第27話 ヒーロー

文字数 4,836文字

 エイラとローレルはエゾの荷物を通した棒を肩に担いで鍾乳洞を進む、まだ道は広い。
 しかし、もう外光は届かない、明かりはヘッドライトのみだ、電池を節約するため先頭にたつローレルのみが点灯させている。
 脱出口A地点までは5キロメートルはあり、分岐は大小合わせて20か所以上ある、荷物を持った子供の足では4時間以上かかるだろう。
 洞窟の中は静寂に包まれている、2人の足音と息遣いだけが暗い闇に溶けて消える。
 銃声も生き物の気配はない。
 エゾは大丈夫だろうか、暗い闇のトンネルから不安が波のように足元を掬おうとする。
 どさっと先頭のローレルが躓いて地面に手をつく。
 「つっ」
 「ローレル、大丈夫、先頭かわろうか?」
 「平気、分かれ道はあと15か所、まだこれからよ」
 「15か所?ローレル全部覚えているの?」
 「うん、私どんくさいからこっちで頑張らないと」
 「ううん、すごいや、私には無理だよ」
 「がんばろっ、きっと父さんが来てくれる」
 「うん、がんばろう」
 這うような速さでも二人は出口に向かって歩を進める。

 猟犬の悲鳴が聞こえた、カプサイシン爆弾は成功したようだ、全頭無力化出来ただろうか。
 可能性は高い、落下前に通り過ぎた犬がいなければ踏んだだけでも効果がある。
 さあ、やってこいハンターども、娘たちは必ず無事に逃がして見せる。
 エゾは入り口から入った先にある狭くなった通路を見通せる岩の影に潜み息を殺す。

 ブリヤーたち3人は慎重に鍾乳洞に侵入した、ターゲットは狙撃だけではなくトラップまで使用することが分かった、70才の老人だと侮れない、しかし、スタンは自分の飼い犬たちを無効化されたことに腹を立てて冷静さを欠いている、危険だ。
 無謀な動きで巻き添えを食ってはたまらない、ここはやつに先行させよう。
 「スタン」
 左手で先行を支持する。
 疑うことなくスタンは先行して障害物となる岩から岩を進む。
 一呼吸おいてサイ、そして最後にブリヤーが続いた。
 「なんだこりゃぁ」
 先行するスタンが緊張感のない大声をだす。
 「声がでかい!」
 「どうした?」
 3人で確認するとそこには通路を塞ぐように白い布が張られていた、向こう側は全く見えない。
 天井にも隙間はない、よく見ると布の前にワイヤーが張ってある、地面が不自然な感じがする、ホルダーからナイフを取り出しワイヤーのいく先を探る、白い布の先端まで伸びている。
 引っかかると布が外れる仕掛けだ、狭い通路では逃げようがない。
 不自然な地面の土の方は……トラバサミだ、2重トラップ。
 なかなか頭が回るようだが、こっちの方が一枚上手だ。
 「同時に解除するぞ、布が落ちる前に退避しろ」
 「了解」
 布を落とさずにナイフで裂いていく方法もあるが布の向こうにもトラバサミがあると考えるべきだ。
 「準備完了」
 「よし、やれ」
 ワイヤー切断とトラバサミを解除する。
 ガチャンとトラバサミが空を噛む、布は落ちなかった。
 「?」
 パッと真後からライトが点灯する、全員がギョッとして振り向く、後ろに隠れていたのか。
 パアァン、97式狙撃銃の発射音が鍾乳洞内に反響する、布の向こう側だ。
 振り向いたときには白い布に赤い飛沫を残してトラバサミの上にスタンが突っ伏していた、振り向いた後頭部から入った6.5ミリ弾は顔の半分を消失させていた。
 「ちいいっ、やられた」
 布のワイヤーは囮だった、ワイヤーは真後に隠されたライトのスイッチだったのだ、後光により白布に出来た影を狙ったのだ、3重トラップ、いやトラバサミからもワイヤーが伸びている、4重トラップ。
 「サイ、ライトを撃て」
 白布に向けてM1A1短機関銃を連射する。
 45口径ACP弾が鍾乳洞の岩を粉砕して闇に消える。
 穴だらけになった白布が落ち、動かなくなったスタンの上に落ちる。
 向こう側はがらんと開けた場所だ、50メートルほどの低い岩が狙撃ポイントだろう。
 ハンドライトで照らす、既に移動している。
 狩られているのはどっちだ、この先トラップごとに狙撃されるのではないか、狩場に誘いこまれたのはこっちだ。
 狙撃ポイントから足跡が鍾乳洞のいくつかある1本に向かっている、右足を引きずったあとがある。
 「ブリヤー、どっかにヒットしたようだぞ」
 足跡付近に点々と血痕らしき赤い点が続いている。
 これも罠の可能性はあるが、ジジイ1人にいいようにやられて退却したら俺の将来は暗い、仕留めなければならない。
 「追うぞ」
 暗い穴に向かってヘットライトの明かりを投げ込む、届く範囲にトラップがないか慎重に見極めながら進む。
 時間がかかりそうだ、上から回り込んだエルダー班長の方が早いかもしれない、それはそれでよいだろう、挟み撃ちにしてやる。
 とにかくトラップをよけて出口まで追跡する、勝負は地上だ。
 
 地上を移動しているエルダーとビーも薄く積もった雪が滑り、なかなか歩を進めずにいた。
 「班長、なんか聞こえませんか?」
 「なんだ」
 風が少し強い、広葉樹にしつこく残った枯れ葉が泣いている音しか聞こえない。
 「分からん」
 「気のせいでしょうか、ときおりエンジン音のような……」
 そこまでいったところで、ビーは山の斜面に沿って空中を落ちるように翔ける黒い塊を見つける。
 「走れっ!」
 森の中に一目散に猛ダッシュする。
エルダーも気がついた、ビーより3歩遅れて走り出す。
 十分な落下速度を得て魔の黒鳥ディアボロスは翼を半分だけ広げ姿勢を制御し、時速250キロメートルで2人のいる方向に舵をきる。
 こちらを狙っているのは明らかだ、追いつかれる。
 エルダーは躊躇することなくホルスターから拳銃を抜き、前を走るビーの足に向け引き金を引く、
 銃声と同時にビーが激しくつんのめり転がる、脇をすり抜け森に走る。
 自分の身に何が起きたのかを理解する暇なく、ビーはシモノフ小銃を空に向けてセミオートで引き金を引く、巨大な羽根は地面すれすれに迫っていた、50メートル無い、数発を撃ったがまるで当たらない。
 エルダーは無事に走り切り大木の陰にかくれて無慈悲な殺人ショーを見ることとなった。

 ディアボロスは飛翔しながら獲物を虚空に掴み上げた、巨大な爪の中でビーが暴れている、そのまま谷の上空まで飛び、あっさりと開放を解く。
 ビーは悲鳴を谷底に引きながらエルダーの視界から消えた、悲鳴の線をなぞる様にディアボロスが悠々と降りていく。
 ショーは一瞬で終了した。
 「聞いてないぞ、こんな情報」
 ディアボロスがこれほどの脅威だとはハン大佐からも聞かされていない、ジジイよりこっちの方を優先的に排除すべきだ、もはや鳥ではない、恐竜かおとぎ話のドラゴンだ。
 「地上からの挟み撃ちを選択したのは失敗だ、鍾乳洞から追い詰めるべきだった」
 鍾乳洞から追い出せば後はあのディアボロスが鳥葬にしてくれる。
 エルダーは乾いた唇を噛みながら鍾乳洞への入り口がないか森の奥に走った。

 エレナとローレルは3時間をかけて出口までもう少しまで来ていた。
 最後に高台にある出口の穴まで梯子を上るのだが10メートルの急傾斜、一部は垂直だ。
 エゾの荷物を持っては上がれない、下に置いたままでは敵にも目印になってしまう、ロープを結んでひっぱり上げるしかない。
 2人は腰に巻いた安全帯とカラビナ金具をエゾが張ったロープに掛けながら登っていく。
 重い荷物が肩に食い込む、肘を折って体重を少しでも壁に沿わせないと後ろにひっくり返りそうだ。
 ズリリッ。
 「!」
 ローレルが片足を滑らすが、ぎりぎりのところで踏ん張る。
 掴んだ壁の割れ目に指を食い込ませて耐える、あと半分。
 歯を食いしばり、無言で後ろから登るエレナを見て頷く、エレナも、もう少しと返す。
 10メートルを登り終え、平場にでると出口の明かりが見えた。
 「やった、登り切った」
 足と手が疲労で震えている。
 「やったね、ローレル」
 ハイタッチを交わそうとした手のひらが急にエレナの身体ごと登ってきた鍾乳洞の方に引っ張られて空振りする。
 「なっ?」
 ザザザツ、後ろ向きに尻もちをついたエレナが引きずられていく。
 「エレナッ!」
 落ちる寸前で岩に背負った荷物が引っかかってくれた。
 下に引っ張り続ける力がエレナの腹を安全帯で締め付ける。
 「アウーッ」
 苦悶の悲鳴をあげるエレナ、いったい何が、梯子の下を覗き込むと黒い塊がエゾの荷物を噛んで引っ張っている。
 「クロクマ!!」
 荷物の匂いにつられてやってきたのか。
 ローレルは自分の荷物を放り出し、ザックのポケットから小型ナイフをとりだしエレナのもとに走る、食い込んだロープがエレナのウエストを蜂のように分けている、背骨を折られてしまう、エレナは既に白目を向いて泡を吹いていた。
 少しでも抵抗を減らすため綱引きのようにロープを引き、両足で踏ん張りながらナイフの刃をあてる。
 登山用のザイルは丈夫すぎるほど丈夫だ、なかなか歯が入らない。
 クロクマの唸り声が聞こえる。
 「はやく、はやく切れろ、切れろっ!」
 バッツン、ロープは突然きれた、急いでウエストを絞るロープを緩める、引っ張られていたロープが滑るように梯子下に消えていく、唸り声は止まない。
 思うようにザックが破れずにイライラして怒っているように聞こえる。
 「登ってくるかもしれない」
 血の気が引く、熊相手では抗う術がない。
 急いでエレナの荷物を肩から外し、両肩に担ぐ、エゾにならった軍隊式の担ぎ方。
 習ったときは軽く感じたが、梯子を上った後の疲労の極限では膝が折れそうなほど重い。
 「がああっ!」
 ローレルは叫び声とともに立ち上がる。
 よろめきつつも出口に向かって死に物狂いで足を動かす。
 フンッ、フンガッ、気配がする、後ろを振り返ると壁を登ったクロクマの顔が見えた。
 「ひつ!」
 恐怖と絶望が全身を鉛に変える。
 「だめっ、諦めない!」
 クロクマはローレルたちの荷物もつつき始める、時間が稼げる、この間に小屋に逃げ込むしかない。
 鍾乳洞から出る、小屋までは30メートルの坂、担いだまま登れるだろうか。
 「絶対助ける!」
 バォォォッ、咆哮と共にクロクマが鍾乳洞から走り出す、ローレルたちの荷物も開けられなかったようだ。
 標的を2人に変えた、クロクマもディアボロスの標的となり鍾乳洞に追い込まれて1か月食料を口にしていない、さらに浅く埋葬されていた工場で死亡した中毒者の死肉を食害して間接的にベータロインの中毒熊と化して、やせ細り狂暴になっていた。
 ハラヘッタ、クワセロ、クワセロ
 坂の途中にいた2人にあっという間に追いつく。
 「ああっ、せめて、エレナだけでも」
 ローレルは岩の窪みにエレナを押し込み覆いかぶさって強く目を閉じた。
 「お父さん、ごめんなさい」
 クロクマが立ち上がり威嚇の咆哮を上げようと大口を開いた。
 バンッ、バンッ、バンッ
 エレナが覆いかぶさった下から伸びた手から小さな拳銃が薄紫の硝煙を吐いている。
 「えっ?」
 3発の32口径ACP弾は大口の内側からクロクマの脳髄を破壊した、もんどりうって後ろ向きにひっくり返り動かなくなった。
 なにが起きたか理解するのに時間がかかった。
 「あたしの……妹になにをしようっていうの」
 「エレナ!」
 「へへっ、やっつけた?」
 「うん、やっぱりエレナはすごいや」
 ローレルが泣き笑いしながら窪みからエレナを引き出す。
 「私の覚醒、殺し屋かな、熊の開いた口に3発って上手すぎない?」
 「正義の殺し屋だね、ヒーローだよ」
 「ヒーローはローレルだ、庇ってくれたおかげだよ」
 「その銃、どうして」
 「お父さんの寝所にあったの、万が一と思って」
 「エレナとお父さんの銃が助けてくれた」

 「約束だよ、お父さん、無事に帰ってきて」
 
 太陽は西の超山脈の間に姿を消して夕闇が2人に忍び寄る、でも2人なら乗り越えられる、きっと。
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