第36話

文字数 2,897文字

 三ツ矢は直属の上司である柳沢課長に、数日間の休暇を申し出た。
「家の事もありますし、このところのハードな任務だった体を休ませたいので、宜しくお願いします」
 と述べて、前回と同様三日の休暇を貰った。何か月振りかで家に帰ると、娘の聖来以上に、妻の幸恵が大喜びだった。
「今回も三日間だけだけど、久し振りにゆっくり出来るよ」
「それでも嬉しい」
 聖来と一緒に抱き着いて来た幸恵の頭を撫でながら、
「苦労掛けているね」
 と三ツ矢は言った。
「例の車はまだうろついているのかい?」
「最近は見ないわ」
 キングへの苦情が効いたのか。
「とにかく、例の車を見掛けたら、迷わず警察へ届けるんだ。いいね」
「貴方に傍にいて欲しい」
「僕もそうしたいが、仕事がある。今の仕事が片付いたらゆっくりと出来る。そうだ、三人で何処か旅行にでも行こう。君も家の事をさっぱりと忘れるんだ」
「本当に?本当にそんな日が来るの?今迄だってまとまった休みといっても何処にも行ったためしはないのよ」
「約束する。今度こそ家族三人水入らずで過ごそう」
「約束よ」
「ああ。約束だ」
 幸恵と結婚してこの方、三ツ矢にこんな風に言葉を発したのは初めてだった。世間では、旦那は厚労省の役人として羨ましがられはしても、その裏側にある幸恵の苦労は誰も知らない。
「今夜の食事はもう用意しているのかい?」
「いえ。まだ決めてない。貴方が帰って来たから、すき焼きにでもしようかなと思ってた」
「それなら、すき焼きも良いけど、外で食べないかい?聖来も喜ぶと思う」
 滅多に外食をしようとは言わない三ツ矢に、幸恵は少し驚きながらも、満面の笑みを浮かべて、
「そうしましょう」
 と言った。早速幸恵は外出の準備をした。聖来の洋服を着替えさせ、自分もカジュアルだが身綺麗な格好をし、薄っすらと化粧をした。久々の外出で心が浮き浮きしている様子が三ツ矢にも手に取るように分かった。
「車は公用車だから私用では乗れないので、タクシーを呼ぼう」
 そう言って三ツ矢は、電話でタクシーを呼んだ。案外と早く来たので、聖来も愚図る事無くタクシーに乗り込めた。三ツ矢は、環八沿いに新しく出来た回転寿司屋に行く事にした。幸恵からすると、回転寿司でも充分な御馳走だった。聖来に、
「聖来の大好きなお寿司を今から食べに行くんだよ」
 聖来は久々の外出で燥いでいた。いつになく饒舌だった。店に着くと、聖来が幸恵の手を引っ張りながら、先へと進む。店員が案内するのを待ち切れない様子だった。四人掛けのボックス席に案内される。
 席に着いた早々、聖来が大好物のサーモンの皿を取った。幸恵も同じ物を取り、三ツ矢はタッチパネルで小肌を注文した。各々が好みの寿司を注文していた時、ふと三ツ矢は視線を感じた。何気無く振り返る。こっちを見ている人間は見当たらない。気のせいか。そう思って食事の続きをしようと思ったら、
「車の人がいる」
 と幸恵が血の気が引いた表情で言った。
「何処だ。俺の顔を見たままで言うんだ」
 三ツ矢の言葉に頷いた幸恵は、
「入口の角のボックス席に四人連れでいる」
 そう言うと、三ツ矢が、
「分かった」
 と言い、徐に席を立ち、入口のボックス席へ向かった。先程感じた視線の主はこいつらだったのかと思い、怒りが込み上げて来た。ボックス席へ近付くと、四人の男達は、何だ?という表情を見せ、
「何の用だい?」
 と年嵩の男が言って来た。
「キングに言った筈だ。こんな真似はするなと」
「何の事だ?」
「しらばっくれるな。分かっているんだ。家をずっと監視していただろう。警察に通報しても良いんだぞ」
「そんな事して困るのはあんただ」
 図らずも、男達はこの一言で自分達の正体を暴露してしまった。ちらりと幸恵と聖来の姿が視線の片隅に入った。
「とにかく、こんな真似は止めるんだ。もう一度キングにお前達の事を話す」
「さっきから言っているように、キング何て知らないし、俺達は単に此処で食事をしているだけだ」
 三ツ矢は堪忍袋の緒が切れた。いきなり男の襟首を掴み、持ち上げた。周囲の客が騒ぎ出した。女性店員はどうしていいのか分からず、ただ立ち竦むだけだった。そこへ店長と思われる男性店員がやって来て、
「店内でのトラブルは、他のお客様の迷惑になります。どうかお静かに」
 と諫めた。三ツ矢は掴んでいた襟首から手を放した。そして、自分の席に戻ると、
「出るぞ」
 と言った。聖来が愚図った。幸恵が宥める。会計を済まし、外へ出ると幸恵が、
「ごめんなさい。私の記憶がはっきりしないのに、余計な事言っちゃって」
「いや。いいんだ。君が言ったようにあの男達が家を監視していた事に間違いない」
「貴方。あの人達に何て言ったの?」
「うちを監視するのは誰からの指図だ?と問い質したのさ」
「それであの男は何と言ったの?」
「監視なんかしていないと言っていた。でも、僕も奴等の視線は感じてたから、君の言う通り、あの男達は君をずっと監視していた奴等だ」
 タクシーを捉まえ家に着いても話はこの件について話された。三ツ矢はキングと話したかったが、家族の前ではそれは出来ない。家に着いてすぐさま、三ツ矢はキングに電話した。幸恵には聞かせられないので、庭に出て電話を掛けた。電話に出たのはキングではなく吉良だった。
(何故、俺の家族を監視する。俺を監視するなら許せるが、家族は関係ないだろう)
 怒気のこもった声で話す。
(もう監視はさせていない)
(今夜、ついさっき迄監視の連中は、俺と家族が食事をしていた店に迄入って来て、監視してたんだ)
(指示が下の者迄徹底していなかったようだな。済まん。謝る)
 吉良はそう言ったが、三ツ矢は吉良の言葉をそのまま素直には受けいられなかった。その事をぶつけた。
(このまま今の状態が続いたら、俺も考えを改める)
(どう改めるんだね?)
(それは自分達で考えろ)
 電話の向こうが静かになった。暫しの沈黙が続いた。痺れを切らしたのは三ツ矢の方だった。
(とにかく、家族への監視は無しだ。俺を監視したり尾行するのは一向に構わないが、家族まで巻き込むな。いいな)
(OK。分かったよ)
 三ツ矢は吉良の言葉を信じなかった。きっと家族の傍に自分の部下を寄越すだろう。今度は簡単にばれないよう、慎重に監視を続ける筈だ。三ツ矢は考えた。どうこれらの事に対処するか。自分への監視ならどのようにも対処出来る。だが離れた家族には手の打ちようがない。分室に警護を依頼すれば、真実を話さなければならない。自分がWだとは言えない。警察に依頼すれば、同じように分室に依頼の理由を話さなければならない。
 三ツ矢は迷った。いっその事、自分はキングのWにさせられた事を打ち明け、キングを検挙する事にするか。キングがこの世から消えれば、家族には何の危害も加えられなくて済む。
 リビングでそんな事を考えていたら、幸恵が、
「お寿司屋さんで殆ど食べていなかったからお腹空いたでしょ。おにぎり握ったから食べて」
 と言って、皿に乗せられたおにぎりを持って来た。それを見て、三ツ矢は決心した。掛け替えのないこの家族を俺は守らなければいけないと。
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