第35話

文字数 2,989文字

「取引場所は、有明の第二倉庫の八番。日時は来週の水曜日、夜七時です。この情報を東京分室にリークして下さい」
 三ツ矢は細田にそう申し出た。
「情報は間違いないもの何だな?」
「はい。キングから直接聞いた話ですので、間違いありません」
「分かった。早急に知らせる。これで東京分室が、キングの件で納得してくれれば良いのだが」
「納得して貰うしかありません」
 何時になく強い口調の三ツ矢をまじまじと眺めた細田は、三ツ矢が潜入捜査をしているせいで、今回の件を押し通そうとしているように思えた。
「柳沢課長と今後の事について話し合いなさい」
「特に今後の事について打ち合わせる事は無いと思います」
「何か足りない物とか無いのか?」
「今迄も充分にして貰っています。東京へ戻っても良いですか?」
 細田は三ツ矢がまるで人が変わったような印象を持った。
「分かった。行って良い。くれぐれも潜入捜査では注意を払うように。以上だ」
 三ツ矢は腰を四十五度に折り曲げ、敬礼の姿勢を取って細田のデスク前を去った。細田は三ツ矢に何か頑ななものを感じた。
 初台のアジトへ戻った三ツ矢は、ベッドへ疲れた体を横たえた。ふうと一つ深いため息を吐いた。睡魔が襲う。眠りに就いた。夢を見た。幸恵と聖来が出て来た。幸せそうな顔をしている。三ツ矢は手を伸ばし、二人を抱こうとした。だが手が届かない。二人の表情が不安気になった。キングの手が差し伸べられ、二人を抱き抱えその場を去ろうとしている。待てと言葉を掛けたが声が出ない。キングは三ツ矢にあの笑顔を見せ、立ち去って行った。愛する幸恵と聖来を抱き抱えたまま。三ツ矢はうなされた。うなされながら飛び起きた。背中一面に冷や汗をかいていた。
ベッドから起き上がり、着ている物を全部脱ぎ、浴室へ向かった。熱いシャワーで汗を流した。
 その日が来た。三ツ矢は横浜分室にいた。東京分室からの連絡を待つ為だ。そしてキングからの情報も。夜七時。東京分室から細田部長宛てに連絡が入った。
(そちらの情報通り、キングの一味の取引が行われました。押収量は五キロ。情報ありがとうございました)
(いえ。首尾よく行って何よりです)
(羽田部長も感謝していると言って居りました)
(又何かありましたら宜しくお願いします)
 羽田部長は細田部長と同期の中だ。そんな関係だったからこそ、今回の件が上手く運んだのだろう。三ツ矢は囮の取引が上手く行った事に、ほっと胸を撫で下ろした。あとは新潟の瀬取りが無事済む事を祈るばかりだ。この時の心境は、マトリを裏切っている事とは三ツ矢は露ほども思っていなかった。三ツ矢の心の中は、ただただ幸恵と聖来を思う気持ちで一杯だった。
 三ツ矢のスマホが鳴った。三ツ矢は着信番号を確認するとキングだった。そのまま胸のポケットに収めた。
「出なくていいのか?」
「家内からなので大丈夫です」
 細田は疑いもせず、
「そうか」
「東京分室の件、上手く行ったようなので、自分はこれで東京のアジトへ戻ります」
「うむ。ご苦労だった。何かあったら連絡する。暫くは休め」
「ありがとうございます」
 三ツ矢は他の捜査員達に挨拶をしながら、横浜分室を出た。車に乗り込むとすぐさまキングに電話を掛けた。
(電話に出れずに済まなかった)
(お仕事中だったのかい?)
(分室で上司と話をしていたんだ)
(そう。新潟の瀬取り、上手く行ったよ。囮の取引も上手く事が運んだようだし、言う事無いね)
(……)
(今夜、こっちへ来れるかい?)
(何か用でもあるのか?)
(祝宴の席へ御招待だ)
(お祝いに呼ばれるような事はしていないが)
(一緒に飲みたいんだ)
(三十分ちょっと掛かるがいいか?)
(待ってるよ)
 キングの機嫌を損ねないようにしなければと思い、車に乗った。すると、またスマホが鳴った。今日はよく電話が来る日だ。着信を見ると幸恵からだった。三ツ矢から電話を掛ける事はあっても、幸恵から掛かって来る事は滅多にない。どうしたのだろうと出てみると、少し落ち着きの無い声で幸恵が出た。
(今、電話大丈夫?)
(ああ。平気だよ。どうしたんだい?)
(あのね、最近うちの周りを同じ車が停まったりしているの。ナンバーは品川ナンバーで、乗っている人はその時々で違うのよ。何だかうちを監視しているみたいで薄気味悪いの。警察に連絡した方が良いかしら?)
 三ツ矢はすぐさまキングを思い起こした。
(何か直接行動には出て来てはいないんだね?)
(まだそれは無いけど、この前なんか、聖来を保育園に連れて行こうとした時、つけられたの。これって犯罪の匂いがしない?)
 幸恵は人一倍勘の良い女だ。その幸恵が犯罪の匂いがすると感じている訳だから、つけている車は完全に幸恵を監視していると思われる。
(警察には俺から連絡して置く。とにかく今は不要不急の外出は避けた方が良い)
(分かったわ。そのようにする。ねえ。貴方の出張何時迄なの?早く帰ってきて欲しい)
(もう少し掛かるから、それ迄我慢してくれ)
(うん)
(じゃあ、又何か変な事があったら、すぐに警察に連絡するんだ。いいね)
(分かった。ごめんね仕事中に電話して)
 三ツ矢は電話を切ると、車を急発進させキングのアジトへ向かった。三ツ矢の胸中は怒りで一杯だった。今にも爆発しそうで自分で抑えるのが出来ない位だった。キングのアジトに着く。吉良が出迎えた。いつものように最上階へ案内された。吉良とキングの他に人はいなかった。
「話がある」
 三ツ矢はいきなり切り出した。
「どうしたんですか?険しい顔をして」
「しらばっくれるな。俺の家族を監視しているだろう」
「ああ、その事か」
 吉良がキングのを止めて話し始めた。
「それは俺が部下に命じた事だ」
「何故、そんな事をする。俺は今迄あんた方を裏切るような事は、これっぽっちもしていない。家族があんたらの監視に気が付いている。このままだと俺の妻は警察に通報する事になるぞ。妻よりも、俺が警察に通報するかも知れん。通報されて困るのはあんた方だろう」
「まあ、そう怒るな。我々としてみれば、あんたがこちらの言う通りに動いてくれるかの保証が欲しかったんだ。言ってみれば保険を掛けたみたいなものだ。あんたもうちらと立場が逆なら同じ事をした筈だ」
「謝るよ。命令は俺が出したんだ」
 キングが言葉を挟んだ。
「今日は今回の件の報酬を上げようと思い、それで呼んだんだ」
「報酬なんてどうでもいい。すぐさまうちの家族への監視を止めてくれ。止めなければ警察に連絡する」
「分かった。もう監視はしない。約束するよ」
 取り敢えずはキングの言葉を信用するしかなかった。キングから差し出されたグラスを嫌々受け取り、吉良からシャンパンが注がれた。
「我々の明日の為に」
 キングが乾杯と言った。三ツ矢は殆ど口を付けずにいた。
「私との乾杯はそんなに嫌ですか?」
 キングの表情は能面のようになっていた。
「吉良。下村さんに報酬を渡して」
「はい」
 すると吉良は一つのバックを三ツ矢に差し出した。
「一千万入っている。それだけあれば当面の取引に使えるだろう」
 三ツ矢は受け取ろうかどうしようか迷った。ついさっき迄キングに怒りを覚えていたのに、一千万もの大金を見せられて気持ちが揺らいでいる。情け無かったが、正直言って目の前の一千万が欲しかった。瞼を閉じた三ツ矢は、差し出されたバックに手を出した。
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