第15話

文字数 3,250文字

 三ツ矢は、自分が渡瀬達から追われる身となった事を知らないでいた。こちらが追う身だという意識があった。三ツ矢は、ほとぼりも覚めないのに、単身歌舞伎町を歩き回った。まるで、自らを中田会に晒し、餌としているかのようだ。実際、かれは自分を渡瀬の餌にしていた。マトリの捜査員は、警察の捜査官と比べて、潜入捜査もあるから、単独で行動することが少なくない。その為、捜査員と分かりずらいのだが。
 歌舞伎町を一番街から大久保病院の辺りまで歩いた。末端の売人らしき者は数人立っていた。彼等が中田会と関係のある売人かどうか分からなかった。こんな時、安藤がいればなと思った。今はこうしてぶらぶらと新宿を流して歩いているが、さすがに立ち売りしている売人達に声を掛ける行為までには至らなかった。
 大久保病院から風林会館に足を伸ばし、更に探索をする。区役所通りには売人らしき人間は立っていなかった。が、この時、遠目に三ツ矢を尾行する数名の男達がいた。キングの部下達だ。
 キングに限らず、中田会とマトリの捕縛劇は、裏社会では噂の的になっていた。売人を装ったマトリの捜査員が銃撃戦の末、多くの逮捕者を出した事は、誰一人として知らない者はいない事実として語られた。今、三ツ矢を尾行しているのはキングと関わりのある者と一回目の取引をした時に、立ち会っていた者達である。
 三ツ矢がゴールデン街の方へ向かい、花園神社へと向かうと、尾行の男達も三ツ矢を追った。彼等が三ツ矢に声を掛けて来たのは、人気の無い花園神社の中であった。
「下村だな?」
「そうだが何の用だ?」
 三ツ矢が警戒を緩めず問い返した。
「キングの所の者だ。付き合って貰おうか」
 キングと聞き、三ツ矢は狙っていた相手が向こうからやって来たと思った。
「何処迄付き合えばいいんだ?」
「余計な事は喋らず、黙って着いて来い」
 三ツ矢を尾行していたのは三人組の男達だった。三人組は、三ツ矢を前後に挟むようにし、歩いた。そして、区役所通りに戻ると、そのまま風林会館を通り過ぎ、大久保方面へと向かった。職安通りに出ると、コインパーキングに向かい、三ツ矢を車に乗せた。
「キングに会えるのか?」
「それは分からない。俺達はただお前を連れて来いと言われているだけだ」
 車は勢いよく発進し、歌舞伎町をぐるりと回るようにして甲州街道へと向かった。どれ位走っただろうか。車は初台方面を行き、住宅街の中を走った。甲州街道を外れた街中で車は停まった。
「降りろ」
 助手席の男が言った。後部座席で、三ツ矢の隣に座っていた男が、三ツ矢を促す。目の前にあるのは、一階が自動車整備工場になっているビルだった。ビルの横にある階段を男が上がって行く。三ツ矢も後を付いて行くようにして上がって行った。二階に上がると、扉が一つあった。リーダー格の男が鍵を取り出し、扉を開けた。中は事務所のような造りになっていて、応接用のソファがあった。
「そこに座れ」
 男に命じられる。三ツ矢は言われた通りにソファへ座った。
「そう緊張するな。取って食う訳じゃないから」
「そう願うよ」
 一人の男が部屋を出、外へ出て行った。戻って来たのは五分程してからで、一緒に見た事のない男を伴っていた。
「悪いが身体検査をさせて貰うよ」
 リーダー格の男が言った。若い男が三ツ矢の体を入念に調べた。腰のヒップホルスターとベレッタM85がすぐに見つかった。
「いつもこれを持ち歩いているのか?」
「まあな」
「一介の売人がベレッタM85を持つなんて、随分と豪気だな」
 後からやって来た男が言った。
「警察はニューナンブが正式採用銃だけど、ベレッタM85はマトリが使うんだよな」
 男は意味深な言い方をした。
「名前は何と言った?」
「下村聡。免許証もあるから確認してくれ」
「いいよ。分かっているから。三ツ矢浩司さん」
 男は三ツ矢の本名を言った。どういう事だ?身元がバレたか?
「お前がマトリの人間だと言うのは分かっている。ここでしらを切っても無駄だよ」
「あんたが言う通り、俺がマトリの人間だとしたらどうするつもりだ?」
「俺達キングに仕える身だが、お前もそうなって欲しい」
「どういう意味だ?」
「W(二重スパイ)になれ。必要最低限の情報は流しても良いが、その分マトリの情報をこちらに寄越すんだ」
「断ったら?」
「断れるかな。三ツ矢浩司君。君の最愛の妻の幸恵さんと最愛の愛娘の聖来ちゃん。今日も幸せそうに公園で遊んでたぞ」
 いつの間にか、キングの連中に自分の家族をチェックされていたとは。
「家族には手を出すな」
「いいとも。俺達はそんなに野蛮では無いから、やたらに危害は加えない。但し、それもお前の協力がなければやりたくない手段を取る」
 三ツ矢は考えた。このまま言いなりになるべきか。それとも断固拒否するか。拒否したところで、今の状態なら自分は恐らく殺されるだろう。また、キングの連中の言いなりになったところで、先々引っ張るネタがなくなれば同様に消される運命だと思う。そう思うと、今の自分には何の手段も無い事に気付く。三ツ矢は意を決した。
「Wになれば、本当に家族には手を出さないんだな?約束してくれ」
「キングに会わせてやる。それがこちらの誠意だ」
 後から来た男はそう言って、
「ついて来い」
 と、三ツ矢を促した。男達は三ツ矢を真ん中にして部屋を出て、階段を上り階上へと向かった。
 三ツ矢は階段を上りながらリーダー格の男に尋ねた。
「どうして俺の素性が分かった?」
「ははは。その気になれば何でも分かるさ。特にうちは新規の取引先というものに過敏だ。お前
との一回目の取引の時、隠しカメラを使ってお前を撮影した。身元を洗う為にな。そしたらマトリの横浜分室の人間だと分かった。その後、中田会の件があって、それにお前が絡んでいる事が分かった。当然二回目の取引に来るだろうと思い、お前の素性だけじゃなく、家族をも調べたって訳さ」
 迂闊だった。キングの一味がそこ迄慎重に取引を行っていたとは知らず、自分の素性や家族の事を調べ上げられ、どうにも逃げられない状況になっている。
 ビルの最上階である五階についた。リーダー格の男が扉をノックし、開けた。
「お連れしました」
「そこに」
 と言って、その男はパイプ椅子を指差した。部屋の中の調度品は、応接用のソファと、サイドボードに会社の重役クラスが使いそうなデスクだけだった。
 男はロン毛を後ろでひとまとめに結っている。眼鏡を掛けているが、整った顔立ちと落ち着いた声音は、見た目以上に年齢を上に見せていたが、三ツ矢の見る所、いっても三十代後半。恐らくは三十を僅かに超えた年齢ではないだろうかと思わせた。その若い青年に、男達は平伏すように接している。
「君がマトリの捜査員かい?」
「ええ。そうです」
「そうか。うちを狙っているのか?」
「キングは関東はおろか、東日本を一手に収めた麻薬組織だ。我々が狙わなくとも、警視庁が狙う」
「確かに。警視庁は我々の周りをハエのように飛び回っている。君もその飛び回ってるハエだが、警視庁の連中より一歩目で懐へ入って来た。しかも、中田会を餌食にしながらね」
「……」
「下で聞いたと思うが、我々の協力者になって欲しいんだ。悪いようにはしない。適当にうちの下部組織の人間をパクって構わないから、マトリの情報を持って来て欲しい。出来るね?」
「出来なきゃ家族に害が及ぶ」
「そうならないよう君が動いてくれればいい」
「分かった」
「OK。谷口。彼の所持品を返してやれ」
「はい」
 谷口と呼ばれたリーダー格の男は、三ツ矢のスマホにベレッタM85の遊底をスライドさせ、薬室内の弾丸を一発外へ出し、続いてマガジンを抜いて返した。
「これは俺の電話番号が書かれたメモだ。忙しかろうが毎晩夜の七時には定期連絡を寄越せ。いいな」
「分かった」
「最後に一つ忠告して置く。新宿にはやたらに近付くな。中田会がお前を探している」
 リーダー格の男にそう言われ、思い出したかのように中田会の事を気に掛けた。
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