第11話 箝口令

文字数 2,500文字

 ダーラニーの悲しい唄を聞いた夜以降、オックスは寝食をダーラニーの病棟で過ごし話しかけることに努めていた。
 朝食後にオックスがノルマンの民の唄をダーラニーのベッドの脇に座り口ずさんでいた時、視線を感じて顔を上げるとダーラニーと目が合った。
 なにか言いたそうなので問いかけてみた、ノルマン語で。
 「なに、何か言いたいの」
 ダーラニーがふっと笑ったように目を伏せながら嘴を開いた。

 「下手な唄だね」

 沈黙・・・オックスの目が零れんばかりに開かれる。
 3秒後の絶叫。

 「ええええ!」
 椅子から派手に転げ落ちる。
 突然の出来事に何事かと部屋中の視線が集まった。

 「うるさいね、騒いじゃだめね」

 「しゃ、・・・喋った」

 その声にオックスは聞き覚えがあった、確かこれは。
 「神官様の声 ! 」
 ノルマンの民の中でケツァル神殿の神事を行う女官の声、幼き時に聞いた独特の声。
 「神官の声ね、模倣しているね、私声まね上手ね」
 尻もちをついていたオックスは慌てて、両ひざをついて合掌し祈りの体制でダーラニーを見上げながら上ずる声をどうにか抑えて問いかける。
 「ダーラニー様は人間の言葉、ノルマン語を喋れるのですか」
 ダーラニーはちょっとだけ小首を傾げ、軽快に淀むことなく答える。
 「神官とよくお喋りしたね、同じ声で。可笑しくて二人で笑ったね」
 驚愕だ、完璧に会話が成り立つ。
 「私だけ特別ね、他のケツァルは喋れないね」
 
 事態を理解した鳥類学科棟の職員がベッドの周囲に集まり始めた。
 職員の壁をかき分けてオルドレス首任研究員が最前列に並び立った、その顔は驚きと興奮に満ちている。
 「オッ、オックス君、これはいったい」
 オルドレスはオックスとダーラニーを交互に見ながらX脚に膝をおり、両の拳を顎下で震わせている、どうやらそっち側の人のようだ。
 「主任、ノルマン語です、ダーラニーは会話できます」
 答えるオックスの顔も半泣き半笑いだ。
 「ヒッ、ヒェェェェェエエエ」
 オルドレスは奇声を発すると踵を返してオネエ走りで部屋を出て行ってしまった。
 「うるさいね、騒いじゃだめね」
 研究員のひとりがオックスに通訳をするように聞いた。
 「なんて言っているの」
 職員の中でノルマン語が理解できるのはオックスだけだった。
 「騒いじゃだめって言っています」
 
 鳥類には声帯がない、オウムやヨウム等の声を模倣できる鳥類は舌を振動させることで音、声を作り出している、ダーラニーも同じ機能を持つようだが決定的に違うは知能の高さ、
模倣した文章ではなく、自分の意志で構成した言葉を話せることだ。
 女官との会話をする中でノルマン語を習得したとダーラニーは言った。
 その後の会話の中でダーラニーには数学の概念、地理、感情、ほぼ人間と変わらない知的な存在であることを鳥類学科棟の全員が認識させられた。
 人間でも異種の感情を読み取ることは簡単ではない、まして言語が存在したとしてそれを習得など出来ようものか。
 異種間の言語も操るダーラニーは人間以上、やはり神獣なのだと職員たちは理解した。

 ダーラニーを中心に盛り上がる職員たちをドアの外からオルドレス首任研究員と背の低い老人、ニゲル学長がドアの隙間から覗き込んでいた。
 「驚いた、本当に喋っとる」
 小さな老人は真っ白なあごひげに手をやりながら思案気に呟いた。
 「世紀の大発見ですわ、学長様」
 学長に合わせてオルドレスも直角に腰を曲げている。
 「いろいろ大変なことになった」
 「なぜです学長様」
 「うーむ」
 「オルドレス君、鳥類学科棟の全員、会議室に集合、ジャストナウ、すぐにじゃ」
 小さな老人は研究者であり責任者でもある、先日の軍情報部と刑事局麻取の疑惑がこれでいっそう真実味を帯びてきた。
 バナマ運河襲撃事件の首謀者、数百億円の被害額、死者120名、負傷者30名、行方不明15名の未曾有のテロ事件。
 真実ならば有史以来の凶悪犯罪者、いや犯罪鳥ということになる、無残に殺された者たちの家族は相当な恨みを持っている、当然だ。
 法律上ケツァルは鳥、動物保護法の範疇、復讐して殺したからと言って懲役刑までの罰則はない、実行しようとする輩は幾らもいよう。
 さらに決定的なのはベータロインという麻薬の王が関係している。
 状況によっては学院や研究員にまで危害が及ぶ可能性がある。
 会議室に集められた鳥類学科棟の職員はニゲル学長の説明を聞いて青ざめた、さきほどまでお茶目な神獣は恐怖の悪魔かもしれない。

 「諸君、事情は理解してくれたと思う、よってこのことは一切他言無用、箝口令を敷くこととする」

 「今後以降ダーラニーとの接触はオックス・デルシナエ君以外禁ずる」

 職員たちからは同情の目線が集まったがオックスにはダーラニーが恐怖の対象とは思えなかった、幼少の頃見たケツァルは悪など微塵も感じさせない神聖な生き物だった。

 「では、解散」
 「と、待ってオックス・デルシナエ准研究員さん」
 オルドレスがニヤつきながら呼び止めた。
 「なんでしょう、主任」
 「あなた、本日付けで正式に鳥類学科に正式採用よ、オックス・デルシナエ研究員」
 「本当ですか、主任、ありがとうございます」
 「まあ、口止めの意味もあるかもしれないけど、とにかく、おめでとう、頑張ってね」
 以外と良いオネエなのかも知れない。
 「それと、ダーラニーの骨折解放手術、明後日に施術するわ、患者へのカンファレンスお願いね」
 「やってみます」
 「それと、今晩中に患者を鳥類学科棟から中央管理棟手術室に移動させるわ、私たち2人でね、すぐに行くから準備を始めておいて」
 「今からですか?」
 中央管理棟手術室は哺乳類用でケツァルには小さい、不審に思ったがオルドレス主任はそれには答えずに人差し指を唇に添えながらウィンクを投げてくる。
 「ケツァルって手術の承諾サイン貰えるのかしら」
 冗談とも本気とも分からない様子で背を向けて手を振りつつオルドレスは会議室を出て行った。
 やっぱり良いオネエに違いない、感謝を込めてオックスは後ろ姿に聞こえないよう答えてみる。
 「知らん」
 一礼した。
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