第10話 夢幻泡影

文字数 1,459文字

 Rout293 陸軍航空隊 第1戦隊群 第1小隊 
 
 第1小隊は1名のパイロットの欠員と2機の機体を失い、5機編成の通常業務を戻すためには時間が必要だった。
 なにより1式戦2型は陸軍内でも旧式、もはや工場に製造ラインはなく新たな機体の配備は不可能だ、小隊内で機種が異なると部品や整備工程が煩雑になるため、統一したいが新機体5機の配備にも旧機体と入れ替える順番があり、当面は入替の進んだ中古機体の導入を軸に調整が進められていた。

 リオは襲撃事件以降、ローズの軍葬儀、家族葬、軍への報告書の提出に忙殺されている時は良かったのだが、一段落して基地司令から一時休暇を命じられた後、自宅に籠っていた1日目で心身に異常をきたした。
 自分の愚かさや悔恨が押し寄せて涙が止まらなくなってしまった。
 眠る事も出来ずに3日を過ごした。
 見かねたリリィがローズ機用のハンガーにリオを無理やり連れだした。
 
 ハンガーはまだローズが生前に使用していたままだ、しかしそこにあるべき機体と主の姿を見ることは出来ない、秋風の吹き込む空間がやけに広く感じる。

 そこでリリィが教えたのはローズの研鑽、パイロットとしての資質の少ないローズが1線級となるためにしていた努力、リオもローズの努力は知っているつもりであったが、教練記録ノートに残されたメニューは想像を遥かに超えるものだった。
 リリィは言葉にしなかったが、ローズは持ちえる全ての時間を飛行のために、リオを守った一瞬のために捧げていた。

 なぜそこまでと思う気持ちの前にリオの脳内で別な感情が沸き立つ、夢幻泡影、ローズの好きな言葉、儚き時も無駄にせず努力する。
 リオは覚醒者ではないが、体力、知力にも恵まれており、何事でも人に遅れをとったことはなかった、ゆえにローズほどの努力をしたことがない。

 この時、初めてリリィがリオの前で涙を見せた。
 小さな拳をハンガーのコンクリート地面に何度も打ちつけ、赤いちいさな花をいくつも咲かせながら泣き叫んだ。
 リリィ姉が見せた初めての激情。
 航空教練学校時代の耐G飛行訓練によりリリィの左目は出血失明し、パイロットとしてリオやローズと同じ戦場に立つ将来は閉ざされた。
(なぜ、自分ではだめなのか、なぜ姉妹たちと同じ場所に立てないのか)
ローズのように戦えぬ自分の脆弱な身体が悔しいのだと、双子として生を受けて育ち、同じ目標を持ちながら成せない自分を呪ったと。
リオは初めて泣きじゃくる姉の血まみれの小さな手を取り抱きしめた、細く華奢な肩、ローズもそうだった。
ローズが最後に見せたマニューバ機動、神技の操機、どれほどの研鑽を積み上げれば到達できるのだろう、想像できない。

リオには軍人としてのパイロットとしての大儀がなかった、しかし、この時、軍人の大儀を超えてローズの研鑽に人としての生きることの意味を得た気がした。

夢幻泡影(むげんほうよう)  life is short   短くとも悔いなく生きろ
神似て正しく生きる  正しく生きる  正しく
リオとリリィ姉妹を、魂が優しく強く励ます、ローズの魂が。

ローズの機体ハンガーでリオ・アイゼンは鬼気せまる鍛錬を続ける。
 ベンチプレス、デッドリフト、スクワット、身体中の筋肉を苛め抜き、400メートルの疾走を繰り返す、インターバルトレーニングで脱水症状を起こしながら胃液を吐き、体中が痺れ痙攣するまで追い込む、そうすることでローズの匂いが残るハンガーでようやく泥のように眠ることができた。

 研鑽と鍛錬がリオの精神と魂を癒していく。

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