第29話 笹貫

文字数 4,708文字

 羅動の50人が時間になっても現れない、いったい何をやっているのか。
 タルシュはいら立ち無線で呼びかけたが応答がない、銃撃音も悲鳴も聞こえてこない。
 「やはりマフィアなどあてにならん」
 外人部隊に突入の指示を送る、羅動を待ってはいられない。
 2名の3班に分かれ、シャトーの両端の窓と屋上の出入口の扉を開錠し突入する。
 素早く忍者部隊が動く、ザイルを壁に垂らすとカラビナをかけて最上階の窓まで5メートルを降下する、周囲は水路で幅は25メートルもある、地上からの侵入は困難だ。
 屋上から侵入するタルシュともう1人は出入口扉のピッキングによる開錠を開始する。
 タルシュは周囲を警戒するが相変わらずの静寂、羅動の兵隊の気配はない。
 ガランとした屋上に違和感を覚える。
 忍者は2本の針金を器用に使い、ほんの20秒ほどで開錠に成功する。
 タルシュと視線を合わせると、静かにノブを回してドアを引く。
 「!」
 「これは!」
 開いたドアの向こうにはもう一枚のトビラ、よく見るとノブも鍵穴もない、羽目殺しだ、図面と違う。
 「まさか、罠か!!」
 無線でザイル降下している2班に呼びかける。
 「アルファ班、ベータ班状況知らせ」
 「班長、だめです、窓はダミーです、侵入できなっ、あがっ」
 「アルファ、どうした……ベータ応答せよ」
 無線から応答はない。
 「やられたの……のか?」
 タルシュの予想は当たっていた、ザイル降下していた4人は羅動同様、コンパクトボウの餌食となりモズの早贄のごとくシャトーの壁に縫い付けられ残酷なオブジェと化した。
 タルシュと忍者は両端に降りた班を分かれて確認する。
 上から覗くと標本のように金属の矢で壁に打ち付けられた人間がいた、すでに絶命しているのは明らかだ。
 バンッ、MCB(ブレーカー)が入る音とともに屋上サーチライトが点灯される、外ではなく屋上内側に向けて。
 さっきの違和感、ライトが内に向けてあったのだ、シャトーは我々の襲撃を予測し準備していた、まんまと出口のない雑魚漁の網の中に誘いこまれたのだ。
 フブッ、スピーカーに電源が入った音とともに威厳に満ちた女性の声が響く。
 「武装を解除しなさい、もうあなたたち以外は排除を完了しました」
 「!」
 「武装を解除して投降しなさい」
 シャトー周囲に突然気配が現れる、シャトーを囲むように国軍兵士20人がコンパクトボウを手に暗がりから姿を現す。
 シャトーから外へ脱出することはもはや不可能だ。
 「全滅……なのか」
 襲撃を開始してから僅か15分、音もなく54人が屠られた、圧倒的な戦力差。
 「まったく、歯ごたえがありません」
 「!!」
 スピーカーではない生音声にギョッとしてタルシュは振り返ると、屋上出入口の前に戦闘服の男が立っていた。
 「情報部の質も落ちたものだ」
 いつドアを開けたのだ、羽目殺しの扉は閉まったままだ。
 答えは単純、出入口の小屋壁横に隠し扉があったのだ、よく見れば普通に判別できる。
 タルシュと忍者は咄嗟にホルスターのTT33拳銃に手に両手で立射姿勢を取った。
 男がゆっくりと歩き出した瞬間、サーチライトが作るタルシュと忍者の影の間にもう1つの影が伸び、棒状の影が残像を残さない速さで動く。
 鋼の銀翼が拳銃と拳銃の間に円を描く。
 ガチャリ、拳銃と指が床に落ちる。
 「がっ!」
 押さえた手から血がしたたり落ちる、振り返ると短槍を構えた黒緑の髪に憤怒の顔を刻んだ明王カレラがいた、どこから現れたのだ?
 「おとなしく投降したまえ、その手は銃を一生持つことはできない」
 ゆっくりと歩き出していた男はいつのまにか目の前にいた。
 「ぐっぬぬぬ」
 「もはや、これまでだぁ!」
 タルシュはコンバットナイフを残った指で掴み、カレラに向かって振りかざす、それを見て忍者もナイフを手にファレルに飛び掛かった。
 銃で応射出来ない距離ではないが出来れば証人として確保したい、殺傷目的だけであれば空対砲による銃撃で済んだ。
 空対砲を使用しなかったもう一つの理由は死体と血をブドウ畑に降らせたくはなかったというのが主な理由だ。
 ファレルは忍者をサイドステップで躱すと腰の警棒のような武器を手に取り、その刃を広げる。
 前長3メートルの先端にいくと細くなるトライアングルテーパーの柔らかな刃が10本、警棒から伸びている、ウルミン、雷鳴の剣。
 バチンッー、伸びきったときに発する破裂音は刃が音速を超えていることを現している。
 忍者は鞭が戻りバックキャストに移った隙を付こうとナイフを突き出す。
 絶妙のタイミングでのカウンター、入ると忍者は思った。
 ファレルの肘から先が前後ではなく上下に動く、警棒がしなりファレルの横にDループが作られ10本の刃が忍者に向かってスペイキャストで打ち出された。
 雷鳴の刃が忍者の手に巻き付いた刹那、しなる警棒が引かれる、10本の刃が忍者の手を幾重にも骨に達するまで肉を削ぎ切る。
 「ギィヤアアーッ」
 忍者の肘から下が身体から切り離される。
 なんと残酷な武器か、近接戦闘で音速の範囲攻撃が隙間なく襲う、避けることは不可能だ。

 タルシュはコンバットナイフを振りかざしたが、明王カレラの短槍の前に動きを封じられていた、眼の前の切っ先がまるで拳銃を突き付けられているようだ。
 タルシュに比べればはるかに小さな女に気負されている事実。
 「あきらめなさい」
 冷たい声が自暴自棄を煽る。
 「くそおっ!」
 突進、自爆上等で道ずれにしてやる。
 カレラがもつ短槍笹貫は全長1メートル70センチ、黒樫の柄に玉鋼の笹穂型の刃は40センチほどとやや長い。
 突くだけではなく、引き切るための笹穂型。
 コンバットナイフを持つ左手首を突き切った刃は流れるようにU字に左手から左足首、右足首、右手首と銀色の閃光がたなびく。
 タルシュの四肢の腱は全て切断されて明王カイラの前に壊れた人形のごとく崩れ落ちる。
 「ひぃぃああぁぁー」
 出来の悪いホラームービーのようにのたうつしか出来ない。
 「愚か者め!」
 どちらも1撃で勝負は決した。
 シャトー・ガイラは襲撃者54人を排除殺害し2名を重症確保した。

 ノルマン自治区ベータロイン生産工場、50鳥の首のないケツァルが流動食のパイプや卵産促進のホルモン点滴、心電管理機器、様々な電極線に繋がれた生きた死体がベータロインの原料となる卵を産むだけのためにパンパンに太った哀れな身体を仰向けに固定されていた。
 その美しかった羽根は全て毟られ、床についたままの肌は青紫に床ずれを起こして一部は皮膚が裂けている。
 糞尿の清掃も十分ではなく室内には異様な匂いが充満している。
 ケツァルは10鳥ごとの5部屋に分けられ、月2卵の採卵ノルマが与えられていた。
 ハン大佐の視察日の朝、工場内にヒステリックな女性の声が響いていた。
 「昨日の夜当番は誰だったの、薬剤の投与してっていったよね!」
 A室10鳥のうち、1鳥の死亡が今朝みつかったのだ、これでA室の残存ケツァルは7鳥となりノルマの達成は不可能だ。
 ケツァルの死亡は相次いでいる、50鳥のベッドでスタートした工場だったが現在は40鳥まで数を減らしていた、このままでは年間生産目標には届かない。
 ヒステリックな声の主はシュガーという担当女官、羅道のフロント企業のひとつ、薬品メーカーの執行者だ。
 自己顕示欲が強く、自分は半覚醒者だと周囲に風潮しているが、まったくそんな能力は持ち合わせていなかった。
 この日も自分が担当であったことを忘れたため下位職員に罪をなするために奔走していた、薬を投与しても近日中に寿命となることは予想されていたため取り立てて咎める場面でもないが自分の責となることを極端に恐れるシュガーは周囲を巻き込んで度々騒動を起こしている嫌者だった。
 「昨日の夕方にシュガー主任が、今日視察があるから自分でやるって言っていましたよね」
 シユガーより少し若い気の弱そうな男性担当者が言うと、身長145センチほどの小太り体系に黒のタイトスカート、白のブラウス、工場の濡れた床には不向きだろうピンヒールを履いた女はさらにヒステリックな語気を強める。
 「わたしそんなこと言ってない!」
 また、始まったと周囲は呆れて離れていく、触らぬ神に祟りなしだ。
 「でも、みんな聞いて……」
 「でもじゃない!!」
 気弱な男が言い終える前に被せて最後まで言わせない。
 「す、すいません」
 気弱な男は面倒なのでとりあえず謝ってしまう、早くこの場から離れたい。
 「どうするのよ、また死んじゃったじゃない」
 相手を遣り込めることでサディスティクな快感を昂らせる。
 社会の中には程度問題だが割と多くこの種の人間は存在する、魂が初めから闇に近い、正しく生きることが難しい運命だ、世界に平等など存在しない一例だろう。
 ハン大佐のダークエンパスに対してダークテトラドに区分されるシュガーは共感性をほとんど持たない、相手の痛みや嫌がることを自分には置き換えられない、手足がないのと同様に生まれた時から持っていないのだ。
 また自己性愛の傾向も強く、かわいい自分や賢い自分を演出したがり、その手段を選ばない。
 この闇を自覚し正しく生きることを選択することは自分次第だが、才能なきものがオリンピックを目指すようなものだ。
 この僻地に赴任も君にしか出来ない社運のかかった大事業だなどと功名心を煽られてきたが、フロント薬剤企業にしてみれば厄介払いのためだった。
 ダークテトラドを重要なポストに置くことは危険だ、明かに一般人とは価値観が違うため行動を予測することが出来ない。
 
 シュガーは工場の事務室に急いだ、もうハン大佐がお見えになっている、まったく馬鹿な男を相手にしていて遅くなってしまった。
 事務所には既にハン大佐と係員、設備主任のザキが打合せを始めていた。
 「遅れてもうしわけございません」
 一同がチラと目を向けたが、すぐに向き直ってしまった、呼んでない誰だお前はと言わんばかりに自分の席も用意されてはいない。
 ないがしろにされている、私が!大いにプライドが傷つく。
 私の優秀さをハン大佐にアピールして情報部にリクルートするのがシュガーの目標だった。
 テーブルを見るとお茶が出ていない、チャンスだ。
 キッチンへ走り、置いてある中で一番高いお茶を一番高いと思われるコップにハン一行5名様分のみを入れる。
 「あのー、お茶いらないって言っていました」
 事務付きの女性職員が脇から顔を覗かせる。
 「言われたからって出さなくていいわけないじゃない」
 ツンと言い放つ。

 ハン大佐が話している途中だが、出来るだけ優雅にお淑やかにハン大佐の脇からソーサーを差し出す。
 「失礼します」
 「いらんといったはずだが」
 一瞥もしない。
 「あっ、でも」
 「3回も言わなければ理解できないのか、邪魔だ、失せろ」
 「ひぃ」

 酷い、赤っ恥をかかされた、全員が笑っている、私を。
 工場長のマーはせっかくハニートラップにかけて飼いならしたというのにラリッて使い物になりそうにない、腐敗臭のする男の唾液を我慢して抱かれてやったのに。
 設備主任のザキは靡かなかった、きっとやつはゲイだ。
 こうなったらハン大佐に女の魅力で迫ってみるしかない、2日は滞在するだろう、チャンスはある。
 出来ない自分なんてあり得ない、絶対許さない。
 優秀で賢くてかわいい、いい女、それが私だ。
 失敗は私のせいじゃない、私以外の誰かのせい、それを分からせなければいけない。

 シュガーは爪を噛みながら独り言をキッチンで呟く。
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