第39話

文字数 2,910文字

 取引の当日、吉良から、
(取引場所は、新宿七丁目のビジネスホテル。部屋番号は七〇二号室。時間は変わらない)
 との連絡が入った。今は昼の十二時。決して余裕のある時間では無い。向こうの指定して来た時間は午後三時。うかうかしているとあっという間に時間が迫って来る。三ツ矢はすぐさま初台のアジトから安藤の住む百人町の都営住宅に向かった。電話を掛けると、何時でも出掛けられる用意は出来ていると答えた。百人町で安藤をピックアップすると、三ツ矢は安藤にキング側に渡す覚せい剤の代金を渡した。
「グラム一万で二百グラムだから二百万。先に渡して置く」
「取引で何か言う事はあるかい?」
「次の取引を約束して欲しいんだ。先にネタの純度を確認し、間違い無いネタだと分かったら、こんな上物なら又取引したいと言うんだ。それも、次回は今回よりも量を多くと」
「上手く出来るかな」
「出来るさ。あんたなら、何だって出来る。銃で撃たれても死ななかったあんただ。これ位のひと芝居どうって事無いさ」
「あの時と今回は別だよ。まあ、あんたにそう言われればやるしかないな」
「その意気だ」
「ほんと、マトリの人間て人を煽てるのが上手いんだから」
 緊張の前の緩い空気が、安藤を乗せた車の中で広がった。三ツ矢は、今回の取引は上手く行くと百%確信していた。何故なら今回の取引はあくまでも次につなげる為のものだからで、安藤には正規の取引をして貰うだけだから、何の問題も無い。問題はその後だ。恐らく次も数百グラム程度の取引になると思う。一気にキロ単位の取引が出来たとしても、数キロ程度だろう。その程度でキングが出て来てくれればいいが、果たしてどうだろうか。狙いは飽くまでもキングだ。キングが取引の場に出てくれなければ意味が無い。その事は横浜分室も分かっている。
 三ツ矢の運転する車は靖国通りから明治通りに入り、指定されたビジネスホテルの前に着いた。ホテルには駐車場が無かったので、少し離れた路上に停めた。路駐の切符を切られないか心配したが、三ツ矢はお構いなしに停めた。
 時間は指定されたよりもまだ早かったが、ホテルのフロントへ行き、
「七〇二号室の吉良さんに面会何ですが」
 と言って、取り次いでみた。これ迄接してきた感じから、吉良は恐らくかなり早くからホテルの部屋に居ると踏んだのだが、案の定、吉良は居た。
「どうぞ。七〇二号室へはあちらのエレベーターをご使用下さいませ」
 フロント係が指し示す方へ行き、エレベーターに乗った。七〇二号室はエレベーターの丁度前だった。三ツ矢が部屋の呼び鈴を鳴らす。直ぐに見掛けないロン毛の若い男が出て来た。首筋にタトゥーがある。
「どうぞ」
 男が中へ誘う。吉良がベッドに腰掛けていて、他に若い男が二人傍らで立っていた。
「三ツ矢さん、何かと忙しそうですね。あ、此処では下村さんだった」
 三ツ矢は吉良がわざと名前を呼び違えたと思った。
「早速だが一緒に来ているのが安藤。以前は中田会とも取引していた事がある。まだあんた達とは取引は無いが、これを機に宜しく頼むよ」
「それは構わないが、先ずは今日の取引が肝心だ」
「分かっている。じゃあ、安藤この先は任せたぞ」
 三ツ矢に話を振られ、少しばかり緊張した面持ちの安藤は、
「先ず、ブツを見せてくれないか?」
 と、吉良に言った。
「金城、見せてやれ」
 金城と呼ばれた若い男が、覚せい剤の入ったバッグを安藤の前に差し出し、中を見せた。この若い男も開けたシャツからタトゥーを見せつけていた。バッグを受け取った安藤は、いつものように一つのパケから極少量の覚せい剤を取り出し、持参した注射器の中に入れ、これも持参して来たミネラルウォーターで溶かし、左腕の血管に注射した。暫くすると、安藤は部屋の天井を見上げ、大きく溜息を吐き、
「極上のネタだ」
 と言った。吉良は、当たり前だと言うような態度を取り、
「そのネタで良ければ約束通りの金額で商談成立だ」
 と、三ツ矢に向かって言った。三ツ矢は安藤を促し、金を払うように言った。
「じゃあ約束の二百万。こんな極上のネタが手に入るのなら、又取引をお願いしたいものだ」
 安藤が、三ツ矢に言われた通りのセリフを言う。次回の取引の確約を取りたい。
「もう少し取引の量を多くして貰えたら、考えないでもない」
 吉良の方から取引量を増やせと言って来た。チャンスだ。安藤もそれが分かっているから、
「金は用意するから、キロ単位の取引でも良いのだが……」
 少し自信無さ気言う安藤だったが、寧ろそれが良かったのか、吉良が、
「じゃあ一キロから始めようか。値段はグラム八千円だ」
 グラム一万から八千に値段が下がるのは、安藤を認めた証拠かも知れない。
「次の取引は日を改めて連絡する」
 安藤がそう言うと、
「安藤さん、あんたが連絡をくれるんだね?」
 と吉良が尋ねて来た。安藤は、ちらりと三ツ矢の方を見る。三ツ矢は軽く頷いた。
「俺が連絡する。場合によっては一キロより多くなるかも知れないが、構わないかい?」
 安藤の問いに、
「増える分には構わないよ」
 と吉良は答えた。完全に吉良は安藤を信じ切っているように見えた。それでも、三ツ矢は安心する事は無かった。取引が終われば長居する理由は無い。三ツ矢は安藤の袖を引っ張るようにしてその場を去った。
 車に乗ると、安藤が、
「マジで極上のネタだった。ねえ、少しこれ分けて貰えないかな?」
「言った筈だ。今回の報酬は司法取引だと。まあ、今後の事もあるから、少しだけなら構わない」
「サンキュー」
 安藤の喜ぶ顔を見て、三ツ矢は苦笑いを浮かべた。
 細田部長に取引成功の知らせをし、更には次回の取引も確約出来た事を知らせると、
(よし。この後も事を上手く運んでくれ。何度も言うようだが、キング検挙には君の頑張りが必要だ。頼むぞ)
 分かっている。キング検挙が自分の大命題だと。Wの身でキングを売り飛ばす。もうそんな事は考えていなかった。麻薬取締局の捜査員の一人として、この世の悪と対峙するだけだ。その事が、自分の家族をも守る事になるのだと思っている。三ツ矢は、一日でも早くキングを検挙したかった。
 初台のアジトに着いた時、三ツ矢のスマホが鳴った。電話の相手は吉良だった。
(キングが会いたがっている。今から来れないか?)
(分かった。今すぐ行く)
 何の用だろうと思いながら、三ツ矢は車でキングのアジトへ向かった。アジトに着くと、この日は何時もと違って吉良ではなく、タトゥーの男が出迎えた。
「こちらへ」
 通いなれているアジトのビルの最上階へ案内された。ドアを開けるとキングと吉良の他に見掛けない男が居た。
「やあ、早かったね」
 三ツ矢は、申し訳程度の笑みを見せた。
「紹介するよ。シン。本名は草間新次郎。ついこの前迄刑務所に居たんだ。八年も務めていたから、世間の事は知らない事が多い。宜しく面倒を見てよ」
「宜しくお願いします」
 シンと呼ばれた中年の男は腰を折り、三ツ矢に頭を下げた。
「シンには吉良と共に覚せい剤の取引をやって貰うつもりだ」
 三ツ矢は、何故シンという男を自分にわざわざ紹介したのか、キングの胸の内が計り知れなかった。
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