキスをして家を出た。

 会社までは車で出勤する。駐車場には現在乗っている1台の高級外車の他に6台の買い置きの高級外車が停まってある。

 車好きで買い揃えた訳ではないので、車種も色も全て同じであった。メンテナンスにこそ7台とも出すが、乗るのはその中の1台に決まっていた。他の6台の車には乗った事がなかった。買い置きに乗るわけにはいかないからだ。乗ってしまえば、買い置きにはならないのだ。

 車を買い替える際は、使用していた1台だけでなく、買い置きの新車6台もろとも廃車し、使用する1台と買い置きの6台、計7台を新たに購入することになる。

 運転手が玄関まで車を回して来て、男は後部座席に乗り込んだ。しばらく走らせた後、男は運転手に告げた。

「会社に行く前に、例の場所に寄ってくれ」

「かしこまりました」

 車は大きな病院に着いた。男は何の手続きもせずに受付の奥の階段を下りて行く。地下2階までくると、厳重にカギの掛かった部屋の前にやって来る。

 鍵にカードをかざし、指紋照合させ、ドアを開けて中に入る。

 部屋は冷蔵室になっており、大きなビーカーが並んでいた。その中にはアンモニアに浸けられた臓器が入っている。

 心臓、胃、肺、肝臓、すい臓、腎臓、腸などの臓器が6個ずつ保存されていた。男はその中のひとつを手に取りニヤニヤと笑みを浮かべる。

 そこに恰幅の良い医師が入ってくる。
「入り口で見かけましてね。たぶんここだと思いまして」

「週に1度は見たくなるんだよ。あ、胃を補充して、6個に戻してくれたみたいだな。謝礼は振り込んでおくよ」

「ありがとうございます。それにしても大事に至らなくて良かったですね」

「…ああ。しかし、本当にこれだけ集めてくれて、君には感謝しているよ」

「最初に話を持ち掛けられた時は正直驚きましたけどね」

「臓器を6個ずつ買いたいなんて、変な趣味があるとでも思っただろう」

「何とお答えしていいものか。まぁ変わった方だとは思いましたが」
 医者は苦笑いを浮かべる。

「このご時世、危ない事だらけだろう。変な事件、事故が多いし、毎年、訳の分からないウイルスが発見され、病気も増えている。臓器だって1つじゃ足らないよ。買い置きしとかないと」

 病院を出て会社に向かい、いつものようにバリバリと業務をこなす。

 当然、会社の備品の買い置きにも抜かりはなかった。会社にはコピー機が10台あるが、倉庫にはそれぞれの買い置きで60台あった。

 部屋ごとに備え付けられたエアコンや空気清浄機にも6個ずつの買い置きがある。

 さらに社用車が8台あるのだが、それぞれの買い置きとして、地下1階と2階の駐車場には48台もの全く同じ車種と色をした社用車の買い置きが保管されてある。

 その他にも、細々した備品、文房具類、社長室にあるゴルフのパットを練習するマットに至るまで、きちんと6個ずつ買い置きされていた。

 地上16階、地下2階の自社ビルの3階までがオフィスで、その他の階は全て買い置きを保管する倉庫となっている。社員よりも買い置きにスペースを取っているという有様であった。

 さらに、自社ビルの周辺を見渡すと、全く同じ、地上16階、地下2階の自社ビルの買い置きが、6棟存在している。その買い置きの6棟それぞれに、オフィスとして使用する為の設備が全て整っている。そうでなくては、自社ビルの買い置きとはいえないのである。

 その買い置きの6棟それぞれのオフィスにある備品や社用車などの買い置きもあるので、買い置きの買い置きまでされているというわけだ。果たして、どれほどの数の備品の買い置きが存在しているのか、計算するのも嫌気がさすというものだ。

 自宅に戻る途中で、男は運転手に告げた。
「悪いが、家に戻る前にあそこに寄ってくれ。あ、そうだ。その前に何処かでケーキを買って行こう」

「かしこまりました」

 ケーキを買ってしばらく走り、トンネルを抜けると、静かな住宅地に出た。立派なファミリータイプのマンションや厳重なセキュリティで守られた大きな一軒家が建ち並んでいる。

 そして車は、とあるマンションの前で停まった。

 運転手に、連絡を入れるから後で迎えに来てくれと指示すると、男はマンションの中へ入っていく。

 女は、物陰に隠れて、とあるマンションに視線を向けている。何でもかんでも買い置きをする主人に疑惑を抱き、探偵を雇って身辺調査をしてもらった。

 すると、頻繁にこのマンションに出入りしていることが分かった。間取りを調べたら、家族で住むタイプの部屋だった。

 疑惑は確信へと変わった。主人が今朝の出掛けにキスをしてきた事を思い出す。あの人がキスをしてくるなんて、驚きであった。最近優しくしてくれると思ったら、やっぱりやましい事があったのね。

 女はバックから、1枚の写真を取り出す。ハワイで撮影した家族4人の集合写真。幸せに満ちたひと時を切り取った写真。主人の言い付けで、自宅にはこの写真の現像したものが6枚ある。思い出の写真の買い置きである。この幸せを壊す気なの。写真を持つ手に力が入る。

 そこに主人を乗せた車がやってきた。マンションの前で停まると、後部座席から主人が降りてきた。運転手と2言、3言交わし、マンションの中へと入っていく。

 主人の手にケーキの箱が握られていることが、女の怒りをさらに沸騰させる。

 間違いないわ。主人は私たち以外の家族を持っている。家族の買い置きをしている。許せない。女は部屋に乗り込む決断をした。

 マンション内に入った女は、住人を装いエントランスの椅子に腰を掛けると、他の住人がオートロックを開けるのを待った。

 5分もしないうちに子供連れの3人家族が帰ってきた。難なくオートロックのドアを抜け、エレベーターに乗り込む。

 探偵から部屋番号を聞いていたので、簡単に部屋の前までやってこられた。

 呼び鈴を押す。しばらくすると、ドアが開いて主人が顔を出した。目を見開き驚いている。どもりながら、主人が言う。

「な、何故、君がここに」

「あなたが、私たち家族を裏切っているのは、分かっているわ」

「…何を言っているんだ」

「家族の買い置きをしているんでしょう」

「馬鹿な事を。いくら私でも、家族の買い置きなんてするわけがないだろう」

「どうかしら。臓器の買い置きをしているぐらいだしね」

「どうしてそれを」

「調べはついてるのよ。さっさと白状しなさい。家族の買い置きをしているんでしょう」

「誤解だ。そんな事しているわけがないだろう。とにかく、こんなところで話していてもしかたない。今日のところは帰りなさい。私もすぐに帰るから」

「イヤよ。全ては部屋に入れば分かる事よ」

 女は強行突破を図る。主人を押しのけて部屋の中へと入っていく。

 リビングに乗り込み、目の前の光景を見たとき、すぐには何が起こっているのか理解が出来なかった。

 玄関から戻ってきた主人に向かって、女は声を荒げる。
「な、なんなのよ。これ」

「ああ、買い置きだよ」
 主人は照れ臭そうにポリポリと頭を掻いた。

 女は視線をリビングに戻す。買い置きですって。そこには、主人と全く同じ顔をした男たちがテーブルでケーキを食べていた。

 主人と同じ顔をした男たちは、女の存在に気が付くと、嬉しそうに立ち上がる。そして女を取り囲み始めた。

「これが、生の奥さん」

「実物の方がいいね」

「はじめまして。あなたの旦那の買い置きです」

 どうして主人がこんなにいるの。頭がおかしくなりそう。いったいどうなっているのよ。家族の買い置きじゃなかったの。

 男は戸惑った妻の様子を見ながら、ひとつ深い息を吐いた。まさか妻が私を疑っていたとは。迂闊だった。どうもまだ妻の扱い方が掴めてないと反省する。そこに携帯電話が鳴った。

「はい、私だ。そうか、やっと出来たか。1つ使ってしまったからな。これで私の買い置きが6つになるよ」

買い置き魔の買い置きリスト・終
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