第24話 星空
文字数 4,514文字
その日、内閣調査室の事務所はただならぬ緊張に包まれていた。
アイゼン家は内閣調査室へ毎年多大な寄付をしている、調査室にとってはスポンサーも同様だ。
調査室長のトヨダは還暦を迎える、官僚ではなく内閣から信任を得て着任している政治家である。
ジョシュとトヨダは調査室の作戦室でバナマ運河からノルマン村近辺の地図を前にジョシュが手土産にしたChガイラ・ピノ・ノワールの22年ビンテージのグラスを揺らしていた、市場価格1本100万は下らないだろう。
「これは……なんと複雑で多様な香り、優雅で力強く……ああ、ただ素晴らしい以外の言葉が見つからない」
「この年はいい年だった、ローズとリリィを養子に迎えた年だ」
「ローズ嬢のことはお悔やみ申し上げます」
「陸軍航空隊に入隊した時より、覚悟はしていたつもりだが、実際になるとやり切れぬものだ」
「して、どうするつもりなのだ、アイゼンよ」
「もちろん、決着をつける」
ショシュはグラスを飲み干す。
「リオたちがノルマン村に向かい、カレラたちがダーラニーを保護している」
「わたしは何をすればよい」
「別件だ」
「情報が早いな、さすがはアイゼン家」
「ダチアン帝国の事だな」
ダチアンはフォルモサ王国の宗主国である。
いま戦線布告をしてきているのは山岳内部にあるナジリス共和国だが、戦線は山岳奥にありほとんど休戦状態にある、なにしろ冬が長い、両国とも動くことはできない。
「ダチアンに参戦の動きがあるのだろう」
ジョシュはトヨダのグラスにワインを満たし、残りを自分の空になったグラスに注ぐ。
「そのとおりだ、海から脅威がやってくる、ダチアン参戦となれば戦線の拡大は厳しいものとなる」
「空母か」
「連合艦隊と呼べる規模だ、それだけではない航空機に圧倒的なアトバンテージをつけられている、このまま開戦すれば不利だ」
「海軍と情報部の方はどうだ」
「相変わらず勝手をしておる、ダチアンに対するベータロイン侵略のつもりかもしれん」
「ノルマンの件で関連があれば容赦はできない、それぞれの長官クラスの首は狩らせてもらうことなろう」
「望むところ、無論だ」
「国軍の復権が必要だ、正義なき権力は国を亡ぼす」
「トヨダよ、お前には総理になってもらおう、今の平和ボケ内閣では戦時下を乗り切ることはできん、国防の予算がまるで足りん」
「相変わらず無茶をいう」
「このリーペン共和国において、麻薬を使用した姑息な国防など断じて許しがたい、しかもそれが我が地セントラル・コーストで行われ、隠蔽のために味方を殺め、しかもアイゼンから犠牲者がでたのだ」
ジョシュの巨体から覇気が漲り、室内の気圧が一気に上昇するようだ。
あまりの圧力、トヨダはジョシュの怒りの凄まじさに少しのけ反る。
「し、しかし、よいのか、ご息女2人を現地に向かわせてしまって、相当危険な任になるのではないか」
「そうだろう、だが2人とも端で成り行きを見ているような軟弱ではない、ローズ同様に正しく生きることを選んだ誇り高い人間だ、たとえ敗れて死ぬるとも清浄なるままで魂の海に輪廻するだろう」
「奥方様は大丈夫か、気を病んでいるのではないか」
「この件が発覚するまではローズの部屋で引き込んで写真ばかりを眺めて憔悴している様子だったが、リオよりこの話を持ち込まれた時からは本来のカイラに戻ったようだ、ローズの功に納得したのだろう、やはり武家の妻だ、出撃する2人を引き留めるような恥は晒さない」
「自分に厳しい方だ」
「カレラの性根は私よりも強い、3人の娘に強く、正しく生きるとはどういうことかを何にかえても叩き込んだ、時に娘たちから非難の目を向けられ拒絶されようとも諦めずに何度も立ち向かった、安易な優しき態度、言葉は娘たちから好かれたい自分のエゴであり愛ではないと知っておる、愛とは自分が嫌われようと相手を思う心だ、好かれるという見返りを期待して行うことではない、また娘たちも母の愛を幼きときからよく理解して修練した」
「武術も奥方様の教えか」
「カレラ直伝だ、リオの徒手術は凄まじい、道場で向かい合ったら私でも勝てる気かしない」
「なんと、貴様でも勝てぬと」
「天賦の才だ、リオの身体能力は桁が外れている、だがそれが覚醒の邪魔をするのだ」
「なるほど、それほどか」
「信じて待とう、出来る限り陣地を整え、助力できるよう」
「トヨダよ、貴様も正しく国を導くのだ、アイゼンも助力を惜しまぬ」
リオたちが乗車する4WDはいよいよ山岳地帯に入り、ギアセレクターをRWDから4WDに切り替え進んでいく。
秋の深まりとともに標高2000メートル付近では浅く積雪した雪が昼間は溶けて泥濘している、マッドテレーンのタイヤがその真価を発揮する。
紅葉の森は既に遥か後方、低い灌木や笹類、まばらにシラカバが伸びる林道を2台は激しく車体を揺らしながらゆっくりとトライアルしていく。
監視はナビシートの者が目を凝らすが何しろ揺れが酷い、4点式シートベルトを締めていても油断すると車内のあらゆる所に身体が打ち付けられる。
背が高いリオは頭上の余裕がほとんどない、ヘルメットも装着出来ないため前かがみの運転を余儀なくされる、油断するとフロントガラスにハードなキスマークを残すこととなり、なかなかペースを上げられなかった。
「止めてください、お嬢様」
林道はカーブが細かくなり見通しが悪くなってきた、バルマ運河を通らずノルマン村を目指すためラライ山脈を迂回するルートを取っている、左側は台地となり茶色い葉となった笹が生茂げり地面を隠している、右側は切り立った斜面に広葉樹が道側に覆いかぶさり日当たりのせいか青い葉も残り上空からの視界を遮れる。
「適地です、本日はここで車中泊としましょう」
超山脈に遮られて日が落ちるのが早い、辺りはうす暗くなってきている、ライトを点灯させて移動するのは敵に来訪の挨拶しているようなものだ。
ニシたち2号車も1号車の直ぐ裏に駐車する。
「ここまでは予定どおりだな」
「ええ、心配していたディアボロスの姿も見えないけど油断は禁物ね」
「今日は早く休んで明日早く出発しよう」
「そうね、車中泊も今日だけになるし、明日以降はビバークしなきゃいけないから」
「飯にしよう」
ここまで飲まず食わずのぶっ通しで走ってきた、リオとニシは体力的に余裕があるが特にオックスはきついだろう。
背の高い2人が車両の屋根に設置してあるルーフキャリアから野戦食を取りだす、リリィが携帯コンロで鍋に湯を沸かすと4人分を放りこむ。
それとは別に飲料用の湯も作りカップ麺に湯を注ぐ、コーヒー等の利尿作用のあるものは摂取しない。
危険を感じるほどではないが焚き火をすることはできない。
出来上がった野戦食を4人は折り畳みテーブルに並べて囲んだ。
湯気の上がる食事は温かさと塩気が身体に沁みて高所ではやけに美味しく感じる。
オックスがコップにハーブティを作り、手作りだという焼き菓子とともに全員に配った、
甘いものが苦手なリオもザクザク食感のアーモンド菓子には積極的に手が伸びる。
オックスがニシにハーブティを啜りながら話かける。
「ニシさん初めて大学に来た時と印象が違うのでびっくりしました」
車中ずっと一緒だったが、最初のオンロード区間は緊張で、林道に入ってからは舌を噛みそうで話すことは出来なかったのだ。
「捜査員だからな、いつもは頭のいかれた中毒者ばかりを相手にしているから、君にも失礼な態度をとっていたと思う、謝るよ」
「とんでもない、大変なお仕事なのですね」
「オックスさんはなぜ今回の任務に志願なされたのですか、我々のなかでは唯一、非戦闘員です、怖くはありませんか」
リリィはお茶の入ったコップを膝に置き、閉じた両足を斜めに揃えて背筋を伸ばした姿勢を保っている、戦闘服姿でさえ女性らしい優雅さが漂う。
チラとリリィが横に目をやるとリオが膝を開いて両肘を乗せてお茶と菓子を口に運んでいる、”まったく”とリリィの眉がへの字に下がる。
「はい」
オックスはやや俯きカップの中に揺れるハーブの葉を見つめる、リリィの言わんとしていることは分かる。
非戦闘員である自分が命の危険がある区域に足を踏み入れる覚悟はあるのか、足手まといになるなと言っているのだ。
オックスは視線をハーブから隻眼黒色の瞳に移す。
「ダーラニーの願いを果たすためです……というのはごめんなさい本来の理由ではありません」
ふぅと一息、意を決したように背筋を伸ばした。
「私はノルマン村に4才で流民として流れつきました、途中で両親は亡くなったようです、6歳ごろから前の記憶はほとんどありません、その後は村で奴隷同然の暮らしでしたが9才の時に陸軍を退役してマタギをしていた”父”に助けられて14才まで育ててもらいました、寡黙で真面目な正しく優しい人でした」
3人はオックスの話に静かに耳を傾ける。
「私の自然覚醒が生物学だと知った父は軍のつてで今の鳥類学教室の准研究員として働く道を見つけてくれたのです、最初は行きたくないと固辞したのですが最後は頬を張られて、父の涙を見たのは初めてでした」
「自分の可能性を潰すことは許さない、正しく生きる気がないなら出ていけとも、わたしも泣きながら謝りましたが山に残ること許されることはありませんでした、あの時父は既に60才、自分がいなくなった時の事を考えての勧めだと分かっていましたが、私のそれまでの人生の中で父と過ごした5年間ほど安寧に満ちた時はありませんでした、その父の腕の中から踏み出すことは恐怖でしかありませんでした」
辺りはすでに暗くなり、テーブルに置いたカンテラの光が淡く揺らぐ。
「14才の春にバナマ運河から船で街に降りました、丘の上で見送ってくれた父の手を振る姿は忘れられません、あの時私のバッグに黙って忍ばせくれたお金は軍の退職金だったと思います、そのほとんどを私に預けてくれました」
「今年で70になります、私が正式採用されない限り帰省は許さないと念を押されましたが、ダーラニーの件でようやく正式な研究員となり、嘘偽りなく会うことができます、一言でもお礼を伝えなければ一生悔やむことになります」
「父はマタギで村からは離れて暮らしていましたし、銃の技術は陸軍でもトップだったと聞いています、簡単に殺されるとは思えません」
「これは私情です、分かっています、でも会いたいのです、どうしても!」
「邪魔になることはしません、どうかっ……お願いします」
カンテラの灯を映すカップに水滴の波紋が広がる。
「あなたの覚悟、受け止めました、共に行きましょう」
リリィの膝に置いたハーブティは強く握られてその熱を失わずにいる。
「あなたのお父さん、素敵な人ね、ぜひあってみたいわ、グスッ」
リオは号泣していた、親父似だ、リリィが黙ってハンカチを差し出す、さすがに鼻はかまない。
「もうサファリシャツの標高じゃない、防寒を着ておきな」
ニシが肩に手を置いた。
きっと会える、オックスはぼやけた視界で超山脈から除く星空を見上げた。
アイゼン家は内閣調査室へ毎年多大な寄付をしている、調査室にとってはスポンサーも同様だ。
調査室長のトヨダは還暦を迎える、官僚ではなく内閣から信任を得て着任している政治家である。
ジョシュとトヨダは調査室の作戦室でバナマ運河からノルマン村近辺の地図を前にジョシュが手土産にしたChガイラ・ピノ・ノワールの22年ビンテージのグラスを揺らしていた、市場価格1本100万は下らないだろう。
「これは……なんと複雑で多様な香り、優雅で力強く……ああ、ただ素晴らしい以外の言葉が見つからない」
「この年はいい年だった、ローズとリリィを養子に迎えた年だ」
「ローズ嬢のことはお悔やみ申し上げます」
「陸軍航空隊に入隊した時より、覚悟はしていたつもりだが、実際になるとやり切れぬものだ」
「して、どうするつもりなのだ、アイゼンよ」
「もちろん、決着をつける」
ショシュはグラスを飲み干す。
「リオたちがノルマン村に向かい、カレラたちがダーラニーを保護している」
「わたしは何をすればよい」
「別件だ」
「情報が早いな、さすがはアイゼン家」
「ダチアン帝国の事だな」
ダチアンはフォルモサ王国の宗主国である。
いま戦線布告をしてきているのは山岳内部にあるナジリス共和国だが、戦線は山岳奥にありほとんど休戦状態にある、なにしろ冬が長い、両国とも動くことはできない。
「ダチアンに参戦の動きがあるのだろう」
ジョシュはトヨダのグラスにワインを満たし、残りを自分の空になったグラスに注ぐ。
「そのとおりだ、海から脅威がやってくる、ダチアン参戦となれば戦線の拡大は厳しいものとなる」
「空母か」
「連合艦隊と呼べる規模だ、それだけではない航空機に圧倒的なアトバンテージをつけられている、このまま開戦すれば不利だ」
「海軍と情報部の方はどうだ」
「相変わらず勝手をしておる、ダチアンに対するベータロイン侵略のつもりかもしれん」
「ノルマンの件で関連があれば容赦はできない、それぞれの長官クラスの首は狩らせてもらうことなろう」
「望むところ、無論だ」
「国軍の復権が必要だ、正義なき権力は国を亡ぼす」
「トヨダよ、お前には総理になってもらおう、今の平和ボケ内閣では戦時下を乗り切ることはできん、国防の予算がまるで足りん」
「相変わらず無茶をいう」
「このリーペン共和国において、麻薬を使用した姑息な国防など断じて許しがたい、しかもそれが我が地セントラル・コーストで行われ、隠蔽のために味方を殺め、しかもアイゼンから犠牲者がでたのだ」
ジョシュの巨体から覇気が漲り、室内の気圧が一気に上昇するようだ。
あまりの圧力、トヨダはジョシュの怒りの凄まじさに少しのけ反る。
「し、しかし、よいのか、ご息女2人を現地に向かわせてしまって、相当危険な任になるのではないか」
「そうだろう、だが2人とも端で成り行きを見ているような軟弱ではない、ローズ同様に正しく生きることを選んだ誇り高い人間だ、たとえ敗れて死ぬるとも清浄なるままで魂の海に輪廻するだろう」
「奥方様は大丈夫か、気を病んでいるのではないか」
「この件が発覚するまではローズの部屋で引き込んで写真ばかりを眺めて憔悴している様子だったが、リオよりこの話を持ち込まれた時からは本来のカイラに戻ったようだ、ローズの功に納得したのだろう、やはり武家の妻だ、出撃する2人を引き留めるような恥は晒さない」
「自分に厳しい方だ」
「カレラの性根は私よりも強い、3人の娘に強く、正しく生きるとはどういうことかを何にかえても叩き込んだ、時に娘たちから非難の目を向けられ拒絶されようとも諦めずに何度も立ち向かった、安易な優しき態度、言葉は娘たちから好かれたい自分のエゴであり愛ではないと知っておる、愛とは自分が嫌われようと相手を思う心だ、好かれるという見返りを期待して行うことではない、また娘たちも母の愛を幼きときからよく理解して修練した」
「武術も奥方様の教えか」
「カレラ直伝だ、リオの徒手術は凄まじい、道場で向かい合ったら私でも勝てる気かしない」
「なんと、貴様でも勝てぬと」
「天賦の才だ、リオの身体能力は桁が外れている、だがそれが覚醒の邪魔をするのだ」
「なるほど、それほどか」
「信じて待とう、出来る限り陣地を整え、助力できるよう」
「トヨダよ、貴様も正しく国を導くのだ、アイゼンも助力を惜しまぬ」
リオたちが乗車する4WDはいよいよ山岳地帯に入り、ギアセレクターをRWDから4WDに切り替え進んでいく。
秋の深まりとともに標高2000メートル付近では浅く積雪した雪が昼間は溶けて泥濘している、マッドテレーンのタイヤがその真価を発揮する。
紅葉の森は既に遥か後方、低い灌木や笹類、まばらにシラカバが伸びる林道を2台は激しく車体を揺らしながらゆっくりとトライアルしていく。
監視はナビシートの者が目を凝らすが何しろ揺れが酷い、4点式シートベルトを締めていても油断すると車内のあらゆる所に身体が打ち付けられる。
背が高いリオは頭上の余裕がほとんどない、ヘルメットも装着出来ないため前かがみの運転を余儀なくされる、油断するとフロントガラスにハードなキスマークを残すこととなり、なかなかペースを上げられなかった。
「止めてください、お嬢様」
林道はカーブが細かくなり見通しが悪くなってきた、バルマ運河を通らずノルマン村を目指すためラライ山脈を迂回するルートを取っている、左側は台地となり茶色い葉となった笹が生茂げり地面を隠している、右側は切り立った斜面に広葉樹が道側に覆いかぶさり日当たりのせいか青い葉も残り上空からの視界を遮れる。
「適地です、本日はここで車中泊としましょう」
超山脈に遮られて日が落ちるのが早い、辺りはうす暗くなってきている、ライトを点灯させて移動するのは敵に来訪の挨拶しているようなものだ。
ニシたち2号車も1号車の直ぐ裏に駐車する。
「ここまでは予定どおりだな」
「ええ、心配していたディアボロスの姿も見えないけど油断は禁物ね」
「今日は早く休んで明日早く出発しよう」
「そうね、車中泊も今日だけになるし、明日以降はビバークしなきゃいけないから」
「飯にしよう」
ここまで飲まず食わずのぶっ通しで走ってきた、リオとニシは体力的に余裕があるが特にオックスはきついだろう。
背の高い2人が車両の屋根に設置してあるルーフキャリアから野戦食を取りだす、リリィが携帯コンロで鍋に湯を沸かすと4人分を放りこむ。
それとは別に飲料用の湯も作りカップ麺に湯を注ぐ、コーヒー等の利尿作用のあるものは摂取しない。
危険を感じるほどではないが焚き火をすることはできない。
出来上がった野戦食を4人は折り畳みテーブルに並べて囲んだ。
湯気の上がる食事は温かさと塩気が身体に沁みて高所ではやけに美味しく感じる。
オックスがコップにハーブティを作り、手作りだという焼き菓子とともに全員に配った、
甘いものが苦手なリオもザクザク食感のアーモンド菓子には積極的に手が伸びる。
オックスがニシにハーブティを啜りながら話かける。
「ニシさん初めて大学に来た時と印象が違うのでびっくりしました」
車中ずっと一緒だったが、最初のオンロード区間は緊張で、林道に入ってからは舌を噛みそうで話すことは出来なかったのだ。
「捜査員だからな、いつもは頭のいかれた中毒者ばかりを相手にしているから、君にも失礼な態度をとっていたと思う、謝るよ」
「とんでもない、大変なお仕事なのですね」
「オックスさんはなぜ今回の任務に志願なされたのですか、我々のなかでは唯一、非戦闘員です、怖くはありませんか」
リリィはお茶の入ったコップを膝に置き、閉じた両足を斜めに揃えて背筋を伸ばした姿勢を保っている、戦闘服姿でさえ女性らしい優雅さが漂う。
チラとリリィが横に目をやるとリオが膝を開いて両肘を乗せてお茶と菓子を口に運んでいる、”まったく”とリリィの眉がへの字に下がる。
「はい」
オックスはやや俯きカップの中に揺れるハーブの葉を見つめる、リリィの言わんとしていることは分かる。
非戦闘員である自分が命の危険がある区域に足を踏み入れる覚悟はあるのか、足手まといになるなと言っているのだ。
オックスは視線をハーブから隻眼黒色の瞳に移す。
「ダーラニーの願いを果たすためです……というのはごめんなさい本来の理由ではありません」
ふぅと一息、意を決したように背筋を伸ばした。
「私はノルマン村に4才で流民として流れつきました、途中で両親は亡くなったようです、6歳ごろから前の記憶はほとんどありません、その後は村で奴隷同然の暮らしでしたが9才の時に陸軍を退役してマタギをしていた”父”に助けられて14才まで育ててもらいました、寡黙で真面目な正しく優しい人でした」
3人はオックスの話に静かに耳を傾ける。
「私の自然覚醒が生物学だと知った父は軍のつてで今の鳥類学教室の准研究員として働く道を見つけてくれたのです、最初は行きたくないと固辞したのですが最後は頬を張られて、父の涙を見たのは初めてでした」
「自分の可能性を潰すことは許さない、正しく生きる気がないなら出ていけとも、わたしも泣きながら謝りましたが山に残ること許されることはありませんでした、あの時父は既に60才、自分がいなくなった時の事を考えての勧めだと分かっていましたが、私のそれまでの人生の中で父と過ごした5年間ほど安寧に満ちた時はありませんでした、その父の腕の中から踏み出すことは恐怖でしかありませんでした」
辺りはすでに暗くなり、テーブルに置いたカンテラの光が淡く揺らぐ。
「14才の春にバナマ運河から船で街に降りました、丘の上で見送ってくれた父の手を振る姿は忘れられません、あの時私のバッグに黙って忍ばせくれたお金は軍の退職金だったと思います、そのほとんどを私に預けてくれました」
「今年で70になります、私が正式採用されない限り帰省は許さないと念を押されましたが、ダーラニーの件でようやく正式な研究員となり、嘘偽りなく会うことができます、一言でもお礼を伝えなければ一生悔やむことになります」
「父はマタギで村からは離れて暮らしていましたし、銃の技術は陸軍でもトップだったと聞いています、簡単に殺されるとは思えません」
「これは私情です、分かっています、でも会いたいのです、どうしても!」
「邪魔になることはしません、どうかっ……お願いします」
カンテラの灯を映すカップに水滴の波紋が広がる。
「あなたの覚悟、受け止めました、共に行きましょう」
リリィの膝に置いたハーブティは強く握られてその熱を失わずにいる。
「あなたのお父さん、素敵な人ね、ぜひあってみたいわ、グスッ」
リオは号泣していた、親父似だ、リリィが黙ってハンカチを差し出す、さすがに鼻はかまない。
「もうサファリシャツの標高じゃない、防寒を着ておきな」
ニシが肩に手を置いた。
きっと会える、オックスはぼやけた視界で超山脈から除く星空を見上げた。