第26話

文字数 2,815文字

三日間の休暇は、あっという間に終わった。三日間、べったりと三ツ矢にくっついて離れなかった聖来は、三ツ矢が又出張に行くと言うと、ひっしと抱き着き、離れなかった。その姿が、三ツ矢にはとても愛おしく可愛いものに見えた。
「ほら、聖来、いつまでのパパを困らせないの。パパ、大事なお仕事に行かなきゃいけないの」
 幸恵がそう言っても、聖来はなかなか離れず、三ツ矢を困らせた。何とか後ろ髪を引かれる思いを断ち切り、三ツ矢は幸恵に、
「聖来を頼むよ」
 と言って、家を出た。その足で横浜分室へ行き、キングとのこれからの事を話し合った。細田部長は、
「潜入捜査は焦ってはいけない。だが、今後の事を考えると、早急に処理しなければならない。難しい問題だが、三ツ矢君。君の肩に掛かっている。中田会をほぼ壊滅させた訳だが、キングの一党は間違いなくそのあとを狙っている筈だ。それらの事を考えても、今ここでキングを挙げなければ、日本の麻薬汚染は益々広がって行く。三ツ矢君頼むぞ」
「分かりました。精一杯頑張ります」
「うむ」
 細田のデスクから下がった三ツ矢は、課長の柳沢に呼ばれた。
「部長は本気で君に期待している。勿論私もだ。潜入捜査で必要な物は何でも言ってくれ」
 と柳沢は言い、
「当面の活動資金だ」
 と言って、封筒に入った百万円を差し出した。三ツ矢はそれを受け取り、
「助かります」
「くれぐれもマトリだと言う事が相手に知られないようにな」
「はい」
「連絡員は何時も通り越川だ。今度は中田会のように簡単には上手く行かないかも知れないが、君なら出来ると信じている。頼んだぞ」
 最後は細田と同様に、頼むの一言で締め括られた。複雑な心境は今もあるが、Wとして既に三ツ矢は割り切っていた。三日間の休暇で家族と共に過ごした事で、なお一層家族を守る為にWとして生きる道を選んだのだとういう気持ちが強くなったからだ。
 三ツ矢はそんな思いを抱えながら、キングに会いに行った。この日、キングのアジトには多くの売人が集まっていた。何事かと吉良に問うと。
「あんたが中田会を新宿から排除してくれたから、売人達を送り込めるようになったので、その為の指示を与えている所だ」
「少しはあんた達の役になったみたいだな」
「ああ。充分に役に立ってくれたよ。今日は何かいい情報でもあるのか?」
「うん。正式に上司から案達キング一党をこの世界から排除するよう指示を受けた」
「まあ、順番から行けばそうなるな。で要件は?」
「キングに会ってその事を伝え、俺はどうすればいいのか話をしたいんだ」
「分かった。売人達が解散したら伝えるよ」
「頼む」
 キングから様々な指示を受けていた売人達は、総勢で二十人位いた。多分、今目の前にいる売人達は末端の売人ではなく、仲買人だと思われる。末端如きがキングに会える筈が無いからだ。
 三十分程待っていると、仲買人達は三々五々に散って行った。吉良が、キングに三ツ矢が来ていると伝えると、キングが嬉しそうな表情を見せながら三ツ矢を手招きした。
「やあ。よく来たね。三日間の休暇はどうだった?やっぱり家族はいいだろう」
「あんたに言われると複雑な心境になる」
「ふふふ。まあそう言うな。私は貴方と組めて心から嬉しく思っているんだ。貴方が我々と一緒になってくれれば、怖い物は無い。中田会のように貴方がその力を見せてくれればね」
 キングはそう言って、右手を差し出した。握手をしようとしている。三ツ矢はその手を拒んだ。キングの表情が微かに曇った。
「早速新宿に進出かい?」
「ああ。貴方のお陰でね」
「気を付けた方が良い。うちは標的を中田会からキングの一党に変えた。恐らく末端の売人が多く逮捕される」
「そんな事承知の上さ」
 キングが事も無げに言う。
「俺は正式にあんたを検挙するよう指示を受けた。分室は俺を潜入捜査官としてバックアップする」
「ならば、正式に私達の為に働けるというものだ。有益な情報を頼むよ。差し当たっていつ新宿で一斉検挙があるか教えて欲しい」
「教えるのは訳無いが、多少は検挙出来ないと、俺が情報を流していると勘繰られる」
「じゃあ、末端ではなく、仲卸の現場を一つ検挙すればいい」
「いいのか?」
「構わない。末端も仲買いも、いつでも代わりは調達出来る。我々の仲間に加わった貴方への最初の手土産だ。その代わり、押収するブツは貴方方で何とかして欲しい。結構ネタ、持っているんだろ?」
「そこ迄良く分かるな。ああ。多少の量ならある」
「ネタは我々にとって命の次に大切な物だから、それを押収されるのは大きな痛手だ。その点、貴方が持っているブツは他の組織からの押収物だ。分室にまだ収めていないのなら、我々の為に使う事が出来る。押収されても痛くない。どれ位用意出来る?」
「五キロちょと。全部中田会との取引で手に入れた物だ」
「二キロ程用意してくれないか?その他にも分室から与えられているダミーの品があるんだろ?」
「ああ。五百程ある。だがこれは簡単に使う訳にはいかない」
「キロも抱えている麻薬捜査官はあんた位だな」
 吉良が口笛をひゅう~と吹きながら言った。
「全てはあんた達に近付く為に集めたブツさ」
「さて。それでは貴方に有益な情報というものを差し出して貰いたいのだが」
「有益な情報とは?」
「貴方方は我々のとってよそ者。そこで地元の東京分室の一斉検挙の情報を仕入れて欲しい」
「東京分室の?」
「そうだ。足下を脅かされるのは嫌だからね」
「それはなかなか難しい注文だ。あっちはあっちで捜査を行っている。いわば互いに部外者なんだ。あっちがあんた達の所へ潜入捜査官を潜り込ませても分からない関係だよ。それを調べて情報を流すのは困難だ」
「そこを貴方の力で何とかして欲しい。中田会を新宿から追い出した力でね」
「無理だ」
「家族の幸せを考えていないのか?」
「卑怯だぞ。ここで家族の事を持ち出すのは」
「そう怒らないで。我々は貴方との関係を有益に保ち続けたいだけだから」
 三ツ矢は、キングを見て、よくその口が言えたなという気持ちになった。しかし、逆らえない。仕方無く、
「分かった。だが余り期待しないで欲しい」
 と言った。
「話は纏まったね。じゃあ、私はこれで」
 キングがその場を離れた。後に残った吉良が、
「下村さん、そう難しい顔をしないで。キングも言っていたが、あんたなら出来るよ。というよりやらないといけない立場だ」
 と三ツ矢に言った。この日はこれで別れたが、三ツ矢は憂鬱な気持ちになった。そんな気持ちを抱えながら、初台のアジトへ向かった。三日ぶりに初台のアジトのベッドで体を横たえた。東京分室は関東信越麻薬取締局の大元締めみたいなものだ。そこから一斉検挙の情報を仕入れる事は簡単ではない。どう話を切り出し、怪しまれないように情報を引き出すか。しがない一捜査官が動いたところで、極秘事項の一斉検挙の情報を流す訳が無い。三ツ矢は瞑目しながら考えを巡らした。
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