第8話

文字数 2,969文字

 年嵩の男が拳銃を構えて下ろそうとしない二人に、
「いい加減にしろ。崎山。それと下村さんもだ。今日は取引に来たんだ。そんな物騒なもん下ろせ」
 と言った。その言葉に従い、先ずは崎山と呼ばれた男が拳銃を下ろした。それを見て、三ツ矢も下ろす。
「先に撃った事は許す。先に抜いたのはこっちだからな」
 年嵩の男が鋭い目を三ツ矢に向けながら言った。その言葉に頷いた三ツ矢は、
「じゃあ、先にネタを見せて貰えるんだね?」
 と尋ねた。
「ああ。あんたの言う通りにするよ」
 三ツ矢の気迫に押された格好で年嵩の男が、奥山にブツを見せるよう促した。奥山がいやいやをするようにして、アタッシュケースから百グラムのパケに入った覚せい剤を五十個見せた。三ツ矢が安藤に目で合図をし、ネタを調べるよう命じた。安藤が、いつものようにパケを一つ取り、ナイフで小さな穴を開け、ネタを少しだけ取り、持参したミネラルウオーターでポンプの中に入れ、溶かした。それを自分の左腕に射つ。クスリが効いてくるまで、左程時間は必要なかった。
「良いネタだ」
 安藤が三ツ矢に向かって頷いた。三ツ矢は背負って来たリュックサックを肩から下ろし、中から四千万の現金を出して見せ、バックごと年嵩の男の足下に頬り投げた。
「検めてくれ」
 奥山がすかさずリュックを取り上げ、中身を確認した。安藤は既にブツの入ったアタッシュケースを抱えている。
「間違いありません」
 奥山が年嵩の男に言った。
「下村さん。今日の事は堪忍するが、この次同じ事になったら、うちらも中田会の名前に懸けて対応させて貰いますからね」
「分かった」
「じゃあこれで」
 年嵩の男がそう言うと、他の三人は後を追うようにして倉庫を後にした。
「上手く行ったね」
 安藤は、ほっと胸を撫で下ろすような仕草をし、三ツ矢に言った。
「それにしても、あそこでチャカぶっ放すとは思わなかったな」
「年嵩の男が俺と崎山と呼ばれた男を宥めると思っていたからな」
「えええ。じゃあチャカ撃ったのはマジじゃなかったの?」
「脅しさ。これ迄の取引であの年嵩の男の態度を見ていたら、こうなる予感はしていた。拳銃を抜いた崎山という男がもっとイケイケだったら飛んでもない修羅場になっていただろうがな。さ、俺達も行くぞ」
「おう」
 アタッシュケースを安藤に持たせ、二人は乗って来た車で六郷のアジトへ向かった。車の中で安藤はアタッシュケースを抱えながら、浮かれている。初めて手にする覚せい剤の量の多さに気持ちが高ぶっているのだろう。
「これ、全部捌けたら、一億にはなる。末端に全部売れたら二億。仲買の連中に安く値引いても九千万は下らないよ」
 三ツ矢は苦笑いを浮かべながら、
「余り浮かれるなよ。これはキングに辿り着く為の元手なんだからな」
 と言った。車中、三ツ矢はPCや警視庁の機捜の覆面パトカーに注意をしながら運転した。今職質を食らったら洒落にならない。
「何時も言うように、六郷に着く前にPCとかに擦れ違っても堂々と前を向いていろ。けっしてきょろきょろするなよ。奴等の目は節穴じゃないからな」
「分かってる」
 都内の主要道路での一斉検問は、既にこの日の為に横浜分室から情報を得ていたから、その点は心配していなかった。怖いのは機捜の覆面パトカーだけだ。
 無事に六郷のアジトに着いた。周囲に怪しい車は無い。部屋へ入ると、三ツ矢は安藤に、
「このブツは俺の所で預かる。大口の取引が決まったら、今度は俺も行く。小口のバイに使いたい場合は、おれに断ってから持って行ってくれ。いいな」
 と、少し不満そうな安藤に言った。それでも、自分の試し射ちの分だけ、相当の量になる。それを三ツ矢も危惧し、
「自分で射つ分も俺に断ってから抜くように」
「分かったよ。取り敢えず今日の分、いいかな?」
 申し訳なさそうに安藤は言う。
「五グラムだけ持って行け。帰りはタクシーにするんだぞ」
 安藤は、百グラムのパケから覚せい剤を出し、秤で五グラム量り、バイに使っている小口のパケに入れ、ポンプと一緒にポケットにしまった。
「じゃあ、帰るよ」
「ああ。気を付けるんだぞ。それとキングの件、頼んだからな」
「任せてくれ」
 安藤はそう言って六郷のアジトを出て行った。安藤が出て行った後、三ツ矢は一人ホッと胸を撫で下ろしていた。あの取引の場で、愛用のベレッタM85を撃つ事は一つの賭けだった。安藤にはああ言ったが、実際年嵩の男が取引を優先して崎山という男を嗜めてくれなければ、間違いなく撃ち合いになっていただろう。そうなれば、こちらも無傷ではいられなかったかも知れない。危ない綱渡りをしたものだ。我ながらその事を反省した。
 横浜分室に定期の連絡を入れた。連絡員の越川に、順調に行っていると電話連絡する。
(キングと繋がりがある仲卸の連中に食い込めそうだ)
(それはいい知らせだ。何か必要な物はあるか?)
(そうだな、ネタ場所にアジトをもう一軒用意して欲しい。場所は何処でもいい。他は今の所大丈夫だ)
(分かった、アジトは一両日中に用意する)
 新たに用意して貰うアジトは、ネタを隠す場所にするつもりだ。そこで小売用にパケを作ったりもする。何だか、少しずつキングに近付いているような気分になって来た。安藤が早くキングと繋がりのある仲卸と接触出来て、取引が出来ればと思った。中田会とは、当分接触しない方向で考えている。あんな取引の後では、どう出るか分かったものでは無いからだ。その為にも、キングと繋がりのある仲卸の人間とコンタクトが取りたい。
 三ツ矢は、ベレッタM85を取り出し、銃身を掃除し、分解して各部分に油を注いだ。過酷な潜入捜査では拳銃は自分の分身のようなものだ。いつ何時、このベレッタM85が必要になるか分からない。そういう時が来なければいいが、そうは行かないだろう。覚悟はしている。ふと、家族の事が頭の片隅に浮かんだ。二歳になったばかりの、一人娘の聖来。そして最愛の妻である幸恵。掛け替えのない家族。三ツ矢は、潜入捜査中は家族に連絡を入れてはならないという規則を破り、幸恵に電話を入れた。
(幸恵、元気か?)
(ええ。貴方は?)
(俺は何時も通りだよ。聖来は?)
(貴方がいなくてすごく寂しそうよ)
(そうか。もう暫くは出張が続くが後を頼んだよ)
(分かってる。無理しないでね)
(ありがとう。じゃあ切るぞ)
(はい。元気でね)
(君こそ)
 短い会話だったが、充分だった。無事に家族の元へ帰る事を肝に銘じなければ。電話を掛けて見て、余計に思った。
 ベレッタM85をベッドの枕元へ置いた。眠れない日々が続いている。睡眠導入剤を飲み、ベッドの上にごろりと横になった。
 中々眠れない。元々不眠症の気はあったが、最近は特に酷い。この任務に就く前から通っていたメンタルクリニックから処方してもらった睡眠導入剤を常用しているが、効かない。眠りながら、これからの事を考えた。キングに接触するのは何時になるか。どう接触するかはまだ決めていない。キング程の組織になると、中田会の時のようには行かない。より慎重さが求められるし、いきなり取引の場へ引き出し、そこで逮捕とは行かないだろう。組織に潜り込み、信頼を得て、それからの話だ。三ツ矢は枕元に置いたべれったM85を右手で握り、胸元へ置き浅い眠りに就いた。
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