第26話 父親

文字数 4,752文字

 エイラとローレルが荷造りをしている、背負い式のバッグに食料と塩、煮炊き道具などを整理し移動できるようエゾから言われていた。
 ここでの生活は終わるのだと危機を感じた、追手がきているのだ、エゾは自分たちを逃がそうとしてくれている。
 ローレルの白い顔が青い、美しいオレンジの唇が枯れた色をしている。

 「大丈夫?ローレル」

 心配してエレナが声をかけた、エゾは脱出準備とだけ言い残して鍾乳洞を村の方に走っていってしまった、トラップを発動させると。

 村の慰安所に捕まっていた時、ローレルは妖精めいた美しさを持っていたため、より酷い辱めを受けた。
 そのときの恐怖が追ってきているに違いなかった。

 「なんでもないの、大丈夫だよ、エレナ」

 2人は同い年だったが、一緒に遊ぶ仲ではなかった、銀髪に薄青の瞳のローレルは流民だった、両親はいたが村の端に住んでおり既存の村人との接触は最低限だった、永住するつもりではなかったのだろう。
 臭い息、狂気の目、物を扱うように、人の痛みなどお構いなしに乱暴される屈辱と惨めさ、地獄だった、みんなと一緒に死ねなかった事を悔やんだ、親や兄弟たちと逝ければ、あの記憶の海に溶けてしまえば、こんな思いはせずにすんだのに。
 最初はエゾが男だというだけで嫌悪感が襲ってきた、意識外で本能が拒絶してしまう。
 恐怖に引き攣った顔と悲鳴をエゾに向けていた。
 エゾは命の危険を顧みずに私たちを助けてくれた、今も私たちを放り出して自分だけ逃げることが出来るのに、足手まといの私たちを守ろうと奔走している。
 なんの恩もないのに、むしろ変わり者だと村の人たちは良く言わなかったし辛くあたっていたと思う。
 助けた人間にあんな顔をされて、どんなにやるせなかったか、エレナはごめんなさいと心の中で謝った。

 荷物を片付けている最中にエゾが仕舞っていた古い拳銃が油紙に包まれて出てきた、ひょっとして使えるかしらと思い、手でふれた途端、エレナの覚醒が記憶の海からその拳銃を汲み上げていた。
 M1910拳銃、ストレートブローバックのシングルアクション、32口径のACP弾を使用するモデル、スライドを開け、マガジンを落とす、弾は入っていない。
 銃があった近くを探すと棚の奥から弾薬ケースに入った弾が1ダース出てきた。
 暫く使用された様子はない、エゾも存在を忘れているようだ。
 身体が勝手に動く、拳銃を分解し掃除する、エゾが97式狙撃銃の清掃に使用していたウエスで吹き上げる、錆は出ていない、組み上げて3重の安全装置を外す、スライドを引いて少し重い引き金を絞る。
 カチンッ、大丈夫だ、動く。
 マガジンを外して7発を装填する、シリンダー内に送ればあと1発撃てるが安全のためシリンダーには送らないでおく。
 15㎝500グラムの小さな拳銃はエレナの上着の内ポケットに目立つことなく入れておける。
 いざとなったら私もこれで戦う、ローレルとエゾを私が守る。
 エレナはその小さな拳を握りしめた。

 エレナがエゾの寝所でなにやらごそごそ探している気配がする。
 村が侵略される前からローレルはエレナを知っていた、明るく快活で大きな口で臆することなく笑う少女は可愛く愛らしかった、事実誰からも好かれていたに違いない。
 内気な自分とは真逆の存在、流民で髪や肌の色が違う自分は余計に引っ込み思案だった。
 1人で絵ばかり描いていた、両親は天才だなんて褒めてくれたけど、絵は両親と家ごと燃えてしまった。
 明るく跳ね回る少女が羨ましかった、あんなふうに笑えたらきっと楽しいのだろう。
 あの地獄のような小屋で筆舌に尽くせぬ凌辱の限りを受ける中で、彼女は身を挺して自分をかばってくれた、彼女の奥歯の数本はその時に殴られたせいで欠けたままだ、時々痛そうにしている。
麻薬で意識が混濁する中で口から真っ赤な血を滴らせながら悪魔のような男たちの前に立ち塞がって譲らなかった彼女の後姿を覚えている。
 翌日の彼女の腫れあがり倍になった顔を見て、自分のためにこんなになるまで庇ってくれた彼女に手を合わせて泣いた。
 なんて勇気なのだろう、逆の立場なら自分には出来ただろうか。
 今、こうして自分が正気でいられるのはエレナとエゾのお蔭だ。
 今度は自分の番だ、2人を守る、家族以外で初めての恩人をこれ以上辛い目には合わせない。
 ローレルはエゾが描いた鍾乳洞の地図と、ここ半年歩いた鍾乳洞の景色をすり合わせる、いくつもの逃走ルートを頭の中で反復する、細かい石の形まで覚えている。
 昔から記憶力には自信がある、興味を惹かれた物や景色は細部まで再現することが出来た。
 覚えようとしなければ忘れてしまうところがサヴァン症候群との違いだ、シャッターを押して画像を切り取ると詳細まで記憶できる、カメラアイと呼ばれる能力。
 まるでダンジヨンのような鍾乳洞の迷路、2人をきっと逃がしてみせる。
 ローレルもまた白い肌の拳を赤く握りしめる。

 エゾは猟犬たちが見つけるであろう鍾乳洞の入り口まで来ていた、なんとか間に合ったようだ、遠くに猟犬の吠える声が散発的に聞こえる。
 入口から入ったところにワイヤーが吊られている、その数3本。
 それぞれのワイヤーは壁に沿って天井の箱に繋がれていた、ワイヤーの先に自分の帽子をナイフで裂いて結びつける、犬がターゲットを見つけて引っ張ると天井に吊られた箱の底が抜け、中に詰められたものが落下する仕組みだ。
 来た道を戻る、仕込んでおいたトラップを動作するようにロックを解除していく、最後は鍾乳洞中央の出口から外におびき出す、待ち伏せて狙撃する、何人いるかはわからない。
 最初に猟犬を無効化できれば勝機はある。
 トラップに3人引っかかってくれれば御の字、相手は兵士か情報部か、いずれにしろ現役時代を含めても1日の最大撃破数を超えるだろう。

 エレナとローレルは準備を終えていた、背に膨らんだバックを背負い、エゾ手製のヘルメットにヘッドライトを装着し、防寒着を着ている。
 エゾの荷物を吊るした棒が二人の間にあった。
 「オレの分の荷物はいい、置いていけ、後で取りにくるから」
 「だめ、私たちが預かっていく」
 ローレルが強くエゾの目を見つめる、揺らがない決心がそこにある。
 「エゾは私たちといく、だから荷物と一緒に待っている」
 エレナも覚悟を決めた顔だ。
 「……分かった、出口はラライ山脈北側の地点Aだ、覚えているか」
 「もちろん、完璧」
 エゾが折れた、2人は引きそうにない。
 「鍾乳洞から出たら谷にそって登れ、左の大きな岩の裏に小屋がある、そこで待ち合わせる、いいな」
 2人は一緒にエゾの背中に手をまわして、その胸に顔を埋めて深呼吸する。
 老いた男の枯れた干し草のような匂い、大好きな匂いになった。
 「約束、待ってる」
 「必ず、一緒にいく」
 「お父さん」
 「!」
 エゾは2人の頭をそっとなでた、柔らかな髪だ、2人の成長していく姿が無償に見たい。
 「少し、照れくさいや」
 「ふふ、そうだね」
 2人の娘はお互いを見やって微笑んだ。
 「おじいちゃんの間違いだろう」
 「ううん、お父さん」
 「そう、お父さん」

 娘が3人になった、もう十分だ、俺にこれ以上の幸福はいらない。
もし残りがあるなら3人の娘たちに使ってくれと神なのか仏なのかわからない存在に鍾乳洞の天井を見上げて祈る。

 「よし、日暮れまでには決着をつけて俺も小屋に行く、必ず」
 「いいか、鍾乳洞から外にでたら魔の黒鳥に気をつけろ、上空の監視を怠るな」
 だめだ、涙を止められない、エゾは振り向き小銃の弾丸を補充する。
 マガジンをバッグに突っ込み、再び鍾乳洞の奥に歩き出しながら、老いた戦士は右手に持った小銃を高く掲げる。
 「約束だ」
 エレナとローレルも声を合わせる。
 「約束!」

 犬たちは順調にターゲットを追っている。
 村から5キロメートルの山林地帯、広葉樹の森がある、犬たちは度々地面に鼻を付けながら匂いを確認している、その回数が多くなる。
 ターゲットが頻繁に往来していた証拠だ、当初の予想どおりターゲットは地下にいる。
 山脈には多くの鍾乳洞が存在する、そこを通って狙撃ポイントを移動しているのだろう。

 追跡班に編成された5人は情報部内でもハン大佐に近い人物ばかりだ、班長バルトは先月まで敵国ダチアン帝国のマフィアに潜入していた。
 情報部による敵性国家薬物内腐焦土作戦、通称OBA(オペレーション・バッド・アップル)。
 構想2年準備2年実行に移してから1年半、バルトはダチアンのマフィア内においてベータロインの販売ルートを確立し敵性国家内に中毒者の蔓延を助長する役割を作戦立ち上げ時より担ってきた。

 作戦は順調だった、ダチアン帝国の社会はベータロインが浸透し内から腐り始めている。
 ダチアン帝国とリーペン共和国が開戦しても薬物という爆弾はやがて敵国を焦土化する、リーペンの人的損害を最小限とし、必ず勝利に導くことができる。
 資源や人口、軍事力がダチアン帝国は我が国の10倍、まともにやりあって勝てるはずがないのは子供でも分かることだ、占領そして属国の未来は見えている。
 ハン大佐は覚醒者の中でも天才中の天才、救国の英雄だ。
 我々が5年の歳月と多くの仲間たちの犠牲を払い遂行、成就させなければならない偉大な作戦、小さな村のひとつ、まして異民族の犠牲など取るに足らない。
 500人対数十万、いや数千万人の命の比較、理解できない者がいるだろうか。

 この工場は作戦の鍵だ、虫一匹の障害もあってはならない。
 
 ワンッ、ワワンッ、犬たちの鳴き声が目標発見を知らせる。
 「見つけたか」
 犬たちが鍾乳洞の入り口と思われる穴の前でしきりに中に向かって吠えている。
バルトは短機関銃を持ち替え、安全装置を外す、両翼に展開する部下たちに合図を送る。
 「ブリヤー、サイ、谷の上を警戒しろ、1000メートルでも撃ってくるぞ」
 「スタン、ビー、行け」
 二人は遮蔽物としていた岩から飛び出るとジグザグを描きながら鍾乳洞の前まで走り岩を背にする、撃ってこない。
 「よし、猟犬を鍾乳洞内に走らせろ」
 「了解」
 スタンが再びターゲットの匂いを猟犬に覚えさせる。
興奮している、ターゲットは近い。
「いけっ」
リーダーの一頭が鍾乳洞に突入すると、次々に4頭が後を追って走りこんでいく。
ガウッ、ガウウッ、何かに嚙みついてるようだ、おかしい、近すぎる。
スタンが異常を感じた刹那、ばふんっと、何かが落下した音、そして犬たちの悲鳴。
ギャワワワンッ、のたうち苦しむ様子が聞こえる、罠だ。
バタバタと数頭が穴から赤い霧とともに飛び出して転げまわる。
転げまわる一頭を確認する。
「うっ、これは」
「なんだ、どうしたスタン」
「……やられた、とうがらしの粉だ」
エゾが仕掛けたのはカプサイシン爆弾、対獣用の防御手段だ、猟犬の鼻と目は奪われた。
「ダメだ、5頭とも粉を被っちまった、しばらく使い物にならん」
「やるな、シジイめ」
「どうする、バルト班長」
「2班に分かれる、ブリヤー、サイ、スタン鍾乳洞から炙り出せ、私とビーは山を回り込んで奴らの出口を探す、やつはガキを連れている潜伏する気はないだろう」
「了解、班長」
「きっとトラップがある、気負付けろ」
「20年前の銃には負けませんよ」
最新の軽機関銃M1A1短機関銃の100発ドラムマガジンを装填する、45ミリACP弾を毎分600発打ち出し弾幕の雨を降らす、鍾乳洞内では短機関銃の火力の方が有利だ。
バルトとビーはシモノフM1936半自動小銃に7.62×54ミリを使用する、マガジンには15発装弾できる。
 どちらも敵性国家ダチアン帝国制のものだ。

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