第16話

文字数 3,245文字

 三ツ矢は、家族の事が気になった。横浜分室の越川を通さず、直接柳沢課長に連絡をし、一日だけで良いから家に帰る事を許してくれと言った。
「里心でもついたか?」
「そんなところです」
「まだ本命のキングが残っているし、中田会の渡瀬も残っている。仕方無い、一日だけだぞ」
 許可が何とか下りた。三ツ矢は六郷のアジトから奥沢の自宅へ帰った。妻の幸恵は突然帰って来た三ツ矢に驚いた。
「連絡入れてくれれば、それなりにいろいろ用意出来たのに」
「どのみち今日一日だけの帰宅だ。明日には又北海道へ逆戻りだ」
「そうなの」
「聖来、こっちへおいで」
 自分の膝に愛娘の聖来を乗せる。膝上で燥ぎ回る愛娘。幸せを感じた。この幸せを手放したくない。キングの言葉を思い返した。キングのWになる事は、致し方の無い事なのか。
「幸恵、最近変わった事は無いか?」
 キングの件を頭に入れて尋ねてみた。
「特にないわ。何かあるの?」
「いや。何も無い。聖来の事宜しくな」
「分かっているわよ。心配しないで」
 その夜、久々に幸恵を抱いた。
 翌朝、早々に目が覚めた三ツ矢は、身支度を始めた。たった一晩の帰宅だったが、幸恵と聖来の幸せそうな顔を見る事が出来、幾分心が和らいだ。
「幸恵。行って来るよ」
「いってらっしゃい。ほら、聖来。パパにいってらっしゃいは」
 聖来が舌足らずの言い方で、パパいってらっしゃいと言う。三ツ矢は聖来の頭を撫で、幸恵には軽いキスをし玄関を出た。そして、三ツ矢は決意した。この幸せを誰にも邪魔させない。その為には、裏切者と呼ばれても構わないと。
 横浜分室へ顔を出した三ツ矢は、中田会と渡瀬の状況がどうなっているかを尋ねた。
「渡瀬はあれ以来地下に潜ったようだ。こちらの動きを見ているのかも知れん」
「もう一度取引で釣るという訳にもいきませんね」
「ああ。慎重になっているからその方法では無理だろう」
「私の顔も多分向こうにばれているでしょうから、私も表立って動く事も出来ません。何かいい方法はないでしょうか?」
 三ツ矢の問いに、柳沢は、
「君のSは使えないか?」
 と三ツ矢に尋ねた。
「銃撃で受けた傷がまだ癒えてませんし、Sも顔が割れてますからどうでしょう」
「そうか。仕方無い。指名手配のまま押し切るか」
「多分、先方は私の事を快く思っていない筈です。この私が囮になる形で奴等の周辺を動き回る事で、引っ張り出せるかもしれません」
「危険が伴うぞ」
「承知の上です」
「分かった。元は君が掘り出した案件だ。くれぐれも怪我だけは気を付けてな」
「分かりました。つきましては六郷のアジトを移したいのですが宜しいでしょうか?」
「構わんよ。越川に言って都合付けて貰え」
「はい」
 三ツ矢はすぐに越川の所へ行った。
「課長の許可は出てます。六郷のアジトを畳んで、新しくアジトを設けたいのですが」
「何処か心当たりはあるのかい?」
「初台辺りをと考えております」
 三ツ矢はキングのアジトの近くに、自分のアジトを設けようと考えた。
「今日中に何とかする」
「それと、車もこれ迄のが中田会に知れてますから、代えたいのですが」
「いいよ。今丁度一台空いているのがある。それを使ったらいい」
「ありがとうございます」
 三ツ矢は、越川から新しい車のキーを受け取り、早速、六郷のアジトへ向かった。必要な物を運び出す為だが、家電や家具は、分室の担当者が処分してくれる。三ツ矢が運び出すのは、着替えだけだ。殆どの荷物は明大前のアジトに移してある。明大前のアジトに着いたのは、昼時だった。夕方になって三ツ矢のスマホが鳴った。越川からだ。
(初台でアジトが見つかった。住所を言うからメモを)
(OK)
 越川がゆっくりとした口調で住所を告げた。
(部屋の鍵は集合ポストの上面に張り付けて置く)
(分かった。いろいろありがとう)
(これが仕事さ。気にするな)
 越川はそう言って電話を切った。三ツ矢は明大前のアジトに置いてあった覚せい剤や、ベレッタM85の銃弾等を初台の新しいアジトへ運び込んだ。部屋の鍵は、越川の言う通り、一階の集合ポストにあった。新しいアジトは、ワンルームマンションの一階だ。常にアジトは一階に設定するのは、逃走経路の確保の為だ。上の階だと、万が一アジトが襲われた時、逃げ場が無い。その点一階なら、ベランダから逃走出来る可能性がある。もし、どうしても一階の物件が無い場合は、二階までの高さの物件だ。
 三ツ矢が初台というキングのアジトの近くに、活動拠点となる新しいアジトを構えたのは、完全にキングのW(ダブル)として活動する決意の表れだった。何かあれば、すぐさまキングの元へ行き、信頼を得る事で、妻の幸恵と娘の聖来に危害を加えさせないようにする為である。
 部屋はごくありふれた六畳程のフローリングのワンルームだ。部屋の中には、これ迄と同様、家電と家具が配置されていた。越川の仕事の早さに感謝した。荷物をクローゼットに仕舞い、時計を見た。夜の七時を針は指していた。リーダー格の男に定期連絡を入れる時間だ。
(言われた通り定期連絡の電話だ)
(こっちへ来い。どれ位で来れる?)
(十分あれば着くよ)
(近くに来ているのか?)
(この辺にアジトを見つけたんだ)
(そりゃあ都合が良い。この間のビルの二階へ来い)
(分かった)
 電話を切る。大きく深呼吸をした三ツ矢は、これから先、自分の運命はどう変わって行くのかを考えた。厚労省麻薬取締部を裏切り、自らの命よりも家族を守ろうとする今、誰からも褒められない行動を起こす事に、最早躊躇いは無かった。
 三ツ矢は、キングのアジトへ車で向かった。気持ちが急いている。甲州街道の裏道なのにアクセルをつい踏み過ぎてしまう。十分で着くと言ったが、五分と掛からなかった。
 一階の自動車修理工場はシャッターが降りていた。脇の階段を二階迄上る。廊下の中央にドアがある。三ツ矢はノックをし、ドアノブを回した。開けると、リーダー格の男とこの前は見なかった男がいた。
「来たか。早かったな」
「車で来たからな」
「良い心掛けだ」
「ところで、これから長い付き合いになって行くのに、俺の事は知っているあんた方は良いとして、俺があんたを呼ぶのにどう呼べばいいんだ?」
「俺の名前は吉良だ。あんたは三ツ矢と呼ばれるのがいいか?それとも下村のどっちがいい?」
「Wになっても、俺はあくまでもマトリの捜査員だ。仕事用の名前の下村にしてくれ」
「いいだろう。じゃあ下村、紹介するよ」
 吉良はそう言って、傍らの男達を紹介した。
「橋口に近内、もう一人が宇垣だ。これから先、あんたと頻繁に連絡を取り合ったりする事があると思う。こいつらの言葉は俺の言葉、つまりはキングの言葉だと思え」
「分かった。肝に銘じて置くよ」
「今夜呼んだのは、こいつらを紹介する為だ。互いに顔をよく覚えて置け」
「分かった。もし他に用がなければ一つ聞きたいのだが」
「何だ?」
「中田会の事だ。この前あんたは俺に、新宿に近付くな、中田会が俺を探していると言っていたが、俺には中田会の渡瀬を挙げる任務がある。新宿には渡瀬も近付いてはいないと思うが、渡瀬を挙げるには新宿で中田会を叩かなくちゃいけないんだ」
「中田会の売人をパクるのか?」
「呼び水にする為には」
「それで、俺に何を聞きたい?」
「中田会の情報とか入って来ないか。俺を狙っていると言う情報が入る位だ。売人の横の繋がりで、何とか中田会の情報を俺に流してくれないか?あんた達にしても、中田会のシェアを横取り出来るチャンスだ」
「……」
「あんた達には迷惑は掛けない。Wとしての報酬分として考えてくれて構わない」
「分かった。下村、あんたの言う通り、情報を流すよ。先ずは何の情報が欲しい?」
「渡瀬の居場所。それと、中田会の売人の動き」
「いいだろう。売人の動きはすぐ分かる。渡瀬の居場所は少し時間が掛かる」
「構わない」
「無茶して命を落とすなよ」
「御忠告ありがとう」
 三ツ矢は、キングの組織と繋がり、いよいよ動き出した事に身震いした。
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