第7話 麻薬とテロ

文字数 4,624文字

 リーペン共和国 欧州 国立生物学高等大学 鳥類動物学科棟 第1類(鳥類)教室にケツァルの保護と治療の任が陸軍官房から下されたのは運河襲撃から3時間後の事だった。
 大型鳥類研究棟に医療施設が付属された檻は国内には1か所、この欧州生物高等大学のみだ、幸いにも運河からここまでヘリでは1時間ほど、急遽受け入れ態勢を整えるため、鳥類動物学科棟の研究員が総出で準備を整えた。
 運河から救難ヘリでネットに入れられて運ばれてきたケツァルは通常より小型でとりわけ美しい羽根を持つ個体だった。
 しかし、困難な状況だ、頭部からの大量出血、右下肢の複雑骨折、右翼上腕の複雑骨折、多数の打撲、低血糖による低体温症の発症、このままではもって1時間かと思われた。
 ケツァルは神獣であり谷の奥深くに生息し、ダム外に住む人間が目にすることは滅多にない動物であり、動物園で飼うような生物ではない、よって生きたケツァルを触る機会など研究員にもなかった。
 ただ一人を除いては。
 
 その1人、彼女はダム内側に峡谷に暮らす数少ない部族のひとつノルマン自治区の出身であり、民はケツァルを神の遣いと崇め共生の関係にもあるという。
 瀕死のケツァルに彼女は濃度を高めたブドウ糖液にアミノ酸を混合したものを経口投与し、頭部裂傷を縫合止血するとともに折れた翼と下肢に添え木をあて固定、翼を畳み逆富士型の木枠ベッドにケツァルを上向きに固定させ、暖房の効いた治療室に運び保温に努めた。
 その生命を危ぶまれたケツァルだったが、研究員たちの24時間集中治療により3日後には危機を脱し意識を取り戻した、意識が戻った当初、混乱して怯えたのか首を振り上げて大声を上げたり、固定された身体を揺すりベッドを壊そうとしたりしたため、鎮静剤を打とうとしてもどこへ注射を打ってよいのか分からなかったが、彼女が何事か話かけると驚いたことにおとなしくなった。
他の研究員たちから( ケツァル語がはなせるのか )と半分真剣に問われたが彼女がささやいていたのはケツァルを神獣 ”ダーラニー” として崇める神事での歌であった。
 今は減少した血も戻りつつあり、今後の骨折治療において避けて通れない開放手術のため、自己輸血の採血を急いでいた、カルシウム分が非常に高いケツァルの骨折は2週間以上たつと開放手術でも元には戻らなくなってしまう、時間はなかった。
 
第1類教室の准研究員のオックス・デルシナエは本格的な秋がやってくる今、ホットパンツに半袖のサファリシャツを突っ込み、金色の髪をポニーテールを揺らしながら、誇りまみれの短ブーツで中央管理棟応接室に向かって小走りに急いでいた。
 会議室のドアの前で一端止まると、少し息を整えてノックした。
 「失礼します」
 ドアを開けて応接室に入る、普段研究棟ばかりを出入りしている准研究員のオックスは初めて応接室に足を踏み入れた。
 待っていたのは中央のシングルソファーに腰かけている小さな老人がニゲル学長、その右隣に鳥類学科棟の責任者オルドレス首任研究員、さらに左隣にはベルチェリ総務班長が揃っていた、いずれもオックスにとっては雲の上の存在、話をしたこともない。
 さらにテーブルを挟み二人ずつ4人の男たちが着座している。
 右の2人は陸軍の制服を着用している、上座に着く40代短髪の大柄で制服がきつそうな男は、目が開いていないのかと思えるほど切れ長の目が威圧感を振りまく、下座の男は眼鏡を掛け、髪を七三に分けて一見大人しそうな印象だが肩幅が広く背筋が棒を飲んだようだ。
 左の2人は上座の男はジーンズに革ジャン、長髪の二枚目だが崩れた印象がない、下座の男は中肉中背の平凡なくたびれたスーツを着た中年だ。
 そろって全員真っ黒な服だ。
 オックスは自分のホットパンツとサファリシャツが場違いに思えて帰りたくなった。
 「あなたがオックス・デルシナエ君で間違いないかな」
 ベルチェリ総務班長が声をかけた。
 「はい、そうです」
 「掛けてくれたまえ」
 ニゲル学長が視線でソファーにかけるよう促した。
 おずおずと腰をおろしたが、今まで座したどの椅子よりも上等だった。
 低い座面に腰を降ろすと太ももが露になり左にいるくたびれた平凡オヤジの不躾な目線が気になった、ますます早く帰りたい。
 「早速だが、オックス君先日からこちらに入院しているケツァルについて話を聞きたいのだそうだ」
 「ダーラニーについてですか ?」
 「ダーラニー ? 個体名称 ? それとも亜科とかですか 」
 革ジャンの男が内ポケットからメモを取り出しながら早速の質問。
 「はい、個体名称です、ダーラニーとはノルマン自治区で女神を表す名称です 」
 「なるほど、女神ですか。ではあの個体は雌なのですね」
 「雌というか雌雄同体です」
 ここで、革ジャンの男が名刺を取り出すと、それを見て平凡オヤジも内ポケットに手を伸ばした。
 「申し遅れました、私は刑事局第4班麻薬取締係のジェイ・ハマダと申します」
 「同じくニシだ」
 名刺がオックスの前に並べられた。
 要は犯罪捜査に携わる捜査員たちだ、しかも麻薬専門の。
 「はあ」
 としか言いようがない。
 「こちらもご挨拶いたしましょう」
  陸軍の制服を着た七三眼鏡が名刺を2枚取り出し刑事局の名刺の脇に並べる。
 「私たちは陸軍情報室特務班、こちらがタルシュ中尉と私、ハン少尉です」
 タルシュ中尉と紹介された短髪細目大男は正面をむいたまま一瞥だけを寄越した。
 「あ、あの、みなさんは何をお聞きになりたいのでしょうか ? 」
 おおよそこの研究室とは関係なさそうに見える4人だ。
 73眼鏡が革ジャンに合図を送る、お先にどうぞということか、だとすればこの2組の要件は別にある。
 革ジャンがそれではと話し始める。
 「私どもがお聞きしたいのは、1つ目はケツァルの繁殖方法、卵生であることは承知していますが、個体が生む卵の数についてです」
 オックスはこの質問に心当たりがあった。
 「ベータロイン、ベタの事ですね」
 ベータロインとはケツァルの卵から生成できるとされる強力な向精神薬で快楽性、依存性が非常に高く、麻薬の王と呼ばれている。
 「先日のバナマ運河襲撃事件の現場で座礁した小型船の船内から大量のベータロインが発見され、これを押収しました、その数量は末端価格で1000億円分、10000キログラムです」
 1g1万円といわれるベータロインだ、とてつもない量である。
 「こちらで把握している年間流通量の10倍以上の量です」
 「これだけの量を生成するためには50個以上の卵が必要です、ケツァルの個体調査等は過去になされたことがありません、何しろ生息地は超山脈の奥地、簡単にいけるところではありませんから」
 「ケツァルは基本隔年周期で一回、秋に抱卵します、はっきりとした確証はありませんがノルマン自治区に生息していたケツァルは100鳥前後だと思いますから50個の卵は自治区に生息する1年間の全鳥分ということになります」
 「その卵を略奪するのは可能だと思いますか ? 」
 「それは不可能だと思います、自治区では番いとなり抱卵しているケツァルのために冬に餌が少なくなる時、乾燥させた魚等を定期的に捧げ物として神殿に献上するのです、そしてケツァルたちはそれを糧に、春に卵が無事孵化し、幼鳥が自力で飛べるようになる秋に自分の子を見せに来るのです、その代わりなのかケツァルたちは畑を荒らす害獣や、災害の予兆を教えたり、人々とは共生関係にあります。」
 「ノルマン自治区の人口は500人程度ですが、信仰は厚く自治区の人々の目を潜って卵を大量に盗み出すのは無理です、無事では済まないでしょう」
 「無事では済まないとは ? 」
 初めて平凡オヤジが口を開いた。
 「いえ、自治区の人たちが殺してしまうとかではありません、ケツァルの巣は地上から行くにはあまりに厳しい場所で、おいそれと行ける場所ではありません」
 フッとニシが笑う、信じていない。
 「まあいい、そこは問題じゃない、要は生成されたベタが積れていたってところだ」
 何が言いたいと口に出しかけたところで平凡オヤジの真意がわかった。
 「ベータロインの生成に自治区が関わっていると言いたいのですね?」
 残念、期待外れ、こんな煽りで冷静さを失ったりしない、むしろ逆だ。
 「そうは決めつけてねえよ」
 いやらしい男、大嫌い。
革ジャンが内ポケとから2枚の写真を取り出しテーブルに並べる。
  「 見覚えは ?」
どちらの男も堅気には見えなかった。
  「いいえ、知りません」
  「ベータロインが積まれていた貨物船の船員でノルマン自治区の住人でした」
  「私が自治区にいたのは10年も前のことです、分かるわけありません」
  「なぜ自治区を出たのですか ?」
  「それに答える必要はない」
 尋問めいてきたやり取りにオルドレス首席研究員が口を挟む。
「 いえ、お話します」
  「 私は自治区では異端者でした、ご覧のとおり金髪青眼でノルマン人ではありません、おそらく出生はナジリス共和国、どんな理由か知りませんが捨て子だったのを拾われたのよ、・・・そして9才の春に自然覚醒したわ」
  「!自然覚醒……」
 自然覚醒は相当なストレスか身体的苦痛を伴わないと発現しないと言われている、9才の捨て子の少女に何が起こったのか想像は容易い。
「でも、悪い人ばかりじゃない。助けてくれた人もいたわ」
 応接室に気まずい沈黙が流れた。
  「話を戻しましょう、よろしいですね麻取のお2人」
 七三眼鏡が仕切り直した。
 革ジャンと平凡オヤジは頷く。
  「われわれ陸軍情報室特務班は先日のパナマ運河襲撃事件について調査しています」
  「いろいろ不可解なことが多く、多方面への調査協力をお願いしているところです」
 意味が分からなくなってきた、麻薬生成容疑のあとはテロリスト容疑か。
  「率直に言いましょう、こちらで保護していただいているケツァル、ダーラニーがバナマ運河襲撃の首謀者ではないかと我々は考えています」
  「はあっ ?」
  まったくの予想外の問いに思考が追い付かない。
 「最初に爆破されたのは第5ゼニス号という貨物船で相当量の爆薬を積んでおり、これをダーラニーが襲撃して爆破させたのが始まりで、その後多数のケツァルにより運河施設は破壊された」
  「ぷっ、あはははっ……もう、ファンタジー小説の読みすぎでは ? いくら知能が高いとはいっても貨物船を爆破するとか、鳥がどうやって……」
  思わず吹き出してしまった私以外の黒ずくめ7人衆の目がマジだ。
  「 えっ……本気で言ってます ?」
  「 私が冗談を許すように見えるか」
  極太の腕を組みながら、極細の彫刻刀で掘ったような細目で短髪大男が凄む、どうやら本気だ。
  「 そんな、馬鹿げている」
  「我々も最初は敵性国家のテロを疑っていましたが、意識不明だった貨物船の総舵手が先日意識を回復して得た供述です、他の生存者の証言とも合致します、かなり確度が高いと言えます。」
 「 率直に言いましょう、今回の襲撃がケツァル達の仕業とします、考えられない行動にも理由があるはずです、その理由がベータロインと関連があるのではないか、そう推理して
我々陸軍情報部特務班と刑事局第4班麻薬取締係が同時に伺ったたわけです」
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