第34話 エスコート

文字数 5,040文字

 ニシは停電前に工場内部に潜入していた、まず工場裏口の作業員更衣室に忍び込むとロッカーにあった白い上着を羽織り、帽子を目深に被る。
 衛生管理のための作業服は変装には適している、顔まで隠せれば疑いをもたれにくい。
 拳銃を取り出しやすいように前は開けておく、記録用のフィルムカメラは36枚撮りだ。
 予備フィルムはあるが入替のチャンスはないだろう、記録対象は重要部分のみとなる。

 工場内は戦争かと思えるほどに生命維持装置が鳴り響き、作業員が右往左往して大混乱だ、何があったのかは分からないが好都合だ。
 首無しのケツァル、維持装置、薬品類をシャッターに収める、小型で目立たなくピント合わせも必要ないが手動巻なのが面倒だ、カシャッと小さいが音がしてしまうのもいただけない。
 工場事務所の出入口で2人の男が話している、一人は拳銃を手にしていた。
 見覚えがある顔だ。
 ニシの頭の中の顔認証システムにすぐにヒットした。
 「情報部特務班ハン少尉」
 「やはりな」
 ニシはさりげなく近づき、機器を見るふりをしてシャッターを数枚きる。
 聞き耳をたてる。
 『……敵襲……破棄する……祖国……帰国……』
 祖国に帰国?どういう意味だ、意識が耳に集中していた時に突然ハンがこちらに向かい大声をかけてきた。
 「おい、貴様!」
 「!!」
 感づかれたか!胸のホルスターに手が伸びる。
「冷凍庫のベータロインも燃やすのだ、いいな!」
 「はっ、はい」
 隣にいた男が慌てて走り出す、ニシもその男を追ってその場を離れた。
 「もしかしたら……?」
 ニシの頭の中でハンの言葉が答えを導き出す、2重諜報員。
 冷蔵庫と思われる倉庫の前で男が立ち止まり、あたふたしている、如何していいか分からないようだ。
 「おい、本当に燃やすのか」
 「だって、ハン大佐が燃やせって」
 「本気か、末端価格でいくらになると思う?そんなことしたら今度は羅道に追われることになるぞ」
 「でっ、でも……」
 「でももへちまもあるか!俺はやらねえからな」
 ニシはたたみかける、証拠品だ、確保したい、それに簡単に燃やして環境にどんな悪影響があるか分からない。
 「鍵を貸せ、俺が預かってやる!」
 「えっ、あのっ、その!?」
 「死にたいのか、ハン大佐だって逃げ出している!わかりゃしねえ!」
 バタンッ 停電した、冷凍庫の電源が落ちる。
 「!」
 ビクッと弱気な男が身を竦めて、鍵を摘まんで危険物でも扱うようにニシに差し出す。
 「あんたに任せるよ」
 「ああ、早く逃げるんだ」
 弱気な男は出口に向けて走り去った、ニシはカギを使い冷蔵庫を開け、中を覗き込むと山積みになったベータロインが貯蔵されていた、シャッターに収めて再び扉を閉めると鍵を突っ込んでそのまま鍵を折る。
 温度を保てなければ、1か月で価値はなくなる。
 証拠書類を確保するため、本部がある食堂方面に足を向けて急ぐ。
 外廊下を行く途中で頭上を巨大な影が通り過ぎた。
 「ディアボロス!なぜ今!?」
 窓から中庭が見えた、羽根を広げた悪魔が降り立つのが見えた、その周りには人間が逃げもせずにいた。
 「!?」
 なぜ逃げない?と考える暇もなく一方的な虐殺が始まった。
 ディアボロスがサーベルの嘴を振るうたびに血飛沫と人間が解体されていく。
 食堂館に入ると焦げ臭く、天井に煙が堪っている、甘い匂いもする。
 食堂には複数の作業員と思われる人間がラリッていた。
 ニシは麻薬による精神障害だとすぐにハンカチを口元にやる、キッチンから火が出ていたが証拠書類を探すことが先決だ。
 食堂を飛び出すと廊下を奥に進む、一番奥に校長室と書かれた部屋があった。
 扉の外で中の気配を窺う、誰もいないようだ。
 壁を背に扉だけを開け放つ、迎撃はない、慎重に中に入ると部屋の中を確認する。
 「!!」
 壁に小太りの女が胸を撃たれて座り込むように首を傾けている、胸の染みが黒い、少し時間がたっているようだ。
 応接セットの向こうに高級机、そして無線機がある。
 「ここに間違いない」
 素早く机を回り込み無線機を確認する、やはりバッテリーはない。
 「ちっ、だめか!」
 R293基地やアイゼン家への連絡はエゾに託すしかない。
 ガシャーン、ガラスの割れる音が食堂の方から響く。
 校長室から窓越しに除くと中庭は文字どおり血の海となり、地面の面積の方が少ない状態となっている、ディアボロスは虐殺のターゲットを食堂の中の人間に移したようだ。
 「ここも危ない」
 ニシはデスクの引き出しや、書類棚を漁る、乱暴に取り出し、無用なものは放り投げる。
 デスクの一番下の引き出しに鍵がかかっていた、拳銃を出し1発を鍵に打ち込む。
 バキィン、鍵が粉砕された引き出しを引っ張り出すと、出荷台帳と出入金記録があった。
 写真には取り切れない、一部をドッジファイルから外して折り畳んで持って帰ることにする。
 照明のない部屋がスウッと暗くなる、カッカッカッカ。
 「!!」
 ニシが反射的に机の向こうに飛び込むのとサーベルが窓ガラスを突き破ったのは同時だった。
 黒い槍が窓から突き出る、部屋の中を物色してシュガーの死体を見つけた槍の本体は、木造の壁を突き破って校長室に侵入してきた。
 ガシャシャーッ、埃と木片が飛び散る、デスクの後ろに隠れていたニシは、死角となるようにデスクの前に回る、侵入してきたディアボロスはシュガーの死体にご執心だ。
 ニシは隙を見てディアボロスが突き破った穴から外に飛び出す。
 幸いに校長室は一番奥にあった、建物の陰にすぐに回る。
しかし、急ブレーキ、目の前にディアボロスがいた、
中庭側には逃げられない、ニシは対決の覚悟を決めて14式拳銃を構えて躊躇なく引き金をひく、パァンッ、パァッン、ディアボロスの同体の黒羽が散るが8ミリ弾は通らない、少しだけ後ろに下がっただけだった。
 「くそっ」
 百式短機関銃は更衣室のロッカーに隠してきていた。
 クッカッカッカッ、鎌首のダンス、死の宣告。
 鎌首がスィッと上がる、頭を吹っ飛ばしてやる、ニシはディアボロスの目を狙った。
 パァッ、ドゴォーン 発射音が重なりディアボロスの首が爆発四散した。
 「!?」
 どすんと巨体が倒れた向こうにM870から紫煙を揺らめかせたリオが立っていた。
 「ひとつ貸しね」
 「俺のも当たったさ」
 「そのまま14式を使うのか?」
 リリィがM1A1短機関銃を渡す。
 「ありがたい」
 ニシが直ぐに受け取るのを見てリオが少し妬いたように口元を下げた。
 「あら、ニシもリリィ姉にはずいぶん素直じゃない」
 「からかわないでください、お嬢様」
 ニシが2人の肩に手をおいて少し目を伏せながら偽りない本心の声で感謝を口にする。
 「ありがとう、2人とも恩人だ」
 妙に染み入る声が響いた、2人とも少し頬を赤らめた。
 「行こう、脱出だ」
 2人の腰に手を回してそれぞれにウィンクする。
 「うっ」
 「これが大人のエスコートってもんだ」
 「やめろ、ニシ、お嬢様に触るな!殺すぞ」
 3人は校舎裏の車庫を目指した。

 工場に集結したディアボロスは15鳥を数えた、いったい何に引き寄せられているのか。
 車庫の窓からニシは黒鳥たちの動きに目を凝らす。
 「あいつらは……血を舐めている?ベータロインの血を」
 「中毒となっているのか!?」
 車庫の中には古く小さなピックアップトラックが残されていた。
 「動きそうだ、カギもあったわ」
 トラックは2人乗りだ、誰かが荷台に乗らなければならない、幌はない。
 「当然俺が荷台に乗る」
 「まって」
 リオがニシの腕をとる。
 「無理よ、運転席が狭すぎる、私じゃ運転出来ないわ」
 「お嬢様、わたしがっ!」
 リオがリリィに向かって優しく首を振って見せた。
 「くっ……」
 リリィが心底悔しそうに唇を噛んだ、血が滲む。
 ガンッ、ガンッ、ディアボロスが天井を歩いている、早く出てこないと食い破るとぞと言ってといるようだ。
 「議論している場合じゃないな」
 ピックアップのカギをリオから受け取る。
 バッとリオが垂直に両足ジャンプで荷台に飛び乗る、垂直飛びなら1メートル30センチを優に飛ぶ。
 「リリィ姉、装弾をお願い」
 「分かりました、お嬢様、ご武運を」
 リオは荷台にシートベルト代わりにロープを張り運転席側を背もたれにして、間に挟まれるように身体を固定する。
 「よし、行くぞ」
 エンジンをかけ、閂を外した扉にトラックを突進させる、ひ弱なエンジンが鳴く。
 ドカァッ、激しくドアをあけ放ってピックアップが林道に向かって駆け出す。
 激しい音に30の双眸が一斉に狂気の焦点を合わせる。
 林道を駆け下る得物に向かって強力な脚と爪で地面を蹴り、燃え盛る校舎の炎を受け、その身を赤黒く染めながらロケットの如く虚空に舞い上がった。

 ハンたちの車列は遅々として進まなかった、小型とはいえ運搬車の幅は道ギリギリであり、おまけに荷台はフル乗車でステアリングは見えない手が動かないように押さえているように重い。
 運転手は肘を張って上腕の力を最大限使わなければタイヤは向きを変えてくれない。
 ディアボロスの襲撃はいまだない、工場の方から煙が上がっているのが見える、あの2人が放ったのであろう火が延焼しているのだろう、きれいさっぱり証拠ごと燃えてくれればいい。
 180人の囮は俺様の価値のまえには安いものだ、どうせ碌な人生じゃない。
 食って寝るだけのクソ袋どもだ。
 脱出した後の復活のルートを夢想する、楽しくなってきた、新しいことにチャレンジするのはワクワクする、人と同じことをするのは、まっぴらだ。
 俺には能力がある、これからだ。

 バナマ運河の施設が見えてくる、最後の難所、崩れた大岩の脇を埋め立てた場所だ、岩を擦る様にトラックのタイヤが通る度、ガードレールのない砂利道の端から削れていく。
 1台目は何とか無事切り抜けた、2台目は後輪の外側を脱輪する。
 「あぶねえっ、飛び降りろ!」
 荷台に乗っていた5人が慌てて飛び降りる、脱輪したタイヤが空しく空回りし、やがて谷側に傾くと運転席の2人を飲み込んだままスローモーションのように2度3度地面からその車体を離して落ちていった。
 「ちっ、仕方ねぇ、降りて歩くぞ」
 ドッガッガガッ、M1A1短機関銃の音が谷に木霊して聞こえる、車のエンジンも聞こえる。
 「だれだ!?」
 ドコォッ、ドゴォッ、今度はM870ショットガンの発砲音。
 「追手か!!」
 敵か味方かは不明だが、ディアボロスと交戦しながらこちらに向かっているのは間違いない。
 3台目のトラックが進むのを躊躇していた、ハンは車を降りて立ち往生しているトラックに駆け寄る。
 「だめだ、全員降りろ、急ぐのだ!」
 「ディアボロスがくるぞ!」
 荷台の作業員が銃を片手に慌てて荷台から飛び降りる。
 運転席のドアをたたき叫ぶ。
 「車を捨てろ、運河まで走れ!!」
 作業員たちが全力疾走で運河施設を目指して走り出す、地獄の400メートル走のスタートだ。
 走る男たちの上空を黒い影が横切る。
 「来たっ!!」
 ハンは自分の4WDに戻ると立ち往生しているトラックにスタートさせぶつける、ブレーキの掛かっていないトラックは4WDの勢いそのままに谷に向かって落ちていく。
 通路は更に狭くなったが、ハンの乗る4WDは横腹をガリガリに擦りながら難所を通り抜けた。
 「まて、いったん止まれ」
 林道では作業員たちが400メートル走の中頃を走っている、訓練されていないものは30秒以上無酸素状態で走ることは難しい、全員のペースが極端に落ちる。
 ディアボロスが喘ぎながら走る男たちに後ろから急降下して襲い掛かる、一番後ろを走る男がその爪に捕らわれて掬い上げられる。
 「うわぁぁぁー!」
 ビーと同様に虚空に悲鳴を引きながら運ばれると、運河施設上空高度100メートルで解放される、無常な重力が160キロメートルまでその身体を加速させ、妥協ないコンクリートは固いままに男を拒否する。
 ゴシャッ、逃げ惑う男たちの前に手足が妙な方向に向き、つぶれた林檎を首に据えたような人形が転がる。
 「ひぃぃっ!」
 食事のため舞い降りてくるディアボロスに恐怖にかられた男たちは上空に向けて銃を乱射するが100キロメートル以上で飛び回る的になかなか当たるもではない。
 
 銃声や悲鳴の魅惑の誘いに吸い寄せられるように魔の黒鳥が再びバナマ運河に集結する。
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