第42話

文字数 2,944文字

 シンにとってキングは、全ての点において掛け替えのない存在だった。今回、八年の刑期を務めて来たが、それとてキングが付けてくれた弁護士がいなければ、無期懲役になっていてもおかしくなかった。指示はキングからだったが、二人を殺めて十年以下の懲役で済んだのは奇跡としか言いようがない。キングが付けてくれた弁護士は、殺人を傷害致死に減刑しその奇跡をやり遂げてくれた。だからキングの為なら、再び人を殺めてもいいとさえ思っている。キングに群がる人間の中で、排除しなければならない人間がいれば、命令される前に動いても良いとも。そして今、その思いにさせる人間が現れた。吉良との話の中で出て来た下村、本名三ツ矢というマトリ捜査官。W、二重スパイとしてキングと接している人間だ。
 吉良は言う。このところの行動がおかしい。信用がおけないと。キングを無理やり取引の場に出そうとしているのは、何か魂胆があっての事ではないかと言う。
「奴の家族を監視してるが、監視しているだけでは効力が無い。実力行使に出るべきだ」
「キングは何と言っているのですか?」
「キングは何も言わない。俺達で何とかするんだ。やってくれるなシン」
「キングの為にならない者は、排除すべきです。私で良ければ何でもします。命令して下さい」
「OK。奴の家族を拉致するんだ」
「分かりました」
「ひょっとしたら奴の事だから、マトリの方に連絡し、警備の者を付けている可能性がある。それには充分注意するんだ」
「はい」
 シンは身の内に憎悪の念を燃やした。キングに近寄るマトリの蟻。それを導こうとしている三ツ矢。シンは吉良から三ツ矢の自宅の場所を訊いた。行動するなら早めの方が良い。シンの行動は早かった。が、慎重でもあった。
 奥沢の三ツ矢の自宅を監視してみる。すると確かに警備だと思わせる車があった。日中から一台の車に男が三人乗ったままというのは明らかに不自然だ。どう見てもマトリか警察としか思えない。シンは彼等を監視して見た。すると八時間交代で二十四時間警備しているのが分かった。隙の無い警備体制に、シンは拉致を諦めようかとも思ったが、もい少し様子を見てみる事にした。
 三ツ矢は自分の家族に危機が迫っている事も知らず、キング検挙の日を決めるべく横浜分室で柳沢課長と細田部長とでその段取りを話し合っていた。
「取引自体はフェイクだから、取引量はキングが小躍りしてやって来そうな量でいいんじゃないかな」
 柳沢が言う。
「そうですね。思い切って三百グラムとでも吹っ掛けましょうか?」
 三ツ矢が相槌を打つように返す。
「余り派手な数字にすると勘繰られないか?Wとしてキングにも繋がっているとはいえ、一応マトリの人間でもある君からの話だ。もう少し慎重に考えても良いかと思うが」
「分かりました。そこは上手く事が運ぶようにします」
 三ツ矢は少し焦っていた。今回のキング検挙が成し遂げられれば、自分のWとしての汚点は少なくとも終止符を打てる。それが焦りの本だった。
「じゃあ、決行日を決めよう。五日後ではどうだ?」
「もう少し早く出来ませんか?キングの気持ちや周囲に変化があって、それより先延ばしになると捕まえられるものも捕まえられなくなります」
「ならば三日後ならどうだ?」
「思い切って明後日というのは」
「取引場所の選定で時間が掛かるが、何とか明後日で調整してみよう」
「なら、明後日と言う事で。取引場所は何時決まりますか?」
「何とか今日中に決める」
「分かりました。決まり次第連絡を下さい」
 キング検挙の網が作られつつある。三ツ矢は初台のアジトへ向かう前に奥沢の自宅へ寄った。柳沢や細田には断りを入れず、自分の判断でそうした。警備の車らしいのを見つけた時は、心の中で柳沢に感謝していた。突然の帰宅に幸恵は驚いた。
「どうしたの?急に」
「本省にちょっと呼ばれてね。又すぐ北海道へ戻らなければならないんだ。それ迄の時間だけ自由な身だ」
 聖来が三ツ矢に抱き着く。嬉しい筈なのに、何故か聖来は泣き顔になっている。余程寂しかったんだなと思った三ツ矢は、その涙に気持ちが揺らいだ。飼い犬のぺスが三ツ矢の足元をじゃれ回る。
「ぺス。ちゃんと番犬らしくしてたか?」
「パパ、おみやげは?」
「ごめん聖来。今日は無いんだ。その代わりこの次は買って来るからね」
「じゃあ熊のプーさんのぬいぐるみが欲しい」
 聖来が舌っ足らずな物言いで強請る。
「分かった。約束するよ」
「貴方。夕飯は済ましたの?」
「何かあるかい?」
「残り物だけど」
「構わない。それより、あれから不審な者や車は無いか?」
「うん。今の所何も無いわ」
 マトリの警備は幸恵に感付かれていないようだ。三ツ矢は久し振りに家庭の味を堪能した。そして、家族の無事を確認した。そろそろ初台のアジトへ戻ろうかと思っていた処に、柳沢から電話が掛かって来た。幸恵に電話の内容を聞かれないよう庭に出て電話をする。
(取引場所が決まった。場所は、大田区大森の廃工場。住所と番地は……)
 三ツ矢は住所と番地をメモした。
(時間は夜の九時。その時間なら周りの工場は皆人が帰っている)
(分かりました。早速キングに連絡します)
(必ず奴を引っ張り出してくれ)
(はい。どんな理由を付けても奴を引っ張り出します)
 三ツ矢は、電話を終えると、幸恵に、
「急な仕事が入った。戻るよ」
「お風呂もまだなのに」
「仕方無い。宮勤めだからな」
 三ツ矢はソファに掛けていた背広を羽織り、
「聖来を頼むぞ。それと又怪しい奴がうろついてたりしたら、すぐ連絡をくれ。いいな」
 と言って、奥沢の自宅を出た。途中、キングへ連絡をした。じゃあ打ち合わせをしようと言う事になり、初台のアジトには行かず、真っすぐキングのアジトへ向かった。
 アジトへ着くと、キングと吉良だけがいてシンは居なかった。少し嫌な予感がした。
「取引日が決まったよ。明後日の夜九時。場所は番地をメモしてくれ。大田区大森七丁目の廃工場」
「今日は、もう一人の仲間が来ていないが、段取りは全てあんたがやっているのか?」
 吉良が安藤の事を尋ねて来た。
「奴は売が専門だからね」
「時間が夜九時とはまた遅い時間だね」
「その時間なら周りの工場も就業を終えて従業員達もいない」
「成る程。考えたね」
「取引の量だが、二百キロ。グラム六千でどうだ?」
「良いだろう。それで取引成立だ」
 キングが三ツ矢にシャンパングラスを差し出した。それを受け取る三ツ矢。吉良がキングのグラスと三ツ矢のグラスにシャンパンを満たす。キングが乾杯と言って皆グラスの中味を一気に飲み干した。
「あんたがこの前もたらした一斉検挙の情報は正しかった。うちの売人達は皆無事だったよ」
「それは良かったじゃないか」
「今度のうち等の取引は大丈夫なんだろうね?」
「ああ。俺の動きは分室には伝わっていない。ちゃんと正当な取引になるよ」
「何故、そんなに慌てる?百グラム単位での取引から一挙に数百キロ単位での取引とは尋常じゃない」
「金だ。あんた達のネタなら幾らでも右左に売れるからな」
「纏まった金が欲しいと言う事か」
「ああ、そうだ。宮仕えはもう懲り懲りだからな」
「そういう事か」
 吉良が蔑む様な笑みを見せた。三ツ矢は腹の中で今に見ていろよと言った。
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