第11話 愛ナビ
文字数 6,003文字
国家は全国民のDNAデータを保管していた。DNA管理省の鳴海博士が、そのデータを使い密かに「愛ナビ」という装置を発明した。
愛ナビは「運命の人」に導いてくれるナビゲーションシステムである。「運命の人」というあいまいな目的地まで案内してくれる装置なんて、いかがわしいとお思いになるだろうが、成果は出ていた。
鳴海博士には愛する妻がいるのだが、何を隠そう「愛ナビ」を使い出会う事が出来たのだ。奥手で恋愛ベタな鳴海にとっては、愛ナビなしに今の幸せを手にすることは出来なかったであろう。
世の中には恋愛に臆病な者は大勢いる。愛ナビにはきっと需要があるはずだと、鳴海は考えていた。少子化を解消する足掛かりになるかもしれない。商品化に向けて、更なる実証試験をする必要があった。
治験モニターを募集することになった。募集要項は、愛ナビのターゲット層である恋愛未経験者に絞った。
応募者は多数来ると予想されたが、たったの一人もこなかった。考えてみれば、奥手で恋愛に臆病な者たちは、進んで名乗り出るタイプではないのだ。
困り果てた鳴海は、近所に住む「湯本隆文」という友人に頼ることにした。類は友を呼ぶのか、湯本は鳴海と同類のタイプであった。
すぐに連絡を取り、仕事終わりに自宅に寄ってもらうこととなった。
夕刻過ぎにやってきた湯本は、相変わらず異性に縁遠い感じが見て取れる。色褪せたチエックのシャツに着古したチノパン。今時珍しい、分厚いレンズのメガネをかけている。
体つきはスマートだが、貧相と形容したほうがしっくりくる。寝癖まじりのボサボサヘアが無頓着な性格を物語っていた。頼りがいがなく、母性本能をくすぐるタイプでもない。27歳になろうというのに、今までに一度も恋人が出来たことがなかった。
彼のような人間にこそ、愛ナビが必要であり、実証試験にはうってつけの人材であった。
「これが、さっき話した、愛ナビなんだ」
鳴海は作業場から愛ナビを持って来て見せた。
愛ナビは12インチサイズのタッチパネルディスプレイが搭載された端末。いずれはもう少しコンパクトで持ち運びやすくしたいと考えていた。
高画質な液晶画面には、平面地図だけでなく、3Dマップも表示でき、見やすさを徹底的に追及してある。
画面回転機能も備えてあるので、縦向きにも横向きにも対応可能。ナビゲーションシステムの機能も優れており、オンラインマップと連携し、常に地図は最新の状態に更新されるようになっている。
また道路交通情報や渋滞の状態などをリアルタイムで受信し、回避ルートを即座に表示出来るようになっていた。
愛ナビを受け取った湯本は、既に興味をひかれている様子だった。
「これで運命の人に出会えるなんて、凄い時代が来たものだね」
「まだ試作段階ではあるけどね」
「それでも博士は、愛ナビを使って奥さんと出会い結婚したんだろう」
「まぁそうなんだけど」
鳴海が照れ臭そうにする。
「博士の色恋沙汰なんて聞いた事が無かったから、結婚したと報告を受けたときは不思議に思っていたんだけど、こんなからくりがあったとはね。それでどうやって使うだい」
鳴海が愛ナビに手を伸ばし、電源ボタンを長押しすると、愛ナビから軽やかな音が流れ起動を始める。
画面に、宇宙空間に浮かぶハート型の地球が映し出され、愛ナビという文字が現れると、起動完了となる。鳴海なりに頭を捻って今風のデザインにしたつもりであったが、どうも安易で野暮ったい。商品化される事になれば、プロダクトデザインの専門チームを入れて、改良したいと考えていた。
鳴海が愛ナビの使用方法について説明する。
「端末が起動すると、使用者情報の登録ページに進んで、氏名、生年月日、性別、血液型、住所、職業、年収、メールアドレス、パスワードを入力する。パスワードは、半角英数字で15文字。登録画面の入力が終わると、画面下にある【次へ】のボタンを押す。画面が切り替わって、手形が現れるだろう。そこに手の平を押し当ててくれ。これで手相を記録するというわけ。最後に本体の横に備え付けられてあるスロットを引き出して、そこを軽く嘗める。唾液からDNAを採取しDNA管理省のデータと照合するんだよ。照合が出来たら、画面下にある【次へ】のボタンを押す。そして画面が切り替わって、いよいよナビが開始されるというわけなんだ」
湯本は言われた通りに操作し、愛ナビの画面が切り替わると、ナビ開始ボタンが現れる。
すると愛ナビから、
〈湯本隆文さん、こんばんは。愛ナビのご利用、ありがとうございます。運命の人の元へ案内を開始しますか?〉
と、聞き取りやすい美しい声が発せられた。
唐突に名前を呼ばれた湯本は、はにかんだようか顔を浮かべ、お~ッと軽く唸った。
「あとは、ナビに従い目的地(運命の人の元)へ向かうだけさ。簡単だろう」
「ああ。それにしても意外だな。博士が、運命の人や愛などに興味があるとは知らなかったよ」
「興味とは少し違うかな。わたしはね、人間は余計な恋愛に時間を使い過ぎているんじゃないかと思っているんだ。そういう無駄な時間を省くことが出来れば、もっと有意義な人生を送れるんじゃないかと考えているわけだよ」
「その余計な恋愛って?」
「運命の相手ではない恋愛の事だよ。愛ナビが商品化されれば、先のない恋愛も、失恋も、実らない片想いも、悪い男や女にもてあそばれる事もなくなる。余計な恋愛に時間を取られるといったことがなくなるというわけなんだ」
「なるほどね。余計な恋愛は時間の無駄ってことか。まぁでも、確かに傷つくような恋愛はしたくないかな」
「どうだい。試してみてくれないか」
「本当に僕なんかでいいのかい」
「君に使って欲しいんだ」
「それなら、試してみようかな。僕も博士のように運命の人と出会って結婚出来ればいいんだけどな」
「愛ナビさえ使えば誰にだって可能な事だよ。じゃあ、しばらくの間貸すから、上手く行っても行かなくても、連絡してくれよ」
湯本は愛ナビを大切そうに抱え、期待に胸を膨らませて帰って行った。
次の日。仕事が休みだった湯本は、さっそく愛ナビを使ってみる事にした。
愛ナビが発する。
〈運命の人の元へ案内を開始しますか?〉
湯本は画面のナビ開始ボタンを押す。画面に自宅周辺の地図が表示される。
〈ナビを開始します。一般道を通るルートです。交通ルールを守って走行して下さい〉
地図には現在地を示すヒト型のマークが表示されている。利用者が動くと、ヒト型のマークが地図内を移動するようになっている。そこは通常のナビと同じである。
地図を指でスクロールしていくと、♡マークがあった。ここが目的地のようだ。自宅からそう遠くない位置を指していた。
こんなに近くに運命の人がいたなんて。もしかしたらどこかですれ違っていたかもしれない。そう思うと、湯本の心臓の鼓動が速くなる。
湯本は自宅を出て、運命の人を目指し歩き始める。緊張で体がこわばる。装置を持つ手の手汗が凄くて、機械が壊れないか心配になった。
愛ナビが聞き取りやすい声で案内する。
〈その先、およそ20㍍先を右方向です〉
湯本は指示通り右方向に進む。運命の人に出会ったら、ビビビッと来るのかな。それとも、目と目が合った瞬間、雷に打たれたような衝撃を受けたりするのかな。それとも、そういうのはただの迷信で、何も感じないのかな。
とにかく、僕にも恋人が出来るかもしれない。どんな人だろう。贅沢は言えないけど、綺麗な人だったらいいなぁ。まだ出会ってもないのに湯本の顔がポッと赤らむ。
愛ナビが滑らかに発する。
〈その先、およそ15㍍先、交差点を左方向です〉
湯本は交差点を左方向に進む。今から異性に会いに行くのだと考えたら、不安が押し寄せてきた。
僕なんかが、急に目の前に現れたら、相手は嫌じゃないかな。そこは運命の人だから、好意的に受け取ってくれるのかな。
目的地へ辿り着いたら、話しかけなければならないよな。話しかけられるかな。緊張するなぁ。
女性と話すなんていつぶりだろう。記憶をたどるが、勤め先の本屋で、パートのおばさんに仕事の事で話しかけられたシーンしか出て来なかった。分かっていた事だが、情けない気持ちになる。
愛ナビが、湯本の不安などお構いなしに発する。
〈その先、およそ30㍍先、青谷橋を左方向です。2キロ以上道なりです〉
湯本はナビに従って進んで行く。不安はさら膨らむ。こういう時って、どんな服装してくれば正解だったのかなぁ。本日の湯本は、ベージュのポロシャツにチノパンといったコーディネートになっている。
何も考えずに着てきたけど、肌色過ぎたかな。肌色過ぎたよな。何も着てないように見えて驚かれたらどうしよう。
今まで格好なんて気にしたこともなかったから、こんな時に何を着たらいいのかさっぱり分からなかった。とはいえ、自宅のクローゼットの中には、今着ているような地味な洋服しかないから、どれを着て来ようが大差はないのであった。
思い切って、貸衣装店で、タキシードをレンタルするべきだったかな。
愛ナビが発する。
〈その先、およそ20㍍先、信号を左方向です〉
湯本が左に曲がると、愛ナビが続けざまに言った。
〈目的地周辺です。音声案内を終了します〉
湯本が愛ナビから顔を上げて、周囲を見渡すと、花屋の軒先にひとりの清楚な女性が立っていた。どうやらあの女性らしい。
数週間が過ぎたが、湯本からは何の連絡も無かった。愛ナビに何か不具合でもあったのか。それとも生まれて初めて出来た恋人に浮かれて、連絡をするのも忘れているのか。
どちらにしろ、湯本の家に行ってみることにした。実証試験の結果はもちろんだが、愛ナビを返してもらわなければならない。
湯本の住まいは6階建ての鉄筋マンションの2階にある。
呼び鈴を押すと、部屋の中から「え、もう来たよ」というキャピキャピした女性の声が聞こえてきた。飲食店の出前サービスを利用したのか、それと勘違いしているようだった。
玄関のドアが開くと、ひとりの若い女性が出てきた。ぼんやりと思い浮かべていた湯本の運命の人とかけ離れていて驚いてしまった。
その女性はド派手なギャルだった。濃いメイクをした存在感のある目元、長くウェーブがかかった茶髪、派手な装飾がされた爪。目の色はブルーがかっている。それはカラコンか。
この女性が湯本の運命の人なのだろうか。どうも合ってないような気がする。
すぐさま、湯本が部屋の奥から出て来て、「君はもういいから」と慌ててギャルを部屋の中に押しやった。
「あ、博士、どうも」
湯本は取り繕うような微苦笑を浮かべる。
鳴海は、ゴホンとひとつ咳払いをしてから、話し始める。
「湯本君、何故、何の連絡もよこさないんだ」
「いや、その、ちょっと立て込んでいて…」
湯本の目が泳いでいる。何か後ろめたいことがあるようだと鳴海は勘づく。しかしそんな事よりも、あのド派手なギャルだ。
「それで、さっきの彼女が、君の運命の人なのかね」
「え、あ、いや~…」
どうも煮え切らない返事である。
「何をもごもご言っているんだ。正直に言ってくれ。彼女が君の運命の人なんだろう」
「いや~、その、彼女はそういうんじゃなくて…何て言うか…とにかく違うんだ」
釈然としない言い方には変わりないが、嘘を言っているようには思えなかった。運命の人でないのなら、彼女はいったい何者だ。どうして湯本の自宅にいる。鳴海は首を傾げ考え込む。愛ナビに何らかの不具合が生じたのか。
鳴海は真相を確かめるべく、湯本に詰め寄る。
「湯本君、何があったんだね。愛ナビに何か問題でも起こったのか」
「いや~、その…」
「わたしは怒っているわけではないんだ。科学者として、愛ナビの実証試験の結果を知りたいだけなんだ。いったい何があったんだ。正直に話してくれ」
湯本はしばらく黙っていたが、観念したのか話し始める。
「愛ナビには何の問題もなかったよ」
「それなら、運命の人と出会えたんだね」
「ああ、清楚でとても綺麗な女性だった。彼女に声を掛ければ、僕にもようやく恋人が出来るんだと思ったよ」
鳴海はそこで思い当たる。
「ああ、そうか。そういう事か。声を掛ける勇気がなかったのか」
「ううん、そうじゃないよ。ただ、声を掛けるのは、今じゃなくてもいいんじゃないかと思ったんだよ。慌てる必要なんてないんじゃないかって。ちょっとくらい遊んでからでもいいんじゃないかってね」
「遊ぶ!?それは…その、女遊びか?」
「博士は余計な恋愛って言うけど、そういう恋愛もしてみたいと思ったんだ」
「湯本君、君はさっきから何を言っているんだ。遊ぶといっても、君は奥手で恋愛に臆病じゃないか。だから愛ナビを使ったんだろう」
「そうなんだけどね。なんかさ、あんな綺麗な運命の人がいると思ったらさ、急に怖くなくなったんだよね。保険が出来たっていうの。恋愛で失敗しようが、何しようが、別に構わないやと思えたんだ。だって僕には、あんな素敵な運命の人がいるんだから。そしたら恋愛に臆病だった自分が馬鹿らしくなってきて、試しに近くにいた女性をナンパしてみたんだよ。そしたら上手くいってさ。それからは、もうナンパにハマって、今は週5でクラブ通いしてんだよね。夜な夜なパーティーナイトっスよ。さっきのギャルもクラブで知り会ったんだけど、アゲアゲって感じで良くないっスか」
今頃気が付いたが、湯本の容姿が、前に会ったときに比べて、派手になったというか、チャラくなっていた。ブランド物の柄シャツにダメージ加工のデニムパンツ。茶色く染めた髪は毛先を遊ばせ、肌もこんがりと焼け、目の色はブルーがかっている。それはカラコンか。ギャルの影響受けすぎだろう。
あの分厚いレンズのメガネを掛けた湯本君は、いったいどこへ行ってしまったんだ。何だか寂しい気持ちになった鳴海は言う。
「だけど、君は前に言ったじゃないか。僕も博士のように運命の人と出会って、結婚したいと」
「俺、そんな事言いましたっけ。今は考えられないっスね。最初で最後の恋なんて、マジゴメンって感じス」
鳴海は自分が否定されているかのように感じた。
「悪かったな。最初で最後の恋で」
「怒んないで下さいよ。俺はそう思うってだけで、博士には博士の考えがあるだろうし。
でも博士、これだけは言わしてよ。愛ナビ、マジ最高。マジアゲアゲっス」
愛ナビ実証試験結果:27歳男性治験モニターY氏、運命の人を認識した事で、自信を持ち、女性や恋愛に対する恐怖心が払拭されて、欲深くなる。髪型、服装、言動に顕著な変化あり。
最短距離で運命の人の元へ辿り着けたとしても、真実の愛に辿り着く道のりは、遠く長いという事か。
博士は「愛ナビ」の商品化を見送ることにした。
愛ナビ・終
愛ナビは「運命の人」に導いてくれるナビゲーションシステムである。「運命の人」というあいまいな目的地まで案内してくれる装置なんて、いかがわしいとお思いになるだろうが、成果は出ていた。
鳴海博士には愛する妻がいるのだが、何を隠そう「愛ナビ」を使い出会う事が出来たのだ。奥手で恋愛ベタな鳴海にとっては、愛ナビなしに今の幸せを手にすることは出来なかったであろう。
世の中には恋愛に臆病な者は大勢いる。愛ナビにはきっと需要があるはずだと、鳴海は考えていた。少子化を解消する足掛かりになるかもしれない。商品化に向けて、更なる実証試験をする必要があった。
治験モニターを募集することになった。募集要項は、愛ナビのターゲット層である恋愛未経験者に絞った。
応募者は多数来ると予想されたが、たったの一人もこなかった。考えてみれば、奥手で恋愛に臆病な者たちは、進んで名乗り出るタイプではないのだ。
困り果てた鳴海は、近所に住む「湯本隆文」という友人に頼ることにした。類は友を呼ぶのか、湯本は鳴海と同類のタイプであった。
すぐに連絡を取り、仕事終わりに自宅に寄ってもらうこととなった。
夕刻過ぎにやってきた湯本は、相変わらず異性に縁遠い感じが見て取れる。色褪せたチエックのシャツに着古したチノパン。今時珍しい、分厚いレンズのメガネをかけている。
体つきはスマートだが、貧相と形容したほうがしっくりくる。寝癖まじりのボサボサヘアが無頓着な性格を物語っていた。頼りがいがなく、母性本能をくすぐるタイプでもない。27歳になろうというのに、今までに一度も恋人が出来たことがなかった。
彼のような人間にこそ、愛ナビが必要であり、実証試験にはうってつけの人材であった。
「これが、さっき話した、愛ナビなんだ」
鳴海は作業場から愛ナビを持って来て見せた。
愛ナビは12インチサイズのタッチパネルディスプレイが搭載された端末。いずれはもう少しコンパクトで持ち運びやすくしたいと考えていた。
高画質な液晶画面には、平面地図だけでなく、3Dマップも表示でき、見やすさを徹底的に追及してある。
画面回転機能も備えてあるので、縦向きにも横向きにも対応可能。ナビゲーションシステムの機能も優れており、オンラインマップと連携し、常に地図は最新の状態に更新されるようになっている。
また道路交通情報や渋滞の状態などをリアルタイムで受信し、回避ルートを即座に表示出来るようになっていた。
愛ナビを受け取った湯本は、既に興味をひかれている様子だった。
「これで運命の人に出会えるなんて、凄い時代が来たものだね」
「まだ試作段階ではあるけどね」
「それでも博士は、愛ナビを使って奥さんと出会い結婚したんだろう」
「まぁそうなんだけど」
鳴海が照れ臭そうにする。
「博士の色恋沙汰なんて聞いた事が無かったから、結婚したと報告を受けたときは不思議に思っていたんだけど、こんなからくりがあったとはね。それでどうやって使うだい」
鳴海が愛ナビに手を伸ばし、電源ボタンを長押しすると、愛ナビから軽やかな音が流れ起動を始める。
画面に、宇宙空間に浮かぶハート型の地球が映し出され、愛ナビという文字が現れると、起動完了となる。鳴海なりに頭を捻って今風のデザインにしたつもりであったが、どうも安易で野暮ったい。商品化される事になれば、プロダクトデザインの専門チームを入れて、改良したいと考えていた。
鳴海が愛ナビの使用方法について説明する。
「端末が起動すると、使用者情報の登録ページに進んで、氏名、生年月日、性別、血液型、住所、職業、年収、メールアドレス、パスワードを入力する。パスワードは、半角英数字で15文字。登録画面の入力が終わると、画面下にある【次へ】のボタンを押す。画面が切り替わって、手形が現れるだろう。そこに手の平を押し当ててくれ。これで手相を記録するというわけ。最後に本体の横に備え付けられてあるスロットを引き出して、そこを軽く嘗める。唾液からDNAを採取しDNA管理省のデータと照合するんだよ。照合が出来たら、画面下にある【次へ】のボタンを押す。そして画面が切り替わって、いよいよナビが開始されるというわけなんだ」
湯本は言われた通りに操作し、愛ナビの画面が切り替わると、ナビ開始ボタンが現れる。
すると愛ナビから、
〈湯本隆文さん、こんばんは。愛ナビのご利用、ありがとうございます。運命の人の元へ案内を開始しますか?〉
と、聞き取りやすい美しい声が発せられた。
唐突に名前を呼ばれた湯本は、はにかんだようか顔を浮かべ、お~ッと軽く唸った。
「あとは、ナビに従い目的地(運命の人の元)へ向かうだけさ。簡単だろう」
「ああ。それにしても意外だな。博士が、運命の人や愛などに興味があるとは知らなかったよ」
「興味とは少し違うかな。わたしはね、人間は余計な恋愛に時間を使い過ぎているんじゃないかと思っているんだ。そういう無駄な時間を省くことが出来れば、もっと有意義な人生を送れるんじゃないかと考えているわけだよ」
「その余計な恋愛って?」
「運命の相手ではない恋愛の事だよ。愛ナビが商品化されれば、先のない恋愛も、失恋も、実らない片想いも、悪い男や女にもてあそばれる事もなくなる。余計な恋愛に時間を取られるといったことがなくなるというわけなんだ」
「なるほどね。余計な恋愛は時間の無駄ってことか。まぁでも、確かに傷つくような恋愛はしたくないかな」
「どうだい。試してみてくれないか」
「本当に僕なんかでいいのかい」
「君に使って欲しいんだ」
「それなら、試してみようかな。僕も博士のように運命の人と出会って結婚出来ればいいんだけどな」
「愛ナビさえ使えば誰にだって可能な事だよ。じゃあ、しばらくの間貸すから、上手く行っても行かなくても、連絡してくれよ」
湯本は愛ナビを大切そうに抱え、期待に胸を膨らませて帰って行った。
次の日。仕事が休みだった湯本は、さっそく愛ナビを使ってみる事にした。
愛ナビが発する。
〈運命の人の元へ案内を開始しますか?〉
湯本は画面のナビ開始ボタンを押す。画面に自宅周辺の地図が表示される。
〈ナビを開始します。一般道を通るルートです。交通ルールを守って走行して下さい〉
地図には現在地を示すヒト型のマークが表示されている。利用者が動くと、ヒト型のマークが地図内を移動するようになっている。そこは通常のナビと同じである。
地図を指でスクロールしていくと、♡マークがあった。ここが目的地のようだ。自宅からそう遠くない位置を指していた。
こんなに近くに運命の人がいたなんて。もしかしたらどこかですれ違っていたかもしれない。そう思うと、湯本の心臓の鼓動が速くなる。
湯本は自宅を出て、運命の人を目指し歩き始める。緊張で体がこわばる。装置を持つ手の手汗が凄くて、機械が壊れないか心配になった。
愛ナビが聞き取りやすい声で案内する。
〈その先、およそ20㍍先を右方向です〉
湯本は指示通り右方向に進む。運命の人に出会ったら、ビビビッと来るのかな。それとも、目と目が合った瞬間、雷に打たれたような衝撃を受けたりするのかな。それとも、そういうのはただの迷信で、何も感じないのかな。
とにかく、僕にも恋人が出来るかもしれない。どんな人だろう。贅沢は言えないけど、綺麗な人だったらいいなぁ。まだ出会ってもないのに湯本の顔がポッと赤らむ。
愛ナビが滑らかに発する。
〈その先、およそ15㍍先、交差点を左方向です〉
湯本は交差点を左方向に進む。今から異性に会いに行くのだと考えたら、不安が押し寄せてきた。
僕なんかが、急に目の前に現れたら、相手は嫌じゃないかな。そこは運命の人だから、好意的に受け取ってくれるのかな。
目的地へ辿り着いたら、話しかけなければならないよな。話しかけられるかな。緊張するなぁ。
女性と話すなんていつぶりだろう。記憶をたどるが、勤め先の本屋で、パートのおばさんに仕事の事で話しかけられたシーンしか出て来なかった。分かっていた事だが、情けない気持ちになる。
愛ナビが、湯本の不安などお構いなしに発する。
〈その先、およそ30㍍先、青谷橋を左方向です。2キロ以上道なりです〉
湯本はナビに従って進んで行く。不安はさら膨らむ。こういう時って、どんな服装してくれば正解だったのかなぁ。本日の湯本は、ベージュのポロシャツにチノパンといったコーディネートになっている。
何も考えずに着てきたけど、肌色過ぎたかな。肌色過ぎたよな。何も着てないように見えて驚かれたらどうしよう。
今まで格好なんて気にしたこともなかったから、こんな時に何を着たらいいのかさっぱり分からなかった。とはいえ、自宅のクローゼットの中には、今着ているような地味な洋服しかないから、どれを着て来ようが大差はないのであった。
思い切って、貸衣装店で、タキシードをレンタルするべきだったかな。
愛ナビが発する。
〈その先、およそ20㍍先、信号を左方向です〉
湯本が左に曲がると、愛ナビが続けざまに言った。
〈目的地周辺です。音声案内を終了します〉
湯本が愛ナビから顔を上げて、周囲を見渡すと、花屋の軒先にひとりの清楚な女性が立っていた。どうやらあの女性らしい。
数週間が過ぎたが、湯本からは何の連絡も無かった。愛ナビに何か不具合でもあったのか。それとも生まれて初めて出来た恋人に浮かれて、連絡をするのも忘れているのか。
どちらにしろ、湯本の家に行ってみることにした。実証試験の結果はもちろんだが、愛ナビを返してもらわなければならない。
湯本の住まいは6階建ての鉄筋マンションの2階にある。
呼び鈴を押すと、部屋の中から「え、もう来たよ」というキャピキャピした女性の声が聞こえてきた。飲食店の出前サービスを利用したのか、それと勘違いしているようだった。
玄関のドアが開くと、ひとりの若い女性が出てきた。ぼんやりと思い浮かべていた湯本の運命の人とかけ離れていて驚いてしまった。
その女性はド派手なギャルだった。濃いメイクをした存在感のある目元、長くウェーブがかかった茶髪、派手な装飾がされた爪。目の色はブルーがかっている。それはカラコンか。
この女性が湯本の運命の人なのだろうか。どうも合ってないような気がする。
すぐさま、湯本が部屋の奥から出て来て、「君はもういいから」と慌ててギャルを部屋の中に押しやった。
「あ、博士、どうも」
湯本は取り繕うような微苦笑を浮かべる。
鳴海は、ゴホンとひとつ咳払いをしてから、話し始める。
「湯本君、何故、何の連絡もよこさないんだ」
「いや、その、ちょっと立て込んでいて…」
湯本の目が泳いでいる。何か後ろめたいことがあるようだと鳴海は勘づく。しかしそんな事よりも、あのド派手なギャルだ。
「それで、さっきの彼女が、君の運命の人なのかね」
「え、あ、いや~…」
どうも煮え切らない返事である。
「何をもごもご言っているんだ。正直に言ってくれ。彼女が君の運命の人なんだろう」
「いや~、その、彼女はそういうんじゃなくて…何て言うか…とにかく違うんだ」
釈然としない言い方には変わりないが、嘘を言っているようには思えなかった。運命の人でないのなら、彼女はいったい何者だ。どうして湯本の自宅にいる。鳴海は首を傾げ考え込む。愛ナビに何らかの不具合が生じたのか。
鳴海は真相を確かめるべく、湯本に詰め寄る。
「湯本君、何があったんだね。愛ナビに何か問題でも起こったのか」
「いや~、その…」
「わたしは怒っているわけではないんだ。科学者として、愛ナビの実証試験の結果を知りたいだけなんだ。いったい何があったんだ。正直に話してくれ」
湯本はしばらく黙っていたが、観念したのか話し始める。
「愛ナビには何の問題もなかったよ」
「それなら、運命の人と出会えたんだね」
「ああ、清楚でとても綺麗な女性だった。彼女に声を掛ければ、僕にもようやく恋人が出来るんだと思ったよ」
鳴海はそこで思い当たる。
「ああ、そうか。そういう事か。声を掛ける勇気がなかったのか」
「ううん、そうじゃないよ。ただ、声を掛けるのは、今じゃなくてもいいんじゃないかと思ったんだよ。慌てる必要なんてないんじゃないかって。ちょっとくらい遊んでからでもいいんじゃないかってね」
「遊ぶ!?それは…その、女遊びか?」
「博士は余計な恋愛って言うけど、そういう恋愛もしてみたいと思ったんだ」
「湯本君、君はさっきから何を言っているんだ。遊ぶといっても、君は奥手で恋愛に臆病じゃないか。だから愛ナビを使ったんだろう」
「そうなんだけどね。なんかさ、あんな綺麗な運命の人がいると思ったらさ、急に怖くなくなったんだよね。保険が出来たっていうの。恋愛で失敗しようが、何しようが、別に構わないやと思えたんだ。だって僕には、あんな素敵な運命の人がいるんだから。そしたら恋愛に臆病だった自分が馬鹿らしくなってきて、試しに近くにいた女性をナンパしてみたんだよ。そしたら上手くいってさ。それからは、もうナンパにハマって、今は週5でクラブ通いしてんだよね。夜な夜なパーティーナイトっスよ。さっきのギャルもクラブで知り会ったんだけど、アゲアゲって感じで良くないっスか」
今頃気が付いたが、湯本の容姿が、前に会ったときに比べて、派手になったというか、チャラくなっていた。ブランド物の柄シャツにダメージ加工のデニムパンツ。茶色く染めた髪は毛先を遊ばせ、肌もこんがりと焼け、目の色はブルーがかっている。それはカラコンか。ギャルの影響受けすぎだろう。
あの分厚いレンズのメガネを掛けた湯本君は、いったいどこへ行ってしまったんだ。何だか寂しい気持ちになった鳴海は言う。
「だけど、君は前に言ったじゃないか。僕も博士のように運命の人と出会って、結婚したいと」
「俺、そんな事言いましたっけ。今は考えられないっスね。最初で最後の恋なんて、マジゴメンって感じス」
鳴海は自分が否定されているかのように感じた。
「悪かったな。最初で最後の恋で」
「怒んないで下さいよ。俺はそう思うってだけで、博士には博士の考えがあるだろうし。
でも博士、これだけは言わしてよ。愛ナビ、マジ最高。マジアゲアゲっス」
愛ナビ実証試験結果:27歳男性治験モニターY氏、運命の人を認識した事で、自信を持ち、女性や恋愛に対する恐怖心が払拭されて、欲深くなる。髪型、服装、言動に顕著な変化あり。
最短距離で運命の人の元へ辿り着けたとしても、真実の愛に辿り着く道のりは、遠く長いという事か。
博士は「愛ナビ」の商品化を見送ることにした。
愛ナビ・終